泡沫の夢 | ナノ
 




季節は夏。


エアコンがないこの時代、夏は暑いだけの物だというのに。
どうしてだろうか。
室内の気温が、軽く二、三度は下がったような気がする。


もちろん、その原因を作ったのは自分だと重々理解しているけれど。


この感覚は、きっと肝試しなんかと同じ。
ああ、肝試しという言葉自体が懐かしい。
この世界と言ったら、怨霊と呼ばれる物が闊歩しているから、肝試しの有り難みすら感じられない。


そんなどうでもいいことを考えながら、悠は弁慶の言葉をじっと待っていた。
すっかり無表情でコチラを見ている弁家の頭の中は、今頃きっともの凄いスピードで動いているのだろう。


「……さぁ、僕たちも怪異のせいで本宮へはまだたどり着けていませんから」


熊野がついてくれるかはわからない、と続ける弁慶に悠は舌で唇を舐めた。
弁慶が源氏方についているとはいえ、元は熊野出身だ。
今の熊野別当が誰かくらい知っているだろう。
だからこそ、今の返事が返ってきたのか。
けれど、そのわりにはお粗末だ。


「否定するなら、間を空けちゃいけないよねぇ?」


にやり、と口端を歪めてみせれば、弁慶が肩を落とすのを見た。


「全く、君は本当に病人なんですか」
「熱は出てても、口がきけないわけじゃありませーん」


心底困ったように告げる弁慶に、へらりと笑ってみせる。
事実、熱はあっても喉を痛めているわけではないので、充分声は出る。
ただ、惜しむらくはまともに思考が働かないというところか。
変なことを口走らないようにするだけで精一杯だ。


「何て言ったっけ?あの紅髪の少年……」


外見が強すぎて、その名前を思い出せない。
小さく唸っていれば、弁慶がそっと教えてくれる。


「ヒノエですか?」
「そうそう、ヒノエ少年!」


ぽん、と手を叩いて、ようやく思い出した名前に「そうだそうだ」としきりに頷く。










「ヒノエ少年が源氏と行動を共にしてるって事は、そういういことじゃないの?」










またしても爆弾投下してやれば、今度こそ弁慶は黙りこくった。
額に手を当てて、何かを考えている様子を見れば、やはり自分の考えていたとおりなのだと理解する。

もし本当に、ヒノエが源氏についているのだとしたら、自分たちは早々に平家のみんな元へ帰るべきなのだろう。
自分たちの目的は、最低でも熊野が中立を貫くこと、だ。
平家にもつかず、中立にもならないというのなら、わざわざ熊野まで来た意味がない。


「本当に、君という人は……」
「ご託はいらないわ。で、どっち?」


きっと弁慶から情報を聞き出せるのは、将臣と知盛のいないこの時間だけだ。
出来ることなら、一つでも多くの情報をこの手にしておきたい。


「熊野は、まだどちらにもついていませんよ。彼がいるのは、望美さんがいるからです」
「あぁ、例の八葉ってやつ?」


尋ねれば、そうです、と返される。
どうやらそれは事実らしい。
けれど、望美が源氏にいるから一緒にいるとなると、熊野が源氏につくのも時間の問題では無かろうか。


「熊野は、勝てない戦はしない主義ですからね」
「あらやだ。何でわかったの?」


思わず言葉にしていただろうかと尋ねれば、何を考えているかは想像がつくと返された。
ということは、きっと顔に出してしまったのだろう。
軍師は表情から言葉を読み取るのが上手らしい。


「これだから軍師って人は……」
「僕から言わせてもらえば、君の方がどこの軍師よりも軍師らしいですよ」


ブツブツと呟けばそんな言葉をよこされる。
嫌味以外の何物でもない。


「平家は、この先も引くつもりはないんでしょう?」
「源氏が引いてくれるっていうなら、考えなくも無いけど?」


今更何を言うのか。
どちらもお互いに引くつもりがないから、無駄に戦は繰り返されるのだ。
それは弁慶だってよく知っているだろうに。
だからこそ、史実を知っている自分や将臣が、結末を変えるために動いているのだ。

まあ、怨霊などという存在のおかげで、どちらに有利なのかは微妙なところだが。


「それは……無理な相談ですね」
「でしょう?ならこんな話、堂々巡りでしかないって」


これでお終い、と言わんばかりに肩を竦めて見せれば、ようやく弁慶の顔に笑顔が戻る。
その途端、どっと疲れが押し寄せてきた感じがする。
会話だけで疲れるなんて、それほど身体が参っているのか。
それとも、思っていた以上に緊張していたのか。
きっと後者だろうと予想を付ける。


「では、僕はそろそろお暇しますね」
「わざわざありがと」
「いえ、とても有意義な時間でしたよ」


その言葉に、思わず顔が引きつった。
どうせここで話したことは、お互いの胸の内に潜められることだ。
それを思えば、この言葉は嫌味でしかないのだろうけれど。
少し苛めすぎただろうか。


「薬を置いていきますから、食後に飲んでくださいね」
「はいはい」
「あぁ、見送りは結構ですよ。それでは、ゆっくり休んでくださいね」


誰のせいで休めなかったと思ってるんだ。
内心で悪態をつきながら、そのままの体勢で弁慶を見送る。
襖が完全に閉まってから、悠は寝具の上に倒れ込んだ。


「つっかれた〜」


さすが、軍師というだけはある。
時折発せられる気配は、病人の悠には少し厳しい物があった。
けれど、思わぬ情報が手に入ったことも確かだ。


「……とりあえず、寝よ」


外を見れば、まだ日は高い。
きっと二人が帰ってくるのはもう少ししてからだろうと、悠はもう一度寝直すことにした。















鼻に届くいい匂いで意識が覚醒していく。
それから耳に届く音。
それは声であったり、何かがぶつかる音だったり。
二人が帰ってきたのかな、と思ったところで悠は目を開けた。


