この熱は同意を得ています

 また1振り、この本丸に男士を顕現してしまった。目の前でまばゆい光を放ってその姿を現す男士を見た時、私はどうしようもなく申し訳なくなって、喉の奥がぎゅっと締まる気がした。

「俺は、同田貫正国……ってどうした」
「ごめんなさい……」

 ごめんなさいともう1度続けたその言葉は、泣く寸前であることを示すように震えていた。その震えが体に伝わり、バランスを保てなくなってしゃがみ込んだ私の体勢は同田貫さんを崇めるようなものになっている。そんな状態で出てきた願いは「助けてください……」という如何にもなもの。いくら付喪神と言えど顕現したてのいきなりでこんなことを言われるなんて、同田貫さんからしてみたら良い迷惑だろう。それでも同田貫さんは肩に手を添え「何があった」と寄り添ってくれた。私にはそれがまた申し訳なくて、もう1度だけ「ごめんなさい」と謝罪を口にする。こんな本丸に呼んでしまって、本当にごめんなさい。



「初期刀の手入れが終わらない? どういうことだそれは」

 私が審神者としてこの本丸を持ってから1ヶ月が経った上での状態だと説明すると、同田貫さんの眉がきゅっと寄った。だけどそれが事実なのだ。こんのすけの手引きを受けて初出陣した合戦場。そこで重傷を負ってしまった男士と共に本丸に戻り手当てを行った際に表示された必要資源数は途方もない数字で、何故か手伝い札も使用出来なかった。「こんなことは初めてです」と動揺するこんのすけの横で、私にはある人の顔が浮かんだ。

「それがその見合い相手っつうワケか」
「彼は私が審神者として本丸を持つことに難色を示していました。それを振り切って審神者になった私のことが面白くないんだと思います」

 私の家はそこまで名が通っているわけじゃないけど、代々続く審神者一家だ。名家ではなくとも、それなりの歴史を持っていると他の名家との繋がりが出来る。私の見合い相手は、そのうちの一家だった。名家との繋がりをより強固なものにしたかった両親は諸手を挙げて喜んだ。私の意思などまるで無視で。
 元々そういう考えを持つ両親とは相容れなかったし、そういう部分にこだわることを私は“歴史”と呼ぶとは思えなくて大事にも出来なかった。それでも勝手に進んでいったお見合いで、相手は私のことを気に入ってくれたらしい。色よい返事がきたことに喜ぶ両親に対して私は複雑な心境でいると、相手は“結婚後は奥方になること”を前提として話を進めてきた。そしてそれを両親は当たり前のように受け入れている姿を見た瞬間、我慢の限界が来た。そうして飛び出すように家を出て、私は勝手に審神者になった。その身勝手さのせいで、今こんなことになっている。そして、その事情に初期刀だけでなく、顕現してくれた男士たちを巻き込んでしまっている。

「本当にすみません……」
「別に。あんたが謝るようなことじゃねえだろ。そんなみみっちいことしてくる相手が悪い」

 スパっと謝罪を叩き斬ってみせる同田貫さんに救われる思いがする。だけど、それでも巣食う罪悪感は消えてはくれない。事情を説明し、再び湧き起こる気持ちに顔を伏せていると「戻ったぜ、大将」と薬研が顔を覗かせた。

「おっ新入りか。遂に来たんだな」
「おかえり薬研。ごめんね、毎回。1振りで遠征なんて大変なことさせちゃって」
「いやいや。大将も1人で本丸まわしてんだ。そうやって支え合って行こうぜ」
「ありがとう、薬研」
「必要なら俺が本丸の案内するぜ?」
「ううん、大丈夫。薬研は休んで」

 大将もな、という言葉のあとに同田貫さんに向かって自己紹介をし、互いに挨拶を済ませた薬研は鍛錬所へと足を向けた。こんのすけのアドバイスを受けてひとまずもう1振り鍛刀することにして顕現した短刀。それが薬研だ。薬研も私の身に起こっている状況を説明すると面倒臭そうな顔1つせず「大将の力になれるなら嬉しいよ」と笑ってみせてくれた。そこからほぼ毎日遠征や出陣を1振りでこなしてくれている薬研は、出陣先で傷付いた体を「これくらいはまだ大した怪我じゃない」とそのままにする。そうやって本丸の資源を気にしてくれる薬研が心配で申し訳なくて、そのことを打ち明けたら薬研が「もう1振り顕現するのはどうだ?」と提案してくれた。そうしてコツコツ貯めた資源を使って顕現したのが目の前に居る同田貫さんだ。

