交差する時間 | ナノ
 




何のために現れたの?





私のため?それとも、熊野のため?





そんなこと出来るなんて知らなかった。





どうせならもっと早くやって欲しかったんだけど。










9、Aglitter 











楽の音色に合わせて舞う浅水の衣が、ひらり、と宙を舞う。
指先の一つ一つ、一つの動作にすら意識を集中させる。



今までにないほどの、最高の舞を。



そう思ったのは嘘ではない。
だからこそ、自分は今の舞に全神経を集中させている。
重大な『観客』を目の前にして、一瞬たりとて気など抜けるはずもない。
四方八方から感じられる視線。
それはこの場にいる人たちだけの物ではない。
それこそ、熊野が奉っている熊野権現の物も混ざっている。
浅水がわかるのだ。
それを湛快やヒノエが気付かないはずもない。
恐らく、自分と同じくらいのプレッシャーは感じているはずだ。
そう思い、チラリと二人の方へ視線を巡らせる。


満足そうな笑みを湛え、浅水の舞を見ている湛快。
そして、そんな湛快の着物を掴むようにして浅水を見ているのはヒノエ。
若干ヒノエの顔が強張っているように見えるが、それは熊野権現の神気に気圧されているせいか。


(可哀相に、すっかり硬直してるじゃない)


そんなヒノエの様子に内心溜息をつけば、熊野権現がどこかで小さく笑っているような気がした。
悪趣味、と悪態をついてから、直ぐさま舞に集中し直す。
いつまでも他のことに気を取られているわけにもいかない。
浅水は瞼を閉じて瞳に何も映らないようにすると、楽の音色だけを追うことに集中し始めた。





楽の音色に合わせて舞扇が巧みに宙を舞う。
まるで、その舞扇が意思を持って動いているようにも見えた。


「へぇ……今日の舞は一段とすげぇな」


そんな浅水の舞を見ながら、湛快はボソリと呟いた。
一度、離れで舞を見たときからその実力は知っていた。
それだけでも大した物だと思ったのに、今日の舞はそれ以上の出来。
連日のように浅水の元へ行っていたヒノエから、舞の稽古をしているとは聞いていたが、まさかこれほどまでとは。
想像以上の舞に、出てくるのは感嘆の溜息ばかり。
だが、それは自分だけではないらしい。

こっそりと周囲を伺えば、浅水が今日の奉納舞を舞うことに難色を示していたほとんどの者が、魅入られているのがわかった。
そして、浅水の稽古を見ていたはずのヒノエですら、彼女から視線を逸らすことが出来ないでいる。

この場に色濃く漂う神気は恐らく熊野権現そのものなのだろう。
その神気にすら物怖じしない。
何も感じることの出来ない娘ならわかるが、浅水はそうではない。
恐らく、この神気も感じているのだろう。
それでいながら、この堂々とした舞。


(さすが熊野の神子姫であり、舞姫、ってところか)


飲み込んだ言葉は近い将来にそうなる少女が、目の前で舞を舞っている少女と同一であると知られないため。
まあ、知られたところで今自分が養っている少女と、この浅水が同じであると誰が信じるのだろうか。
そんなことを思っていれば、不意に自分の着物を掴まれる感触に気が付いた。


「?」


目だけを動かせば、いつの間にかヒノエが自分の着物を掴んでいる。
先程までの輝いた表情が、どこか強ばっているのを感じ、湛快はあぁ、と小さく納得した。
ヒノエだって小さいとはいえ次期別当。
それに、神職にある別当家の血を引いているのだ。
熊野権現の神気を感じても当然。
恐らく、これまで感じたことのない強い神気に、少々緊張しているのだろう。
そんなヒノエの頭を小さく撫でてやれば、弾かれたように顔を上げる。
どこか不安を湛えた二つの紅玉。
安心させるように頷いてやれば、どこか強張ったままの表情で小さく頷いた。