「お、目が醒めたのか。飯だけど、起きれるか?」
「気分は……どうだ?」


身体を起こせば、ぽとりと上から何か落ちる。
それが濡れた手拭いだと知ったのは、触った時に水気を感じたから。
確か、自分が寝たときにはこんな物無かったような。
ぼんやりとそんなことを思っていれば、視界に知盛の顔を捕らえることが出来た。
それが次第に近くなり、距離が無くなったと思う頃には、自分と知盛の額が触れていた。


「熱は……下がったようだな」
「そっか、ならよかった。飯はどうする?」
「食べる」


普通にお腹が減っている。
幾分、身体の怠さは抜けていないが、しばらくすれば元に戻るだろう。


「粥と普通の飯と、どっちがいい?」


わざわざ自分のために、粥を用意してもらったのだろうか。
そう思うと、折角作ってもらったのに食べなければ申し訳ない、と思ってしまう。


「じゃあ、お粥にする」
「おし、俺の特製だからな。よく味わって食えよ」
「へ?これ、将臣が作ったの?」


自分の前に用意された粥と将臣を交互に見比べながら、思わず聞き返してしまう。
そこにあるのは、粥は粥でも白粥ではない。


「玉子粥?」
「おう。女将に言って、わざわざ玉子を分けてもらったんだぜ」


小さな土鍋の蓋を開ければ、ほこほこと湯気が上がる。
将臣の言ったように、確かに玉子が入っている。
まさか将臣が作るとは思わなかっただけに、驚きは倍増だ。


「ちゃんと食べられるんだよね?」
「おま、そう言うこと言うヤツには食わせねぇぞ」


恐る恐る尋ねれば、途端に自分の目の前から土鍋が消える。


「ちょっと!誰も食べないなんて言ってないじゃない!」
「お前が食わんのなら……俺が食おう」
「知盛っ!てめぇのはちゃんと膳が用意されてるだろ!」


途端に始まるやり取りは、たとえこちらが病人であろうがお構いなしだ。
大げさにされるよりは、確かにこの方が安心できる。
結局のところ、何だかんだと言っても些細なところまで見てくれているのだ。

現に、悠が起き上がった後は知盛が羽織を掛けてくれたし、将臣だって食べやすいように膳を悠の目の前まで移動してくれた。

きっと悠が熱を出したと知ったとき、望美経由で弁慶に頼んだのも将臣だろう。


「あ、そういや熊野川が渡れるようになったぜ」
「へ?ほうはほ?」
「……口の中が、無くなってから話せ……」


三人でご飯を食べていれば、将臣からの報告に思わず口の中に物が入ったまま話す。
知盛が目を細めながら注意するが、いつも寝ながら朝ご飯を食べるような人には言われたくない。
口の中の物がなくなってから、悠はもう一度聞き直した。


「でも、昨日までは確かに増水してたんだよね?」
「正確には……今日の昼まで、だな……」


手酌で酒をつぎ足しながら知盛が告げる。
増水が収まって道が開けたのは嬉しいが、あまりにも突然すぎる。
突然収まる物なのだろうか?


「どうやら怨霊の仕業だったらしい。望美と一緒に出かけてたら、その怨霊と出くわしてさ」
「んで、ついでに退治してきたって事?」
「まあな」


怨霊退治、と悠は言ったが怨霊という物は再び蘇る。
いくら今は増水が収まったとしても、いずれはまた増水するのでは無かろうか。


「んじゃ、明日にも本宮に向けて出発?」


怨霊が蘇って増水がまた起きるとしても、自分たちがいなくなれば関係ないか、と無責任なことを思う。
熊野にいる人には悪いが、自分の中の優先順位は熊野よりも平家の方が上だ。
だったら今日は早く寝て明日に備えなければ、と悠が内心で握り拳を作ったときである。


「……お前は、留守番だ」


今、嫌な言葉を聞いたような気がする。
その出所の方を向けば、素知らぬ顔で酒を飲み続ける知盛の姿が目に入る。


「そうだなぁ、お前は留守番の方がいいかもな」
「将臣までっ?!何でっ」


将臣ならば、きっと連れて行ってくれると思っていたのに。
この二人に言われたなら、自分は言うとおりにしなければならなくなる。


「さすがに病み上がりを連れて行くわけにもいかねぇだろ。帰りの道程もあるしな」
「何、どうせ直ぐに話も終わるさ……」


いくら直ぐに話が終わるとわかっていても、せめて一緒に連れて行ってもいいじゃないか。
そう思った悠は、はた、とあることに気がついた。


どうして知盛が直ぐに話が終わると知っているのか。


それではまるで、熊野が平家につかないことを知っているようではないか。
じっと知盛を見つめていても、その答えが出てくるはずもなく。


「そんなに熱く見られては……病み上がりの身体でも、手加減をしないが……」
「っ……病み上がりの人間に、そんなことしようと思うなー!」


クッ、と喉を鳴らしながら笑う知盛に、咄嗟に掴んだ物を投げる。
ひょいと難なく避けられて、余計に怒りが込み上げてくるが、今の自分はどうあってもこの二人に敵わないらしい。



結局。
二人が勝浦の宿を出て本宮へ向かうのを、悠は一人見送った。










疲れるやり取り 

全てにおいて気に入らない。


2009.4.4


  

 
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