「俺が来て良かったな。俺は実戦刀だ。これから戦は全部俺に任せろ」
「ですが私の本丸はご覧の通り運営もままならない状況です。どうか無理だけはしないでください……って、呼んでおいてどの口が言うんだって話ですよね……」

 すみません、小さく付け加えるように呟く謝罪を受けた同田貫さんがハァ、と深い溜息を吐いた。そのことに心臓がドクンと音を立てて冷や汗を体に流す。謝ってばかり、口ばかりだと思われただろうか。呼び起こされた恐怖心に目を閉じると頭を乱雑に撫でまわされ、思わず目の前に居る同田貫さんを見つめる。

「卑屈になんなよ。謝られてばっかじゃこっちだって気分悪ぃ」
「ごめ……、す、すみま……え、えっと、」
「あんた、審神者辞めてぇのか?」
「辞めたくないです」
「じゃあやりゃあ良いじゃねぇか。俺らはあんたの気持ちに応えて今ここに居んだ。あんたが俺たちを使ってくれねぇと俺たちは意味がねぇ」
「同田貫さん……」
「俺は戦場に出たいんだよ。あんたはゴチャゴチャ考えず俺を戦場に送り出せ。そしたら俺が資源でも功績でもなんでも持って帰って来てやるから」
「すみま…………ありがとうございます」
「おう」

 すくっと立ち上がってその身1つで早速戦場へと向かおうとする同田貫さんを慌てて止めて兵を連れて行くように告げると、同田貫さんは兵士たちと早々と意気投合し、「おっしゃ!」と今度こそ戦場へと駆け出して行った。初期刀を手入れする為にも資源は大事にしないといけないけど、こうして新たな刀剣男士が来てくれたことでより一層心強くなった。薬研にかかる負担もこれで少しは軽く出来ると嬉しい。

「大将。手紙、届いてるぜ」
「手紙?」
「奴こさんからみたいだな」

 これだけ妨害しておいて、まだ何かちょっかいをかけたいのか。もう放っておいて欲しい。私はこの本丸で、この手で、歴史を守りたいのだ。初期刀の手入れをする為、薬研や同田貫さんの為に、私はこの本丸に全力を注ぎたい。あの男に構っている暇などどこにもない。

「実際こんだけ妨害されてるんだし。早いとこ手を打った方が良いと俺は思うぜ」
「薬研、」
「いざとなりゃ俺がぶっすり行ってやるからよ」
「ありがとう薬研。いつも本当に、ありがとう」
「ははっ。良いってことよ」

 薬研の言葉に泣きそうになりながら手紙を受け取り、執務室で届いた手紙を広げると中身はやっぱり気持ちに鉛をつけるものだった。“審神者なんて辞めろ”“私には似合わない”“家の奥で飾りでいろ”……直訳するとそういう言葉達で埋まる手紙。それをぐしゃりと握り潰しゴミ箱に叩きつけるように捨てる。こんな言葉を吐ける人の傍にどうすれば居たいと思えるのか。人が必死にしていることを“似合わない”なんて言葉で一蹴する人間を、好きになれと言う方が無理な話だ。
 ハァと深い溜息を吐いて頭を抱えていると、「あんたの周りは昼夜関係なくどんよりしてんな」と呆れたような言葉と共に同田貫さんが顔を覗かせた。

「おかえりなさい。怪我ないですか?」
「俺を舐めんな。頑丈さが売りの刀剣だぜ」

 戦績報告に来た同田貫さんにお礼を告げながら資源を受け取ると、同田貫さんが「1つ気になってたんだけどよ」と言いながら胡坐をかく。目線で続きを促すと「戦場に出たら刀剣を発見することがあるらしいな」と言葉を繋ぐ同田貫さん。