長いようで短い奉納舞。
楽が止み、浅水の舞が終わっても、しばらくの間誰も声を発することが出来なかった。
それほどまでに圧倒されたということ。
浅水自身も、かなり納得いく舞だったと思っている。
ここまで集中して舞を舞ったのは久し振りだった。


「湛快さん」


本殿の中央から湛快の側まで戻れば、薄く笑みを浮かべていた湛快がそれを深くしたのがわかった。
そのことに浅水も思わず笑みを作る。


「ありがとうな、最高の舞だった」

「そう言ってもらえると嬉しいな」


手放しに与えられる賞賛に、思わず恥じらいを覚える。
だが、湛快の隣にいるヒノエが何も言わないことに、浅水は少々気になった。
いつもなら直ぐさま言葉をくれるのに、今日はそれがない。
そのことに首を傾げながら、今日の舞は気に入らなかったのだろうか、という思いが胸を過ぎる。


「こいつなんか、舞に見とれて言葉も出ねぇみたいだぜ。なぁ、ヒノエ」


浅水の思いを感じ取ってか、湛快がヒノエの頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。
すると、ようやく我に返ったヒノエが小さく抗議の声を上げた。


「ちょっ、何すんだよっ!」

「奉納舞はとっくに終わってるぜ。いつまで呆けてんだ」

「べ、別に呆けてなんかいねぇよっ!」


慌てて湛快に言い返す様は、今の自分と同じ時間を過ごすヒノエからは考えも寄らぬ姿。
こんなところで見れる年相応なヒノエに、浅水は小さく笑んだ。


今とはすっかり違う、けれどどこか見知ったヒノエ。


もう一度この時間を過ごして、違った視線から熊野を見ることが出来た。
未だ元の時間に戻る方法がわからないが、そのことに少しだけ感謝する。
それにしても、と考える。
奉納舞が終わったら消えるかと思っていた熊野権現の神気。
それは奉納舞が終わった今でも強く感じることが出来た。





否。





終わってから、より強くなったように感じられる。
今までこんなことはなかったはずだ。
離れにいたときでさえ、舞が終われば神気は消えた。
だからこそ、今の状況は不自然ともいえる。

何故。

考えてみるが、答えは出てこない。
ならば考えるだけ無駄か。
そう思ったときだった。


「あれ?何だコレ」


ふと上がったヒノエの声に、思わずヒノエを見る。
すると、どこからともなく光の粒子が本殿内に降り注いでいるのが見て取れた。
ここは室内だ。

何かが降ってくると言うのは、まず有り得ない。

その異変に、本殿内にいる人たちの誰もが気付いたようで、至る所から驚愕の声が上がっている。
キラキラと輝く粒子は、触れるとどこか温かい。
そして、それと同じ温かさを浅水は知っている。


「熊野権現……?」


口にすれば、更に輝きが増したようにも思えた。
だが、一体どうしてわざわざこんなことをするのだろうか。
この場に熊野権現が現れているのは既に感じていたというのに。


「浅水……浅水の身体、光ってる」

「え?」


どこか呆然としたその口調に、浅水は思わず自分の身体を見下ろした。
すると、どうしたことだろうか。
降り注ぐ粒子が浅水の身体に触れる度、そこから身体が光っていくではないか。
慌ててヒノエを見てみるが、彼の身体に変化はない。
粒子が触れる度に身体が光るのは、どうやら浅水一人だけらしい。
そんな怪現象、今まで見たことも聞いたこともない。
見聞きしたことがないと言うことは、つまり対処法もないということ。
奇異の目で見られるのはこの際仕方がないとして、ずっと身体が光ったままというのは多少、というかかなり問題がある。


「どうしろっていうのよ、これ……」


思わず痛くなってきた頭に、浅水はその場にしゃがみ込みたくなった。
そんな時のこと。


── 浅水。


直接頭の中に響くような声。
この声は聞いたことがないが、他の声ならば聞いたことがある。
けれど、この場でその声を聞けるとは思っていない。
だとしたら、この声はこの場にいる彼の神の物。


