幼稚

「ッ、」
「え、血っ……三ツ谷くん、大丈夫!?」
「あー、平気平気。血、料理に付いてない?」

 調理自習。慣れた相手の筈なのにサクっと自分の指を切るヘマをしてしまう。血がダラダラと溢れるその指を左手でギュッと押さえつけるがそれでもなお溢れる血液。どうやら思った以上にさっくりといってしまったらしい。こんなの、包丁を握ったばかりの時でさえしなかったのに。

「悪ぃ、保健室行ってくる。後任せていいか?」

 同じ班のヤツらに声をかけ、家庭科室を抜け出し向かう保健室。後は簡単な調理だけだしもう俺が抜けて大丈夫だろう。アイツらはルナマナとは違って中学生だ。後の処理くらいは任せてもどうにかするだろう。それにしても血が止まらねぇ。こんなに血を流すのは喧嘩ですら中々しない。ポタポタと床に伝う血液を見ながら漠然と思う。まぁ、83抗争のドラケンよりかはマシだろう。

「すみません――ってアレ?」

 にしてもアイツ、これ以上の血流してたクセによく戦おうとしたよな、といつぞやの仲間を思い浮かべ訪れた保健室。そこに養護教諭の姿はなく、代わりに居たのは見慣れない生徒。その生徒は俺の姿を一瞬だけ確認し、すぐさま机に広げられた教科書へと視線を戻す。

「……あの、先生は?」
「会議。戻ってくるのはもうちょっと後」

 そこ、書いてあるとつっけんどんな言葉を向けられ、それによってドア横のホワイトボードに同じ内容が書いてあることを確認する。ドラケンのせいで見逃していた。しかし戻り時間は明確に書かれていない。それまでこの指をそのままというのも気が引ける。……仕方ない。自分で処置するか。

「悪い。手当てしたらすぐ戻るから」

 カチャリガチャリと薬品が置いてあるコーナーを物色しているとその音が気に障ったのか、女子生徒の視線が再びこちらへと向く。授業中である時間帯に保健室で自習をしている子だ。なにか理由があるのだろう。1人を好んでここに居るのに、そこに俺という第3者が入り込んできたらそりゃ良い気はしない。だけど、生憎ここ以外で怪我の手当てが出来る場所を俺は知らない。

「大きい絆創膏が左の棚に入ってる」
「……! さんきゅ。……えっと、左の棚……」

 会話が終わったと思っていたら向こうから声をかけられ、その親切に礼を伝え言われた通り左の棚を物色する。物の位置を把握しているあたり、やはりこの保健室の常連のようだ。……それにしてもこの女子生徒は何年生だろうか? 見たことのない顔だな。女子生徒のことが気になって、ふっと視線を女子生徒に向けると女子生徒も俺のことを見ていたらしく、バチっと視線が絡み合ってしまう。

「こっち」
「あ、あぁ。ありがとう」

 女子生徒は俺が絆創膏の位置が分からなくて助けを求めたと思ったらしい。シャーペンを置いて迷いなく引き出しを開け、探していたモノを手渡してくる。なんて細くて白い指なんだろう。俺の左手についた血が余計にその白さを際立たせる。

「どうしたらそんなに血が出たの?」
「ん? あー……包丁で、こう、サクっと……な」
「へぇ。不器用なんだ?」
「いや、別に、そんなことはねぇけど……」
「名前なんていうの?」
「え?」
「あなたの名前、なんていうの?」

 今度こそ会話はそこで終わりと思っていたら、女子生徒はそのまま俺のそばに残って俺にいくつかの質問をぶつけてきた。人が嫌いなのかと思っていた相手にこうして興味を向けられている状況がこそばゆくて、たどたどしい声で「三ツ谷、隆」と自分の名を口にする。そして女子生徒は「三ツ谷くん」と反復している。どちらも俺の名前じゃないみたいな発音。

「私、みょうじなまえ。一応この学校に2年ちょっと在籍してる」
「え、てことはお前中3?」
「うん。一応ね、一応」

 俺と同じ中3? いやにしても全く見なかったぞ、こんな生徒。不思議に思う感情が表情に出ていたらしい。みょうじが俺の顔を見て「私、教室に顔出したことないから」と話の続きを話し出す。

「親が厳しくてね。元々私立の中学を受ける予定だったの。でも、落ちちゃった」

 作業台近くの椅子に腰かけ、コットンや消毒液を揃え「座って」と俺に指示を出す。マイキーやドラケンの指示じゃないのに「ウッス」と従ってしまった自分が少し恥ずかしい。

「それでも高校だけでも進学校に行かせたいみたいで。学校の授業レベルじゃ話にならないから、家庭教師付けて家で勉強漬け」

 だから友達なんて居ない。そう続けると同時に消毒液が俺の傷口に沁みて、鋭い痛みが走る。思わずビクっとした俺の指を掴み「我慢」と唱えるみょうじはとても大人びて見えた。

「でも一応は顔出しとけってことでこうしてたまに学校に来てるんだ。だけど、顔見知りが居ないクラスになんて行きたくない。行けない……。だからこうして保健室止まり」

 出来た、という言葉を共に俺の手からみょうじの指が離れていく。すぐに絆創膏に赤い色が滲みだし、その色を広げていく。その赤が広がるのと連動するように俺は「寂しくねぇの?」とみょうじに尋ねていた。
 衝動に近かった。もしみょうじが寂しいと答えたら俺はみょうじをどうにかしたいと思った。どうにか、の部分さえ思い浮かんでないままに。

「別に。寂しくなんてないよ」
「……本当に?」
「うん。高校さえ受かれば良いんだし」
「そっか……」

 椅子から立ち上がったみょうじは元々居た場所に戻り、再び教材と向き合う。みょうじの存在全てが俺の何歩も先を歩く存在に見えて、まるで年上の女性と話しているみたいだと思った。みょうじの考えは中3の俺じゃ理解出来ない。

「三ツ谷くんは優しいんだね」
「え?」
「見ず知らずの私にそうやって声かけてくれるなんて」
「そんなことは……」
「また怪我したら保健室においで。私が居たら手当してあげるから」
「あ、あぁ」

 うん、じゃあまたね。と手を振るみょうじに別れを告げ保健室を後にした。右手にはみょうじに貼ってもらった絆創膏がいる。絆創膏を貼ってやったことは今まで多々あれど、こうして誰かに貼ってもらうことは皆無に等しかった。……自分で貼るより、よっぽど綺麗だ。また怪我したら、その時は――

 みょうじなまえに会えるのだろうか。

 こんな動機で喧嘩を楽しみにすることなんて。自分の幼稚さにつくづく乾いた笑みが零れた。

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