交差する時間 | ナノ
 




久し振りに見た幼いあなた。





同じ目線じゃないと、これほどまでに違う物か。





今の姿からは想像できないくらいに年相応で、真っ直ぐ。





少しだけ、当時の大人の苦労を垣間見た気がした。










3、Innocent 











「うちの愚息が、ほんっとーに申し訳なかった」

「そんな、頭を上げてください」


浅水の着替えが終わると、湛快の第一声は謝罪の言葉だった。
その際、自分と同じ、けれど、小さい朱の頭を一緒に下げさせる。
といっても、強引に頭を下にさせたため、ごちん、と額が畳にぶつかる音が聞こえた。


「親父っ!いきなり何すんだっ!」


突然額を畳に押しつけられ(しかもぶつけるように)納得がいかないとぎゃんぎゃん叫ぶ。
すると、湛快は一度ヒノエの頭から手を離した。
解放されたヒノエは、思い切り湛快を睨み付ける。


「何すんだ、じゃねぇっ!テメェのしたことを、よっく考えろ!」


けれど、それに負けじと湛快の方もヒノエを怒鳴りつける。
その怒声に怯んだのか、それとも自分のしたことを思い出したのか。
ぐ、と小さく喉を鳴らして、ヒノエはその場に固まった。


「だ、だって!」

「だってじゃねぇ」


尚も反論しようとするヒノエに、ぴしゃりと言い放つ。

ヒノエのしたことは、確かに許されることではない。
それは、この世界に済む女性から見ればのこと。
生憎と浅水は元々この世界の女性ではない。
それゆえ、子供のしたこと、と割り切ることが出来る。

例えばこれが、現在のヒノエであったなら、決して許される行為ではないけれど。


「湛快、殿。子供のしたことです。それくらいにしてはどうですか?」


一瞬、呼び方に困る。
今の自分は湛快に助けられた存在。
彼に養われている身ではない。


それゆえ、彼が熊野別当であることを知っていることを、口にしてはならない。


とはいえ、敬称をつけないわけにもいかない。
「様」と呼ぶのは憚られた。
ならば「さん」と呼ぶべきなのだろうが、この世界のこの時代では女性が男性をそんな風には呼ばない。
すると、呼び方は自然と限られてくる。
慣れない呼び方に、少々むずがゆさを感じるが、致し方ない。


「しかし、そうは言ってもなぁ……」


浅水の言葉に、湛快は困ったように彼女と息子を交互に見た。
女性の扱いには最も気を遣う熊野の男だ。
ヒノエの行動は、目に余ったのだろう。


「もちろん、先程のことにはそれなりの仕置きが必要ですが」


そう言って薄く笑みながらヒノエを見る。
すると、何かを感じ取ったのか、ヒノエは数歩後退った。


「ヒノエ、と言いましたね」

「おう」


一応、知ってはいるが湛快に確認を取る。
すると、返事二つで返された。
それに浅水も頷くと、す、と小さい朱を見る。


「ヒノエ」


笑みを浮かべたまま手招きをすれば、様子を伺いながらおずおずと近寄ってくる。
彼が自分の目の前までやってくると、浅水は両手を上へ伸ばした。
いくら子供とはいえ、座っていると必然的に彼のが長身になる。
けれど、手を伸ばせば頬に届くには充分の高さ。
そっと子供特有の柔らかな頬に両手を添える。
そのまま笑みを深くすれば、これから何をされるか知らない彼は、きょとんとしている。


浅水は、そのまま彼の頬を摘み、左右に思い切り引っ張った。


「ーーーーーーっ!!」


声にならない声がその場に響く。
だが、浅水は尚もその手を離さない。
にこにこと微笑んだまま、ヒノエの頬を引っ張る浅水の姿を見て、湛快は身近な人物を思い出した。


「はひふんはっ!はふへっ!」

「何を言ってるかわからないよ」


頬を引っ張られたまま言葉を紡ぐヒノエの口から出るのは、言葉であって言葉ではない。
何となく言っていることは理解できるが、敢えて知らない振りをする。


「子供のしたことで許されるとはいえ、謝罪はあってしかるべき。それとも、熊野の男は女性に恥をかかせても謝罪一つ出来ない腑抜けなのかしら?」


侮蔑の言葉を吐き出せば、見る間にヒノエの顔が赤くなる。
湛快が口を挟むかもしれない、という考えが頭をよぎる。
そっと彼を見れば、湛快は腕を組んだまま、何も言わずに自分たちを見ているだけだ。


「ほふはほほはひっ!」

「だから、何を言ってるかわからないっていってるでしょ」


かといって、頬を掴む手を離すつもりもない。
すると、ヒノエが勢いよく浅水の手を振り払った。
元よりそれほど力を入れていたわけではなかった。
さすがに、子供相手に本気を出すほど愚かではない。

振り払われた手は、簡単にヒノエの頬から離れる。
少しだけ赤味を持った頬を、ヒノエは両手でさすっていた。
その瞳に、涙がにじんでいるところを見ると、それほどまでに痛かったらしい。


