Last drive
約束もしてないのに一緒に帰ったり、オチのない話をしてみたり。家に着いたら「じゃ」って短い言葉で別れて。昔はそのことに寂しさなんて感じなかった。だって、また明日があるって知ってたから。だけど、その頃の私が唯一知らなかったこと。
その“また明日”はずっと続くわけじゃないってこと。
大地はずっとこっちの大学に行くと言っていた。私は田舎は嫌だ、東京に行くと言い続けた。だけどもどうだろう。いざ蓋を開けてみると、私が就職をしたのは地元の商社で、大地が進学したのは東京の大学。
東京での就職がものの見事に全滅し、悲しみにくれているうちに大地はせっせと東京行きへの準備を進め、あっという間に羽ばたいて行った。
「帰ってきた時に土産たくさん持ってくるな」
やけに良い笑顔を浮かべて新幹線に攫われた彼は、もう数年戻ってきていない。私の思っている東京と、大地の言っていたトウキョウは別物だったんだろうか。
馬鹿なことをぼんやりと考えているうちに、嘆いていた現状を受け入れることが出来て、就職した会社での仕事にもやりがいを感じられるようになってしまった。
「……さわむら」
それぞれの家に入る時や、朝大地が出てくるのを待っている時。学生時代は色んなタイミングで眺めることが多かったお隣さんの表札。今ではじっと見つめることもなくなってしまった“澤村”の2文字は、風景の中に溶け込んでしまった。
その風景から久々に拾い上げた幼馴染の名字は、なんだか違和感があってザラザラした。
「今年も帰って来ないのかな」
年末でさえ帰って来ない大地は、あちらの大企業に就職を決めて、毎日忙しない日々を過ごしているらしい。それこそ年末の休みも数日、という激務っぷり。そりゃあそんな短い日数で里帰りなんて難しいのだろう。だけど大地はあの時、「お土産をたくさん買ってくる」って言ってくれた。……全然買って来てくれないじゃん。ねぇ、今大地はどうしてるの? 体格の良さに磨きがかかってる? それとも激務で痩せちゃった? 前はそんな変化にも気付けないくらいずっと一緒に居たのにね。……なんで東京の大学になんて行っちゃったの?
ねぇ、大地。会いたいよ。
「大地くん、こっち戻ってくるんだって」
「……え、いつ?」
「来年度からこっちの支社に勤務することになったらしいわよ」
今年の誕生日も直に祝う機会を逃し、年末休みもあと少しとなった日。母親から唐突な話を聞かされ、剥いていたミカンをぽとりと落としてしまう。それって――「ずっとこっちに居るってこと?」口を吐いて出た疑問には、「でしょうね」と軽やかな口調で答えを返された。
「大地くん、爽やかさに磨きがかかってるんだろうねぇ。あ! 恋人とか出来たのかしら? ねぇ、ちょっとなまえ今度――……」
滝のように流れてくる母親の話には耳を貸さず、スマホの画面を覗き込む。……やっぱり、大地との会話の中にこっちに戻ってくるなんてワードは1つも入ってない。数日前の“誕生日おめでとう”に対しても“毎年ありがとな!”という黒い文字だけ。
――こっち帰ってくるんだって?
