交差する時間 | ナノ
 




嫌な予感ほどよく当たる。





昔も今も、それは変わらない。





あの時断っておけば良かったと後悔しても、もう遅い。





後から悔やむから後悔、だなんて、先人はいいこと言うわよね。










7、Weakness 











姿勢を正した浅水は真っ直ぐに湛快の姿を捉える。
すると、湛快もそれに倣うかのように、射るような目付きで浅水をしっかりと見やった。
こうして彼と正面から話をするなんて、いつ振りくらいだろうか。
湛快にとってはそう久しいことではないにしても、自分にとってはかなり久し振りだ。
一体これから何を言われるのだろうかと、少しだけ緊張する。


「浅水がここに来て、どれくらいになる?」


問われたのは、自分が思っていたのとは全く違う、些細なこと。
それに少しだけ頭を傾げながらも、返事を返すべく頭は動いている。


「そろそろ一月、ですね」

「まだそれくらいか……もっと長いかと思ってたんだけどな」


しみじみと呟く湛快は、何かを思案しているように見えた。
けれど、一体何を思案しているのか迄は、想像もつかない。
だが、湛快が言いたいのはそんなことではないだろう。
それだけは、確信を持てる。


「浅水が熊野で過ごしてたなら、これから先に何があるかわかってるよな」


急に固くなった口調に、ついに来たと身構える。
これから先、というのは来るべき未来のことか。
熊野に何が起き、どうなるか。


「……はい」


暫しの沈黙の後、浅水はようやく頷いた。
今ならば回避できる未来。
だが、その未来を回避すれば、自分の知る未来とは運命が変わってしまう。
何より、白龍の神子である望美はこの世界に現れないのだ。



それは、この世界にいる「浅水」が二度と故郷の地を踏めなくなるということ。



元々、熊野に骨を埋めるのだと信じて疑わなくなるのも、そう遠くない未来だ。
自分のように、中途半端な気持ちになってしまうくらいなら、始めから決まっていたほうがいい。
身勝手だとは思うが、自分ならこの気持ちがわかるだろう。


「そうかい……なら、俺が言いたいこともわかるな」

「そう、なりますね」


湛快が言いたいことは、恐らく自分が知っている未来のことだろう。
だが、自分から話すよりは、彼の口から聞かれたことを話すべきだろう。
余計なことを、敢えて話してしまう必要はない。
小さく唇を噛んで、何を問われてもいいように気を引き締める。


「いやぁ、助かった!これで肩の荷が一つ落ちたぜ!」

「…………は?」


すると、湛快は途端に笑みを浮かべ、大きく息をついた。
そんな様子を見て、ついていけないのは浅水である。
すっかりリラックスしている湛快を見ると、どうやらこの話はこれで終了らしい。
一体何が助かったというのだろうか。
思わず呆然としていれば、湛快は不思議そうに顔を覗き込んできた。


「何だ、鳩が豆鉄砲でもくらったような顔して」


目を白黒させている浅水に、今度は湛快が首を傾げる。
どうやら話の内容がかみ合っていない、と浅水が気付いたのはこのときだった。


「ちょっと待って下さい。肩の荷が一つ落ちたって、どういうことですか?」

「ん?だから、浅水は奉納舞を舞ってくれるんだろう?」


片手を上げて、湛快に待ったを掛けてから質問する。
すると、思っていたよりも簡単に返事が返ってきた。
だが、その返事を聞いて、浅水が絶句したのは言うまでもない。


「何でそんな話になるんですか!私はてっきり、未来のことについてだと……」

「俺は最初からその話だったぜ?それに、未来なんてもんは、自分の手で掴み取るもんだ。誰かに教えられた未来なんて、面白くないじゃねぇか」


からからと笑う湛快の言い分はもっともだ。
来るべき未来を知っていたら、それを甘んじて受け入れるなんて耐えられない。
少なくとも、浅水自身がそうであったように。


「それはそうですけど」

「だろう?」

「だからって、何で私が奉納舞なんですか!他にも舞える人はいるでしょうに」


新年に奉納舞をするのは、巫女の役目だったはずだ。
このときの自分はまだ上手く舞えなかったが、もう少ししたら、毎年奉納舞を踊ることになる。
第一、湛快が言ったように「はい、そうですか」と自分が舞うわけにもいかない。
なぜなら、今の自分は湛快に厄介になっている身ではあるが、巫女としているわけではないのだ。
いくら小さい自分と同一人物であったとしても、それを知っているのは湛快のみ。
他の人間が頷くはずがない。
厄介になる分、ヒノエの教育係として恩を返しているはず。


