泡沫の夢 | ナノ
 




何とか日暮れ前に宿に戻ってきた二人は、留守番を頼んでいた知盛の姿を確認して、思わず脱力した。



いや、確かに大人しく寝ていろとは言った。
言ったけれど、本当にそれを実行しているなどと、誰が想像しただろうか。


宿が近付くにつれ、二人の頭の片隅には未だに寝ている知盛の姿が浮かんでいた。
けれど、自分たちが部屋に入るときにはせめて起きていて欲しい、と。
そう思っていても罰は当たらないはずだ。


「……本気でまだ寝てやがる……」


くしゃり、と前髪を掴みながら半ば呆れたように将臣が呟いた。
そんな将臣の隣をすり抜けて、悠はぺしぺしと知盛の頬を叩く。


「ちーもー。ちもってば〜」


一向に目を覚ます気配のない知盛に、こちらも負けじとばかりに頬を叩き続ける。
どれだけその行為を続けたときだろうか。
少々機嫌の悪そうな表情で、ゆっくりとその目蓋を持ち上げた。


「あ、起きた。おそよう、ちも」
「ったく、いつまで寝てるつもりだ?」
「…………?」


けれど、目は覚めた物の思考回路はまだ働いていないらしい。
どこか焦点の定まらない瞳で悠と将臣をぼんやりと眺めている。
これは本当に熟睡していたのだ、と二人が理解するまでに要した時間はほんの数秒。
思わず溜息が口からついて出た。


「ちもってば、こんなに寝てよく目が溶けないね」
「それ以前に、こんな暑い中よく寝てられたよな」


相手が寝ぼけているのをいいことに、好き勝手言い始める。
寝ぼけていようといまいと、何を言ったところで知盛は気にも留めないだろう。
それがわかっているからこその言葉。
そもそも、知盛の意識がちゃんと覚醒したところで、まともな会話というのは滅多に望めないのだ。


「ほら、ちも起きてってば。もうすぐ夕餉の時間だよ」


知盛の上半身を起こして、そのままゆさゆさと身体を揺さぶる。
頭が有り得ないほどにガクガクと前後に揺れているが、それくらいで怯んでいては彼を起こすことなど到底出来ない。
そんな二人の様子を視界に入れながら、将臣は汗を流してくると告げて、部屋から出て行った。
そうなると、部屋に残されるのは必然的に知盛と悠の二人きりである。


「ち〜も〜……っん!」


もう何度目かもわからない呼びかけ。
けれど、不意に伸ばされた手が悠の後頭部をしっかりと捉えると、そのまま塞がれる唇。
褥の上に倒れ込むように重なったまま、交わすそれは深く、甘い。
ましてや、懐かしい顔ぶれと再会した後に、悠が誰よりも会いたいと思った人物だ。
たがが外れてしまっても仕方のないことだろう。


「……ふ、ぁ……っ……」


酸素を求めて離れた唇は、紅を差したように紅く色付いて。
潤んだ瞳と赤くなった目元は扇情的。


「どうした……?今日は随分と、大人しいな」


普段の反応を思い出してみても、真っ先にあるはずの抵抗が今日はない。
そのことに疑問を抱いたのか、けれどどこか楽しそうに問うてくる。
くたり、と知盛にしなだれれば、鼻腔を掠める彼の匂いに安心する自分がいた。


「敦盛と会ったからかな」
「ほう……」
「元気そうだったよ」
「そう、か」


望美の話題を出さないのはせめてもの抵抗。
どうせ彼女がこの宿に来るとすれば、嫌でも会うことになるのだ。
できることなら、それまでは。
自分から餌を振りまくような真似をしたくはない。


「…………ん?」


そんな中、悠は何か違和感を感じた。
知盛の表情は未だ楽しそうで。
その理由を確かめようとした悠は、直ぐさまそれに思い至った。


「ちょ、ちもっ!何して……っぁ……」
「何……とはナニだが?」
「バッ、そろそろ夕餉だって……んぅっ……」


意思を持って動く手は悠の弱いところを熟知している。
抵抗するだけ無駄なのは知っているが、ここは平家の邸ではない。
いつ将臣や宿の人間が部屋にやってくるか、わかった物じゃないのに


