こちら恋心、脈アリ

「はぁ゛〜〜」

 盛大な溜息が自身の口から意図せず零れ落ちた。その溜息にハッとする余裕もなく、なし崩しのように体を机にへばり付かせる。幸い、この執務室には私1人だ。ちょっとくらいだらけたって構いはしない。

「やっぱ嫌だぁ……」

 机と顔の僅かな隙間から這いずり出るように放たれた弱音。もう嫌だ。逃げ出したい。今すぐに。だけどソレから逃げることはもう叶わない。ソレはもう、明日にまで差し迫っているのだから。……ならば腹を括れ。行くと言ったのは自分自身なのだ。
 これ以上ぐずるのはダメだと自身にストップをかけ、最後に切り上げる為の息を短めに吐いて顔を上げた瞬間。自分の左頬に真っ白な髪の毛が触れた。

「わぁ!?」
「ははっ。驚いたか?」
「鶴丸」

 驚くというより、心臓が止まりかけた。あんな近い距離で顔を覗きこまれたら心臓に悪すぎる。ドクドクと早鐘を打つ心臓を抑えながら呼吸を整えていると、それに構わず鶴丸は「いやぁ、きみがあまりにも悲痛な声をあげるから。つい気になってな」と朗らかな声色で話を続けてみせる。障子が人ひとり通れる程の幅で開いているのを見つめ、ハナから驚かせる為に廊下から忍び寄ったのだと理解する。きっと鶴丸は私の溜息を聞いても心配なんて気持ちにもなっていないのだ。私には分かる。この鶴丸国永という刀剣男士はどちらかと言うと――。

「面白がってるでしょ?」
「面白いか面白くないかで言ったら」

 面白い――口の端を歪め、いけしゃあしゃあと言い放つ鶴丸。ほらやっぱり。悩みの深刻度合いを勝手に推し量り、そして結果“楽しそう”という自身の興味に天秤を傾けてみせたのだ。さすがはお気楽男士。主が溜息を吐いているのだから、普通なら「どうした、大丈夫か」と訊くだろう。……まぁでも。そういう鶴丸だからこそ、この悩みを打ち明けてみても良いかもしれないと思った。どうせなら驚きもプレゼントしようじゃないか。

「鶴丸さぁ」
「うん?」
「私の彼氏にならない?」
「ははっ。コイツは驚きだぜ」

 そうでしょう、と期待通りの反応に満足感を得つつ、言葉の補足をしようとした矢先。「良いぜ」と端的な返事を寄越され、驚きをお返しされてしまった。

「え!? なんで!?」
「なんでって。それがきみの希望なんだろう?」
「いやっ……そうだけど……彼氏の意味、知ってる?」
「知ってるぜ。逢引きしたり、手を繋いだり、恋文認めたり――」

 グッと近付く顔。瞳を守るように生える睫毛一本一本の密度が分かるくらいの距離で見つめられ、再び驚きがやって来た。反射的に引き結んだ私の唇を鶴丸がじぃっと見つめ「接吻したり、な」と言いながら笑う。その妖艶さが恐ろしいほどで、私は神様相手にとんでもないことを言ってしまったのかもと今更な畏れを抱く。

「まっ、待った。あのね、そんな本格的なやつじゃなくって」
「ん? 違うのか? ……あぁ、アレか。もうちょっと軽めの……なんだったか。なんとかふれ……あー、ダメだ。横文字はどうも苦手でな」
「違う! それじゃない! そういうんじゃなくって!」
「んん? 君の話は謎解きか何かか?」

 話を理解してないくせにどうして即答したんだよ! とツッコミを入れそうになったけれど、それよりも今は説明することを優先しよう。何せこの話は私の中ではそこそこ深刻なのだから。

「正確には彼氏の“フリ”をして欲しい」
「ほぉ。そりゃ一体いつ、誰に対して」
「明日。現代での同級生に対して」
「ソイツは男かい?」
「うん」
「2人きりで会うのか?」
「そう。この間同窓会行ったでしょ?」
「あぁ、確かそうだったな」
「そこから連絡取り続けてる人が居るんだけど。その人と会おうってなってて」

 同窓会で再会したクラスメイトと連絡先を交換してからというもの。今もこまめに連絡を取り続けているまではまぁ別にどうってことはない。問題はその中身だ。

「多分コレ、脈アリなんだわ」
「ないと死ぬぞ。脈は」
「私のこと好きなんじゃないかってこと」
「へぇ。“好意がある”ってことをそういう言い方するのか。こりゃ驚きだ。じゃあ俺も今この瞬間、誰かを好きだってことかい?」
「うん。そうなんじゃない?」
「ははっ。そうか、そりゃあ良いな」

 脈アリ、ナシなんてずっと前から言われてるような気もするけど。今そこは論点じゃない。問題は明日のことだ。急拵えだけど彼氏役は確保した。けどこっからどうすれば良い?

