泡沫の夢 | ナノ
 




ただいま夏真っ盛り。
日の出の頃ならばまだしも、すっかりと日が昇ってしまえば、じりじりと照りつける太陽が気温を上げていくばかり。


「将臣」
「あ?何だよ」


悠に呼ばれ、窓際で空を仰いでいた将臣はその顔を室内の悠へと向けた。
そこにいるのは、褥に横になっている彼女の姿。


「暑い」
「そりゃ、夏だからな」


至極当然のことを告げれば、それきり会話が途切れる。
蝉の声が耳にうるさい。
そう思いながら、自分の手で自分を扇ぎ始める。
生憎、うちわなどはこの場になかった。


「将臣ー」
「何だぁ?」
「暑苦しい」


再び名を呼ばれ、やる気のない返事を返せば、先程とは微妙に違った答えが返ってくる。
それにどう答えてやろうかと、将臣は未だ横になり、寝具と一体化している悠を見た。
その姿を見る限り、女としての色気は露程も感じられないのは何故だろう。


「……知盛がひっついてりゃ、誰だって暑苦しいだろうな」


半眼になりながら、目の前の状況を素直に述べる。
そう、現在の悠は知盛の抱き枕と化しているのだ。
そのせいで、思うように身動きも取れず、ただでさえ暑いというのに、知盛とくっついている場所からは彼の体温まで感じているのだ。


「将臣ぃ〜!」


恨めしそうな声を上げ、自分の名を呼ぶ悠が求めるのは、一つの許可。


「…………宿だけは壊すなよ」


仕方ない、と小さく溜息をつきながら許可する変わりに一つの注意。



それが戦闘の合図。



将臣から許可をもらった悠は、どこにそんな力があるのかと思うほど勢いよく、知盛の身体を引きはがした。





「ち〜もぉ〜っ、この暑苦しいときに人を抱き枕にして寝るなぁ〜っ!」





その場に悠が立ち上がれば、引きはがされた知盛の身体がころりと転がる。
けれど、一向に起きる気配はない。
それどころか、再び規則正しい寝息が耳に届いてくる始末。


「あんたっ、この熊野に何しに来てんの〜っ!」


そう、悠たちは現在、熊野へ来ていた。















平家の人たちが無事に南へ逃げるためには、熊野に中立を保っていてほしい。
そう考えた将臣が、熊野へ話を付けに行くと言ったのは、三草山での戦が終わった後だった。


「将臣が熊野に行くなら、私も行くからね」
「悠。お前、何でそれを……」


屋島で知盛の姿を探していた将臣は、背後から掛けられた声に思わず身体を硬くした。
熊野に行くということは経正にしか話していない。
一人では危険だ、という経正にそれなら知盛を連れて行くと言ったのは、紛れもない自分自身。
けれど、それは二人だけの会話であって、悠の与り知らぬことのはず。


「何でって言われても、考えればすぐにわかるよ。私だって、伊達に歴史は授業でやってないっての」


平家の滅亡。


それは、自分たちが知る歴史。
けれど、似て異なるこの世界では、自分たちの歴史とは同じように進まない。

否、進ませない。

未来を知るということは、回避する術を見いだせるということ。
史実では、熊野は源氏側についた。
けれど、ここで熊野に中立を貫いてもらえれば、平家が助かる道も生まれてくる。
将臣が一人で全てを背負うつもりでいるのは、悠も薄々気付いていた。


「けど、遊びじゃねぇんだ。連れて行くことはできねぇ」
「そんなの知ってるわよ。でも、私を連れて行って、損はないと思うけど?」
「……何か、策でもあるのか?」


連れては行けないという将臣に対して、随分と強気な発言。
そこまではっきりと言いきれるということは、何かしらの思惑が合ってのこと。


「策、ねぇ。ま、そういうことにしとこうか」
「何だよそれ」
「熊野っていったら避暑にもってこいなんだよね〜」


こちらの話も半分に、すでに熊野行きに同行するつもりの悠に、将臣は溜息をついた。
これで知盛も連れて行くとなると、普段と全く変わらない。


「それにさ」


痛む頭を押さえていた将臣は、自分を覗き込むように見ている悠に眉を顰めた。


「私がいれば、少なくとも将臣は無茶しないじゃない?」


ぺろりと小さく舌を出しながら言えば、今度こそ将臣は降参と言わんばかりに天を仰いだ。
それからふと、悠の言葉に引っかかりを感じた。
自分のことは言う割に、知盛の名前すら出ないのはどういうことか。


「なぁ、少なくとも俺はってどういう意味だよ。あいつはどうなんだ?」
「ちもは本能のままに生きてるから無理〜」


名前を出さずに訊ねたのに、しっかりと誰のことかわかっているのは、つまりそういうことなのだろう。
これ以上何か言われる前にと、悠は知盛を呼んでくることを理由にその場から離れていった。

三人が熊野へ向けて立ったのはその翌日のこと。















「起きろーっ!」
「叫んだ分だけ無駄な体力使うぞ。いい加減諦めろって」


熊野滞在中に選んだ宿の一室で、知盛は寝続けていた。
本人曰く、暑くて怠いとのことだが、それは邸にいたときも変わらない。
暑い夏は、涼しくなってくる夕方が知盛の活動範囲だ。


「むぅ」
「さて、と。このままここにいても仕方ねぇし、ちょっと出掛けてくるか」


よっ、と掛け声を掛けながら立ち上がる将臣に、悠の視線は揺れ動く。
熊野など、滅多に来ることが出来ない地だ。
どうせならいろいろと見て回りたい。
けれど、知盛一人を宿に残していくのも心許ないのだ。


「知盛だってガキじゃねぇんだ。留守番くらいできるだろ」
「それはわかってるんだけど……」


ぶつぶつと口の中で何事か呟いてから、後ろ髪引かれる思いでもう一度知盛を見る。
けれど、そんな悠の思いなど気付かずに知盛は寝続けている。


「将臣、行こう!今すぐ行こう、さぁ行こうっ!」
「おいおい、そんなに腕引っ張るなっての」


将臣の片腕をしっかりと掴み、そのまま部屋を出て行こうとする。
部屋を出る直前、ピタリと足を止め、最後に再び知盛を見た。
悠が止まれば、その腕を掴まれている将臣の足も、自然と止まる。


「ちも、行ってくるね」
「大人しく寝てろよ」
「……ぐー……」


二人の言葉にわざとらしい寝息で返事を返す。
その時点ですでに起きていると教えているような物だが、敢えて何も言わないでおく。
どうせ自分たちがいなくなったらまた寝るのだろう。
熊野で面倒事さえ起こさなければそれでいい。
そうでなくとも、源氏も熊野に来ているという噂があるのだ。


「おら、行くぞ」
「うん。いい?返ってくるまで大人しく寝ててよ!」
「…………ぐー……」


最後に一言言って部屋を出れば、すぐに将臣から「何時間寝せる気だよ」と苦笑ながらに返ってくる。
ずっと寝てていい、と言えば、知盛は際限なく寝ているだろう。


「さて、どこに行く?」


宿から外に出れば、強い日差しが目に痛い。
行き先を決めずに出てきたのだから、どこに行くと問われても困る。
少し考えてから、悠はそう言えばと、あることを思いだした。


「熊野って温泉があるらしいんだよね。そこに行ってみようよ!」
「温泉〜?」
「そっ。絶対に気持ちいいよ〜」


宿の人間に温泉のある場所を聞いてから出発する。
少し距離があるから、と馬を借りて二人で乗る。
将臣はこの世界に来てから、一人で馬に乗れるようになったが、生憎悠はそうではない。
始めは悠が馬に乗り、将臣が歩きで行く予定だったが、それよりも二人で乗った方が早いと悠が言ったためだ。
駆け足程度のスピードでも、人の足よりは馬の足の方が断然早い。
周囲の景色が変わるのを楽しみながら、二人は温泉を目指す。


「ねぇ、将臣。あの人混みなんだろ?」
「あ?そういや、人がいるな」


新熊野権現に近付くにつれ、人の数も増えている。
それに興味を示した悠が、無言で何かを訴えているのを感じて小さく息をつく。
ここで足を止めれば、温泉へ辿り着く時間が遅くなるということを、果たして彼女は気付いているのだろうか。
だが、結局のところ自分も悠に弱いのだ。
少し離れた場所。
人の目につかないような場所で馬を降りて、近くの木に繋いでおく。


「ほれ」


自分の目の前に出された手に、悠は思わず首を傾げる。
これは一体何だろう。


「はぐれると困るからな。手、繋いでやるよ」
「ちょっと、私は子供じゃないのよ〜?」


明らかに子供扱いされていることに気付いて頬を膨らませる。
そんな態度が子供扱いされる理由だと言うことに、悠自身が気付いているのかいないのか。
けれど、差し出された手を素直に握り返す当たり、目の前の人混みがどれほどの物か予想しているのだろう。


「おし、行くか」
「ゴーゴー!」


作った拳を上に向け、二人は人混みに紛れるように向かって行った。
それが思いもよらない再会に繋がることを、二人はまだ知らない。




人混みにもみくちゃにされながらも、手を繋いでいるおかげか将臣とはぐれることはない。
うっかり気を抜けば離れてしまいそうになる手を、しっかりと握りしめれば、そのたびに自分を振り返る気配を感じる。
だが、自分の前を行く将臣が突然止まったことにより、その背中に追突してしまう。


「ご、ごめんなさいっ。急いでいたから」
「いいさ、俺は平気だから」


どうやら誰かとぶつかったらしい。
この人混みじゃ仕方ないか、とぶつかった人は無事だろうかと将臣の背後から顔を出したときである。


「え……」


さらりと揺れる紫苑の髪。
この世界の女性にしては珍しく、惜しげもなく足を外気に晒している。
上は着物に陣羽織だが、下は明らかに着物ではない。



そう、かつて自分も穿いていた白いスカート。



「の……ぞみ……」


自分の声に振り返った女性は、確かに自分の知っている人物。
自分の記憶にある姿のままの、クラスメイト。


「悠……っ?どうして……こんな運命、私は知らないのに」


小さく呟かれた言葉は悠の耳には届かなかった。
望美の近くには、色素の薄い髪の少年が笑顔で佇んでいる。
将臣と望美の話を聞く限り、どうやら夢で会ったことがあるらしい。
そもそも夢で会うことができるのか疑問だが、この世界なら何でもありかもしれない。


「に、兄さん……!?それに、時枝先輩も?」
「よ、譲。久し振り」
「はろ〜ん、ゆずるん。元気そうだねぇ」


望美より遅れて現れたのは、将臣とは似ても似つかない彼の弟。
こちらも、自分の記憶の彼と変わらない。
思いもかけない再会に、思わず懐かしさが込み上げてくる。

譲の後にも数名が望美を捜すようにして現れた。
将臣は望美と譲と話すのに夢中なようで、後から現れた人たちには気付いていない。
始めのうちは何と為しに眺めているだけだった悠だが、後から現れた一人に思わず絶句した。





「どうして……」





何とか言葉に出来たのはたった一言。
それ以上は、言葉に出来なかった。

悠の視線に気が付いたのか、その人物が顔を巡らせる。
あちらも悠の姿を見て少々驚いたようだったが、すぐさま綺麗な笑顔を浮かべた。








作られたような笑顔は、全てを見透かされているようで怖かった。








望まない再会 

何も知らないままだったら、これから先も悩まなくて済んだのに。


2008.10.15


  

 
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