泡沫の夢 | ナノ
 




「……暇」


ぼそりと呟くが、それに返事を返してくれる人物はこの場にいない。
再び同じ言葉を呟いてごろりと畳に横になる。
数日間世話になった旅籠屋の天井。
熊野の思い出は決していいことばかりではなかったが、避暑に来たと考えればそれなりだっただろう。
二人が本宮から戻ってくるのは夕方だろうか。
今日はもう一泊して明日出発するのなら、入り用な物を準備出来るのは今日しかない。
熱は下がったから外出くらいならしても平気だろう。
けれど市ではしゃいでしまえばまたぶり返しそうな気もする。
それでなくとも、残してきた人たちは自分たちの帰りを待っているのだ。
あまり待たせすぎるのもどうかと思う。


「おやおや、随分な格好ですね」
「はぇ?」


くすくすと笑みの零れる音を聞いて頭だけを動かせば、部屋の入口には何故か弁慶がいた。
しかもその後ろには望美と譲もいるらしく「時枝先輩……」と、頭を抱えている後輩の姿も見えた。


「えへへ、来ちゃった」


ぺろりと小さく舌を出してみせる望美は、こちらの返事を聞く前に室内に入ってくる。
緩慢とした動作で起き上がり、乱れてしまった髪を整えながら人数分の茶の用意をする。


「で?べんけーさんならともかく、望美とゆずるんまで何の用?」


弁慶なら病後の様子でも見に来たと言いそうだが、望美はともかく譲の理由が見い出せない。
この場に知盛がいなくて良かった、と思わずにはいられない。
弁慶と望美はまだしも、それなりに歴史を知る譲は知盛が何かを知ってしまう。
それでなくとも目の前にいる三人は源氏に身を置いているのだ。
ここで自分たちが平家だと知られるわけにはいかない。


「そりゃもちろん、悠のお見舞いだよ〜」
「先輩から風邪を引いたって聞いたから、これを作ってきたんです」


見舞いと言いながら、望美の視線がこの場にいない人物を捜しているのは気のせいだろうか。
だが、知盛と望美が一緒にいる姿を見ずに済んだのだ。
それだけは僥倖なのかもしれない。


「何それ?」
「蜂蜜プリンです。これなら食欲がなくても食べられるだろうから」
「ホントにっ?!ありがと〜」


譲に差し出された器を覗き込めば、そこにあるのは確かにプリン。
まさかこの時代にやってきてまで現代の物が食べられるとは思わなかった。


「それと、これを」


一人プリンに感動していれば、更に譲は大きな包みを取り出した。
一体何だろうと首を傾げていれば、眼鏡の位置を直しながら弁当だと教えてくれる。
どうやら将臣が譲に強請って作らせたらしい。
しかも指定は今日の夕方までだということから、熊野を出るのは今晩かと推測する。

始めから一言あれば、自分は大人しく来客を迎えていたというのに。


「風邪の方はよくなったようですね」
「あー……まあ、元気なのは取り柄なんで」


会話の様子を伺いながら、弁慶は悠の体調を見ていたらしい。
熱さえ下がってしまえば何のことはない。
これであの不味い薬を飲まなくて済むと喜んだ悠は、出来るだけ全快したという様子を見せようと決めた。






「そうですね、あれだけ熱で魘されていた人の言葉とは思えません」





けれど告げられた言葉に思わず肩を揺らす。
弁慶が言ったのは、今回の風邪についてではない。
もっと古い、自分がこの世界へやって来た時の話だ。
どうして今更そんな話を、と思ったが、弁慶の考えていることはわからない。


「おかげさまで」


当たり障りのない返事を返してやれば、にこにこと笑顔が返される。
だが悠の過去を知らない望美と譲は、弁慶の話を今回の風邪のことだと判断したらしい。
突然「安静にしてなきゃ」だの「寝てなくて大丈夫ですか?」と、かいがいしく世話を焼こうとしてくる。
譲に至っては、この場にいない将臣に対して愚痴を零す始末。
そんな二人にもう平気だと言って聞かせながら、弁慶に対しては鋭い視線を投げつける。
何の思惑があってかは知らないが、いらぬ火の粉を振りまかないで欲しい。


「……そういえば、先輩は本当に弓をやってないんですか?」


思い出したように尋ねてきたのは譲だった。
再会したときに、何年も弓を持っていないと言ったことを覚えていたらしい。
そのことにあっさりと頷けば、勿体ないと言う声が上がった。


「彼女の弓はそんなに凄いんですか?」
「俺よりも先輩の方が上手いんですよ!」


がっくりと肩を落とす譲に弁慶が聞き返せば、握り拳を作りながら熱弁する譲にそんなことないと口を挟んでしまう。
確かに人よりいくらかは長けていたかもしれないが、それだって努力のたまものだ。
それに、今では譲よりも劣る。
練習以前の問題のせいで。


「それは……惜しいことをしましたね」
「ええ、本当ですよ」


自分を見る弁慶の視線が痛い。
惜しいことをしたと言いながら、心の中では喜んでいるのではないだろうか。
少なくとも自分が弓を使えないおかげで、平家は兵士が一人少ないのだから。



ほとんど弁慶以外の三人で話を続け、日が傾いてきた頃になって三人は帰って行った。
すっかり一日が潰れてしまったが、久し振りに望美や譲と話が出来て楽しかったのも事実。
将臣と話しているときとは違う懐かしさを思い出した。
けれど、気に掛かるのはやはり望美のこと。

譲と弁慶の視線もあったからこそ話題には出さなかったが、きっと知盛について話したかったに違いない。

こちらとしても、確認しておきたいことがあったので、それが出来なかったのは残念だった。


「ん〜……望美と話す機会はもうないかなぁ」


あるとすればきっと戦場だろう。

源氏の神子たる望美は、きっと前線でその腕を奮っているに違いない。
だが戦場でまみえたとして、まともに話が出来るかと言われれば否だ。

今回の熊野での再会だって、本当に偶々だったはず。
お互い再会しなければ、こんな感情を覚えることもなかったのに。



何も知らなければ、傷つくこともなかったのに──。



大きく溜息をつきながら、いつ二人が戻ってくるだろうかと外を見る。
熊野から平家のみんなの元へ帰れば、これまで通りの日常が戻ってくる。
戦をしてる限りは平穏とは言えないが、それでも今までと同じ様な生活が繰り返されるのだ。


知盛の、側で。


かたん、と言う物音を聞きながらも、視線は外へ向けたまま。
二人が戻ってきた訳じゃないのは知っている。
背後から聞こえる気配は、どう頑張っても二人の物とは違うから。


「それで?望美はわざわざ何を言いに戻ってきたの?」


言ってから振り返れば、そこには驚いた様子の彼女がいた。


「悠……どうして」
「ま、伊達に私もこの世界で生活してきた訳じゃないんでね」


平家に──知盛に拾われてからは何不自由ない生活を送ってきたが、それまでは地獄と言っても過言ではなかった。
生き延びるためにまず身につけたのは、人の気配に敏感であること。
知盛の側にいるようになってからは、それに益々磨きがついた。


「で、話したいことがあるんじゃないの?」
「うん。あのね──」


早く二人が帰ってくればいいのに、と思いながら、それがもう少し遅くあって欲しいと願うのはきっと目の前に望美がいるから。















結局、二人が帰ってきたのは望美が去って暫くしてからだった。
将臣自身はそのまま発ちたいようだったが、知盛が疲れたと言って横になってしまったためにもう一泊を余儀なくされた。
せっかく譲に弁当作ってもらったのに、と愚痴る将臣を何とか宥め、明日の朝早くに熊野を発つということで決定する。
それはある意味、悠にとっても有り難かった。