「それがだな、生憎今年は舞に秀でてる巫女がいないと来てる」

「だからといって私は巫女じゃない。……それに、表に出る危険性も話してあると思いますが?」

「そいつは知ってるんだが、な」


歯切れの悪い返事。
湛快も、わかっているのだろう。
部外者の自分を表に出すことの危険性を。
だが、そうまでしても諦めきれないのか、しきりとチラチラと視線を送ってくる。
どうしたもんか、と浅水は思わず頭を抱えた。
そして、記憶を探る。
このときに奉納舞を舞っていたのが、誰だったのかを。
だが、どれほど思い出そうとしても、奉納舞を誰が舞ったのか以前に、自分が奉納舞を見せてもらえなかった事実に思い当たった。


確か、自分が奉納舞を舞う前。
てっきりヒノエと共にその舞を見れると思っていたのだが、自分は違う仕事を申しつけられた気がする。


自分に見られないという事実に安堵したところで、問題はまだある。
頭の固い、古参の人たちは納得しないだろう。
いくら舞に秀でた巫女がいないとはいえ、どこの誰とも知れぬ人間を神事に連れ出すのだ。
そんなことをしたら、湛快がなんと言われるか、わかった物じゃない。


「やっぱり駄目です。その後が問題になるでしょう?」

「頭の固い爺どもは、俺が何とかする。だから、この通りだっ!」


どうやら、湛快も浅水と同じことは考えていたらしい。
返された言葉に先手を打たれたと、小さく舌打ちする。
現別当に頭まで下げられて、頷かない人間がいるのだろうか。


「……『浅水』には、奉納舞を見せないこと」


渋々と言葉を告げれば、ハッとしたように湛快が顔を上げた。
その瞳は自分が思っていた以上に輝いていて、失敗したと思ったところで後のまつり。
言った言葉は取り消せない。



結局のところ、自分は別当家の人間に弱いのだ。



そんなことを、浅水はぼんやりと思った。
小さく息をついてから、湛快を見やる。
既に湛快は期待の視線を自分へ向けている。
これでは、断るに断れないではないか。


「浅水に奉納舞を見せないことと、頭の固い頑固爺たちのとばっちりが私に来ないなら、考えます」


それが精一杯の妥協案。
元いた時空への戻り方は未だわからず。
そして、まだ湛快に厄介になるならば、せめてこれ位は返さねばならないだろう。


「有り難い!本当に、恩に着るっ!!」


そう言って、深々と頭を下げた湛快の姿に、浅水は目眩を覚えた。
これをヒノエや弁慶が見たら、一体何と言うだろうか。
少なくとも、今の自分がいる時空なら、かなりからかわれているはずだ。


「本当に、何があっても知りませんからね」

「何かあったらちゃんと対処するさ。それよりも、浅水に舞ってもらえることの方が断然いい、ってね」


いやー、助かった。と、すっかり安堵している姿は、先程までの真剣さなど微塵も感じられない。
そんなところはヒノエとよく似ている。
もちろん、この世界のヒノエではなく、自分と同じ世界に生きるヒノエだが。
そろそろこの世界に来て一ヶ月になる。
現代でどれだけの時間が経ったのかわからないが──もしかしたら、時間は経っていないかもしれない──今頃心配しているだろうか。
それよりも、初詣に行く約束を破ったことについて、何か言われるだろうか。


「それじゃ、俺はそろそろ退散するぜ。詳しいことについては、また後日ってことで」

「わかりました」


自分から引き受けたこととはいえ、やっぱり気乗りはしない。
離れから邸へ戻る湛快の後ろ姿を見送りながら、浅水は溜息をついた。
重要な用件だとは思っていたが、まさか自分の想像以上のことを言われるなんて。


「全く……選択権なんて、あったもんじゃない」


吐き出すように呟かれた言葉は、どこか諦めの色を見せている。
以前自分が熊野権現に促されて舞っていたのを、湛快とヒノエに見られていたのだ。
それに加えて、今の時期は冬。
そして、年末年始が近い。
ちょっと考えればすぐにわかることなのに、それすらも思い付かなかった自分に嫌気がさす。

