福寿草 〜こころつむぎ〜 | ナノ
 




那由多とヒノエに留守を任せ、弁慶が診療のための小屋へ辿り着けば、そこにはすでに数人の姿があった。
大概は自分よりも年かさのある人物ばかり。
朝一番で弁慶から薬をもらい、そのまま働く人もいるのだろう。
多少治安がよくなってきたとはいえ、荒廃したこの土地はまだまだ厳しい。
日々の生活に困る人だっているのだ。


薬を買う金がない者は、病や怪我で簡単に命を落とす。


弁慶が彼らを無償で診ているのは、かつて自らが犯した罪滅ぼしに近いのかもしれない。
彼らは何も知らない。
京の荒廃の原因が、自分だということを。
それを語って謝罪したところで、現状が変わるわけでもないのだ。
ならば、自分に出来ることをするしかない。
それが薬師として、五条の人を診ることだった。










時間がたつにつれ、弁慶の元へとやってくる患者が次第に増えてくる。
いつもなら那由多と二人で捌いているが、生憎今日は弁慶一人。

なるべく多くの人を診るためには、作業を効率よく進めなければならない。
だが、そう思えば思うほど中々作業が進まないものである。


「おや、今日は弁慶先生一人ですか」
「そうなんです」



これほどまでに患者が増えてきているのに、小屋の中に那由多の姿がない。
それに気付いて声を上げる女性に、作業の手を止めることなく弁慶が応える。


弁慶一人で診察、というのも決して珍しいことじゃない。


市が立った日などは、細々とした物を補充するため、那由多が買い出しに出ることもある。
始めは重い荷物もあるから、と弁慶が出ようとしたのだが、患者を診るのは自分よりも弁慶の方が適任だと那由多に言われたのだ。
それに弁慶が不承不承ながら頷いてしまったため、市へは那由多が足を運んでいる。


だが、たまには息抜きも必要だろう、とそれを甘受しているのは、紛れもなく弁慶自身。


薬師として、那由多は普段あまり装飾品の類などを付けたりはしない。
だが、全く興味がないわけでもないのは、一緒に市を見に行ったときに気付いていた。
那由多の口からは何も語られなかったが、羨ましげにそれを眺めていたことに気付いていた。

曲がりなりにも別当家の姫だったのだ。
それなりに目利きは出来て当然。

欲しい物があれば購入してもいいと告げている。
けれど、彼女が自分の物を買ってくるということは、これまで一度も見たことがない。
遠慮などしなくてもいいのに、と弁慶は思うが、自分とよく似た性格の那由多である。
こちらが何か言っても、返ってくる答えはすぐに予想できてしまう。
こうなってしまっては、密かに購入して彼女に贈ることでしか受け取ってはもらえないだろう。
だが、贈り物一つするにも理由を考えてしまう自分がいる。



これが源平合戦の頃だったら。



あの頃ならばきっと、自分はどんな手を回してでも為し得ただろう。
戦が終わり、軍師という職から退いたせいで気が抜けてしまったのだろうか。


(僕もまだまだですね……)


内心そんなことを思いながら、目の前の患者に必要な薬を用意する。





「これはついにですか。おめでとうございます」





だが、すぐ側から聞こえてきた言葉に、一体何のことかと思わず首を傾げた。
この中の誰かに、祝い事でもあったのだろうか。
ならば自分からも祝辞を述べておきたい。
誰だろうと小屋を見回してみるが、喜びの表情を浮かべている物はいない。
否。
ざっと見た感じでは、小屋の中の誰もが喜んでいるようにも思えた。

喜びは分かち合う物だと言うけれど。

これでは誰が一番喜ばしいのか分からない。
こうなれば目の前にいる女性に聞くしかない。
そう思い口を開こうとすれば、それよりも先に女性の口から言葉が紡がれる。


「弁慶先生も、今から楽しみでしょうなぁ」


弁慶先生も、と言っただろうか。
だとしたら自分に関わりのあることなのだろう。
だが、今から楽しみというのは何を指しているのか。
今から弁慶が楽しみにしているようなことは、何一つ無いはずだ。
むしろ、楽しいということからは程遠い。


「ちょっと待って下さい。一体何の話ですか?」


これはちゃんと話を聞いた方がいいだろう。
そう思い、動かしていた手を止めてしっかりと聞きの体勢に入る。
まだ小屋にいる人数は多いが、これははっきりさせなければならないと頭の中で警鐘が聞こえる。
これを有耶無耶にしてしまうと、後に困るのは自分自身だと。