「おかしいよな」
「それも私のせいです。得られる資源が少ないのも、出陣先で刀剣男士と出会えないのも全て、妨害行為によるものです」
「それ、報告したか?」
「こんのすけを通じて政府には言ってるんですけど……。今のところ改善した様子は見えなくて」

 つまり、頑張っても正当な評価をもらえないということ。それを知った同田貫さんは怒るかもしれない。不安から逃れるように顔を伏せると同田貫さんが再び溜息を吐く。話しながらふと“こんな風になってまで審神者を続ける資格があるのか”と思った。やりたいという気持ちだけで突っ走って始めたことだけど、いざ始めてみたらこんなにも刀剣男士たちに負担をかけている。だったらいっそのこと――。

「あんたが申し訳なさそうにする度、俺らもやるせない気持ちになるって分からねぇのかよ」
「えっ?」
「俺らが顕現したせいで、あんたを苦しませてんじゃねぇかってこっちが申し訳ねぇ気持ちになる」
「それはっ! それは違いますっ!」
「じゃあ堂々としてくれよ。俺たちの為にも」

 同田貫さんの言葉に押し黙ったのは、言い負かされたとかそんなんじゃない。彼の思いやりが身に沁みて言葉に詰まってしまったからだ。ごめんなさいとか、ありがとうとか。伝えたい言葉はたくさんあるけど、それらをうまく口に出せない姿を見て同田貫さんは笑いながら頭を優しく撫でてそっと執務室から出て行った。
 静かに流す涙は、今まで必死に耐えてきた気持ちそのものだ。同田貫さんにその重荷を解いてもらったような気がして、私は何度も心の中で“ありがとう”呟いた。



「霊力がなくなった?」

 同田貫さんが顕現してから1ヶ月が経った。相変わらず妨害行為に改善は感じられないものの、薬研と同田貫さんと共に本丸運営を行っていたある日。体にふと違和感を感じ、薬研に診てもらった。その結果、私の体から霊力が失われていることが分かった。霊力がなくなってしまったら、男士の顕現はおろか、手入れも出来なくなってしまう。審神者として致命的だ。元々そこまで霊力が高い方ではなかったけど、全くなくなってしまうのは有り得ない。……そうまでして私が審神者になるのを妨害したいのか。

「とりあえず、今日の出陣は控えてもらうしかないよね」
「そうだなぁ……」
「ハァ!? 俺は反対だぞ。戦に出てこその実戦刀だ」
「ごめんなさい、同田貫さん」
「どうにもなんねぇのか」

 同田貫さんの言葉を受けて薬研が「うまくいくかは分からんが……。俺たちの霊力を分けるのはどうだ?」と提案をしてくる。刀剣男士はそもそも審神者の霊力をもって顕現された付喪神だ。だから刀剣男士の持つ霊力は、主である審神者と似通っている。その霊力を審神者に分け与えることも不可能な話ではないらしい。

「まぁ相性とか体質とかも関係するらしいけどな」
「物は試しだ。で、どうやんだ?」
「色々あるが……例えば」
「わっ」

 薬研が近付いて来たと思ったらいきなりふわっと抱き締められた。驚いて体を硬直させる私に「すまん。ちぃっと我慢してくれ」と薬研が囁く。その声の近さにドキドキと心臓を高鳴らせるうちに、体中に温かい何かが流れこんでくるのが分かった。

「どうやらうまく行ったみてぇだな。気分は大丈夫か? 大将」
「うん、大丈夫」

 大きくて温かい何かは、薬研の霊力だろう。少しの間抱き締められただけでここまでの霊力を分けられるなんて。刀剣男士の持つ力は、私なんかじゃ足元にも及ばないようだ。薬研には助けられてばかりだと思っている私に「じゃあしばらくはこの方法でやりゃどうにかなんだな」と同田貫さんが安心したように言葉を吐く。

「ですが、政府にももう1度話してみます」
「その方が良いな大将。ここまでの妨害行為はあんまりだぜ」
「じゃ、俺はひと暴れしてくる」
「同田貫さん。こんな状況なので、どうかお気を付けて」

 戦場へと出陣していく同田貫さんを見送り、ふぅっと溜息を吐く。とある本丸がここまでの状況になっているというのに、政府がまるで動かないのも変な話だ。こんのすけはきちんと報告をあげてくれているようだし、それでもなんの改善も見られないのは、政府の中にあの男と繋がっている人間が居るということだろう。あの男の狡猾さが腹立たしい。こうなったら直接政府に足を運んで直談判するしかない。