折角今年は数年振りに、現代でのんびりとした正月が過ごせると思っていたのに。
過去に来てまで神事に関わるとは、思ってもいなかった。


「恨むわよ」


もちろん、呟いたのは熊野権現に対して。
実際にそう思っているわけではないが、少々の愚痴くらいは許して欲しい。
そもそも、熊野権現が自分の舞などを促さなければ、こんなことにはならなかったはずだ。
まぁ、二人の気配に気付かなかった自分にも非はあるが。


「そう言えば……ちゃんと衣装も準備してくれるんだよ、ね」


自分が持っているのは、湛快に仕度してもらった必要最低限の着物だけだ。
まさか奉納舞を舞う日が来るなど、頭の隅にもなかった。
もちろんそれは、湛快も同じだと思うが。


「いいや。どうせ後から詳しく話してくれるだろうから、その時にでも聞こう」


とりあえず、今は一刻も早く寝てしまいたかった。
湛快と過ごした時間は、思っていた以上に浅水の精神を疲弊させた。



部屋に戻り、女房が用意してくれた夕餉もそこそこに床につく。
目を閉じれば、睡魔はすぐにもやってきた。
浅水が今、唯一ほっとしていることは、夢で先を見ていないこと。
もし、自分が今夢で先を見ていたとしたら、熟睡などまず望めない。
それこそ、弁慶が煎じてくれた睡眠薬を飲まない限り。
だが、ここに弁慶の姿があるわけでもない。
それは、自分の望んでいる物が与えられないことに繋がる。

湛快の用意してくれた睡眠薬は、以前二人が来たときにヒノエに使ってしまった。
かといって、更にくれと言ったら、余計な詮索をされることは目に見えている。
自分のことを湛快に全て話しているのだから、尚更。

それらを含めて、夢で先を見ていないことは助かった。
そんなことを何と為しに思いながら、浅水は夢の世界へと旅だった。










翌日。
浅水は日が昇って少ししてから目を覚ました。
基本的に、今の自分は湛快の客人だからすることなどない。
あまり早く起きても仕方がないと、普段よりもずっと寝坊することにしている。
とはいえ、決まった時間に目が覚めてしまうのは、既に習慣のようなもの。
火鉢に炭を入れ、部屋が暖まるまで布団の中でぼんやりと過ごす。
それが、熊野での一日の始まりだ。


「いただきます」


女房が朝餉を持ってくる前に、身支度を全て済ませる。
朝餉が運ばれると、浅水は手を合わせて小さく呟いた。
最近は一人の食事にも慣れた。
けれど、大勢で食べる食事に比べると、何と味気のない物か。
小鉢を手に取り、それを摘む。
現代食に比べると、素材その物の風味を楽しむ食事。
これはこれで美味しいが、やはり現代食が懐かしい、と思ってしまう自分がいる。

一人の食事を進めていれば、食べ終わる頃にパタパタと小さい足音が聞こえてきた。
この離れにやってくる人物は限られている。
小さい足音は軽い。
そして、子供でこの離れを知っているのは、ヒノエしかいない。
浅水は膳の上に箸を置き、お茶を一口飲んでからヒノエを待った。


「姫君っ!」


ややあって、勢いよく開かれた障子。
邸から走ってきたのだろうか。
くせっけのある髪は、風のせいで酷く乱れているし、呼吸も荒い。


「ヒノエは女性の部屋に、いきなり入れと教わったの?」

「あっ、ごめっ……」


未だ息が整わぬヒノエに、浅水は湯飲みを差し出してやる。
少し温くなったお茶は、ちょうど飲みやすくなっている。
案の定、ヒノエは差し出されたお茶を一気に飲んでから、人心地着いた。


「それで?今日は約束の日じゃないけれど」


一体何かあったのだろうか、とヒノエに問いかける。
そうすれば、ヒノエは浅水の目の前に移動して、目線が同じになるように膝をついた。










「親父から聞いたんだけど、新年の奉納舞を姫君がするって本当かい?」










ヒノエの口から出た言葉に、黙り込んでしまったのは浅水である。
自分が彼とした約束に、ヒノエに話さない、とは言わなかったはずだ。
その事実に酷く後悔する。
できることなら、ヒノエにも黙っていたかったのに。


「なぁ、本当?」


キラキラと輝く瞳は、昨夜の湛快と同じ物。
やっぱり親子だな、と頭の隅でそう思った。


「……本当だよ」


仕方なく同意すれば、ヒノエの表情が更に明るくなる。
今更ながら、奉納舞を辞退したくなったのは、言うまでもない。










譲れないもの、ゆるぎないもの、ただそれだけのために 
2008.7.18



 
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -