交差する時間 | ナノ
 




感情にまかせて言葉を言う物ではない。





それを教わったのは、幼い頃に巫女として修行していたときの頃。





でも、言葉は有効的に使う物でもあるんだよ。





それを教わったのは、源氏の軍師でありながら、熊野とも縁遠くない人物から。










4、Twilight 











自分が過去の熊野へやって来て半月。
未だ、元の時空へ帰る手だては見つからない。

衣食住は、湛快の厄介になっているため困らなかった。
幸いにも、自分の願いは叶えられたようで、湛快が自分に用意してくれた部屋は、本宮の離れ。
しかも、あまり人が出入りしない部屋。


ここならば、幼かった自分はやってきたことはなかったはず、とどこか安堵を覚えた。


けれど、あまり人が出入りしないとなると、それはそれで不便な所がある。
それを考慮してか、湛快は数名の女房をつけようとしたのだが、浅水はそれを断った。
自分は普通の姫君とは違う。
一人で着物を着ることも出来るし、食事の用意だって出来る。
もちろん、食事に関しては、ちゃんと用意された物を食べているが。


逆に困っていることが二つ。
一つは湛快の厄介になるための条件である、ヒノエへの教え。
これは、今後のヒノエに必要なこと──話し方であったり、態度であったり──を教えればいいだけだからまだいい。
問題はもう一つの方だった。


「ホント、何とかならないかしら」


濡れ縁に座り、膝下をはしたなくも揺らしながら独りごちる。
既に日は斜めに傾きかけており、もう少ししたら空が茜に染まり始めるだろう。
本来なら今日は、ヒノエが自分の元へやってくるはずだった。
自分がヒノエに教えるのは週に二度。
朝餉が終わったら一人でここにやってくる、という約束。
もちろん、湛快だけでなく、ヒノエ本人にも自分のことは口止めしてある。
子供というのは自分だけの約束というものに、酷く興味を示す。
案の定、ヒノエも三人だけの約束と言われ、目を輝かせていた。


けれど、約束の刻限になってもヒノエの姿は現れず。


恐らく、遊びに夢中になっているのだろう。
この時代の彼は、重い責任に囚われていない、自由な子供。
後数年もすれば、別当職を湛快から受け継ぎ、言葉通り熊野を統べることになる。
それまではせめて、と思わずにはいられない。
だが、それとこれとは話が別だ。
もし彼がこの場に現れたら、きつく言ってやらなければならないだろう。
許される範囲で。


「どうしよう……湛快さんに言ったら、余計に怪しまれるのは目に見えてるしな……」


ブツブツと、口の中で呟く言葉は誰の耳にも届かないように。
あまり人が出入りしないと言うだけあって、浅水の周りには誰の姿も見えなかった。
そう、姿が見える範囲には。


「あーっ!逆に考えるのが面倒臭くなってくるじゃない」


ごろり、と身体をそのまま後ろに倒し、床に寝転がる。
視界の隅に入る空は、ほんのりとその色を変え始めていた。





人の姿が見えない。
これが、もう一つの問題だった。





自分の姿が必要以上にさらされるのはあまり好ましくない。
それを思えば、人の姿が見えないのは大いに結構。
けれど、だからといって監視されるのは好きじゃない。
時折感じる気配と視線。
振り返っても、そこに人の姿がないのは重々承知している。
それを考慮に入れ、ここがどこなのかを考えると、時折感じる物の正体はすぐにでもわかる。


烏。


真実、浅水が熊野に害をもたらさない人間かどうか、確かめるのと同時に、次期別当に良からぬ事をしないかの確認でもあるのだろう。
その辺はさすが現別当、と思わなくもない。
かつての自分なら、烏が周囲にいても気付かなかっただろうが、今は違う。
しっかりとその気配を感じることが出来るのだから。


「どうしよう、かな……」


湛快に自分に烏を付けるのを止めてくれ、とは言えない。
それを言ってしまえば、当然理由も話さなければならなくなる。
そこから芋蔓方式に全てが露見してしまっては、元も子もない。
すると必然的に、大人しく監視を受けるハメになる。
だが、それを苦痛に思っている自分が、確かにこの場にいるわけで。
これでは延々と堂々巡りだ。
何かいい案はないだろうか、そう考えたときである。