「薬研、私ちょっと政府に行ってくる。留守を任せても良い?」
「俺も同行しようか? 邪魔はしねぇ」
「ううん、大丈夫。薬研は本丸に居て。ちょっとでも休んで欲しい」
「分かった。なんかあったらいつでも呼んでくれ」
「ありがとう」





「あれ?」
「おかしいですね……」

 準備を整えこんのすけと共に政府へと向かおうと転送陣を展開しようとしたら、転送陣があっという間に消滅してしまった。薬研に分けてもらったし、霊力に問題があるとは思えない。もう1度転送陣を展開しても結果は変わらず、私はまたしても男の妨害行為を味わうはめになった。
 仕方なく本丸に戻り、ダメ元で現状を訴えるメッセージを送ってから薬研と共に本丸で対応策を練っていると、出陣先から同田貫さんが戻って来た。その表情から疲労困憊であることが伝わってきて慌てて駆け寄ると「これくらいへーきだよ」と言う同田貫さん。だけどそれが強がりであると分かるくらいにはその言葉に力がない。

「そっちはどうだった」
「政府に行こうとしたんですけど転送陣がうまく張れなくて……。メッセージを送ったんですけど、それもちゃんと届いてるかどうか……」
「そうか。ま、どんな状況であれやるしかねぇな」

 カラっと言ってみせる同田貫さん。その言葉に薬研も「だな」と同意を示す。1度の出陣でここまで疲労するなんて、どう考えても妨害行為の影響でしかない。何度目か分からない罪悪感を抱くけれど、その気持ちを自身の中で打ち消す。私が悪いんじゃない。あの人が悪い。気持ちを奮い立たせながら「ひとまず今日は休んでください」と同田貫さんの体を支える。さすがにこの状態で戦場には送り出せない。

「別に行けるって」
「ダメです。主として許可出来ません」
「ははっ。言うようになったじゃねぇか」

 同田貫さんを自室に連れて行き、「それじゃあ」と出て行こうとすると同田貫さんから腕を掴まれた。どうしたのと視線で意図を問うと「霊力うんぬんの話だけどよ」と話を持ちかけられる。

「俺も試してみて良いか」
「あっ、はい。でも今は同田貫さんお疲れですし、また明日に……っ!」

 掴まれた腕を引っ張られ、思わず体勢を崩した。そんな私を受けとめるように抱きしめる同田貫さんに、思わず言葉を引っ込めてしまった。薬研の時とは違う感覚に、心臓がバクバクと鼓動し始める。なんか……薬研の時とは違う。なんというか…………抱き締め方が違うというか……なんだろう、これ。すっごい恥ずかしい。

「わっ」

 思わず驚きが口から飛び出した。同田貫さんが抱き締める力を強めたかと思ったら、体を摺り寄せるようにしてきたから。温かいを通り越して暑いくらいの熱が顔を中心に体を覆う。ギブアップを伝えるように「同田貫さん」と名を呼ぶと少しだけ同田貫さんの力が緩んだ。その隙間を縫うように顔をあげると、同田貫さんの顔面が思ったより近くにあって私の頬がヒリヒリと痛いくらいの熱を持つ。

「ど、だぬきさ、」
「……あー、悪い」

 腕から解放されたかと思ったら、同田貫さんは頭をガシガシと掻く。そうして吐き出される謝罪をどう捉えたら良いのだろうかと迷っていると「同意なしはさすがにまずいよな」と頭を垂れて謝罪を重ねられた。その言葉が同田貫さんが一体何をしようとしていたのかを示していて、私は言葉に詰まってしまう。“同意なし”と言ったけど、私はあと数秒見つめ合っていたら目を閉じていたかもしれない。その予感を抱いているからこそ、余計に同田貫さんの言葉になんと言葉を返したら良いかが分からない。

