終焉を辿るまで

全体的に捏造

 
 兄弟が居なかった私は両親が遅くまで働きに出ていたこともあって、小さな頃から鍵っ子だった。1度、鍵を持って出るのを忘れた日があった。そのせいで家に帰ろうにも入れず、仕方なく玄関前の階段に座ってぼーっと空を眺めていた。

「何してんの?」

 空を眺めながらシューズのマジックテープを貼ったり剥がしたりしていると、怪訝そうな表情で私を見つめ、声をかけてきた子が居た。事情を説明すると「ふぅん」とだけ呟き、自分の家のドアを開けたかと思えばランドセルを隙間から投げ入れ、乱暴にドアを閉めて一目散に階段を駆け下りていってしまった。

 訊いたクセに、と不貞腐れながらもまたしても1人になった私はやっぱり他にすることがなくて、仕方なくマジックテープいじりを再開させた。



「えっお前、まだ居たの?」

 空がオレンジから藍色へと色を染め直しだした頃、お腹が空腹を訴えるのと同時に少年が姿を現してさっきと同じような声色で声をかけてきた。先程から変動があるとすれば、怪訝そうな表情が驚きの表情へと変わっていることくらい。

「親、まだ帰ってこねぇの?」
「いっつも私が寝た後に帰ってきてるから……」
「ふぅん」

 大変なんだなー、と言いながら自分の家のドアに鍵を差し込む。自分から話しかけてきたクセして大した反応を見せない男の子に、やるせなさを感じつつも鍵を持っているという時点でこの子の方が偉いのだと自分を責めた。

「俺ン家、あがれば?」

 顔を俯かせてマジックテープに手をかけた時、男の子はそう声をかけてきた。「え?」と驚き、男の子へと視線を向けると1回目とは違ってドアを全開にしていた。

「ずっとそこ居てもすることねぇだろ? あ、つーかお前勉強得意? 宿題教えろよ」

 俺も今日オフクロ遅いんだ! とその日、男の子は初めて私に笑顔を向けた。真向かい同士、仲良くしようぜ!とも続けたその男の子の名前は、場地圭介といった。



 圭介はよく読めない人だった。

 数日間姿さえ見ない日が続いたかと思えば、突然腰にタオルを巻いただけの姿で現れ「風呂壊れたから貸せ」と言って私の家の風呂を使ったり、しかもそのまま私のお気に入りのトリートメントまで使ったかと思えば、更にはドライヤーまで要求し、無駄にいい香りを振り撒いたり(しかもお風呂を使っている間に圭介の家に着替えを取りに行かされた)。とにかくやりたい放題だった。

 “真向かい同士、仲良くしようぜ!”あの日言われた言葉は圭介によってフリーパスと化していた。それでも断れなかったのは、私の落ち度なんだろう。結局、圭介にされた大抵のことは許してしまっていたのだから。

 圭介の中に、“私の物は圭介のモノ”という認識があったらしい。今までどれだけ沢山の物を使われ、壊されただろうか。その中でも1番被害に遭ったのがヘアゴムだった。

「髪がうぜぇ」

 そう思うのならば切れと何度も口を酸っぱくして言ったにも関わらず、圭介は「めんどくせぇ」と返しては私の髪を結っているゴムを解き、それで自分の髪を結った。

 結ぶ行為よりも、一思いに切ってしまった方がずっと楽だった筈なのに。圭介は馬鹿な人だった。そんな馬鹿な所が可笑しかったし、楽しかったし、好きだった。イライラもさせられるけど、圭介と一緒に居るのは私にとって唯一の楽しみだった。



 中学に上がって数ヶ月もしないうちに圭介は違う団地へと引っ越すことになった。呆気なく別れを告げる圭介に、初めて声をかけられた日の夕焼けが重なって見えた。オレンジの中に見える藍色がとても寂しかったのを思い出し、行かないでと縋りたくなった。

「もう会えねぇ訳でも無ぇんだし。ンな泣きそうな顔すんなよ」

 圭介には“哀愁”という概念がないのかと疑いたくなるような明るさで私に潜む藍色を吹き飛ばしてみせた。そうかと思えば「じゃあな」と言って私の頭を撫でるその手はオレンジ色の夕焼けのように温かくて。泣くなというクセに泣かせようとする圭介はやっぱりよく読めない人だった。



 マイキーくん達と立ち上げたという“東京卍會”は瞬く間に渋谷の街に轟いた。

「東卍は場地が作ったんだ」

 久しぶりに学校で顔を合わせたマイキーくんにそう言われ、何故か誇らしい気持ちになったのを覚えている。「場地のヤツ、バイク手に入れてから毎日楽しそうにしてるよ」と訊いて圭介らしいと笑ったことも。そしてその話をするマイキーくんが凄く嬉しそうにしていることも。全て鮮明に覚えている。

 圭介にとっての唯一は、東京卍會の仲間だった。そして、それはマイキーくんたちにとっても同じなんだと思うと、それで良いと思えた。ずっと、その幸せが続きますようにとひたすらに心の中で祈った。



 圭介がマイキーくんのお兄さんを殺したと聞いた時は何かの間違いだと思った。圭介は確かに読めない人だったけれど、人殺しなんてするハズがない。そんな人が東卍を作るハズがない。

 圭介に話を聞きたいと何度も思ったけれど、圭介が私の前に現れることは無かった。もう会えない訳じゃないと圭介は笑ったが、これじゃ会えないのと一緒じゃないか。圭介は何を思い、何を感じ、今を過ごしているんだろうか。初めて会った日と同じ色をした空を見上げても、何も分からなかった。