「あ! 分かった。“彼氏が男と会うのはダメって言ってる”っていうのはどう?」
「んー。それだと俺が嫉妬深い男みたいじゃないか」
「良いじゃん。なってよ、嫉妬深い男」

 というか、彼氏持ちなのに別の男の人と2人きりで会おうとしてる時点で彼女役の私に非がある。こっ酷く叱られたとも付け加えれば良いのではないだろうか。よし、これなら今から断っても怪しくはない。

「そもそも、どうしてきみは乗り気じゃない相手と会おうとしてたんだ?」
「それは……まぁ昔はそれなりに仲良くしてたから……。久々に会ったらその、なんていうか……またっていうか……」

 もにょもにょと言葉を連ねる私の姿を見て、鶴丸の瞳がぱちぱちと瞬く。その姿を言い表すのならば“静かに驚いている”といった様子だ。どうやら私と同級生の関係性をより正確に言い表す言葉に辿り着いたらしい。それを自身の脳内に落とし込んだあと、深めの鼻息を吐き出し「元の鞘に収まりたいのか。きみは」と問うてきた。

「だって……審神者やってると現代の友達にも中々会えないし、新しい出会いだって滅多にないし……。でも私だって恋くらいしたいし……」

 そんな気持ちを抱いている所に開かれた同窓会。そこで昔付き合っていた人と再会したとなれば、心の奥底に眠っていた恋心が淡く蘇ったとしてもおかしな話ではないはずだ。ただ、その恋心は淡いものでしかなく、いざ2人きりで会うとなると拒否反応へと変わってしまっていた。自分の気持ちを全て素直に打ち明けたら“自分勝手だ”と言われるかもしれない。だけど、拒否する理由はそれだけじゃないのだ。

「別れたあとに知ったんだけど。相手、結構浮気してたっぽくって。そのあともそういう感じの付き合い方続けてるって風の噂で聞いたなぁ〜とか。そういうこと思い出したら、なんかちょっと……」
「なるほど。俺としてはソイツが何股してたかが気になるけどな」
「うわ、下世話」

 うげぇっと顔をしかめても鶴丸は慌てる様子も見せない。それどころか再び顔色を楽しげな色へと変え、「よし。明日、俺も一緒に行こう」と切り出す。鶴丸の会話の流れ、速すぎて驚く間もないな。

「それはちょっと。相手にも言ってないし」
「その方が驚けるってもんじゃないか」
「相手はそこに驚きなんて求めてないよ」
「分からないぜ?」

 いや、分かるでしょ。というか、2人で会おうって話なのに勝手に人を連れて来るのはさすがにダメだろう。私としては鶴丸に彼氏役としてツーショット写真でも撮ってもらえたら充分だ。

「とにかく。現代にまで来てもらうのはナシ」
「それじゃあ俺が彼氏になる意味がないだろう」
「意味はあるよ。ツーショット撮らせてもらえたら、折を見てそれを相手に見せるから」
「あぁ。分かった」

 意外にもすんなり引き下がってくれたと安堵していると、鶴丸がスッと立ち上がる。その動作を目線で追えば「着替えてくる」と行動の意味を教えてくれた。

「服?」
「写真を撮るんだろう? このまま撮ったら、いつの時代の彼氏だって言われるだろうからな」
「確かに。え、意外なんだけど」

 鶴丸のことだから、それすらも驚きに繋がるとか言うって思ってた。意外とちゃんと彼氏役しようとしてくれてるんだ。ちょっと感動しちゃう。

「なんかとんとん拍子に話が進みすぎてびっくりだけど、鶴丸に頼んで良かった」
「ははっ。そうだろう? ちょっと待っててくれ。とびっきりの服できみを驚かせてやるから」
「……ん?」
「ん?」

 驚き? どうしてこの会話でそのワードが出てくるんだ? こてんと首を傾げると、鶴丸も同じように首を傾げてみせる。

「どういう服着てくるつもり?」
「この前てれび、だっけか? アレでやってた番組に小さい子供が出ていてな。あの服装をしてみたいんだ」
「待って。小さい子供……? それって粟田口の子たちが見てた……?」

 嘘でしょ。それってあのアニメのこと? ハーフパンツにソックスを合わせて、更にはあの蝶ネクタイをつけようとしてるの? ……あれ。想像したら意外に着こなしてないか?