「………………ーっ!」


遠くから聞こえてくるまだ幼い声。
その声は、忘れようとも忘れられない物。
次第にその声が自分の元へ届いてくれば、浅水はゆっくりとその場に身体を起こした。
乱れた髪を手櫛で整え、彼の姿が現れるのを待つ。
バタバタと聞こえてくる足音は、どれだけ急いでいるかを現していた。


「わ、悪いっ……遅れ、た……っ……!」


ぜーぜーと肩で息をしている姿は、とてもじゃないが今のヒノエからは想像が出来ない。
そんな姿はとても微笑ましいが、今の自分はそれを寛容してやるわけにもいかない。


「遅いよ。約束の刻限はいつだったかしら?」

「だ、からっ。走ってきただろ!」

「遅れたのはヒノエだから、急いでくるのは当然のこと。それに、私にちゃんと謝罪してないよ」

「何でだよ!ちゃんと謝っただろ!」


少々きつく言えば、がなるように返してくる。
子供というのは本当に我が張っている。
これはプライドが高い、ヒノエ元来の性格もかっているのかもしれない。


「気心が知れた友になら、それでも許されるだろうけれどね。目上の人間にそれは通用しないよ」

「オレは……っ!」


そこまで言って、ヒノエはピタリと口を噤んだ。
まるで、これ以上は言ってはいけないとでも言うように、両手で口を塞いで。
大方、自分は次期別当だとでも言いかけたのだろう。
これも子供なら良くあることだ。


「オレは、何?言いたいことがあるなら、はっきりと最後までどうぞ?」

「何でもねぇ!」


わかっていながら、敢えて言葉を促す自分は、何て大人げないのだろう。
逆に、ヒノエは浅水が自分の素性を知っているとは露程も思っていないから、決して口にしてはいけないと口を押さえているのだろうが。
幼いな、と思わず失笑してしまいそうになるのを、必死になって堪える。
ここで自分が笑ってしまえば、ヒノエのためにはならないのだ。


「秘密を隠すのはいいことだけど、隠すならせめてわからないようにする物だよ。顔に出したら、いかにも何かあります、って教えているような物だからね」

「だから、何でもないって言ってるだろ!」


再び声を張り上げるヒノエに、思わず手で耳を塞ぐ。
子供の声量というのは、時に計り知れない物だ。
こちらの予想以上の声を出されては、子供特有の高い声が耳の中でこだましてしまう。


「う・る・さ・い」


思わず両頬を横に引っ張る。
柔らかく、弾力のある頬は、簡単に横に伸びた。


「はひふふんはほっ!」

「女性に対して、声を荒らげるのは男のすることじゃないよ」


かといって、幼い子供に手を上げるのもどうかと思うが、それは敢えて考えないことにする。
そういえば、熊野にやってきた自分が初めて彼と会ったとき、彼はちゃんと挨拶をしていなかっただろうか?
もし、それが自分の記憶違いでなかったら、こうして素の彼を目の前にしている自分は、それほど気を許してもらっているのか。
はたまた、第一印象が最悪だったせいで、まともな態度すら取ってもらえないということか。


「最近は随分マシになってきたと思ってたのにね。さ、自分が何を言うべきかわかるよね」


ぱ、と手を放せば、ヒノエは自分の両手で頬を撫でる。
そこまで力は入れていない。
程なく痛みも引いていくだろう。
浅水はそんなことを思いながらヒノエの言葉を待つ。
キッ、と小さく睨み付けてくるが、そんな物は可愛いくらいだ。
仮にこの場に弁慶がいたとして、口を挟む余裕すらなく言い負かされる方が、どれだけ恐ろしいか。


「………………」


沈黙は彼なりの抵抗なのだろうか。
しばらく待ってみるが、それでもヒノエの口から謝罪の言葉が出てくる様子はなかった。
このままただ黙っていれば、日が沈んでしまう。
ヒノエが帰るのが遅くなれば、邸には彼を心配する人たちが大勢いる。
そうでなくとも、この場は自分たち三人だけの秘密なのだ。
行き先を知っているのは湛快だけ。


「熊野の未来も、難しいわね」

「っ!」


何気なく口から出た言葉。
それが本心からの物でないのは、自分が良く理解している。
ヒノエが別当職を継いだ後、熊野の平穏が続くか否かは、いつも隣にいた自分がこの目で見ていた。
源平合戦に白龍の神子や八葉というイレギュラーが入ったが、それでも熊野が戦場になったりはしなかった。
知っていながら口にしたのは、ヒノエがどう動くかを見たかったから。



