交差する時間 | ナノ
 




全く、行動の早いことで。





でも、私にとってもイレギュラーは相手にとってもイレギュラー。





その時の私は知らなかった。





それが後にもたらす変化を。










5、Killer 











ヒノエを邸へ帰してしまえば、あれほど賑やかだった空間も一気に静けさを取り戻した。
女房がわざわざ持ってきてくれた夕餉を食べ終えれば、浅水がやるべき仕事は睡眠だけ。
けれど、どうしてだろう。
今日はそんなに眠気がやってこない。
部屋に籠もっていたところで、何もすることはない。


「よし」


となれば、やるべきことは一つ。
浅水は羽織を一枚着込んでから、部屋を出た。





部屋を出れば、外から差し込んでくる月明かりに空を見上げる。
満月、とまでは行かないがこれだけ光量があるのだ。
これならば、灯りはいらない。

庭に出れば、月明かりに照らされて、昼間とは違った表情が伺えた。
同じ光なのに、陽光と月光ではこうも違う。
それは、今のヒノエと未来のヒノエの違いと言っても、過言ではないだろう。


「これって催促と取っていいのかしら?」


ぽつりと呟く言葉は、果たして誰に対しての物か。
こちらの世界へ来てから、なぜかわからないが神気を感じる自分がいた。
初めてここへ辿り着いたときには感じられなかった神気。
ある程度、巫女としての修行をして、それなりに成長した頃に、ようやく感じることが出来た。

けれど現代へ戻って、元の姿に戻った自分は、再び神気の「し」の字すらわからなくなったはずだ。
それなのに。
過去の熊野へ辿り着いてからというもの、時折感じる神気はまさに熊野権現の物。
自分を促すように送られてくる神気は、舞を踊れば感じる事が出来なくなる。
まさに今この瞬間も、自分の側には懐かしいとすら思える神気を感じることが出来た。


「舞扇も舞剣もないけど、それくらいは許してね」


楽がないことはさらりと無視する。
これまでも、楽がなくたって踊ってきた。
自分の心の内に楽さえあれば、踊ることは可能だから。

浅水は羽織を脱ぎ捨て、庭の真ん中へと移動した。
す、と持ち上げる腕。
指の先まで神経を集中させる。
そうしてから、浅水は月光の下に舞い始めた。










一方、浅水が舞を舞っている頃。
本宮の離れへと向かう大小二つの人影があった。


「わざわざお前までくることはねぇんだぞ?」

「何だよ、いいだろ。オレだって気になるんだから」


夜だということもあって、多少声音は落としているが、それでもぎゃあぎゃあと言い合っていることに変わりはない。
昼間、ヒノエが浅水の口から聞いた言葉。
それは、烏とヒノエ自身によって、湛快の耳に入った。


湛快自身、自分の身分を明かしたわけではない。
けれど、ここまで面倒を見てやれば多少なりとも想像は出来るかもしれない、とだけ思っていた。
まさか別当だということを当てるとは思ってもいなかったが。


もし、浅水が熊野にとって有害だというならば、彼女には悪いがこの地から去ってもらわなければならない。
それを判断するためにも、一度話し合いの場を持つことが必要だと判断したのは、報告をもらったその時。
善は急げ、と夕餉を取った後に出掛けようとすれば、そこをヒノエに見つかった。
どうやら彼自身も、それについて疑問を抱いていたらしく、湛快の姿を見ると「オレも行く」とだけ告げてきた。
だが、昼間元気に駆け回っていた子供。
夕餉も終われば、やってくるのはもちろん睡魔。
湛快の隣を歩きながらも、目を擦るその姿に、何度か帰れと告げたけれど、こうして頑なに断られているところだった。


「全く、その頑固さは誰に似たんだか」

「母上じゃないの?」

「確かに、アレもこうと決めたら頑固だけどな……」


はぁ、と大きく溜息をついてしまうのは、やはり自分にも思うところがあるから。
しかし、自分のことは親父と呼ぶ癖に、母親のことを母上という辺り可愛げがない。


「……少し前までは、父上って呼んでくれてたんだがなぁ」


子供が成長するのは早い物だ、と常々思う。
これでは、自分が引退してヒノエが跡を継ぐ日もそう遠くないかもしれない。
チラリと斜め下を見れば、自分と同じ緋色の髪が動くたびにふわふわと揺れている。


