リスクマネジメント

「だいっきらい!」

 腹から出した声は、一人暮らしの小さな部屋を震わすには十分過ぎる程だった。その怒声を浴びた大柄な男は、ただ茫然と突っ立っていた。
 落雷でも受けたかのようにピクリとも動かない光太郎をグイグイと押し、そのまま玄関の向こう側へと押しやる。

「もう会わない! 帰ってくんな!」

 捨て台詞と共に靴と貴重品を放り投げ、乱雑にドアを閉めて仕上げだ。ここまでやり遂げて、私の気持ちはさぞかしスッキリすることだろう。……いや、しないとおかしい。おかしいハズなのに。

「……うっ、ふぅ……っ、」

 締め切ったドアに座り込んで嗚咽ばかりが溢れるのはどうしてなのか。今しがた私を傷付けた記事を写したスマホが憎い。本当なら“良くやった”と褒めてやりたいくらいなのに。“どうして見せたんだ”と詰め寄りたい気持ちでいっぱいになる。



―オリンピック代表 バレーボール選手、夜の密会パーティ

 久々に訪れた光太郎と過ごすおうちデート。私の膝に頭を乗せて微睡む光太郎。その頭を撫でながらタップした記事。どうせって気持ちと、まさかって気持ち。それらを混ぜ合わせて押した画面の先で、気持ち良さそうに寝そべっているこのバカ男が大きく映り込んでいた。

「ナニコレ」
「んー? なんだ?」
「コレ。ナニ」
「あー……コレ……コレ、は……その……」
「いつのやつ」
「前に行った遠征先で、先輩にメシ誘われて……」

 そのメシっつーのがいわゆるそういう店で……としどろもどろになる光太郎。正座をして、目線を逸らしながら弁明している辺り、自分のしでかした事の大きさは分かっているようだ。

「シーズン中だよね?」
「そ、うです……ハイ……」
「お酒、飲んだの?」
「いっぱい……あ、いっぱいって言ってもイッパイじゃねぇぞ!? イチ杯だぞ!?」
「そこじゃない」
「ハイスミマセン……」

 そう。そこじゃない。もちろんシーズン中の飲酒はあまり褒められたものじゃない。だけど、今に限ってはそこじゃない。問題はこの手だ。

「腰に手まわされて嬉しかった?」
「いやっ、記憶にないっつーか……」
「記憶ないの?」
「お、お酒弱いのなまえ知ってるだろぉ……」

 目と口をギュッと閉じる光太郎は今にも泣きそうだ。だけど光太郎はもう23歳。立派な成人男性。そんな子供染みた態度が通用するだなんて思わないで。

「私が知っていることを、どうして光太郎は止めなかったの?」
「それは……なんか、楽しくなっちゃって……」
「キャバクラが楽しかったんだ?」
「ち、ちが……っ……そう、です……になるのか……?」

 反論しようとして、ハッと息を呑み、勝手に受け入れる光太郎。どうしてこういう部分はいやに素直なままなんだろう。それが光太郎のらしい所で、今は嫌いな所。

 私が会えなくて寂しい間、光太郎に会えるのを心待ちにして必死に働いた間、仕事と試合が被って中継を見れない間、ぜんぶぜんぶ。
 光太郎が居ない間も光太郎のことを考えていた時間。その時間に光太郎は別の女性に触れ合って、楽しくなって、訳も分からない状態ではしゃいで、こんな写真と記事まで出されたってこと。

 これがもし選考に響いたらどうするの。もしファンが幻滅して光太郎のこと応援してくれなくなったらどうするの。そんなの嫌じゃん。どうしてもっと自分のこと考えられないの。……光太郎なんか、光太郎のことなんか――

「だいっきらい!」

 光太郎に裏切られた気持ちもちょっとはある。だけど、それ以上に自分の振る舞いが自分の首を絞める可能性に気付けない光太郎のバカさ加減のが悔しくて悲しい。

「会いたい……」

 もう会わないも、帰ってくんなも全部ウソ。今すぐギュッと抱き締めて欲しい。「好きだ」って言って欲しい。だけど、女としてのプライドがそれを許してくれない。

 痴話喧嘩をした時、光太郎はすぐに連絡を寄越す。それはもう鬼のようなラインと着信の数。結局それに私が折れて収束するのだけど、今回はそれが来ない。……もしかして、私たち本当に終わってしまうのだろうか。
 そんな不安が頭をよぎった瞬間、またしても私の喉からは声にならない声が漏れ出た。

