瞬きくらいの速度

 カラカラと戸を引く音がする。

「烏養さん! お帰りなさい!」
「おう、ただいま……っておい。ここはお前の家じゃねんだぞ」
「でも私のお店でも無いし。“いらっしゃい”はおかしいでしょ?」
「まぁそうだけどよ。もう遅いんだし、ガキは大人しく家に帰れ」
「良いじゃん別に。ぐんぐんバー買ってる立派な客なんだし」
「ぐんぐんバー1本でここまで居座られちゃあ、こちとら商売上がったりだわ」

 溜め息混じりな言葉を私に返し、定位置であるカウンターに腰掛けて煙草を咥える烏養さん。

 私は坂ノ下商店の常連客だ。



 学食派だった私が、気分を変えてみたくなって、学校の直ぐ近くにある坂ノ下商店に足を運んだのは半年くらい前。

「らっしゃいー」

 戸を引いた私に一瞥もくれず、漫画雑誌を見たまま、形だけの歓迎をくれた彼に私はあまり良い印象は持たなかった。

「324円ね。はい、まいどー」

 あっしたー。なんて今度は欠伸混じりなお礼の言葉で送り出された。“烏養”と書かれたネームプレートを見て、もう1度金髪の彼を見る。こんな接客、地元の商店だから成り立ってるようなものだ。こんな人、社会に出ても通用する訳が無い。高校生ながらに烏養さんの事をそう思った。しかし、その印象は数回坂ノ下に通ううちにガラリと変わってしまった。



「繋心ちゃん。みりんあるかい?」

 坂ノ下商店にしか置いていないあんパンが思っていたよりも美味しくて、私は数日後にまた坂ノ下商店を訪れていた。常連のおばあさんがやって来るなり、烏養さんの事を親しげに呼ぶ。無愛想な烏養さんがそんな風に親しまれている事に驚いた私はパンを選ぶフリをして、そちらへと視線を這わせた。

「おー、梅ばあちゃん。最近体調はどうだ?」
「時々関節が痛むけどね。それ以外は元気だよ」
「そっかー。元気が1番だもんな。みりん、これで良いか?」
「はいはい。ありがとうねぇ。繋心ちゃんも朝から畑仕事もこなして、大変だろう?」
「まぁ、その分好きな事やらせて貰ってるしな」

 はいこれ、持てるか? そんな言葉を続けておばあさんを見送る烏養さんは凄く優しい顔をしていた。

 欠伸ばかりなのは朝から働いているからなのか。やる気が無いという訳では無いんだな。そんな事を思った。



 友達に坂ノ下のパンはクリームパンもオススメだと言われ、今度はクリームパンを求めて訪れた3度目。その日はお昼休みに行われた委員会の後だった為、いつもより遅めの訪問だった。

「フンフーン♪」

 お昼のピークらしきものを終えたのか、烏養さんはカウンターから離れ、お店の棚に向かってハタキで商品を掃いていた。ハタキを持っていない側の手はエプロンに仕舞いこまれていたが、きちんと掃除を行う辺り、真面目だ。しかも鼻歌を歌いながら。意外と楽しんでいるようだ。気だるそうな姿は変わらずだが、不真面目では無いみたいだ。

「うおっ!?」
「えっ! す、すみません?」

 換気の為にドアを開けたままにしていたから、私が入店した事に気が付かなかったらしい。自分が奏でる鼻歌に浸っていた烏養さんは私の姿を捉えるなり、初めてハッキリとした声を上げた。そんな烏養さんに私は反射的に謝ってしまう。

「あ、や。悪い」

 頭をガシガシと掻きながら恥ずかしそうに定位置へと戻って行く烏養さん。なんだかそこら辺の大人より親しみ易い。おばあさんの気持ちが少しだけ分かる気がした。

「もう大分商品売り切れちまったけど。何か食えそうなモン、あるか?」

 このまま雑誌を読むのもバツが悪いと思ったのか、烏養さんはそんな風に私に声をかけて来る。

「あー……クリームパン。欲しかったんですけど。無いみたいですね」
「あぁ。クリームパンとあんパンはうちの人気商品だしな。直ぐに無くなるんだ」
「そうですか。……この時間は遅過ぎたみたいですね。また来ます」

 ほとんど空になってしまった棚を見て、踵を返す私を「ちょい待ち」と烏養さんの声が呼び止める。

「何も腹に入れねぇのは体に良く無ぇ。これ。トクベツだ」
「え……あ。ありがとうございます。いくらですか?」
「いーって良いって! こんな風に差し出した商品に金貰わねぇって!」
「でも、」
「ガキが大人に気遣うんじゃねぇ。良いから黙って食え」
「じゃあ……、ありがとうございます」
「ん」