弁慶が尋ねれば、その場にいた全員は逆にきょとんと目をしばたかせた。


何やら、お互いの情報が行き違っているらしい。
そう感じた瞬間である。


「何って……ついにややが出来たんじゃないんですか?」
「俺たちてっきりそうだとばっかり……」
「いつもなら、理由を話してくれるのに今日は理由がないから……なぁ?」
「誰だ、ややが出来たって言ったのは」


大きな勘違い。
そう言ってもおかしくはないだろう。


いつもなら、那由多が顔を見せない時は理由を話すのに、今回はそれがなかった。


ただそれだけの理由で懐妊したと思われては堪った物じゃない。
思わず溜息が出そうになるのを堪え、やんわりと微笑を浮かべて否定の言葉を口に乗せる。
こういった勘違いは、話に尾鰭が付かないうちに訂正しておくべきだろう。
根も葉もない噂が立てられるだけでなく、九郎や景時の耳に入った場合を考えると、頭痛がしてきそうだ。


「今日は彼女の弟が熊野から来てましてね。その相手と、留守を頼んだんですよ」


決して懐妊したわけではない、とやんわりと訂正する。
そうすれば、何だそうだったのか、と幾分気落ちした声が方々から上がった。
だが、これで間違った情報が流れる心配もないだろう。
そのことにホッと安堵しながら、止めていた手を動かさねばと、薬箱に手を伸ばす。

診察を待っている患者はまだいるのに、思わぬところで時間を食った。
その分を取り戻すためにも、早く診察を再開しなければ。


「では、診察を始めましょうか」


それが開始の合い言葉。
この分ではいつもより時間が掛かるだろうか。
出来ることなら早く彼女の元へ帰りたい。

いくらヒノエだとしても──いや、ヒノエだからこそ、いつまでも那由多の隣にいて欲しくないのだ。


「……僕も、随分と矛盾してますね」


那由多には秘密裏に動いていることがある。
それを考えれば、ヒノエが彼女の隣にいるのは決して悪いことではない。
むしろ、喜ばしいことと言えよう。
だがそれを素直に喜べないのはきっと、那由多の弟というヒノエに嫉妬しているから。


「弁慶先生、どうかしやしたか?」


小さく呟いたきり、動く様子を診せない弁慶に、恐る恐る尋ねてみる。

もしかしたら、自分はそんなに重いのだろうか。
もしや、このまま死ぬなんてこともあり得るかもしれない。
家には嫁と、まだ幼い子供がいるのに。

そんなことを考えながら小さく震え出せば、弁慶は慌てたように何でもないと患者を安心させようとした。
考え事をしたせいで手が止まっていたのだと話せば、ホッとしたように破顔する相手に申し訳なさを感じた。


自分は薬師なのだ。
患者を不安にさせてはいけない。


そう、自分に言い聞かせてから、弁慶は残りの患者を診ていった。















全ての診察が終わる頃には、夕焼けが空一面に広がっていた。
今日は思わぬところで出た話題のせいで時間が掛かってしまった。
薬箱を片付けて小屋を後にすれば、夕闇が辺りを覆い始めていた。
二人の小さな邸に戻る頃には日が暮れているだろう。
その時間までヒノエがいるとは思えないが、出来ることならいないことを願いたい。


「やや、ですか……」


帰路につきながら、昼間出た話を口に乗せる。
表だって言うことはないが、那由多もきっとそれを望んでいるのだろう。
兄も、遠回しながらそれらしきことを告げていたような気がする。


「ヒノエは……彼女の子なら、と言うんでしょうね」


ならば自分はどうなのだろう。
恐怖がない、と言えば嘘になる。



那由多が子を成したとして、果たしてその子供の外見はどうなのだろうかと。



自分と同じような子が生まれたら、自分はその子にちゃんと接することが出来るのだろうか。
鬼の子として奇異の目で見られた自分。
出来ることなら、自分の子供にそんな思いはさせたくない。
那由多なら、どんな子でも喜んでくれるのだろう。
けれど──。





「僕は臆病なんですよ」





何に、とは言わないし、誰も聞いては来ない。
ただその一言に、どれほどの思いが込められていたのだろう。








本当は寂しいくせに 
望まなければ失望する事もない 





2009.8.18
弁慶のターン


  
 
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