彼の愛する熊野の名を出されて、それでも尚黙っているようなら、こちらにも考えがある。



じっとヒノエを見ていれば、言葉を作ろうと口を開いたり閉じたり。
けれど、その口が音を紡ぐことはない。
浅水は大きく溜息をついた。

子供というのは、どうしてこう矜持が高いのか。

浅水は後から湛快に問われることを想像して、少しだけ眉を顰めた。
未だ言葉に悩むヒノエを見、声のトーンを少しだけ低くする。


「人の上に立つ者は、そう簡単に頭を下げる物じゃない。けれど、自分の非を認める事は大事なこと」


口調が変わった浅水に、ヒノエがはっと顔を上げる。
その瞳に映るのは、驚愕、動揺、疑心。
それを視界に入れながら、浅水は更に言葉を続ける。


「次代の別当は、自分に非があると理解していながら、どうしてそれを言葉にしない?」


真っ直ぐに瞳を見れば、だって、と小さく言葉が零れ落ちた。
ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉はたどたどしく。
それでいて、飾り気のない言葉は直接胸に届く。


「何て言ったらいいか、わかんねぇ」

「思ったことを素直に言えばいい。物事を素直に言えるのは、子供の特権だから」


素直に言うことと、普段の言葉で言うことは違うけど、と付け足しながらヒノエの頭を撫でてやる。
要は、何を言ったらいいかわからなかっただけ。
それゆえ、黙っていたのだと言われてしまえば、現在の自分が知っているヒノエとの違いに、驚愕してしまう。
いつも、どこからそんなに言葉が降ってくるのだろうと思わんばかりの口説き文句を言っているのに。


「ん……遅くなってごめんなさい」

「よくできました」


ぺこりと頭を下げるヒノエが、何とも言えず可愛らしい。
謝罪の言葉をようやく言えたことに、再び頭を撫でれば、軽く手を振り払われる。
おや?とヒノエを見れば、夕日のせいだけではない朱が、頬にまで走っている。
柄にもなく照れているのだとわかると、尚更可愛く見えてしまう。


「ま、ちゃんと謝ったから、今回はよしとしましょ。それで?今日は何をして遊んだの?」


もう怒っていないことをヒノエに知らせてから、自分の元へ来るまで何をしていたのかを問うた。
ヒノエを待って一日外へ出なかったのだ。
こうして彼から話を聞くだけでも、随分と違う。
それに、ヒノエの話を聞きながら、自分も過去の記憶を思い出しているのだ。
それはそれで、中々に面白い。










ヒノエの話が終わる頃には、日は沈みかけていた。
これ以上引き止めてはさすがにまずいかと、今日はここまでにする。


「いい?次は忘れないでちゃんと来るのよ?」

「わかってるよ。次は忘れたりしないって」


ちゃんと言葉で約束されたそれに、小さく頷く。
約束したことはしっかりと守るのだ。
これで次回は決められた刻限にやってくるだろう。
ヒノエを見送るために立ち上がれば、くい、と小さく袖を引っ張られた。
そんなことをするのは、この場にヒノエ以外にはいない。


「何?」


何か言いたいことでもあるのかと、首を傾げてみる。
ヒノエは、言うべきかどうか悩んでいるようで、視線をあらぬ方へ彷徨わせている。
けれど、少したってからしっかりと浅水の瞳を捉えた。










「何でオレが次の別当だってわかったんだ?」










何も言われなかったから、そのまま何もなかったことにしようと思っていた。
けれど、実際に言葉にされてしまっては、言い逃れなど出来るはずもない。


「オレも親父も言ってない、よな?」


語尾が弱くなるのは、確信が持てないからか。
曖昧にヒノエを言いくるめて邸に帰せば、後から来るだろう人物に頭痛がした。


「居留守使おうかな……」


どこか明後日の方を見ながら、浅水は今頃烏の報告が行っているんだろう、とぼんやりと思った。










湛快が浅水の元へやって来たのは、その日の夜だった。










全く損な役割だと、本日何度目かの溜息を漏らす 
2008.5.9



 
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テーマ「人外ファンタジー」
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