 あっしたー。なんて言葉よりも短い言葉で送り出された3度目の来店。だけど、確実に烏養さんに対しての印象は変わっていた。何より、あの時貰った肉まんは今まで食べてきたどの肉まんよりも格段に美味しかった。私にとって、初めて“大人”に奢ってもらったモノだったからかもしれない。



 4度目の来店は学校終わりに消しゴムを買いに寄った時だった。烏養さん居るかな?なんて期待を込めてカラカラと引いた戸の向こうに烏養さんは居た。だけど、抑揚の無い「らっしゃい」は聞こえてこない。何故なら烏養さんは居眠りをしていたから。カウンターに腰掛けて、雑誌を開いたまま。瞳は閉じられ、体がうつらうつらしている。以前だったら、そんな姿に私は呆れすら感じていたはずなのに。居眠りをする姿に男子高校生が授業中に舟を漕ぐ姿を重ねてしまって、つい吹き出してしまっていた。

 どこが大人なんだ。全然、大人じゃ無いじゃん。

 その吹き出した私の声が現実へと引き戻す呼び水となって、烏養さんはぱっちりと目を覚ます。

「うおっ!?」
「っふ。おはようございます」
「あ。おはようゴザイマス。って……え? 今何時だ? うっわ! やっべ! もうこんな時間! 母ちゃん店番替わってくれ! 烏野行く時間だ!」

 目を覚まして時間を確認するなり、バタバタと慌てだす烏養さんに目を瞬かせる。烏野に行く時間って?

「あ、おい! えーっと、名前!」
「あ、みょうじです。みょうじなまえ」
「みょうじ! これ、口止め料! とお礼!」
「へっ?」

 そう言って渡されたのはカウンター側にあった“ぐんぐんバー”で。

「もう少しで遅刻する所だった! 起こしてくれてありがとな! って事で居眠りしてた事、これで黙っておいてくれな!」
「え、あ。はい」

 頷く私に「ん」と頭に手を乗せてポンポンと撫でて、駆け出すように出て行く烏養さん。大人っぽくないのに同い年の男子には無い雰囲気が烏養さんにはある。私の心は、この段階で鷲掴みにされてしまった。

 それから私は見事に学食派から坂ノ下派へと鞍替えしたのだった。



 それからの私は足繁く坂ノ下商店へと通い、烏養さんの事を知っていった。坂ノ下商店はお母さん側のお店で、烏養さんと名前が違うのはそういう関係で、烏養さんはアルバイトなどでは無く、歴とした坂ノ下商店の跡取り息子である事。おじいさんが名の知れたバレーの監督であった事。自分自身もその由縁で烏野高校の監督を引き受けて居る事。そして意外とその監督業が楽しいものである事。監督業をする為に店番と別に畑仕事を請け負っている事。

 知れば知る程、烏養さんの不器用な真面目さに惹かれていった。

 烏養さんに会いたくてお昼に出向き、取り留めの無い会話を交わし、放課後に烏養さんを見送って、時間が許す日は出来るだけ戻って来る時間まで坂ノ下商店で勉強をするという日々を送るようになった。

 これだけ顔を出していると、さすがに烏養さんも私の事を認識してくれているらしい。今日も戻って来るなり“またか”という様な顔を浮かべて、私にとって定位置となった机を横切ってカウンターへと座った烏養さん。追い払いはしないから、私もそのまま勉強を続ける。もし、烏養さんが少しでも嫌な顔をしたら、私は直ぐにでも帰るつもりだ。烏養さんに嫌われたくないから。だけど、今の所、そんな顔を浮かべられた事は無い。多分、そこら辺は接客の心得的な研修なんか受けていないから、取り繕いはしないだろう。そう信じている。

 だって烏養さんは、大人のようで大人じゃないから。そういう取り繕わない所が好きなんだ。

「試験前か?」
「うん。そう」
「試験なんて久々に聞く響きだわ」
「どうせ赤点ばっかだったんでしょ?」
「失礼だな。赤点ギリギリラインだわ」
「失礼どころか妥当じゃん」
「なんだと?」
「あはは! ごめん、ごめん」
「小生意気なガキだなほんとに」
「ガキじゃないもん。私だってもう大人だし」
「はっ、よく言う。俺からしたら女子高生なんてまだまだガキだっつーの」
「烏養さんだってほんの10年前はガキだったクセに」
「10年は“ほんの”じゃねぇよ。あっという間で、戻りたくても戻ってこねぇ時間だっつんだよ」
「なんでよ。あっという間なら“ほんの”じゃん。私だってあっという間に20歳越えるんだし、そしたら私と烏養さんはもう大人同士じゃん」
「簡っ単に言うねぇ、お嬢さんは」
「烏養さんはそうやって直ぐ私の事子供だって言うけど、その子供と同じレベルで言い合いしてるの、烏養さん気付いてる?」
「うるせーガキ!」

