Present time

 時は平等で、優しくて、残酷だ。“今”だったものが振り返ると“過去”になっていて、いつしか“あの頃”に変わる。

 そして、愚かなことにそれが“一瞬”であることをその時の私は知り得ない。






 駅に着いて改札を抜けると、ざぁざぁと本降りの雨に変わっていた。雨が降った日、迎えに行くのは私の役割だった。
 だけどそれももう昔のこと。もうあの頃のように帰宅路を引き返す必要もなければ、「大地は意外と大雑把だから」と笑う資格もない。

 手放したのは私。彼の優しさや、平等に接する態度や、芯のある強さ――それら全てを突き放した。傍に居過ぎて、浅はかにも彼の存在に慣れて、全部つまらないと感じてしまった。
 愚かな行為だと気付くには多分なる時を過ごした。後悔先立たず――なんて、よく言ったものだ。

 キンと冷えた寒空を見上げ、はあっと白い息を昇らせる。見上げた先から今更なにを、と神様が笑ってるみたいに雨が返ってきた。

 たまには私が「駅まで迎えに来て」って言ったら「珍しいな。なまえが忘れ物なんて」と笑いながらも大地はきっと迎えに来てくれただろう。

 12月の夜空には白い結晶など舞っていない。けれど、空も街も至る所を滴や人が覆い尽くして、一体どこに目を向ければ良いのか迷ってしまう。寒さを分かち合う相手も居ない私は人目につかないようにそっと駅構内へと踵を返す。――あぁ、今日はクリスマスか。

 コンビニで傘を買おう。去年まではケーキ屋で買っていたケーキはもう要らない。……だけど無くすことも出来なくて。

「俺もう無理」
「えー? ご飯はあんなに掻きこむのに?」
「だって甘いべ? これ」
「もぉ、私が太っちゃうじゃん」

 手に取ったコンビニケーキを見つめてはまた大地との思い出が蘇ってくる。それを誤魔化すように鼻を啜ってマフラーを巻き直す。……もうどれも過去なのだ。なにもかも。

 誰も居ないあの家に、私1人が帰るのだ。



 クリスマスを特別な日として捉えていたことに、大地という恋人を失って自覚している。突き刺す夜風は1人だとこんなにも痛い。寒さに身を縮ませながら、辿り着いた先では未だに降る雨。手提げたビニール袋をきゅっと抱き締め、寂しさも思い出も抱えるように両手で抱え直す。……あの頃に戻りたいな、なんて。どんだけワガママなんだ私は。

「え」
「なまえ……」

 さっきまで立っていた場所に、見慣れた姿があった。恋い焦がれ過ぎて、幻影でも見ているのだろうか。ぼんやり眺めた先で、その人影ははっきりと私の名前を呼んだ。あの日と変わらない、優しさを滲ませて。

「傘を忘れちまって。……駄目だな、俺」
「……そ、っか」

 咄嗟に傘を隠してみたけれど、そんなの意味なくて。「なまえはやっぱり偉いな」なんて目を細めて笑う大地。……違うよ、私なんて偉くないよ。だって、大地を手放したんだよ? じゅうぶんバカだよ。バカ過ぎて、嫌になるくらい。

「……今、どうしてる?」
「どう、って?」
「いやその……良い人に出会えたり、」
「出会えてたらクリスマスにこんなとこ居ない」
「そ、うだよな。……スマン」

 傘を持っているのに、それを広げて歩き出すことが出来ない。これは、神様がくれた特別なプレゼントなんだろうか。だとしたら大人気なくても噛み締めたい。だってこの時は今しかないのだから。変な見栄張って手放したら、もう今は戻ってこないのだ。……それは、痛いほど知っている。

「大地は、元カノに理不尽に振られてから数ヶ月経ったけど。どうなの?」
「そりゃあ、居たら今ここに居ねぇべ」
「そっか……ごめん」

 跳ね返る雨が足元を濡らす。じんわりと冷えて行く足元。早く暖房の効いた部屋で暖を取りたいのに。足先が冷えようとも、今ここに居ることのが何倍も大事だと思う。……でも、時は残酷な程に平等に進んでいくもので。無限に続く時なんてないのだと、分かっているから。だからせめてあと数分だけ。

「……なぁ、なまえ」
「ん?」

 数分の間、2人の間に沈黙が流れた。私はほんの一瞬でも隣に大地が居ることを噛み締めたくて。大地が何を考えているかは分からない。だけど、沈黙を破ったのは大地だった。

「やっぱ俺、なまえが居ないとダメだ」
「……っ、」

 その言葉を言われた時、咄嗟に言葉が出なくて口をパクパクとさせてしまった。それを見た大地は少し困ったように目尻を下げて「未練がましいよな」なんて笑う。大地はいつだってそうだ。優しくて、自分の想いは真っ直ぐにぶつけることが出来て。そういう所はどれだけ時が経っても変わらない、あの頃のまま。……私はずっと、ずっとそういう所が大好きだった。そしてそれを手放した。そのことをずっと後悔して、今日ここまで来た。……大地はこんなにも愚かな女のことをまだ好きだと言ってくれるのだ。どれだけの優しがあればこうも想い続けてくれるのだろう。

「私なんかでいいの……?」
「なまえじゃないとダメなんだ」
「……ずっと思ってた。なんであの時、大地のこと振っちゃったんだろうって」
「そら俺のダメな所に愛想尽かしたんだろ。今度はちゃんとするから」

 この人は一体どこまで優しいんだろう。大地にいけない所なんてどこにもないのに。悪いのは全部私だというのに。それでもまだ想い続けてくれるこの人を、私はもう手放せない。手放したくない。

「ねぇ。一緒に帰る?」
「いいのか?」
「うん。傘、ないんでしょ?」
「ス、スマン」
「大地が意外と大雑把なのはずっと前から知ってる」
「ハハ。そうだな」
「……一緒に、帰ろっか」
「ああ」

 するりと繋がれた左手は大地のポケットへ。必然的に寄せた肩と肩。そこは冬だというのにじんわりと暖かくて。あぁ、大地が隣に居る。なんて温かいんだろう。

「最高のクリスマスだ」
「あぁ。だな」


 時は平等で、優しくて、残酷だ。だけど、残酷なくらいに優しくて、平等なのだ。だって愚かな人間にもこうしてやり直すチャンスを与えてくれるのだから。

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