「ちょっと見てみたいかも」
「よし、すぐに着替えてくるぜ」
「やっ、良い。お願い、普通の服で良いから」

 何故か鶴丸はそれからしらばく名探偵の服が着たいと駄々を捏ねていたけれど、必死に来年のハロウィンパーティにして! とお願いし、どうにか引き下がってもらえた。それから大倶利伽羅に借りたというジャージを着て戻ってきた鶴丸と無事にツーショットを撮り、これでどうにかなりそうだとひとまずの安心を胸に抱きながら眠りに就いたのが昨日の話。



「よっ」
「えっ!? な、なんで!?」

 今ここ、現代。どうして目の前に普段なら絶対に会うことの相手がここに居るんだ。しかも私より先に。もう何度も鶴丸には驚かされてきたハズなのに、未だにこんな新鮮な驚きを提供されるだなんて。

「てか服……」
「光坊に見繕ってもらった。じゃないと行かせないと言われちまってなぁ」

 ナイス燭台切。この男士、絶対昨日話してた服装で来ようとしてたんだ。現代の季節は冬だから、ハーフパンツで来ようものならそれこそ周囲を驚かせて大注目を浴びてたに違いない。そうならなくて本当に良かった……とは思うけれども。今だって私の目の前に佇む鶴丸は、チラチラと周囲の気を惹いている。普段は真っ白な着物ばかりだけど、燭台切にコーディネートしてもらった服を着る鶴丸はそれなりに――いや、かなり格好良い。さすがは燭台切だ。

「そんなに熱視線をぶつけないでくれ。さすがの俺も少しばかり照れる」
「あ、あぁ。ごめん、つい」
「……変か?」
「ううん。チェスターコート、すっごく似合ってる」

 お、珍しい。鶴丸が照れ臭そうに頬を掻いてる。それにしても鶴丸、色が白いから顔が真っ赤なのがすぐ分かる。今日は結構気温が低いから、体も冷えてしまっているのだろう。もうここまで来たらしょうがない。相手に連絡して、一緒にご飯食べさせてもらおう。

「おう! こないだぶり……って、誰?」
「あっ、お疲れ! ごめん、今連絡入れようと思ってたんだけど」

 携帯を取り出しメッセージを打っていると、丁度のタイミングで同級生が現れた。鶴丸を紹介しようと携帯を仕舞い、手を鶴丸へと向ける。……なんて言う? “彼氏とそこでバッタリ会って〜、だから彼氏も一緒にご飯食べて良い〜?”は無理があるか。付き合ってる相手と今日このタイミングで偶然バッタリは中々ないだろう。これだと鶴丸がわざと待ち合わせ場所にやって来たと思われかねない。

「鶴丸くん。彼も友達で、今そこでバッタリ会ったんだ」
「ん? 俺はきみの「鶴丸くんも! 一緒にご飯食べても良いかな?」

 話がややこしくなるから! その設定を真面目に守ってたら鶴丸が嫌なヤツに見えちゃうから! 必死に視線で訴えても、鶴丸は分かってくれない。眉を顰め訝しむ姿に、頼むから……! と懇願していると、同級生が「まじ?」と低い声を差し込んだ。

「良い感じの相手、居るんだ?」
「え?」
「あぁそうだ。悪いが君、この子のことは諦めてもらえないか」
「は……は?」

 鶴丸が同級生を見つめ、まるで牽制するかのように私を傍に抱き寄せる。その華奢な体のどこからこんな力が出せるのかと思うくらいの力強さで肩を抱かれ、目を見開き固まってしまう。こんな展開、全然予定してなかったんですが。もしかして鶴丸、彼氏役を自分なりに全うしようとしてくてれる?