「こんな状況なのに、悪かった」
「え、あ……いや、それは……全然」
「すまん。明日からもよろしく頼む」
「こ、こちらこそ。よろしくお願いします」

 しどろもどろに言葉を返してから退室し、廊下を歩いているとお盆に薬を乗せた薬研と出くわした。そして薬研は私の顔を見るなり「俺は良いと思うぜ」と全てを察した言葉を差し出してくる。その顔がやけに嬉しそうで、私は再びしどろもどろな言葉を吐いて逃げるようにその場から駆け出した。……同田貫さんが言ったように今は大変な状況で、それどころじゃない。こんな風にドキドキしてる暇なんてないのだ。そう必死に宥める作業は、執務室に逃げ込んでからもしばらく続いた。



 翌日。同田貫さんとどんな顔をして顔を合わせれば良いだろうとドキドキしながら居間に向かうと、そこには居ないはずの人間が我が物顔で座っていて、一気に体が強張った。他人が勝手に本丸に入ってこれるはずがないのに。一体どうやってここまで侵入したのだろうか。

「君の結界、弱過ぎだよ。こんな霊力しかないのに審神者やってて大丈夫?」
「……帰ってください」
「僕は心配して言ってるんだよ? 君に使われる刀剣たちだって可哀想だし」

 刀剣男士を“使う”なんて言葉で関係性を表す人。それだけでぞわりと湧き起こる拒絶をどうにか押し留め男と対峙する。元凶がこうしてわざわざ向こうから来てくれた。これは言ってしまえばチャンスかもしれない。話して分かってもらえるとは思えないけど、これしか手段はない。

「霊力の問題は、力を貸してくれている刀剣男士のおかげでどうにかなってます」
「そうみたいだね。君から感じられる霊力が変わったから様子を見に来てみたんだ」
「私を監視するのはやめてもらえませんか。私はあなたの気持ちに応えることは出来ません」
「随分強気になったね? 刀剣の力を借りて気持ちが大きくなっちゃったかな? それとも、刀剣と気持ちを通わせて強くなったって勘違いしてる?」
「私は、この数ヶ月間審神者として頑張ってきました。その積み重ねのおかげです」
「……同田貫正国を顕現したせい? せっかくあと少しで君の心が折れそうだったのに」

 裾を掴んで怒りを抑え込む。毅然とした態度で居ないとコイツは付け込んでくる。絶対にこの人の言葉で感情を乱すものか。ここは私の大事な居場所だ。私が守らねば。

「改めてはっきりと申し上げます。縁談は謹んでお断りいたします」
「君の意思なんて関係ないんだよ」
「では私にとってあなたの意思も関係ありません」
「分からない人だな」

 男のこめかみがヒクッと動く。苛々を表すように忙しなく指で机を叩く様子に「お帰りください。そしてどうか二度と現れないでください」と言い放つ。初めの頃は男の言う通り心が折れそうになった。だけど、この本丸で過ごすうちに強さを薬研と同田貫さんに与えてもらった。誰かを慕う気持ちとはどういうものなのかを学んだ。それはこの人の傍では一生得られないものだ。私はそれらを手放したくはない。

「子を宿せば良いのか」
「やめてっ離してっ!」
「なんだよ。刀剣から霊力貰ってんだろ? だったらこういうことだってやりまくりだろうが」
「やだっ、やめてっ」

 感情を乱すものか――そう思っているのに、思わず声が震える。目尻に溜まる涙を決して流すまいと必死に目を閉じていると「おいおい。アンタ猿か」と呆れた声が耳に届けられた。反射的に目を開けると同田貫さんが立っていて、「俺よりお盛んじゃねえか。戦にでも行ってみたらどうだ」と鼻で笑ってみせる。

「今良い所なんだ。外してくれるかな」
「なるほどねえ」

 同田貫さんの視線が私へと移る。数秒見つめ合ったのち、同田貫さんの瞳は再び男を捉える。冷ややかなようで熱を持つ瞳。奥底に計り知れない程の激情を抱えているのが分かって、私は耐え切れず涙を流してしまう。

「戦場育ち、戦好きの刀ばっかのこの本丸に、のこのこやって来るとは。お前さん良い度胸してんなぁ」
「なっ!?」

 いつの間にか私たちの傍に姿を現していた薬研が、男の腕を掴んでぶん投げる。仰向けに倒れた男の顔を覗き込むようにしてしゃがむ薬研が「俺が腹を斬らねぇのは、主人の腹だけだぜ」と言って短刀を男の腹に宛がう。男が息を呑んだのは、薬研の言葉が脅しでもなんでもないと理解したからだろう。殺気に満ちた薬研から何も感じ取れない程愚かな男ではないようだ。

