ノックアウト

 小さい頃、家を新築することになった。そして、その時の現場監督が女性だった。その女性のテキパキと飛ばす指示や、些細な所にも気配りの出来る細やかさ――キャリアウーマンとはこういう女性のことをいうんだろう。その仕事っぷりに見事に魅せつけられた私は、あの時の女性を追うように現場監督の仕事に就いた。

「ハァ? 女かよ……」
「どうぞよろしくお願いします」

 もしかしたらあの時の女性もこうやって“女性だから”と冷ややかな言葉を向けられていたのかもしれない。今こうして私が言われている言葉は数年前のあの時代ではもっと鋭利に突き付けられていたのだろう。だけど。そんな言葉にイチイチ傷付いていたらこの職場では務まらない。

 “キツイ・汚い・危険”この3つが伴う職場のことを“3K”というらしい。建設業界はモロにそれだ。だけど、それらを抱えて働く姿を私はやっぱり格好良いと思う。例え、冷たい言葉を投げかけられたって、その3Kから人を守る。それが私のやりがい。

「ちょっとアナタ。ヘルメットどうしたの?」
「あ……すみません。あれ、どこだろ……」
「……ハァ。これ被って」
「あ、スミマセン……」

 おどおどした様子で私の被っていたヘルメットを受け取る男性。シャツの首元はよれて、髪の毛だってボサボサで、歯も欠けてる。……この人1Kはクリアだな、なんてちょっと失礼な感想を抱く。でもこの人だって私が守るべき相手だ。その思いでヘルメットを渡すと、近くに居た作業員が「良かったなぁ、長内。久々に女の匂い嗅げたじゃねぇか」と茶化す。

「ははは……」
「ちょっと。無駄口を叩くのはやめてください」

 下卑た言葉にキッと目を細めると散り散りに去って行く作業員たち。この長内って人、この職場で相当下に見られてるんだな。だって今馬鹿にしてきた人、この人より絶対年下だし。……そんな人相手に笑って流すしかないなんて。……なんだかちょっと可哀想。

「長内さんも早く作業始めて下さい」
「あ、はい……」

 そう言って持ち場に着く長内さんを眺め、私も仕事を始める。……誰かに守って貰わないと生きていけなさそうな人。そんな哀れな感想を長内さんに対して抱いた。



「みなさんのおかげで無事、作業を終えることが出来ました」

 長く続いた工事もようやく終わり、その打ち上げとして足を運んだ居酒屋。そこで酌み交わすお酒がなによりもご褒美だといつも思う。
 今回の現場でも色々とあったなぁと作業員たちと思い出話に花を咲かせたり、またどこかで働けることを願ったりと一人一人の作業員と言葉を交わし合う。

「長内さんもお疲れ様でした」
「あ、いや……そんなボクは、」
「確かに長内さんはミスも多かったですけど、丁寧な仕事をされてたと思います」
「はぁ……」
「これからも頑張って下さい」
「ありがとうございます……」

 肩身の狭そうな長内さんに声をかけ、そんな言葉を投げかける。……私だって長内さんより年下だっていうのに。聞く人が聞いたらなんて偉そうな言葉なんだと憤慨するかもしれない。だけど長内さんは怒らず、ただじっと言われた言葉を受け入れる。その様子が下に見られることに繋がると思うんだけど。……これは言わないでおく。

「あーあ。折角女の居る現場だったのになぁ」
「……お世話になりました」
「なぁ。なまえちゃんもこれでサヨナラとかサビシーよな?」
「いえ。別に、」
「うっそだぁ〜。なまえちゃん、照れ隠し?」
「ちょっ、やめてくださいっ!」

 長内さんの前の席に座って、ちびちびとお酒を飲んでいると、長内さんによく絡んでいた作業員が絡んできた。この人、初日もそうだったけど人のことバカにし過ぎ。確かに長内さんはミスばっかりだったけど、この人の詰りはあまりにも酷かった。

「長内の近くとか辛気臭ぇ。俺ともっとイイトコ行かない?」
「やっ、ちょっと! いい加減にして下さい!」

 正直言うと、ずっと苦手な相手だったのだ。その相手と今日で会わなくて済むんだとホッとしていた矢先にコレだ。もう、本当に勘弁して欲しい。掴まれた左腕を振り払おうとしても嫌に力強い手は振りほどけない。……あぁ、もう嫌だ。

「離せよ」
「……あ?」
 
 強く、格好良い女性にずっと憧れてきた私は、弱い所を見せるなんてことをしたくなかった。だけど、どうしようもない力に負けそうになってじんわりと目尻に雫が溜まった時。それが涙になる前に目の前から低い声が発せられた。

「困ってんだろうが」
「長内テメェ。誰に向かって口きいてんだ、オイ」
「お前だよ」

 そう。今この作業員に向かって鋭い声を向けたのはあの長内さんだ。いつもヘコヘコしていた彼からは想像も付かない姿。その姿に驚いた私は口をポカンと開け、雫もどこかへと引っ込んでしまった。私の隣に居る作業員は、見下していた相手からそんな口を利かれたことに青筋を浮かべ「表出ろや」と凄んでいる。

「分かりました」
「えっ、えっ!?」

 そしてその言葉を受けて本当に席を立つ長内さんと作業員。分りましたって……。駄目でしょ、そんなの。私が事の発端であることと、ここの現場監督であった責任感とで慌てて後を追う。――そこで目にしたのは作業員のノびている姿と、煙草を吹かす長内さんの姿だった。

「わっ……え、お、長内さんがやったんですか?」
「……散々バカにされた憂さ晴らしですよ」
「あ、あぁ……。えっと……お強いんです、ね」
「やんねぇって決めてたんですけどね」
「あ、あのっありがとう、ございました……」
「……俺の為にやったことだ。お嬢ちゃんは早く戻りな」
「は、はい……っ」

 長内さんに指示され、素直に私の足はくるりと踵を返す。何度か足を出した後、パタリと止めて胸に手を当てる。長内さん、自分のこと“俺”って言うんだな。てか私のこと“お嬢ちゃん”って。なにそれバカにしてんの? 色んなことを思い浮かべたけど、どれもしっくりこない。

――格好良かったな

 表面上の感情が取り払われた後、ひっそりと浮かんだ感情。それを頭に浮かべた時、この胸のざわめきが腑に落ちたようにバクバクと心臓を打ち鳴らす。

 どうしよう。私、長内さんにノックアウトされちゃった?

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