「この子はそんな適当に扱って良い子じゃないんだ。分かるか小僧」
「小僧って……なんだよお前」
「俺はこの子のことが好きなんだ。だから、坊主みたいな男がこの子に近付いていると聞いて驚いたぜ」

 どこまでが彼氏役としての言葉だ? というか、これは彼氏役なのか? 自分の身に起こっている展開に驚き過ぎてもはや言葉も出ない。私に出来るのはただひたすら鶴丸の腕の中で固まることだけ。

「大方この子が“出会いがない”とかぼやいていたんだろう。それを聞いた君は“イける”とでも思ったんだろうな」
「なっ……お、俺はっ!」
「分かるぜ、俺には。君がこの子にどういう感情を抱いているのか」

 大事に想っているわけではないだろう? ――薄々思っていたこと。それを真っ直ぐな言葉で射止められ、カァッと体の中に熱がこもる。
 分かっていた。連絡をとっている時から薄々気付いてはいた。きっとこの人は私のことを本気で好きなわけではないんだろうなってことは。もっとハッキリ言えば、体目的だってことくらい、私でも気付いていた。なのに、それでも良いかもなんて思った自分の浅はかさも、それを隠して鶴丸には“好意を抱かれている”だなんて言い方をした自分の情けなさも。何もかも、鶴丸は見抜いていたのだ。……あぁ恥ずかしい。

「そんなヤツにこの子は渡せない」
「なんなんだよお前……! 勝手に現れたかと思ったら勝手なことばっかり言いやがって……!」
「俺からしてみたら君の方こそ勝手に現れて、勝手にこの子の気持ちを弄んだ存在だぜ?」

 俺がどれだけの年月をかけて大事にしてると思ってるんだ――その言葉が耳の傍で聞こえた瞬間、ドクドクと心臓の鼓動が聞こえてきた。……鶴丸、怒ってる? 声音がいつもよりぐっと低い気がして、視線を鶴丸へと向ける。鶴丸の視線は私と絡むことはなく、じっと同級生を見据えたまま。あぁ、鶴丸は今私の為に怒ってくれてるんだ。そう理解した瞬間、私の心臓もドクドクと早鐘を打ち始める。

「ごめん。私たち、今日は帰るね」
「は? なんなのお前ら。勝手すぎるだろ!」
「本当にごめんなさい」
「二度と連絡してくんなよ! クソが」

 睨め上げるようにこちらを見つめたあと、同級生は踵を返し立ち去ってゆく。その背中を見つめていると罪悪感が込み上がってくる。けれど、それ以上に抱く感情は爽快感や嬉しさといった類のもの。ねぇ鶴丸。私のこと、見て――その意図を込めてもう1度顔を上げると、今度は鶴丸も応えるように視線を落としてくれた。

「色々と驚きなんですけど」
「ははっ。そりゃあ良かった」
「友達1人、なくしちゃった」
「要らない縁だったんだ。俺が斬ってやったぜ」
「ふふっ。さすが刀剣男士。…………ごめんね、色々と」

 今回のことは全部、私の自分勝手な気持ちから起こしてしまったことだ。同級生にも、鶴丸にも迷惑をかけちゃった。だからまずはごめんって謝りたい。その上で「ありがとう。ああ言ってくれたこと、すごく嬉しかった」感謝の気持ちを伝えたい。嬉しい気持ちが思わず笑みとなって零れ出た瞬間、ふわりと抱き締められた。

「つ、るまる?」
「聞こえるか? 俺の鼓動」
「うん。さっきからドクドクいってる。私の為に怒ってくれてありがとう」
「怒りもあるが……。こういうのを“脈アリ”って言うんじゃないのか」
「……えっ?」

 胸板を押してそっと距離を取る。そうして鶴丸の顔を見つめると、鶴丸の顔は赤く染まっていた。鶴丸の頬にさす赤も、ドクドクと打ち鳴らす心音も、全て。全て、私が原因だってことだろうか。

「きみが“出会いがない”と嘆くならば。“恋くらいしたい”と願うのならば。俺がそれを叶えてあげたい」
「鶴丸……」
「俺ではダメかい?」

 いつもいつも、私は鶴丸に驚かされてばかりだ。だからたまには、私だって驚かせる方をやりたい。その為には――「ねぇ、鶴丸」鶴丸の手を握りしめ、そっと自身の心臓付近に持っていく。そうすればきっと、鶴丸は驚いてくれるだろう。

「どう? 脈、ある?」
「……ははっ。コイツは驚きだ」

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