トトト、と打った文字はすぐさま消した。どうして教えてくれないの? なんて言葉は言えない。私たちは幼馴染ってだけで、それ以上も以下もない関係性だ。言いたい相手にだけ言えば良い。大地にはその選択の権利があって、それに文句を言う資格は私にはない。そして、その権利は私にもある。
「そうだなまえ。大地くん帰ってくるんだったら誘ってみたら?」
「……う、ん」
母親に返した言葉は、まるで私の心境を表しているみたいにガサガサとした声だった。
「久しぶり!」
「……久しぶり」
数年ぶりに顔を合わせた大地は、驚くくらい変わってなかった。それこそあの頃のように。笑う顔も、短い黒髪も、声の凛々しさも、逞しい立ち姿も。――そこに滲ませる優しさも。なんにも変わってなくて、ちょっと拍子抜けしてしまうくらいだ。
「あらぁ大地くんってば逞しくなっちゃって! 社会人、って感じね」
「そうですか? そう見えてるんだったら嬉しいな」
両手にお土産を抱え挨拶に来た大地を、嬉々とした様子で母親が出迎えるのをぼんやり眺める。確かに、頼もしさには磨きがかかった。……本当に社会人になったんだなぁ。
「これからまた、お隣さんとしてよろしくお願いします」
「大地くん、今日はこれからどうするの?」
「これから家具の買い出しに行こうかと。あっち行く時、実家の家具結構処分しちゃったんで」
大地の言葉を受けて、「じゃあなまえと一緒に行ったら?」という母親の言葉に目を見開く。その様子を見た母親が、「だってなまえもちょうど良いでしょ? アンタも色々と見て来たら?」なんて言うから私は更にぐっと言葉に詰まってしまう。
「で、でも……」
「俺は助かるけど。なまえの都合が悪いなら1人でも大丈夫だぞ」
「う……、」
言い淀む私に、何も知らない大地が気遣うように微笑む。その顔を見つめれば、どうしても断ることが出来なくて。結局私は、大地と一緒に買い出しに向かうことを選んだ。
「大地の運転、なんか新鮮」
「はは。仕事上、結構運転する機会はあるんだけどな」
「全然知らないよ」
「そうだよな。……元気にしてたか?」
「……まぁ、それなりには」
「そっか……。それは良かった」
前はもっとどうでも良いこととか色々話してたんだけどな。それこそ、思い浮かんだことをそのまま口にして。それを真面目に、時にはふざけ合いながら膨らませ合って。……それがどれだけ大きい思い出になっているかなんて思いもしないまま。――どれだけ貴重だったかなんて、知りもしないまま。
「今日はありがとな」
「ううん。私も楽しかった」
「俺、デザインセンスないし助かったよ」
「いうてシンプルな家具ばっかじゃん」
「まぁな」
すっかり日の暮れた帰り。ああでもない、こうでもない、と私の方が楽しんだ家具選び。ちょうどそういうことを考える機会が多かったから、すっかりのめりこんでしまった。しかも大地は「なまえが言うんならそれで」と全部言われた通りだった。もし、大地と一緒に暮らすことになったらインテリア全部私好みになるんだろうな――なんて。思っても口には絶対出来ない。
「……旦那さん、大丈夫かな」
「…………え、」
「指輪、してるから」
唐突な言葉に驚いて運転席の大地を見つめると、大地が私の左手に視線を這わせる。その視線から逃れるように右手で覆ってももう遅い。
遅いのだ。何もかも。
私は、大地以外の人と将来を誓い合ってしまった。あと数ヶ月もすれば結婚式を挙げる。母親は大地も誘えと言ったけれど、もう今更無理だ。……なんで。どうして。
「なんで今帰ってくるの……っ」
「……ごめん」
なじる言葉に反論もせず、ただ小さく謝罪を口にする大地。……違う。大地は悪くない。大地が謝ることなんてなんにもない。だって私と大地はただの幼馴染なんだから。だから、こっちに戻ってくることも、プロポーズをされたことも、どっちも言う義務はない。だから大地は何も悪くない。悪いのは私の方だ。
「……会社の先輩とね、結婚することになったんだ。今日のことは行く前に連絡したから大丈夫だよ」
「そっか。それなら良かった」
「……ねぇ、大地。……もし、私がまだ独り身だったら貰ってくれた?」
2人しか居ない空間で、大地の声を邪魔する雑音は何もないはずなのに。「あぁ」という声は、耳をよく澄ましてみても聞こえるかどうかくらいの声で。
昔は体育館に轟くほどの声を出していたあの大地が、こんなに小さくか細い声を出せるんだってビックリした。――ビックリし過ぎて、涙が出てしまった。
「今日はありがと」
「俺の方こそありがとう。……久々になまえと話が出来て良かった」
「私も。……最後に2人で話が出来て良かった」
「……幸せになるんだぞ」
「うん。ありがとう」
あの頃の私が知らなかった分、今きちんと受け止めなければ。あの頃の私の想いも……大地の想いも。報われなかった想い全て。それらを抱えて、幸せになろう。
「大地も。幸せになってね」
「……あぁ」
だから、どうか。あなたの幸せを願う私を許して下さい。