向かい合う

 彼ほど情熱的な人を私は知らない。
 普段は軽々しい言動や行動に苛つかされることもあったけれど、バレーのこととなると途端に人が変わったようになる徹が好きだった。はずなのに、その熱量を疎ましく思うようになっていった。

 休養日として設けられた日はなるべく私と一緒に居ようとしてくれたけれど、それでは物足りないと私の心が欲張りになっていた。その日が終われば徹はバレーにしか向かなくなる。彼女である私のことなんてまるで無視といえるほどに、徹の第一優先事項はバレーだった。
 バレーに嫉妬するなんて、友達に愚痴ってみたところで笑われるだけ。別の人にふらつかないだけマシだとも言われた。
 そうとも限らないのに――という喰い下がりはするだけ無駄だと、言う前に止めた。浮気されずバレーだけを見続けられるのも中々にキツイものがある。そういう気持ちはきっと、誰にも分からない。

 試合が近ければ家に一緒に居てもプレー動画ばかりを見る徹。彼女になれる前は、その眼差しが大好きだった。彼女になれたばかりの頃は、その眼差しが私にも向けられるのだと期待に胸を弾ませた。
 だけど、徹の眼差しに熱が灯るのはバレーに対してだけだった。私は、徹の1番にはなれなかった。

「せっかく一緒に居るんだから。もうちょっと構ってよ……」
「んー、後でちゃんと構ってあげるから。ちょっとだけ待ってて? ごめんね、なまえ」

 裾をきゅっと握りしめ、見た目に反して逞しい背中にそっと縋りついてみても徹からは「ごめんね」と謝罪という名の拒絶を受けるだけ。徹にとって、バレーと恋愛を両立させることは難しいことのようだった。
 そんなことは徹自身が分かっていること。それでも私を彼女にしてくれたのは、そこに徹の気持ちがあったからこそ。それだけでじゅうぶん――そう思えないのは私のワガママ。そのワガママが徹の邪魔をしてしまっているかもしれない。私は徹にとって足枷でしかない。

「ねぇ、徹。別れよっか」
「……分かった。……ごめんね」

 徹は結局、最後まで私に謝罪の言葉を口にした。今思えば、「好き」だとか「愛してる」だとかの言葉よりも「ごめん」の言葉のが多かったように思える。
 徹は、徹の熱量を疎ましいと思った私のことを疎ましいと思ったことはあっただろうか? いつかほとぼりが冷めた頃、訊いてみたいなと思っていたのに。

「アイツ、マジで海外行くらしい」

 徹と別れてからすぐ、バレー部から聞いた情報。付き合っていた頃からその気配はあったけれど、高校卒業してすぐだなんてあまりにも急だと思った。アルゼンチンと聞いて地図を広げてみても、“ブラジルの下”という感想しか出なかった。日本の裏側はブラジルだし、徹が私と真逆の国に行くということだけは分かった。
 旅行ではない。いつ戻ってくるかも分からない。それはそんな簡単に出来る行為ではない。徹の周辺が慌ただしくなっていくのを、私はただ遠くから眺めることしか出来なかった。徹が遠くに行くのを、バレーに熱量を傾けていくのを、私は止めることも止めようとも思わなかった。



 2021年8月。
 高校生だったあの頃から8年が経った今、彼はその身をアルゼンチンに置いたままコートの向こう側に立っている。徹は高校卒業後、思い残したことは何もないかのようにふっと飛び立っていった。アルゼンチンリーグの情報を仕入れたくても、宮城からではそう簡単にはいかないものだった。スペイン語で羅列された記事を必死に読み込んでは、徹の名前がないか血眼になって探して。徹の名前が段々増えていくことに喜びを覚え。
 私は、思っていたよりも徹のことになると熱量を注ぐことが出来たらしい。だからこそ、あの時言った言葉を悔いることなんてなかった。

 徹がボールを放ち、轟音と共に日本コートへと叩き込む。
 苦しそうにバレーをしていることもあった。思い通りにいかないことに苛立っていることもあった。それでも徹がバレーをやめなかったのは、バレーが楽しいものだと知っているから。

 今、テレビ越しに見つめる徹はとても楽しそうにボールを繋いでいる。

「……やっとだ」

 やっと。長い期間をかけて、私は徹の笑顔を真正面から見つめることが出来た。徹がコートの向こう側に行ったから、バレーを愛し続けたから。私は今日、ようやく徹と向かい合うことが出来たんだ。

BACK
- ナノ -