交差する時間 | ナノ
 




まさか小さな彼から呼ばれるとは思わなかった呼び名。





一体何の心境の変化だろう。





今と変わらない物。





それは目にする物が新鮮で、懐かしくもあった。










6、Monopoly 











どうやらヒノエが向かっているのは、勝浦の方向だった。
いくら身軽だとは言っても、さすがに子供の足で勝浦までは時間がかかる。

朝から自分の所へ来る日は、午後もヒノエの勉強はないと湛快は言っていた。

だからといって、誰にも告げずに離れを出るというのは拙い。
自分についていた烏は、昨夜湛快に言って外してもらった。
けれど、ヒノエの護衛を務める烏はいる。
自分のわかる気配は二つ。
二人いれば、もしもの時に一人は何かしらの行動をすることが出来る。


「ヒノエ、待って」


自分の手を取って先を行くヒノエの名を呼べば、彼は足を止めて振り返った。
呼ばれた理由がわからないからか、ことりと首を傾げている様はどこにでもいる少年だ。


「何、姫君」


けれど、ヒノエの口から出てきた言葉に多少脱力感を感じる。
昨日までは呼ばれなかったその言い方。
それに少しだけくすぐったい物を感じる。


「このまま行ったんじゃ時間がかかるわ。今ならまだ本宮からさほど離れていないから、一旦戻って馬で行かない?」

「馬?……でも、姫君は乗れないだろ?」


躊躇ったのは浅水の心配もあるが、自分の心配もあるのか。
ヒノエくらいの体つきでは、まだ馬を乗りこなせないのかもしれない。
それとも、乗れたとしても、自分を乗せて走ることに自信がないか。
どうしようかと逡巡しているヒノエに、浅水は目線を合わせるように膝を折った。


「私は一人でも馬に乗れるから、大丈夫。それに、この格好じゃヒノエの速度に追いつけないわ」


そう言って自分の着物を見下ろす。
熊野にいたときは、ヒノエと同様に動きやすい格好でいた。
それこそ、木登りをしても大丈夫な。
けれど、今の格好は普通に着物で、どれだけ急いだところでヒノエに遅れを取ってしまうのは目に見えていた。
着替えは湛快に頼んで用意してもらった中にあったはずだ。
それこそ、動きやすい物が。



何とかヒノエを宥めて離れに戻ると、ヒノエは手持ちふださのようにその場に立ち止まった。
着替えにはそう時間がかからないだろう。
だが、自分が着替えてから馬を選びに行くのでは効率が悪い。
浅水は部屋に入る前に、ヒノエに頼み事をした。


「私が着替えている間に、駿馬を選んで来てくれると嬉しいんだけど」


本宮にいる馬は見ていないから、どの子が速いかわからない、と付け加えてから、再びヒノエに頼んでみる。
そうすれば、躊躇いながらもヒノエが頷くのを見た。
「すぐに戻るから、着替えて待ってて」と言い残して、ヒノエは厩舎の方へ駆けて行った。
その際、ヒノエより少し遅れて、護衛についていた烏も動くのが気配でわかった。


「待って」


気配が消える前に声を上げれば、一つの気配だけが残る。
やはり自分の思った通りか。
けれど、どれだけ待っても烏が自分の前に姿を現すことはなかった。
決して姿を見せるなとでも言われているのか。
それとも、他に何か理由があるのか。
どちらにせよ、自分がやらねばならぬことを速く済ませないと、ヒノエがここに戻ってきてしまう。


「この通り、私はヒノエと出掛けるから。多分、夕暮れまでには戻ると思うわ。湛快殿と、私のことを知っている女房にこのことを伝えて欲しいのだけど」


それでなくとも厄介になっている身なのだ。
要らぬ心配は掛けたくない。
女房は決まった時刻になると、自分の元へ食事を運んでくれる。
その刻限にいなかった場合、きっと騒ぎになるのは目に見えている。


引き受けてくれるか否かは、五分。


いくら湛快から話はついているとしても、彼が自分についてどんな説明をしたのか迄はわからない。
すると、空から一枚の葉がひらひらと落ちてきた。
落ち葉の頃ならわかるが、今の季節は秋ではない。
冬の時期に、こんな風に落ちてくる葉はあまりにも不自然。


「ありがとう」


ヒノエ付きの烏は、どうやら自分の話を伝えてくれるらしい。
この葉が何よりの答えだ。
浅水は烏の落とした葉を拾ってから、部屋に戻って着替え始めた。










しばらくして、浅水の元へ戻ってきたヒノエは、馬に乗ってくるのではなく、馬を引いてくるという形で現れた。
その姿に、やはりまだ馬を乗りこなせていないのか、と思う。
ヒノエの身長では鐙(あぶみ)まで足が届かないのかもしれない。
戻ってきたヒノエの表情を見るに、どうやらその通りかもしれないと、浅水は失笑した。


