Good-by-Lock.

「本当に、良いのか?」
「……良くはないですよ」
「……そうだな。スマン、野暮なことを訊いてしまった」

 ベッドに横たわる私と、そばの椅子に腰かける風間さん。病にかかった訳でもないし、怪我をした訳でもないのに私達の間にはずっしりと重い空気が漂う。

「もっと、ランク戦してやれば良かったな」
「本当ですよ。結局、抜かせないままでした」
「何故全ての記憶を消してくれなどと頼んだ?」
「だって、辛いじゃないですか。街中で偶然会った時とか、ボーダーで過ごした楽しい記憶が蘇るの。私はもうそこに居れないことに不満を感じたくないから」

 そう伝えると風間さんはまたしても悲しそうな顔をする。あぁ、そんな顔をしないで欲しい。やっぱりやめます! と叫びそうになる。私がこうして風間さんと2人きりで過ごせるのも後数分しかない。その間はせめて、楽しい時間に換算したい。

「私が風間さんと初めて会った時のこと、覚えてます?」
「あぁ、忘れる訳がない」
「ふふ。私が風間さんに弟子にしてくれって直談判したんですよね」

 それから厳しい指導をされて、確実に力を付けていってこれからも風間さんのそばで活躍していくんだと思っていた。だけど、唯一の家族であるおばあちゃんが侵攻で怪我をしてしまったら話は違ってくる。おばあちゃんはほぼ寝たきりになってしまったし、私がそばに居ないと生活が危うい。

 私が選んだ選択は“ボーダーを除隊すること”だった。ボーダーを抜ける人間は記憶封印措置を取られたり、取られなかったりする。上層部は“不処置”の判断を下したが、自ら処置を申し出た。それもボーダーに関わる人物のことも全て封印して欲しいと。理由は風間さんに話した通り。

 ボーダーを抜ける人間がボーダーに想いを馳せてもどうしようもないのならば、いっそのこと存在自体を忘れたい。その思いで願い出た記憶封印措置。それを聞いた時、風間さんは沈痛な表情を浮かべて私を見つめ、「良いのか?」と尋ねてきた。それこそ、今のように。

「もうそろそろですね。最後まで手を焼かせてしまってすみません」
「……まったくだ」

 封印措置を施す時、風間さんにそばに居て欲しい。そう願った私のワガママを上層部と風間さんは受け入れてくれた。去る人間の願いを聞き入れてくれるなんて、なんて良い機関なんだ。もっとずっと居たかったなぁ。

「じゃあ、風間さん。今まで、ありがとうございました。これからはイチ民間人として応援します」
「……あぁ」

 酸素マスクを付けられ、いよいよ意識が遠のいていく。風間さん。出来の悪い私をずっとそばに置いてくれてありがとうございました。最後の最後まで迷惑かけてごめんなさい。でも、ここでの最後の記憶は大好きな人との時間で終えたかった。
 風間さん、私はずっとアナタが好きでした。意気地がなくて、ずっと伝えられなかった想い。結局これも言えないまま終えちゃった。

 さようなら、風間さん。



「……あれ? 私……」

 照明の眩さに何度か目を瞬かせ、ようやく開けた瞳に映り込んだのは見慣れない天井。今までどこで何をしていたかうまく思いだせない。ずきりと痛む頭を抱え、体を起こすと椅子に腰かけこちらを見ていた男の子と目が合い動きが止まる。……誰? 全く知らない子の筈なのに、既視感を覚えるのはどうして?

「起きた……起きましたか」
「え、えぇ。あの、私……」
「……ここは、ボーダーの一室です」
「えっ、ボーダー? どうしてボーダーなんかに……」
「今日は一般人に向けた見学会が行われおり、アナタはそれに参加していました」
「そうなんですか?……ごめんなさい、私記憶が曖昧で……」

 ボーダーといえばネイバーを迎撃する為に設立された機関だ。そのボーダー本部は門誘導装置によって頻繁に門が開かれる危険な場所。そこに自ら足を運んだ? 自分の行動が全く思いだせなくてもどかしい。ついこないだの侵攻で怖い思いをしたばかりなのに。……そうだ、おばあちゃん。早く家に戻らないと。

「あの、私家に帰らないと……」
「おばあさんがいらっしゃるんですよね」
「なんでそれを……」
「案内をしていた時に少し話を」
「なるほど。……全く覚えなくて。本当にすみません」
「いえ。お辛い経験をさせてしまってすみません」
「そんな。あなたが謝ることなんて」
「……いや。俺がもっとしっかりしていれば。みょうじ……さんにこんな選択をさせないで済んだんです」
「えっと……」

 見た目に反してしっかりとした言葉遣いで話す男の子からは何故か哀愁の色が見える。この人から私は何かされたのだろうか? もしそうだとしても怪我をしている感じもしないし、そこまで気負わないで欲しい。

「すみません。お名前を伺っても?」
「……風間です」
「風間さん。私は見学中になにかあったのでしょうか?」
「突然倒れてここに運ばれました」
「そうだったんですか……! こちらこそすみません。風間さんの手を煩わせてしまって」
「……いえ。慣れていますから」
「え?」
「体はもう大丈夫そうですか?」
「あ、はい。おかげさまで」
「では出口まで送ります」

 まだ頭の奥底がずきずきと痛むけれど、それ以外は何ともない。それでも風間さんはベッドから起き上がる私を心配そうな顔で見つめてきた。どうして風間さんは私のことをそんな顔で見つめてくるんだろう。
 それに私の中に燻る帰りたくないという気持ちも分からない。ここには何の思い出もない筈なのに。どうして、こんなにも郷愁に駆られるのか。



「ここで大丈夫です」
「……家まで送らなくて大丈夫ですか?」
「えぇ。後は1人で帰れます」
「そうか……では、本当にお別れだな」
「? はい。ご迷惑をおかけしました」
「何かあれば俺を頼って下さい」
「え?」

 それでは、と風間さんは頭を下げて基地の中へと戻って行った。

 凄く人柄の良い人だったなぁ。見た目に反してしっかりしてるし。それにしても私は風間さんと何を話したんだろう? よっぽど深い話をしたんだとは思う。そうじゃないと初めて会った私にあそこまで親身になんてなってくれない。なのになんで私は覚えてないの? 凄く、大事なことの筈なのに。

 ある程度歩いた所で足を止めて建物を振り返る。“ボーダー=危険・怖い”というイメージがあるのに、この建物を見ると懐古の気持ちがせり上がってくるのは何故?

 理由が分からなくて、その場に少し留まってみた。それでも頭の奥底に鍵を掛けられたかのように大事な部分はなにも思い出せない。
 そういえば風間さんも別れ際にもどかしそうな顔してたっけ。どうしてかは分からないけど、風間さんは鍵の開け方を知っている気がする。

 分からない のか思い出せない のか。痛みが残る頭で考えてみたけど、なんだか無性に泣きそうになって慌てて足を自宅へと向けた。

 早く家に帰らなきゃ。

BACK
- ナノ -