「まぁ、俺たちの大事な本丸を穢すようなことはしねぇけどな」
「ふっ。ここで僕を殺したとなれば大騒ぎだったろうね」

 薬研が上から退くと男は上半身を起こしてそんな強がりを言ってのける。薬研がこれだけやってくれたらさすがにこれ以上の妨害はもうしてこないだろう。あとはもうこの本丸から立ち去ってくれたらそれで充分だ。そうやって関りを断ってくれるだけで良い。

「帰ってください」
「刀剣を見る限り、君の性格は野蛮で下衆なようだ。そんな女性、こっちから願い下げだよ」
「あー、ちょっと待った」

 男が帰るのを見送ろうとしていた時。同田貫さんが立ち上がろうとする男の動きを止めた。どういうつもりだろうと同田貫さんを眺めていると、同田貫さんは男に近付き自身の刀を抜き男へ向ける。その動作に男が再び息を呑む。

「男の大事な物ってのは、五分も切りこみゃどうなんだろうな?」
「ヒッ」
「安心しろ。俺は兜割りを成功させてる刀だ」
「や、やめてくれっ! それだけはっ!」
「あー? じゃああんたは俺らにどうしてくれんだ? あんたの言い分を呑むだけじゃ不公平だろ。俺らの言い分も聞いてもらわねぇと」
「わ、分かった! 交渉しよう。君たちも言い分も聞いてあげるから」
「交渉ねぇ」

 あくまでも対等、それ以上で居たがる小さなプライドに吐き気がする。背中に手を添えてくれる薬研に支えられながら男を見つめていると、同田貫さんが「どうしたい?」と私の気持ちを尋ねてくれる。男に言いたかったこと、やりたかったことはもう充分薬研と同田貫さんにしてもらった。私の願いはただ1つだ。

「私たちの邪魔をしないでください。お願いします」
「だとよ。大事なモン失わずに済んだな」

 刀を鞘に納め男に手を差し出す同田貫さん。その手を掴むことなく男は立ち上がり、居間から去っていく。薬研さんが「見送り行ってくる」と言って男を追い、私の傍を離れる。それを見ていた同田貫さんが「抜かりねぇな」と笑いながら薬研と入れ替わるようにして私の隣に立つ。

「ありゃそんまま政府に連行するつもりだな」
「同田貫さん……ありがとうございました」
「あんたも。よく頑張ったな」
「薬研と同田貫さんのおかげです。…………本当に、ありがとうございました」
「あーもう泣くなって」
 
 わしゃわしゃと頭を撫でまわされるせいで髪の毛が顔にへばりつく。涙を絡ませる髪の毛を梳かしていると、同田貫さんと視線が絡む。その目をじっと見つめていると「格好良かったぜ」とはにかまれた。

「格好良かったのは、薬研と同田貫さんもです」
「おいおい。不格好だって言われる刀に向かっていう言葉か?」
「格好良かったです」
「ははっそうか。活躍出来たか、俺」
「はい」

 力強く頷けば、同田貫さんはもう1度笑う。その笑みにつられて微笑みを零すと同田貫さんが「じゃあ」と言葉を発してみせた。その言葉に顔をあげると、薄っすらと頬を染める同田貫さんが居て、私の頬にもボッと熱がこもるのが分かる。

「褒美はちゃんともらわねぇとだろ」
「そ、うですね」
「……良いか」
「…………はい」

 今度はちゃんと同意を求めてきた同田貫さん。そして、私も同意を返した。その上で瞳を閉じてみせると、同田貫さんの唇がそっと自身の唇に重なる感覚がした。同田貫さんは自分のことを実戦刀だ、戦しか知らないと言うけれど。私に触れる手はこんなにも優しくて、私のことを真っ直ぐに思ってくれる実直な刀だ。だから私は、どうしようもなく同田貫さんに惹かれてしまうし、同田貫さんを求めて自分からもキスをしてしまうのだ。

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