「ガキがでかくなるのも早いぜ」

「ガキって言うな!」


てっきり独り言だと思われていたそれに言葉を返され、思わずその頭を撫でてやる。
撫でるというよりも、むしろ髪を掻き回すに近い行為に、再び声が上がるのは次の瞬間。
そうこうしながらも、目的の部屋近くになれば、次第と口数も少なくなる。


「あいつが寝てたらどうする気だよ?」

「お前。年上の、しかも嬢ちゃんに向かってアイツはねぇだろ」

「んで、どうすんの?」


これでは浅水も苦労する。
自分で提案しておきながら、難題だったかもしれないと、湛快は自分が出した条件を少々後悔したとか。


「そんときは出直すさ。さすがに夜這いはいただけねぇからな」

「ふーん……あ」


生半可な返事を返したヒノエが、何かを見付けたらしく、その場で立ち止まった。
息子が止まったことに疑問を抱きながら、湛快も数歩進んで立ち止まる。
ヒノエを振り返るが、どうやら一点を見つめたまま硬直状態。
視線の先に何があるのだろう、と頭を巡らせれば、視界に入ってきたのは一つの人影。


「ほぅ……中々やるもんだ」


どうやら、舞を舞っているらしく動くたびに着物の袖が宙を舞う。
月の光に照らされるその顔は、昼間見る物よりもずっと神秘的に思える。
そう感じてしまうのは、この場にある強い神気のせいだろうか。
何より、その神気を感じているのかいないのか、全く動じることのない浅水に感嘆する。
湛快はその場に固まってしまったヒノエを小脇に抱え、更に近くへと距離を縮めた。

ある程度側までやってくると、そのまま濡れ縁に座り込み舞を眺める。
自分の膝の上にヒノエを座らせれば、いつもなら抵抗するはずの声が聞こえてこない。
珍しい物もあるもんだと息子を見れば、浅水の舞に見入るように凝視している。
これで酒があったら言うことはないのに、と湛快が思ったかどうかは、彼のみぞ知る。





手を地面へと下ろせば、それにつられるかのようにふわりと着物の袖も地面へ付く。
やはり、舞が終わると同時に、神気は消え失せた。
どうやら今宵はこれで満足してくれたらしい。
そのことに、ほっと安堵の溜息をつけば、パチパチと聞こえてくる拍手に内心うんざりと溜息をつく。
自分がここにいることを知っているのは、一部の女房とヒノエ。
そして湛快だけ。
女房は決められた仕事が終われば、滅多なことがない限りこちらまでこない。
となると、普通に考えてもこの場にいるのは湛快しか考えられなかった。


「いやぁ、大したもんだ」

「来ていたなら、声を掛けてくださればいいのに」


脱ぎ捨てた羽織を拾いながら、湛快とヒノエの下へと近付く。
いつもなら、自分を見ると必ず何か一言ある彼が、今は何も言わないことに疑問を抱き首を傾げた。
そんな浅水の様子に、湛快も思わず膝にいるヒノエを覗き込む。
すると、どこか夢現にいるような彼の表情に、浅水も湛快も顔を見合わせた。


「どうやら、浅水の舞に心奪われたみてぇだな」

「いつもこうなら可愛げがあるのに」


先程自分が思ったことと同じようなことを言われ、思わず同意してしまう。
そんなやり取りを聞いて、ヒノエがようやく我に返る。
けれど、その次には二人で笑い始めたから、ヒノエの機嫌が更に悪くなると言う悪循環。


「とりあえず、飲み物を用意するんで待ってて下さい」

「いや、気にしなくていいって」


部屋へ戻ろうとする浅水に、湛快が声を掛けるが、自分が飲みたいのだと告げれば納得された。
それに、舞を舞ったせいで微妙に汗をかいた着物も着替えてしまいたかった。
だが、問題はそこではない。