 ガキだと言い放つ烏養さんにめげるなんて事、私はしない。だって、私が20歳になってしまえばもう私はガキじゃない。10年はちょっと遠いかもだけど、4年なら本当にあっという間だ。だから、烏養さんにそう言われても、ヘコむよりも、こういう風にじゃれる事が出来る間柄になった事の方が私は嬉しい。いつの間に私はこんなにだらしの無い大人に惚れてしまったんだろう。


「こら繋心! なまえちゃんの言う通りだよ! 人に向かってそんな言葉使って! あんたって子は! そんなんだから結婚のけの字も出てこないだんだよ、全く!」
「うるせー! 俺はまだ26だぞ? 30にもなってねぇんだぞ?」
「まーたそんな事言って! 30歳なんてあっという間なんだから! 良いかい? 歳なんて、直ぐだよ直ぐ!」
「だぁぁぁ! わーってるよ! 母ちゃんは奥で休んでろ!」
「こら! あんたは全く……どうしたもんかねぇ。なまえちゃん。なまえちゃんの周りにこのバカ息子貰ってくれそうな良い人居たりしないかしら?」
「なっ!? なんつー事みょうじに言ってんだよ!? みょうじはまだ16だぞ? 居る訳ねぇだろ!」

 坂ノ下商店に通ううちにすっかり烏養さんのお母さんとも仲良くなった私は、おばさんからそんな相談を持ちかけられる。まぁ、ほぼ冗談なんだろうけど。それでも烏養さんは慌てておばさんを制している。この2人、いっつもこの会話で言い合いしてるんだよなぁ。

「私の周りには見当たらないですね」
「おいこらそこ。断言すんじゃねぇ」

 おばさんの冗談に付き合う様に即答した私を烏養さんがバツが悪そうな顔で責める。そんな烏養さんを見つめて、さらに言葉を続ける。

「まぁ私が大人になっても烏養さんが独り身だったら、私がお嫁さんになってあげますよ」
「なっ!? は? ちょっ、お前何言って……っ、」
「まぁ! それ良いわね! なまえちゃんがお嫁さんになってくれたら私、凄く嬉しいわぁ!」
「はぁ!? おい母ちゃんまで何言ってんだよ!?」
「私、結構早起き得意なんで、畑仕事も手伝えますし、お店のレイアウトも把握してるんで、店番も出来ると思いますし」
「いやいや。みょうじ。お前はまだ若ぇんだから、都会に出てやりたい事もあるだろ?」
「んー? これと言っては?」
「にしても、だ。こんな田舎で畑仕事とか田舎商店の店番とかするなんて、勿体ねぇって」
「でも烏養さんと一緒なら良いかなって思えます」
「なっ……なっ、」

 口をパクパクさせる烏養さんと、あらまぁ、なんて言って手を頬に添えるおばさん。

「大人をからかうのも大概に……」
「ガキだって思ってた相手が大人になるのなんて、あっという間ですからね?」
「っ、」

 何も言葉を紡げない烏養さんと、してやったりと得意げに笑う私。そんな私達を見ておばさんが「あらあら。良いじゃない。男は尻に敷かれた方が良いわよ」と微笑む。

「あら、親公認ですよ。未来の旦那様」
「お前っ!」
「烏養さんは私がお嫁さんになるの、嫌ですか?」
「〜っ、嫌、って訳、じゃ、ねぇ、けどっ」
「ふふ。どっちが大人なんでしょうねぇ? 繋 心 さ ん」
「っ、……お前そんな事言ってイケメン彼氏でも作ってみろ。許さねぇからな」
「あらやだ、繋心さんってば。亭主関白ですかぁ?」
「あのなぁ!」
「あはは、ごめんって! でも安心してよ。あと4年待ってくれたら良いから」
「みょうじにとってのこれからの4年は濃いって事、分かってんのか? その間に出会いなんざ至る所にあるんだぞ?」
「そんなの分かってるって。だけど、私がこの先烏養さん以上の人見つけられないのは、確定してるから」
「え」

 烏養さんがまた固まる。この人はイチイチ可愛い反応するなぁ。

「なぁ、ここまで話しておいてアレなんだけど……。これって冗談、だよな……?」

 確かめるようにそっと烏養さんが呟く。そんな烏養さんにおばさんと私、2人して声を上げて笑ってみせる。

「さぁ? どっちだろう?」
「は!? ちょ、おい。まじかよ!」

 もうちょっと待ってみてよ、烏養さん。答えが分かるのなんてあっという間だから。

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