「こうたろ……、もっ、バカぁ……」

 光太郎のバカ。大好き。



 昨日は結局あれから1度も光太郎から連絡はなかった。本当だったら今日のホームゲームを観に行くつもりで休みを取っていたけれど、生憎そんな気分にもなれず。
 チラリと見上げた時計は既に試合開始の時刻を30分過ぎていた。……光太郎、今日の試合コンディション最悪なのかな。侑くんに怒られてないかな。ベンチに下げられてないかな。

――あんなこと、言わなければ良かったのかな

 一瞬チラついた後悔を吹き飛ばし、せっかくだからと部屋の隅々まで掃除をすることにした。……あれは、光太郎の為でもあったんだ。もし、私たちの関係が終わることになっても、これからの選手生活で1つの気付きとなれば、それで良い。そう思おう。






「光太郎のモノばっか」

 頭を空にして勤しんだ片付け。結果として光太郎のモノばかりが手について、途中吹きだしてしまったくらい。……あぁ、やっぱり忘れることなんて出来そうもない。ごめん、光太郎。もっと言い方あったよね。ごめん、光太郎。お願い、戻って来て。

 身勝手な願いをした時、玄関のチャイムが鳴った。ドキリと跳ねる心臓を抑えながら玄関を向くのと「なまえ!!!!」と叫び声が響くのはほぼ同時だった。

「なまえ!! ごめん!! 俺が悪かった!! ごめん!!!!」
「ちょっ……こうたろ、」

 来訪を告げる為のチャイムなんてまるで意味を成さない。だけど、合鍵を使わずにドアの向こう側で留まったのは、光太郎なりの反省なのだろう。

 その反省が近所迷惑になっていることなんてお構いなしの光太郎は、私が慌ててドアを開けた瞬間、表情をぐりゃりと崩した。赤ちゃんが泣き声を上げる寸前とまるで一緒の顔だったので、急いで家の中へと引き込むとギューッと体を抱きすくめられた。

「ごめん……俺、なまえ以外の女と騒いだ」
「そこは別に……怒ってるけど、怒ってない」
「へっ?」
「嫌な気持ちにはなったけど。もう二度として欲しくないけど。……私は、それ以上に自分のことを管理出来ない光太郎に怒ってる」
「えっ、二度とってことは、これからもあんのか!?」
「ねぇ。訊きたい場所ソコ?」
「……あ」

 しまった! という表情になる光太郎を見ていると、途端におかしくなってしまって、「ふふっ、」と笑い声を零してしまった。……いけない。今は光太郎を叱る時間なのに。

「……これからはもっと自分の行動でどういう影響を及ぼすか考えること」
「はい」
「本当に、気を付けてよね」
「今後、キャバクラに行くことは絶対ないから安心して」
「なんで言い切れるの? 今回みたいに先輩の誘いで、とかあるかもじゃん」
「あれ? なまえ、インタビュー見てない?」
「いんたびゅー?」
「嘘! 俺今日の試合めっちゃ頑張ったのに!」

 スマホを取り出し、配信動画の1つを再生する光太郎。そこには今日の試合のMVPとしてインタビューを受ける光太郎の姿が。
 はじめは真面目な顔して受け答えしていたのに、最後にマイクを渡された光太郎は、カメラに向かってこう宣言したのだ。

「なまえーっ!! 俺、もうキャバクラになんて絶対行きません! なまえ以外の女の人とは2m以上距離を取ります! バレーだってちゃんと頑張るから! だから! なまえのもとに戻っても良いですか!!!!」

 光太郎の後ろで爆笑する侑くんと謎に感動している日向くん。軽蔑した顔を向ける佐久早くん。そして怒った顔で向かってくる監督。それらまでオマケとして収まった動画が終わった後、「なっ!」と目の前に居る光太郎が自慢げに鼻を鳴らす。

「……バッカじゃないの……」
「えっ! 俺またミスった!?」
「ミスもいいとこ。……でも、彼女としてこんなに嬉しいことはない」
「? それって、合格?」
「じゃないと家に入れてない」
「そっか! じゃあそれで良いや!」
「……おかえり、光太郎。会いたかった」

 ギュっと腕をまわすと、それ以上の力で抱きしめ返される。あまりの強さに「ちょっ」と声をあげても、緩むことはない。それどころか、そのままベッドに連行されてあっという間に組み敷かれてしまった。

「なまえでソレなのに、俺が我慢出来ると思うか?」
「……思えませんね」
「うん。そういうこと」

 おあずけをしてしまったのは私だ。……リスクマネジメントの大事さを、まさか光太郎に教わるハメになるだなんて。

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