── あなたを元の時空へ戻すときが来ました。


頭の中に響く声に、思わずハッと顔を上げる。
自分がこの時空にやってきたのは、白龍の逆鱗を使ってだ。
気付いたときにはその逆鱗すら手元になかったが。
だが、今の言葉に偽りがないのなら、熊野権現が自分を元いた時空に戻してくれるという。
有り難い申し出だが、今までに熊野権現にそんなことが出来るという話を聞いたことはない。


「……出来るの?」

「浅水?」


宙に向かって声を発した浅水に、思わず湛快とヒノエの視線が向けられる。
どうやら、神気は感じ取れたとしても、その声までは聞こえないらしい。
それとも声まで聞こえる自分が異端なのか。
だが、今はそんなことに構っている余裕はない。
せっかく元の時空へ戻してくれるというのだ。
これを逃したら、後はいつ戻れるのかわかった物じゃない。


── 今ならば。


やはり、今を逃したら次はいつになるかわかりそうもない。
別れは突然、というけれど、まさかこんなにも急だとは思っても見なかった。


「そう」


小さく返事を返すと、浅水は湛快の方へと顔を向けた。
浅水の表情を見て湛快は何か感じ取ったのか、表情を引き締めた。


「湛快さん、突然で悪いんですけど、私帰ります」

「本当に突然だな。そいつは、熊野権現の力かい?」


溜息一つ吐きながら、驚いた様子の見られない湛快に感心する。
浅水の身体は、今も光を放っている。


「みたいです。今なら帰れるみたいだから」

「そうかい、そいつぁ残念だな。戻っても元気で、っていうのもおかしいが、元気でな」

「はい」

「おら、テメェも何か言いやがれっ」


ぼうっと浅水の姿を見つめているヒノエの頭を、湛快が軽く小突く。
すると、ヒノエはぱくぱくと口を開いたり閉じたりする。
あまりにも突然のことで、何を言っていいかわからないようだった。
そんなヒノエと視線を合わせるように、浅水は膝を折った。


「この耳飾り、返さないとね」


ヒノエから借りた耳飾りを外して、彼の手のひらの上に乗せる。
そうすれば、耳飾りを握りしめてそのまま浅水へと手を差し出した。


「やるよ、耳飾り。浅水に、似合ってるから……」


まさかそういう態度に出てくるとは思わずに、思わず面食らう。
けれど、折角贈ってくれるというのに、無下に断るのもどこか申し訳ない。
ここは素直に受け取っておくべきだろう。
そう思い、手にした耳飾りを再び自分の耳に付ける。


「ありがとう、ヒノエ」


礼を言えば、ブンブンと勢いよく首を横に振る。
それがヒノエの照れ隠しなのだと、今ならわかる。


── 浅水、時間です。

「わかった」


自分を急かす声に、小さく頷く。
それから今一度、姿勢を正して湛快とヒノエに向き直った。


「短い間だったけど、お世話になりました」

「気をつけてな」

「ヒノエ、またね」


さよなら、は言うつもりがなかった。
この時間に生きるヒノエが、自分の知るヒノエと同じ道を辿るかはわからない。
けれど、もし同じ道を辿るならば、いつかきっと、今の自分と再開できる日が来るだろうから。
いくら待っても、ヒノエから言葉が返ってくることはなかった。
時間もそうあるわけではない。
ヒノエの言葉は諦めて、ぺこり、と頭を下げる。
再び頭を上げれば、未だに降り注いでいる粒子の輝きが、更に増したように思えた。
浅水の身体を取り巻くように、全身に光が満ちていく。
だが、不思議と恐怖は覚えなかった。
どちらかといえば、温かいぬくもりに包まれるような、そんな感覚。