「親父っ!この女、一体何なんだよ!」


浅水を指差しながら湛快に尋ねれば、今度は湛快から拳骨が落とされる。
余程痛かったのだろう。
頭を抑えたきり、その場にうずくまってしまった。


「今のはお前が悪い。それに、肝心なことをまだしちゃいねぇだろ」

「っ!」


諭すように湛快が言えば、目に見えるほどヒノエの肩が揺れた。
それを見て、浅水はあぁ、と思った。



ヒノエも自分が悪いとわかっているのだ。

けれど、謝罪のタイミングを逃してしまった。

一度タイミングを逃してしまうと、幼いながらも持っているプライドが邪魔をしてしまう。



さて、ここはどうやって彼に謝罪の言葉を言わせようか。
浅水は小さく唇を舐めた。

当時の自分や敦盛には、ちゃんと自分の非を認めていた彼だ。
出来ないはずはないだろう。


「幼くとも熊野の男。自分の為すべき事はわかるわよね?」


そっと助け船を出してやれば、それに反応してヒノエが顔を上げた。
それから先は彼が口を開くまでの根比べ。


「……申し訳、ありませんでした」


しばらくすれば、ボソボソと、けれどハッキリと謝罪の言葉が耳に届く。
その言葉を聞いて、浅水は満足げに頷いた。


「ということで、湛快殿。この件はもう不問で構いませんね?」

「あぁ、お前さんがそれでいいなら、俺もこれ以上は何も言わねぇよ」

「だって。よかったね、ヒノエ」


話を振ってやれば、展開についていけないのか。
ぽかんと口を開いたまま、浅水と湛快の姿をただ眺めている。
そんな息子の姿に湛快は溜息をついた後、わしわしと頭を撫でてやった。


「ちょ、何すんだよ!」

「ったく、この姫さんはお前のしたことを水に流すって言ってくれてんのに、何呆けてやがる」

「はぁ?わけわかんねぇんだけど」


目の前の親子の触れ合いに、思わず笑みが零れる。
現在では見ることの出来ない二人の姿。
それは自分たちの立場もある。

けれど、この場にいるのは確かに親子である二人だった。










ヒノエとの面会も終われば、次は浅水の今後を決めることになった。
突然こちらの世界へ戻され、行く当てのない身だ。
帰り方もわからない今、しばらくはこの世界で生活しなければならない。
金も持っていない状態では、どこかで住み込みの仕事を探さねばならないだろう。
そう思っていた浅水に、湛快が嬉しい提案を出した。


「もし行く当てがないのなら、俺の所へ来るかい?」


彼の申し出に、返事二つで返そうとしたが、はた、と思い至る。



今の自分が、幼い自分に合うわけにはいかない。



記憶の中に、自分自身と会った覚えがない今、ここで自分に会うのは避けた方がいいだろう。
となると、湛快の厄介になるわけにはいかない。


「申し出は有り難いのですが、さすがにそこまでしていただくわけには……」

「いや、息子がした事を考えたら、これくらいどうって事ねぇさ。それに、仕事をしたいというのなら、こいつの教育係なんてどうだい?」

「は?」

「何考えてんだよ!」


突拍子もない言葉に、浅水もヒノエも開いた口がふさがらない。
ヒノエには、すでに何人も師事する人がいたはずだ。
それなのに、どうして自分までもがヒノエの教育係になるのだろうか。
自分に教えられることなど、あまりないのに。


「衣食住はこっちで用意させよう。その代わり、さっきのことで知ってるように、こいつは基本的なことがなっちゃいねぇ」


湛快が言っているのは、ヒノエの態度のことだろうか。
だが、そんな物は成長するにつれ身につける物。
かくいうヒノエも、そうしてきたはずだ。
それに、礼儀作法も師事している者がいたはず。
そう思ってから、過去へと思いを馳せる。


そういえば、彼は成長するにつれ、というよりはある時期を境に突然大人びたのではなかったか。
もしそれが自分が彼についたせいだとしたら……?


可能性は否定できない。
けれど、危険を犯すことも出来ない。
湛快の元で厄介になるのなら、必然的に今の自分と同じ場所になるのは必至。


「どうだい?」


キラリと光る湛快の瞳。
それは、こちらがどう答えるかすでに予想がついているのだろう。
勝ち気で、負けることを良しとしないそれは、ヒノエの持つ瞳とよく似ている。
浅水はそっとヒノエを見た。


未だ幼いその横顔。

それに比例するかのように、彼の態度は未だ年相応な物。

次期熊野別当としては、少々難あり。


自分がヒノエの今後を決めてしまうと思うと、少しだけ身体が震える。
どうするべきか。

そんな時、ヒノエと視線が合った。
こちらを見る彼の視線は、どこか不満そうで。
どこの誰とも知らぬ人間──しかも女──が、自分を師事することを不服そうにしている。
ゆっくりとまぶたを閉じ、どうすべきかを考える。



自分がこの地に流されたのは、何か理由があってのこと。

恐らくそれは、自分にではなくヒノエに関係することなのだろう。



そう考えると、ヒノエの近くにいた方がいいのだと思う。
それは同時に、自分と接触してしまうかもしれないという不安に辿り着く。

ならばどうすればいいか。

思い至ったのは、一つだけ。


「条件を、つけてもいいでしょうか?」

「どんな条件か聞かせてもらおうか」


ようやく口を開けば、条件をつけると言う。
けれど湛快は、それでも構わないようだった。
尋ねてくる声はどこか楽しそうに。
それでいて、こちらの想いを全て見透かしているようだった。


「用意していただく部屋についてですが──」


それを話して、理由を問われたら何とでも誤魔化そう。
そう考えていたが、湛快は理由を問わずに了承してくれた。
有り難くはあったが、逆に浅水がどこか釈然としなかった。
普通なら、理由を問われてもおかしくないのに。


「変な女」


湛快とのやり取りを全て見ていたヒノエは、小さく呟いた。










それが、この時点でのヒノエの浅水に対する第一印象である。










プライドが殺し続けた言霊 
2008.4.7



 
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