好き

「なまえにとって、俺ってなに?」

 尋ねてくる声はひどく優しく、震えていた。とても繊細なその言葉は、私の脳を打ち震わすには充分だった。

 私にとって大地とは――問われてみるとうまく答えられない自分が居ることにも驚いた。何より、あの大地が。そんな風に自分の存在意義を問うなんて。そうさせる何かが私にあったんだと動揺した。

「ごめん、柄にもないこと訊いちまった」

 数秒後、私の様子を見た彼はいつものように頭を掻いて謝罪した。その謝罪にすらうまく応えることが出来ない私は、それから数週間大地との連絡を絶ってしまっている。



「それって逃げてるってことじゃん」

 口の悪い友人にズバっと斬られる。が、それが正しい表現であることも理解しているから、その斬撃を大人しく受け真正面から傷を負う。

 問われ、困らせ、謝られ。

 大地は、どうしたかったのだろう。私は、どうしたいのだろう。
 色々と考えてもうまく答えは見つからなくて。何を選べば大地の望む答えになるのかも分からず。結果逃げに甘んじる私は、ズルい人間だ。

「でもさ、なまえの彼氏さんがそういうこと言うの珍しいね?」
「初めて言われた」
「普通なら“重たい”で片付くけど。その彼氏さんだとそういうワケにもいかないね」
「……ほんとに」

 何人かの男性と付き合ってきたけれど、大地は群を抜いて器がデカい。何をするにしても笑って受け入れてくれた。
 正直、はじめはタイプじゃなかったけど、付き合っていくうちに楽だなと思えた。そういう居心地の良さに甘え過ぎたのだろうか。――ずっと、大地に無理をさせてきたのだろうか。

「もう、無理なのかな」
「さぁ。そればっかりは彼氏さんじゃないと」
「そうだよね……」

 今日こそはと、逃げ続けてから毎日思っているのに、中々勇気が出せずラインを見つめては眠りにつく日々。その日々に、今日こそは終わりを告げられるだろうか。



「なまえ!」
「だ、大地!?」

 マンションに辿り着いた先、待っていたのは大地本人。驚く私を迎え入れ「ちゃんと話したくて」と告げる顔は真剣そのもの。……これは私たちの“終わり”が近いということなんだろうか。

「家、入ろ」
「あぁ。ごめんな、急に押しかけて」
「ううん。私が逃げてたからでしょ? ごめん」
「いや、その、」

 エレベーターに乗る間も会話のテンポがぎこちなくて、恋人相手だというのにお互い緊張しているのが分かる。喧嘩した訳じゃないのに、凄く気まずい。

「コーヒーで良い?」
「ありがとう」
「……この前の質問? なんだけど、」
「あぁ。変なこと訊いちまって、ほんとゴメン」
「考えてみたんだ、私なりに」

 ゴクリと喉を鳴らし、答えを待つ大地。その顔を見つめてどう伝えようか考えるけれど、やっぱりうまく考えは纏まっていなくて。……だって、私にとって大地は――

「よく、分からない」
「え、」
「私にとって大地はどうか。よく分からない」
「そ、そっか」

 でも。だけど。

「よく分からないけど、ずっと隣に居たい」
「へ?」
「“こう”ってハッキリ言えないけど。でも、もしかしたら別れ切り出されるのかもって思ったら嫌だって思った。ずっと、一緒に居たいって思った」
「わ、別れる……?」
「だから、よくは分かんないけど、好き。……これじゃダメ、かな?」

 コーヒーカップを握りしめ、頭に浮かんだ感情をそのまま告げると大地の顔が僅かに緩むのが分かった。そして静かに息を吐くと席を立ち、私のことを抱き締める。

「良いよ、それで。充分だ」
「ほんと?」

 頭を大きな掌が撫でる。この感覚、数週間ぶりだな。すごく落ち着く。

「無意識に出た言葉だったんだ。別になまえに不満があるとかじゃなかった」
「そうなの?」
「……いや。嘘かもしれない」

 ゆっくりと離れていった大地。自分の言った言葉をすぐにひっくり返した大地の顔を見つめると、いつもの優しい表情を浮かべていた。その表情を見て大丈夫だと心を落ち着かせ、大地の言葉を待つ。

「本当はなまえが俺のことちゃんと好きでいてくれてるか、不安だった」
「不安にさせてごめん」
「でも、動揺してるなまえ見てすぐに後悔したし、避けられてる数週間はマジでキツかった」
「ご、ごめん……」

 落ち着いて聞けるとは思ったけど。それでもやっぱり申し訳なさは浮かぶもので。申し訳なさで縮こまる私を、大地は笑って受け入れてくれる。

「だけど、必死に自分の考えを言ってくれるなまえはすげぇ可愛かったし、“好き”って言ってもらえたら俺も安心した」
「本当に安心出来た?」
「あぁ。本当だ」

 大地の笑顔を見れば本当だって分かる。ねぇ、大地。私にとって大地は思ってたよりもおっきいみたい。だから、大地にとっての私もそうであって欲しい。

「大地にとって、私ってなに?」
「……そうだな。よくは分からない」

 でも好きだよ、と悪戯心を忍ばせ笑う大地。ねぇ、大地。私も、それだけで充分だって思えるよ。

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