「浅水!オレ、オレさ……っ」


浅水が完全に光に包まれる直前、ヒノエが何かを言ったような気がした。
けれど、その言葉が最後まで耳に届く直前、浅水の姿は本宮から消えた。
始めから、そこには何もなかったかのように。















望美たちは初詣へと出掛けて行き、浅水の姿がなくなってから、時間はまだ五分と経っていない。
浅水のベッドに身を投げ出したまま、ヒノエは何もせずにただ天井を見つめていた。

するとキラリ、と部屋の中で何かが光った。
それにヒノエが気付けば、光はどんどん集まって、やがて一つの形を作り始める。
その光には、どこか見覚えがあった。
横になっていた身体を起こし、ベッドに腰掛ける。
その間も、光は何かを形作っていた。
やがて、目も開けていられないほどの光量にヒノエが手を翳す。

目が眩むほどの光が収まって、翳していた手を外せば、そこにあったのは一人の人影。
つい先程、自分が見た姿とは変わっているが、自分が間違えようもない人物。
そして、その姿は過去に一度だけ見た姿。


「お帰り、オレの姫君」

「ヒノエ……?」


ベッドに腰掛けたまま声を掛ければ、どこか緩慢な仕草で首を傾げる浅水。
そんな仕草が愛おしいと思ってしまうのは、普段とは違う彼女の一面を自分だけが知っているせいか。
どこか定まらない視点が次第にしっかりとしてくる。
パチパチと何回か瞬きして、自分の今いる場所を確認するかのように、ぐるりと部屋を見回す。


「私、帰って……来たの」

「あぁ、やっぱりその耳飾りは浅水に似合うね」


ベッドから立ち上がり、浅水の側へ行って耳で揺れる耳飾りに触れる。
過去の自分の目は間違っていなかった、と思いながら、確認するように浅水に触れる。


「お帰り、浅水」

「ん……ただいま、ヒノエ」


お互いを確認するように強く抱き合う。
触れる肌から伝わる、確かなぬくもり。
自分の知っているそれに、ここが自分の居場所だと安堵する。



暫く抱擁を交わした後、浅水は着替えのためにヒノエを部屋から追い出した。

戻る直前、奉納舞を舞ったのだから、来ている衣がそのままなのは仕方がない。
さすがに望美たちが帰ってきたときに、この衣を纏っていては質問攻めに遭うことは目に見えている。
それでなくとも、一緒に行く約束だった初詣に行っていないのだ。
その説明だけでも骨が折れるのに、まさか過去に行ってきました、などとは口が裂けても言えそうになかった。


「ヒノエはあの時の私が私だって、いつ気付いたの?」

「ん?今朝、お前の着ていた晴れ着を見てね。それで思い出したのさ」

「じゃあ、あの晴れ着ってまだ熊野にあるの?」

「当然。ちゃんと保管してあるよ」


あのとき浅水が着ていた晴れ着は、湛快の命で今でもきちんと保管してある。
ちゃんと虫干しもしているはずだから、保存状態はいいはずだ。
それに、ヒノエ自身も湛快が浅水の晴れ着を保管することに文句は言わなかった。

現れたときと同じように、突然消えてしまった姫君。

残された物は晴れ着だけ。
それすらもなかったなら、始めから存在していなかったと言っても納得してしまうだろう。
けれど、自分の耳で揺れていた耳飾りもそこにはない。
それは浅水が確かに存在していたという証にもなる。


「ね、浅水。面白い話をしようか」

「面白い話?」

「そう、オレにとっては過去だけど、浅水にとってはついさっきのこと」


首を傾げる浅水に、少しだけ悪戯心が働き出す。
自分の初恋が誰かを知ったら、目の前の彼女はどういう反応を返してくれるだろうか。
望美たちは出掛けたばかり。
帰ってくるまではまだ時間がある。










遠いようで近い、昔話をしよう。










さようなら、そして、ただいま 
2008.8.17


 あとがき
 
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