「姫君、連れてきたよ」

「ありがとう」


ヒノエに礼を言ってから、彼が連れてきた馬に触れる。
見知らぬ人間が近付いても大人しくしている。
この馬は随分と利口らしい。


「澄んだ綺麗な瞳ね。いい馬だわ」


ぽんぽんと軽く撫でてやれば、小さく鼻を鳴らしながら浅水へ頭を寄せて来る。
馬を連れてきたヒノエに一言礼を言えば「別に」と小さく呟くのが聞こえた。
照れているのだろうか。
少しだけ、頬が赤くなったように見える。


「それじゃ、行きますか。ヒノエ」


そう言って、浅水は馬に乗る。
その後、ヒノエの方に手を差し出せば、どうしたもんかと自分の手と浅水を交互に見比べている。
このままでは埒があかない。
浅水は小さく溜息をついてから、ヒノエの手首を掴んで、ぐい、と持ち上げた。


「うわっ!」


いくら成人男性に劣るとはいえ、熊野の男たちと一緒に行動していたのだ。
体力や腕力はそれなりにある。
幼いヒノエを持ち上げるくらいには。


「姫君っ!」

「私を普通の姫君と一緒にしちゃ駄目よ?」


浅水の前にヒノエを座らせれば、驚いたように振り返る。
まさか女である自分がヒノエを持ち上げるとは思ってもいなかったのだろう。
少しおどけたように言ってみせれば、ヒノエは大きく溜息をついた。


「それは知ってるけどさ……」


ヒノエは何事かをブツブツと口の中で呟いている。
けれどその言葉は浅水の耳まで届かなかった。
手綱を握り、軽く馬の腹を蹴れば、二人は勝浦に向けて出発した。





勝浦の前に速玉大社へ寄り道すれば、ヒノエは首を傾げた。
目的の土地は目と鼻の先なのに、どうしてわざわざ速玉大社へ来るのかと。


「さすがにこの子を連れては行けないでしょう?」


浅水が馬から降りれば、それに倣ってヒノエも降りる。

ヒノエが選んだ馬は賢く、確かに俊足だった。
それゆえ、思っていたよりも早く勝浦へと来れたのだが、いかんせん。
立派すぎる。
例え、馬を預かってもらったとしても、いつ何があるかわからない。
それならば、一旦速玉大社によって馬を預かってもらった方が安全だ。
今の自分では少々難有りだが、ヒノエがいれば何とかなるだろう。


「じゃあ、ここに預けていくってこと?」

「そうよ。この子が盗まれたら可哀相だもの」

「わかった」


説明すれば理解してくれたようで、素直に頷いた。
そんなヒノエの態度に、浅水は少々驚きを隠せない。
たった一晩のうちに、どんな心境の変化が彼にあったというのか。


「オレが頼んでくるから、姫君はここで待ってて」


そう言って手綱を手に取ると、ヒノエは馬と共に大社の奥へと消えていった。
ヒノエが小さくなるのを見送ってから、浅水は木の陰へと移動する。
本当なら一度参拝しておいた方がいいのだろう。
自分と深く関わりのあるこの地の神に。
けれど、参拝していてはヒノエが戻ってきてしまう。


「ごめんなさい。今は、行けそうにないわ」


いつか時間ができたときにゆっくりとでも、と内心で呟けば、ほのかに浅水を取り巻く空気が暖かくなった。
まるで気にしていないと言っているかのように感じるそれは、自分の言葉への返事なのだろう。
姿を変え、再び時空を越えてしまった自分をも、熊野の神と大地は受け入れてくれる。
その事実に、浅水は目の奥が熱くなった。


「……姫君は、熊野権現から愛されてるんだね」


砂を踏む音と声が聞こえてきて、思わずそちらへ顔を向ける。
それが誰かは考えずともわかった。
そこにいたのは馬を預けてきたヒノエ。
どこか眩しい物でも見るように目を細めている。
ここには自分しかいないから、彼が見つめているのは必然的に自分となる。


「どうかしら。私よりも愛されてる人がいると思うけどね」

「ふうん……」


浅水の言葉を信じていないのか、どこか生返事が帰ってくる。
これ以上ヒノエの機嫌を損ねては、せっかくここまで来たのに勝浦へ行く前に帰ることになる。
何気に道中楽しみにしていたのだ。
ここで帰るのは忍びない。