「夕餉よりも……お前がいい、な」


耳元で囁かれる声に、思わず背筋に電流が流れる。
熱を帯びた、それでいて低く甘い声。
自分はこの声に、知盛に弱いのだ。
耳に届いた濡れた音。
なけなしの理性が完全に崩れるまで、あと少し。


「悠ー、知盛のヤツ起きたかー?」
「っ!」


そんなとき廊下から聞こえてきた将臣の声で、悠はハッと我に返った。
勢いよく知盛から離れて、少しだけ乱れた着物を直す。
そうこうしている間にも、将臣は勢いよく襖を開けて室内へと入ってくる。


「何だ、起きたんなら返事くらいしろって」
「あはは、ごめんねー」
「んじゃ、知盛も起きたことだし夕餉でも持ってきてもらうか」
「そうだね。ほら、ちも起きて」
「面倒、だな……」
「面倒言わない!」


将臣が再び部屋から出て行くのを見ながら、今度こそ知盛を寝床から引きずり出す。
食事時にあっては邪魔な褥を部屋の隅へと押しやる。
そうこうしているうちに、将臣と宿の人が夕餉を運んできた。
三人でこうして食事をするのは珍しくもない。
けれど、それが平家の邸以外となると別だ。


滅多に外出を許されない悠は、どこか他の場所で食事をしたことがなかったから。


けれど、最近は源氏との戦もあるから、そうも言っていられない。
史実の通りであれば、平家の運命は既に決まっているのだから。


夕餉が終わると、それぞれの時間となる。
とは言っても、やることなどそうあるわけでもない。
将臣は寝るか月見酒をするかだし、夕方までしっかりと寝ていた知盛はこれからが活動時間だ。
ごく稀に、そのまま朝まで寝ることもあるが。
女ということで一人別室の悠も、夜になれば特にすることもなくなる。
隣の部屋へ行って、将臣と知盛と一緒に雑談をするか、それとも一人で時間を弄ぶか。
けれど、今日は将臣と話したいという気分でもなかった。





将臣よりも半年早くこの世界にやってきた自分は、彼に隠していることがある。
もちろん、将臣が何も聞いてこないから話さないだけ、と言ってしまえばそれまでのこと。
だが、勘のいい将臣のことだ。
知っていて、聞いてこない可能性も捨てきれない。


現に、久し振りに再会した譲が聞いてきたのだ。

同じ場所で過ごしてきた将臣が疑問に思わないはずがない。


小さく溜息をついて、側に会った羽織を手に取る。
少し散歩でもしてこよう、と思ったのは外の空気を吸いたかったせい。
悠はコッソリと部屋から抜け出した。





昼間は暑くとも、朝晩は冷える。
それはどこの世界も変わらないらしい。
持ってきた羽織に袖を通しながら、外へ出る。
現代とは違う、作られた光のない世界。
月の光によって世界が映し出されるこの時間。
空に輝く小さな光では、足下を照らすことすらままならない。


「見上げれば満天の星なのにな」


鼻につく潮の香りに、そういえば海が近くにあったんだと思い至る。
そう思うと、無性に夜の海が見たくなった。



海岸まで足を伸ばせば、更に強い潮の香りを感じ取れた。
海なのだからそれは当然のことだが、海に来ること自体が久し振りの悠にはそれが新鮮だった。
履いている草履を手に持って、波打ち際まで歩いていく。
ひんやりとした海水が足に触れる感触。
これが昼間だったら、迷わず走り出していたかもしれない。