 圭介が中学を留年したと聞いてから1年が経った。鑑別所に入っていたというのも聞いていたけれど、それでも中学を留年するというのは圭介でないと有り得ないことだと、変に安心したのを覚えている。今年はそういった噂が出回ることはなかったので、どうやら無事に進学出来たようだ。

 圭介と会わなくなってもう2年近く経つ。会いに行こうかとも思ったけれど、会って上手く話をする自信がなくて、私からは会いに行けていないまま。このままズルズルと離ればなれになって、お互いの名前も顔も声も忘れてしまったらどうしようと不安を抱えていた時。圭介は突然現れた。

「コレ、返すわ」

 2年ぶりだというのに圭介は“真向かい同士”だった頃と変わらない口調でヘアゴムを返しにきた。突拍子もない行動に呆気に取られていた私に「死人でも見たような顔してんな?」と楽しそうな笑みを向けてくる圭介はやっぱりよく読めない人だった。

 それでも、笑った時に見える犬歯は圭介そのもので、上手く話す自信なんてなくても圭介の手にかかればそんなのどうでもいいことだと知った。ただ、思い出の中に居た圭介に比べて大きくなった背や胸の辺りまで伸びた髪の毛が月日の長さを感じさせた。



「ねぇ。ずっと気になってたんだけど」
「あ?」
「……そのブルゾン、どうしたの?」
「……別に。なんでもねぇよ」
「東卍の特攻服、着ないの?」
「いんだよ別に。今はこのダセェ服が俺のトップクなんだよ」
「……大丈夫、なの?」
「何が?」

 暫く会話を交わした後、姿を現した時から気になっていたことを口にすると圭介の顔が少しだけ曇ったのが分かった。……何を考えているか、よく分からない人だったけど、東卍のことを第一に考えていることだけは痛いくらいに分かっていたから、そんな圭介が別のグループの特攻服を羽織っていることに胸騒ぎを覚えた。

「いや……なんか……圭介がわざわざ人の物返すとか、ありえないから……」
「はっンだよそれ。めちゃくちゃ失礼だなオイ」

 素直に心配だと言えない私の言葉に圭介がふはっと乾いた笑みを零す。そしてその後に続くのは短い呼吸音と共に絞り出された「……お前は俺のこと、忘れろよ」という言葉で。

 その言葉の意味を理解することは出来なかったけれど、またしてもあの日の空が彷彿され、それを遮るように1度は受け取ったヘアゴムをもう1度圭介に押し付けた。

「これ、やっぱ良い」
「あ? なんでだよ?」
「圭介が持ってて。そんで、また返して」
「は? 意味分かんねぇ」
「私だって良く分かんないけど! とにかく! それは圭介が持ってて! ずっと持ってて!」

 感じていることを言葉にすることは出来なかった。けれど、このくたびれたヘアゴムは圭介と私を繋ぐ大切なモノのように思えた。そして、このヘアゴムが私の手元にあると、圭介との繋がりが絶たれてしまう気がしたのだ。1歩も引かないでいると、圭介が深いため息と共に「わーったよ」と諦めてくれた。

「ったく、なんなんだよお前はよ……。なまえ。忘れはしねぇけど、返すかは分かんねぇからな?」
「……うん、それで良い」

 受け取ってくれたことが何故だか無性に嬉しくて、泣きそうになった私を圭介が「ンな泣きそうな顔すんなよ」とあの日と同じ顔で笑った。

「じゃあな、なまえ。……顔が見れて良かったよ」
「えっ?」
「ちゃんとクソして寝るんだぞ」
「なっ」

 ヘアゴムを腕に巻き付けて、そのまま踵を返した圭介はやっぱり何を考えているのか全く分からなくて。結局、私は最後まで圭介のことを理解することなんて出来なかった。

 圭介が抗争によって亡くなったのを知ったのはその日の夜だった。そういえばあの時、泣きそうな顔をするなと言ってはくれたけれど「もう会えねぇ訳でも無ぇんだし」とは言ってくれなかったとハッとした。それに気づいた所でどうしようもなくて。もうこの世に圭介が居ない事実を理解しようがしまいが、私の瞳からは絶えず涙が溢れ続けた。



 数日経った頃、マイキーくんが私のもとを訪れ、「場地が、直接返せなくて悪ぃって謝ってた」とあの日押し付けたヘアゴムを手渡された。元々白かったヘアゴムは薄汚れ、所々ゴムが伸びて、普通だったら捨てるだろうというくらいみすぼらしくなったヘアゴム。
 だけど、こんな姿になるまで圭介は大事に使っていてくれたんだと思うと、堪らなくて。何の為に流している涙かずっと分からなかったけど、この時流した涙は圭介を想い、縋る涙だと明確に理解することが出来た。

「はっ……馬鹿律儀にヘアゴムだけ返してくるなっつーの。……私は、圭介が帰って来てくれればそれで良かったのにっ、」

 血を吸って赤黒くなったヘアゴム。こんなものを返して欲しかった訳じゃない。圭介だって私のこと、全然分かってくれていなかった。

 私にとって圭介は全てだった。……その全てが無くなったのに、今更ヘアゴムだけが手元に残ったって何の意味も無い。

「圭介……っ! けいすけぇ……っ!」

 マイキーくんの前だというのに涙が溢れて止まない。止める方法も分からない。私はただただひたすらに、圭介の形見になってしまったヘアゴムを握り締めて泣くことしか出来ない。

 私の世界が終わりを告げた瞬間だった。

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