「さすがに、ヒノエには聞かせられないからね」


湛快が夜中に自分の元へ来た理由。
そんなことは、考えずともわかった。
思っていた以上に早いことには驚いたが、いつかはやってくると思っていた。
ただ、想像外だったのはヒノエの存在。
まさか彼も一緒に来るとは思ってもいなかったから。


着物を着替え、湛快と自分には酒を。
ヒノエには白湯を用意しているところで、浅水は白湯の中にある粉末を落とした。


何かあったときに困るから、と離れへ案内されたときに湛快が薬を置いていったのだ。
その中には、眠り薬もあった。
少し舐めてみたけれど、弁慶の薬に慣れてしまった自分には、とうてい効きそうにもない。
けれど、普段から眠り薬など使わないヒノエには、効果てきめんだろう。
一包の半分ほどを白湯に溶かし、二人が待つ濡れ縁へと持って行く。


「お待たせしました」

「あぁ、悪いな」


先にヒノエに湯飲みを渡してから、湛快に酒を注いでやる。
彼が何か言うより早く、視線でヒノエを見やれば、それだけでこちらの意図を汲み取って貰えたらしい。
小さく頷いたことが何よりの証拠。
少しの間、三人は月夜の元で飲んでいた。



元々眠かったのだろう。
白湯を飲んで少しもしないうちに、ヒノエが船を漕ぎ始めた。
そのままヒノエが寝付くと、知らず知らずのうちに張り詰めていた空気が和んだ。


「眠り薬を使うなんて、随分おっかねぇな」

「何を言ってるんですか。元々、ヒノエに聞かせるつもりはなかった癖に」

「それは違いねぇ」


そう言って、くいと酒を煽れば、空になった猪口を置く。
そのまま視線を上げた湛快は、それまでの顔とは一変。
別当の顔へと変化していた。


「それで、浅水の知ってることを話してもらおうか」

「やっぱり。そんなことだろうと思いましたよ」


ここで湛快の信用を得るためには、全てを話さなければならない。
彼の養い姫である浅水のことも含めて。
どこから話そうか、舌で唇を湿らせながら、まずは身の上話が妥当かと考える。


「ちゃんと名乗ってませんでしたよね。私の名前は七宮、七宮浅水と言います」

「何だって?」


名前だけならば同じ名前だと誤魔化せるだろう。
けれど、名字まで名乗ってしまえばそうも行かない。
何せ、自分は湛快に話しているはずだ。
この姓を名乗るのは今は自分だけなのだと。


「全て、話します。私の知っていること」


長い物語。
けれど、それらは全て実際にあったこと。
浅水は要点をまとめて湛快に包み隠さず話すことにした。










湛快に全てを話してから、数日。
どうやら半信半疑ながらも、全てを否定できなかった湛快は、このまま浅水が熊野にいることを許可してくれた。
そのことに安堵しながらも、やはり口止めするのだけは忘れなかった。

そして、ヒノエとの約束の日がやってきた。
その日は、きちんと朝餉が終わった後にヒノエが浅水の元へやって来た。
約束を違えることのないヒノエだから、それは充分予測できたこと。
けれど、自分を見るなり口から出てきたヒノエの言葉に、思わず耳を疑った。










「姫君、おはよう」










思わず聞き返したのは言うまでもない。
今まで彼と接した中で、ただの一度も「姫君」だなんて呼ばれたことはなかった。
確かに、目上や年上の人にはそれ相応の態度で接しろとは教えたが、一体どういう心境の変化か。


「……ヒノエ、何か悪いものでも食べた?」


そう聞いてしまっても仕方ないだろう。
いつもの彼ならば、もっと違う態度のはず。
けれど。


「別に?オレはいつもこんなだろ」


ニ、と勝ち気そうに笑みを浮かべるその表情は、かなり見覚えのある物。
彼に一体どんな心境の変化があったというのだろうか。


「ね、姫君。今日は一緒に出掛けようよ」


そう言って、浅水はヒノエに引かれるまま、離れを後にするのだった。










明らかなヒノエの変化、それが意味する物は──。










貴方がそんなこと言うなんて、思ってなかった 
2008.5.29



 
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