意味不明

現代の話


「良ければこの後お食事でもいかがですか?」

 願ってもないチャンス。まさか向こうから来るとは。

「え、良いんですか?」

 声をワントーン上げ、自分なりに自信のある角度で見上げてみせる。チャンス側から来たのならば、掴まない手はない。

「はい、みょうじさんともっと話したいと思ってたので」
「嬉しいです。あの、これは業務外ってことで良いんですよね?」

 少し照れたようにもごつかせて言えば「ハハ、もちろん」と笑う男性。ワンチャンあるかもとか私側が思ってるなんて露にも思わないんだろうなぁ。まぁ別に気取られてもいいんだけど。

 下心ありありな状態で臨んだ仕事終わりの食事は、企み虚しくも21時で終わりを告げた。終わらせたのは男性でなければ、私でもない。

「なまえー、今どこ居んのー」
「……仕事の人とちょっと」
「何でも良いけど帰って来て」
「は?」
「鍵忘れた」
「どこに」
「どっかに」
「は? 今どこ居んの?」
「エントランス。入れねんだわ。まじだりぃ」

 つーことで、よろしく。その言葉をどうにかめり込ませた通話はすぐに短い電子音に変わり、それが連続して耳に入る。

「コンシェルジュに頼めよ……」
「え? みょうじさん?」
「え、あ。……すみません、私急用が出来てしまって! 本当にすみません、ご馳走様でした!」

 狙っていた男性の前だということを忘れ、地声を発したことにハッとし、すぐさま作り笑顔を浮かべてそこから早口で繋いだ言葉。そして私の足はその言葉を言い終える前には歩みを始めていた。……まるで半間からの電話みたいだ。私の場合は言い逃げというよりかは食い逃げに近いのか?……あぁ、もう絶対今後あの人からご飯誘って貰えないわ。せっかく地道にアプローチ重ねたのに。1発ぶん殴ってやる。



「はいはーい?」
「ねぇアンタ今どこいんの」
「え? 今? 集会に顔出してる」
「何でそんなとこいんの? 家に入れなくて私を呼びつけたんじゃないの」
「え、そだっけ?」
「……あーもういいわ。死ね」

 今度は私が電話をぶち切ってやる。帰ってくるつもりのなかった家に帰らされ、脚光を浴びる筈だったブラジャーもただの補正下着として役目を終えることになった。……全部アイツのせいだ。
 無駄に広くてお洒落なこの空間で独り、殺意を込めてブラジャーを手洗いしている自分がなんとも虚しくて、情けなかった。



 数年前、私は水商売をしていた。当時付き合っていた男に騙され、借金を背負わされていたのだ。どうして他人様が携えた借金を私が払わないといけないのか、そんな怒りが沸いたが連帯保証人になったのは私の意志だ。例え聞いていた金額の桁が数個違ったとしても、返す義務があると脅されてしまえば従うしか方法を知らなかった。

 それから毎日必死に働いて、それでも減らない借金に絶望し、いっそのこと死んでしまおうかと悩みながらも、それでも生にしがみつこうと風俗店に足を運んだ先で半間に出会った。

「へぇ。面倒なことになってんのな。お前」

 面接相手だった半間にここに来るに至った理由を説明すると半間はそう言っておかしそうに笑った。そして借金をしている会社を尋ねられ、車で連行された先がその会社で、一体何が起こるのだと恐怖で身を竦めていると半間はそこの社長をボコボコにして私の借金をチャラにした。……正確には私に借金を擦り付けた元カレに倍の金額で取り戻すようにと脅していた。

「これでオッケー。な?」
「え、あ……は、い」

 確かに、借金はなくなったけれど、これだと私が風俗店で働く理由もなくなったのでは?と半間のとった行動に混乱した。というかまず、赤の他人に等しい私に半間がここまで動く理由さえ分からなくて、何と言葉を返せば良いのか反応に困った。

「お前、家引っ越せ」
「ど、どこにですか?」
「俺ン家」
「は?」
「そっちのがめんどくねぇし。な? 明日下のヤツら向かわせっから」
「え、え……え?」

 混乱に混乱を重ねただけの言葉に“どういう意味ですか?”とどうにか疑問を呈してみても、半間は楽しそうに笑うだけで、何も答えをくれずにそのまま当時住んでいたアパート前で降ろされた。……そして、その日の夜が私名義で借りていたアパートで過ごす最後の独りの夜となった。



 そうして今では強制的に半間の住む高級マンションが私の住む家となっている。借金から解放された私は昼間に働き、夜にはベッドで眠りにつく日々を送ることが出来ている。確かに、半間のおかげで良い生活をさせて貰っているとは思うが、どうして私が半間と一緒に住むことになっているのかは、未だに分からない。
 身体の関係は毎日のようにあるので、恐らく身体目当てなのだろう。借金の恩義があるので、初めのうちは律儀に応えていたが、何度か行ったあたりでもう良いだろうと半間を敬うことを止めた。

 態度を変えた時でさえ「おもしれー」と笑いながら私を抱き続けた。一体私の何が面白いのか、全然分からない。数年一緒に過ごしても、半間のことを理解することは出来ないでいる。そんな相手に抱く恋心は持ち合わせていないので、私は半間以外の人間とも関係を重ねている。

……今日はその中でも結構良い男だったのだ。それを半間のせいでぶち壊された。しかも張本人は不在。まじで意味が分からない。

 シャワーを浴び、寝間着に着替え、干された勝負下着をおかずに独り虚しくお酒を呑み、自棄になって横たわったベッド。無駄にふかふかなのが悔しい。しかも1人だと広い。それが余計に独りであることを実感させて、むしゃくしゃした。



 欲求不満じゃないといえば嘘になる。それこそ今日はそのつもりで前日、いや数日前から臨んでいたのだ。それが空振りに終わった。その不完全燃焼の気持ちが夢に出てきても仕方のないことだと思う。

 夢の中の私は、一夜を共にする筈だった男性に熱い視線を向けられながらベッドに乱暴に押し倒され、その視線を吸い込むように閉じた瞳の向こうで男性の唇が近づくの感じ、行為の始まりを予感していた。しかしいつまで経っても降ってこない彼の唇を不思議に思い、目を開けたのが間違いだった。

「ばはぁ」

――だっっる

 夢の中の私が最後に感じた感情はソレだった。

「あ、起きた」
「…………夢くらいは勘弁してよ」

 もう少しで夢の中では良い思いが出来る所だったのに。どうしてコイツはいつもいつも良い所で私の邪魔をするのか。

「てか、鍵は?」
「あー、顔認証出来ンの忘れてた」
「死ねクズ男」
「なまえちゃんひでぇ」
「あー……寝ても覚めても半間とか、サイアク過ぎる」
「お前の夢に俺が出てんの? サイコー」
「冗談やめて。せっかく良い夢になりそうだったのに」
「だりぃ」

 怠いと言うのが呼吸の術なのかと問いたくなるレベルでソレを口にする半間。そのくせ、「なまえ、口開けろ」と命令をしてくるのだ。その先に広がる行為は怠いことこの上ない筈なのに、その表情はとても楽しげで。半間の思考回路が全然読めない。読める気がしない。

「はぁ……怠い」
「アハ、移ってるぜ?」
「うるさい」

 下唇をなぞられると、素直に口を開いてしまう。その状態で見つめ合ったのはほんの数秒で、どちらからともなく求め合う。

 半間を理解するのをとうの昔に止めた私は、もう既に半間に囚われているのだろう。

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