「源氏、戦神子、望美、武器」


つらつらと、浮かんできた言葉を口にする。
誰かが聞いていたら、という思いは頭からすっぽりと抜け落ちていた。


「弁慶、熊野……知盛」


ぽつり、と口から零れた名前に思わず口を閉じる。
知盛と望美を会わせてはいけないと、どこかで警鐘が鳴っている。
だが、もし望美が自分たちの元へ来るのなら、否が応でも知盛と顔を合わせるだろう。
自分の気にしすぎだというならまだしも、そうでなければどうなるかわからない。


あの様子だと、知盛は随分と源氏の戦神子に興味を覚えているようだ。


杞憂ならそれで構わない。
けれど、もし現実だったら──。


「惹かれないはずはない、か」


言いながら、自分の右手をそっと見る。
暗がりの中では確認することは出来ないが、自分の手のひらにある刀傷。
それは日常生活に支障はないが、二度と弓を持つことが出来ない。


「……使えない手。この手が使えたら、少しはちもの役にたてかもしれないのにね?」


言いながら、笑みを浮かべて振り返れば、そこにいたのは確かに知盛だった。
月の光に照らされた銀髪が、酷く幻想的。
まるで、この世の物ではないような気がする。


「フン……俺の獲物は、俺だけの物だ」
「誰もちもの獲物を取ろうと思わないって」


そんなことをしては、逆に自分の命が危険になる。
それを知っているからこそ、誰も戦場で知盛を止めようとはしないのだが。


「それで、ちもはこんな夜更けに一体何の用かな?」
「クッ……それは俺の台詞だと思うが」


言いながら距離を詰めてくるのは勘違いではないだろう。
現に、暗がりでよく見えなかった知盛の顔が、今はハッキリと見て取れる。


「一度ついた火は、中々消えてはくれないから……な」
「っ!」


頬に掛かる髪の毛を耳に掛けながら、夕餉前と同じように熱のこもった吐息を吐かれれば、忘れていたはずの熱が一気に身体中を駆けめぐる。
知盛が触れた場所から、身体中に余すところなく熱が伝わる。


「お前も……だろう?」


細められた瞳と、斜めに引き上げられた唇が酷く蠱惑的だった。
それに合わせて月光で光る銀髪。
狙ったかのような組み合わせに、悠は二の句を告げられない。


「……否定は、しないけどね。でも、さすがにここはちょっと……」


ようやく出てきた言葉は、肯定の言葉。
けれど、大人しくこのまま抱かれるつもりもなくて。
知盛に連れて行かれた場所は、人のやってこないような奥まった場所。
ちょっとした洞窟、と言ってもいいその場所からは海を眺めることが出来た。










「……手加減は、しないぜ?」










中途半端に放置された熱は、知盛も同じだったようで。
瞳に宿る炎と、多少荒っぽい手の動きがそれを伝えてくる。
だが、それは悠も同じこと。


「んっ……ともも、りっ……」


珍しく性急な知盛に、一体何があったのかと訊ねずにはいられない。
けれど、訊ねようと口を開けば、それを塞がれ翻弄される。


「ちょっ、まっ……ぁあっ……!」


抵抗を試みれば、それすらも封じられる。
良いところを知り尽くしている知盛は、高みへ登り詰めさせようと更に弱いところばかりを刺激してくる。


「今は……俺に、溺れておけ」
「な、に……っんん……」


ひんやりと冷えた空気と、比例するかのように熱い知盛の手。





寄せては返す波の様に、知盛によってわき起こる快楽の波。





それまで考えていたことも、自分を抱く知盛の体温に溶けてしまう。
洞窟のような造りのせいか、反響する自分の声が酷く嫌らしい。





まるで、自分以外の誰かがここで同じように抱かれているような、そんな錯覚。





耳を塞ぎたくても塞げない。
下手に理性があるから恥ずかしいのだ、と知盛に諭されてしまえば、その先は暗黙の了解。










お互いしか見えなくなるまで、僅かな時間。










揺れる気持ち 

アンタの嫉妬は分かり難いから困るんだけど。


2009.1.4


  

 
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