余映と残熱

 場地さんが死んでから、なまえさんは毎日を泣いて過ごすようになった。まともに学校にも行っていないようだ。部屋に籠りきって、この世に居ない場地さんの姿に縋って生きている。

「なまえさん……具合、どうですか?」

 ドアの前でそっと声をかけてみても、返ってくるのはすすり泣きの声だけ。出すだけで何も取り込んでないなまえさんは本気で心配になる。

 場地さんとなまえさんは前の学校で同じクラスだったらしい。場地さんに勉強をよく教えていたらしく、越して行った場地さんを心配して時々場地さんに会いに来ては勉強を教えていた。

 初めてなまえさんを見た時も場地さんを怒りながらペンを走らせている姿だった。そして、その顔にはいつも楽し気な感情を浮かばせていた。

「大体さぁ、転校したヤツのことまで世話するとか。なまえってマジでお人好しの塊だよな」
「……なんか責任感じるじゃん。まさか転校先でもっかい1年からとか、ビックリだわ」
「な。珍しいよな。中学でタブリとか」
「誇るなバカ!……まぁとにかく、歩いてこれる距離だから、仕方なく、やってあげてんの」

 ふぅん? と興味なさげに教科書に視線を移す場地さん。相変わらずだなと笑い、何気なくなまえさんを見た時思わず息を呑んだ。場地さんを見つめるなまえさんの瞳が普通の人に向けるものではなかったからだ。この俺ですらなまえさんの気持ちに直ぐに気付いたというのに、場地さんは全く気が付くことなく俺らの前から姿を消してしまった。

 それからのなまえさんは見るに堪えない程にやつれてしまった。心配になって何度かなまえさんの学校に向かったが、ついには学校にさえ来なくなってしまった。

 何度もなまえさんの家を訪ね、ドアの前でなまえさんに声をかける日々が続いている。俺だって場地さんが死んだ時、人目を憚らず声をあげて泣いた。だからなまえさんの気持ちは痛いくらいに分かる。……でも、それじゃ駄目なんだ。いつまでも場地さんに囚われて生きていくのは場地さんにも申し訳ない。

「なまえさん……、いつまで泣いて過ごすつもりですか? こんなの場地さんだって望んでないですよ……そろそろ場地さんが怒って夢に出ちゃいますよ? 学校、行きませんか?」

 俺の言葉がなまえさんに響くかなんて分からなかったけど、俺はなまえさんを救いたい一心で必死に声をかけ続けた。もう誰も……なまえさんを失いたくないから。

「なまえさん……」

 必死の声は少し震えてしまった。格好悪いと思ったが、取り繕えない想いはなまえさんに届いてくれたらしく、初めてなまえさんがドアを開けて姿を見せてくれた。

「なんだか痩せましたね」
「このまま私も無くなっちゃわないかな……」
「そんな……駄目ですよ。そんなこと、駄目です」

 朝だというのに部屋の中はカーテンで閉め切られ、闇が広がっている。外界との繋がりを遮断したこの部屋は虚無でしかない。この場所に居る限り、なまえさんの世界は閉ざされたままだ。こんなことしたって、場地さんのもとにも行けないだろう。

「ずっと、ずっと……ごめんね……」
「え?」
「付き添わせて……無理させて、ごめん」
「そんな……俺こそ、」
「千冬」
「……っ、」

 初めて目が合った。初めて俺の名前を呼んでくれた。初めて俺に、助けを求めてくれた。嬉しいことのハズなのに、こんなにも苦しい思いがこみ上げてくるのは何故だろう。

「酷いことする私を許して」
「……なまえさん」

 両頬に涙の筋を流すなまえさんに息が詰まる。なまえさんは全て知っているのだろう。俺がなまえさんの気持ちに気付いていることも、俺が淡い気持ちをなまえさんに寄せていることも、全て。それら全てに気付いた上で俺の頬に手を添えているのだ。だからなまえさんはこんなにも切ない瞳を揺らし俺を見つめてくるのだ。

 なまえさんは最後にもう1度だけ「ごめん」と小さく呟いて、俺との距離を無くした。

 俺のファーストキスは塩っぽく、なんとも悲しい味だった。

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