「何を、している……?」
「お月見」
「……月は、どこにもないが」


ぼんやりと空を眺めていれば、自分に掛けられる声。
それに答えれば悠の隣へと移動して同じように空を眺める。

月さえも隠す厚い雲は、今の自分の心境を現しているようだ。

チラリと視線を隣の人物へ移せば、端正な横顔が目の前にある。
この顔に何人の女性が犠牲になってきたかと思うと、自分も同じ穴のムジナだろうかと考える。


「ちもはさ、何してるときが楽しいの?」
「これはまた、突然だな」
「何となくね」


普段から現世に飽いた様子の彼は、一体何を楽しみに生きているのだろうか。


「源氏の神子は、知盛の眼鏡にかなったのかな?」
「……源氏の神子を……知っているのか」


驚いた様子もないのは、彼が源氏の神子について何度か悠に話しているせいか。





「ねぇ、知盛。源氏の神子の味は、どうだった?」





自分で尋ねておきながらこれ以上は聞きたくなくて。
知盛が何か言うより先に自分の口で口を塞いでしまう。

熊野に来てから、知盛が夜にどこかへ行ったということは──もしかしたらあったのかもしれないが、悠の知る限り──なかった。
けれど、戦になってしまえばわからない。
少なくとも知盛が望美のことを知ったのは熊野に来るよりも前の話だ。


「っん……ぅ……」


乱暴に唇を塞ぎながら、目的を持って動き出す手。
もちろん悠のその行動に知盛が気付かないはずがない。


「っ……あ」


後ろに髪の毛を掴まれは、さすがの悠でも離れざるを得ない。


「今日は随分と俺に激しくして欲しいと見える、な」


クツクツと喉を鳴らしながら、喉笛を喰い千切られるのではないかと思う程の痛みがやってくる。
けれど、痛みの跡に傷を舐められる感触に、思わず身体が反応してしまう。
舐めたところで傷が治るわけではないけれど、これでは獣と同じではないか。
だが、耳元で囁かれる甘い声の前に、理性などどこかへと吹き飛んでしまう。



「……して。何もかも、忘れるくらいに」



例え知盛が誰を選んだとしても、今彼の隣にいるのは自分だと言うことを証明して欲しい。

獣のようにお互いを貪り続け、その熱を与えて欲しい。


そんな悠の感情が伝わったのか、知盛の瞳が小さく光ったような気がした。


「……ぁああ……っ!」


いつも以上に性急に攻められれば、何も考えることが出来なくなってしまう。
それを望んだのは確かに自分のはずなのに、頭の中には望美の言葉が浮かんでしまう。


「ぁんっ……ちょっ、とももっ、り……」


痛いくらいの刺激はすぐに快感へと繋がる。
けれど普段の知盛からは考えられないほどに激しい。


「忘れさせて、欲しいんだろう?」
「そ、だけどっ……やっ、そこ駄目……っ」


確かにそう言ったが、ただ高みへと上らされるだけの行為は苦痛でしかない。
どうせ気持ちよくなるのなら、二人同時がいい。


「駄目……?何を今更」
「やぁっ……あっあぁ……」


繰り返される律動は、とある一箇所を集中的に攻め続ける。
溢れてくる涙は、果たして生理的な物なのか。



知盛の背中に爪を立てるように抱き付けば、目蓋の上を舐められた。



それが合図だったのか、更に激しくなる律動に、出てくるのは言葉にならない声。
自分を抱くこの腕の強さと、鼻に届く知盛の匂い。





それだけが現実。





声が嗄れるほど啼かされて、ようやく解放されたと思えば既に空は白み始めていた。
夏の朝は早い。
いくら望んだとはいえ、出立する前に身体を酷使されてしまっては堪った物じゃない。


「やっと落ちた、か」


意識を失うように眠りについた悠を眺めながら、知盛は小さく鼻を鳴らした。










「私、知盛のことが好きなの」










最後に聞いた望美の声が、いつまでも悠の耳から離れなかった。










忘れたい忘れられない 

一瞬でも忘れる術があるのなら。


2009.5.4


  

 
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