「早く勝浦へ行こうか」

「え、ちょっと!」


ヒノエの手を取って駆け出せば、半分引きずられるようにヒノエがついてくる。
けれど、それも直ぐさまヒノエが先頭を行く形に変わる。
さすがに子供に勝つくらいのスピードは出していない。
普段よりも遅く、それこそヒノエが追い越せるくらいのスピードで。





市の活気は昔と今も変わらない。
そのことに、思わず笑みが浮かんでしまう。


「はぐれないように、手を繋ごうか?」


過去に勝浦の市に来た際に、人混みの中、ヒノエが敦盛を置いて一人で行動してしまうということが多々あった。
今回はないと信じたいが、それでも心配な部分はある。
烏がついているから大事にはならなくとも、一緒にいた自分が彼を見失っては事だ。
それの予防策として、手を繋ぐという考えに行き着いたのだが、ヒノエは嫌そうに顔を顰めた。


「さすがにそれはちょっと……」

「でも、はぐれたら困るし。それに、初めて市に来た私を、案内してくれないの?」


そこまで言われて拒絶するようなら、熊野の男に傷がつく。
女性には優しく、が熊野の男の心情だ。
それは幼いヒノエでも変わらない。


「わかったよ。でも、離れたりすんなよ?」

「それは私の台詞なんだけどね」


肩を竦めながら言えば、ヒノエの顔が更に歪む。
これ以上苛めるのも可哀相かと、先を促せば浅水とヒノエが手を繋ぐ。
まだヒノエの手はこんなにも小さい。
いずれ、この手が熊野の全てを守ることになるのだ。


「何?」


視線に気付いたのか、居心地が悪そうにヒノエが見上げてくる。
そういえば、いつからだったろう。
自分がヒノエを少しだけ見上げるようになったのは。


「何でもないよ」

「変な姫君。ほら、行こう」


ヒノエの問いに、曖昧な笑みで返事を返す。
深く追求されないことに安堵しながら、浅水はヒノエの案内で勝浦の市を回り始めた。


その際に、経正と一緒に市を回っていた敦盛を見かけた。
ヒノエは気付かなかったが、どうやら敦盛は気付いたらしく、不思議そうな目でこちらを見ていた。
それに焦ったのは浅水だった。
せっかく敦盛や自分自身とは会わないようにしていたのに、ここでうっかりと鉢合わせなど、本気で洒落にならない。
始めのうちはどうしようかと慌てたが、ほんの少し顔を見たくらいでわかるわけがない。
そう腹をくくると、浅水は敦盛に対してニッコリと微笑んだ。
それを見て、敦盛が頬を染めたのを見ると、浅水はそそくさとヒノエと共に市の中に身を紛れさせた。


後日、敦盛の話にそのことが出てきたが、当時の自分には何のことかサッパリだったのを覚えている。


目新しい物をひやかしながら市を回れば、いつの間にか陽は西に傾きかけていた。
これ以上勝浦にいては、いくら乗ってきた馬が俊足でも、帰る頃には日が沈んでしまう。
さすがにそれは避けたい。
ヒノエに言って、一度速玉大社へ戻ると、預けていた馬で再び本宮へと戻った。



このときの浅水はすっかり忘れていた。
その当時の自分を。
これからしばらく先、ヒノエは当時の自分に避けられることになるが、それはまた別の話。



夕餉の前に本宮へ戻ってくれば、浅水はヒノエに馬を任せ、離れの部屋へと戻った。


「おっ、やっと帰ってきたか。楽しかったかい?」

「……その前に、どうしてここに湛快さんがいるか聞いてもいいですか?」


ここは自分が与えられている部屋のはずだ。
いくら所有者が湛快でも、本人がいない間に勝手に部屋にはいるのはどうかと思う。


「あぁ、すまねぇな」


ちっとも悪いと思っていない言葉に嘆息する。
ここら辺は今も昔も変わっていない。


「それで、一体何の用ですか」


わざわざ離れまで湛快がやってくるということは、それなりに理由があるはずだ。
自分に拒否権がないことなど、始めからわかっている。
半ば諦めたようにすれば、湛快は口端を斜めに引き上げた。


「話が早くて助かるねぇ」


口調と顔は楽しげだが、目は笑っていない。
となると、用件は重要なことか。
浅水は湛快の前に正座して、ぴしりと姿勢を正した。










湛快の口から語られたのは、思いもよらない物だった。










貴方のはにかむ様な笑い方が今も瞳に、鮮 
2008.6.19



 
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