泡沫の夢 | ナノ
 




悠たちを迎えてくれたのは重衡と経正の二人だった。

「お帰りなさい」と言われて、自然と「ただいま」が返せるほどに慣れてしまった人と、場所。

失いたくない「モノ」が確かにここにある。





清盛に報告してくると言う将臣たちと別れ、悠は一人で自室へと戻っていた。
身体を拭いて旅の埃を落とし、旅装束からいつもの着物へと戻ればようやく気が楽になった。
どこかへ行くのが久し振りだとはいえ、ここまで疲れるとは思えない。
むしろ、この疲れは緊張から来る物と似ているような気がする。
いや、きっとそうなのだろう。
源氏も熊野へやってくるだろうことは予想していた。
けれどいつだってイレギュラーという物は存在する物。
今回の場合、それが望美と弁慶だったというだけだ。



まさか知盛だけでなく、望美の方まで彼に気があるとは予想外だったが。



望美から宣戦布告を受けたあの時。
彼女の目は真剣だった。
本気で、知盛のことが好きなのだろう。
だが知盛の話を聞く限りでは、会ったのは一度きり。
例え戦場で顔を合わせていたとしても、それだけで好きになるのだろうか?
一目惚れということもあるだろうが、望美の様子を見た限り一目惚れは理由として弱い。
だとしたら、戦場以外で会ったのだろうか……?


「知盛がそれはないか」


戦以外にはとんと興味を持たない彼だ。
好き好んで自分から行動を起こすようには思えない。
自分とは違って望美はこの世界へやって来てから、それほど時間は経っていないのだろう。
それを思うと、二人の接点はどうしても見つからない。
それに、知盛のことを知っているのなら、きっと将臣のことも知っているのだろう。
だが将臣は望美と譲が源氏だということに気付いていない。
それを考えると頭が痛くなるばかりである。
今はまだ良くても、いずれは戦場で顔を合わせることになる。
いずれ知ることになるのなら、いっそのこと教えてしまおうか。
戦が始まるまではまだ時間がある。
今教えておけば、例えショックを受けたとしても戦までには平常心に戻るだろう。

史実の通りなら、次の戦は一ノ谷だ。
源氏が奇襲を掛けることは知っているから、こちらはそれに備えて兵を配置すればいい。
だが、将臣が平家にいることを知っている望美なら、一ノ谷からの奇襲をこちらが読んでいると分かるのではないだろうか。
裏をかこうとして、逆に裏をかかれては堪った物じゃない。


「あーもう、考えるのめんどくさいー」


吐き捨てて、ごろりと畳の上に横になる。
この際はしたないと言われようと気にする物か。
基本的に考えるのは自分の仕事ではない。
ましてやこの世界で恋愛のトラブルなど、起こるはずがないと思っていたのだから。

空気が通るように部屋の襖をすべて開け、できるだけ部屋の奥にいるが、夏なので暑い物は暑い。
じっとりと汗が滲んでくるのを感じながら、腕を目元に押しつける。


「何だ、お前でも悩むことあるんだな」
「……失礼な」


軽い口調で話しかけられればそれが誰かわかり、体勢を変えずに返事だけを返す。
清盛に報告に言ったはずの将臣がここにいるということは、報告は済んだのだろう。
ならば経正も自分の部屋へと戻っただろうか。

出迎えてくれた経正に、嬉しい土産があるから後で部屋に行くと告げていたのだ。
もちろん、嬉しい土産というのは敦盛の行方についてなのだが。
それとも既に将臣が報告する際に話しているだろうか。

悠の好きな唐菓子を用意して待っていると言ってくれたから、例え将臣が話していたとしても行かないわけにはいかないだろう。
そう思ってから、悠は違和感に気が付いた。
将臣が部屋に来たのは声で分かった。
けれど、そのまま去っていた様子はない。
むしろ自分の頭の側に座ってこちらの様子を見ているのが分かる。
何か用事でもあるのだろうか。
小さく息をついてから、のろのろと上半身を起こす。
少し乱れてしまった着物を直しながら、座り直して将臣の方を向いた。


「それで?将臣が聞きたいことは何?」


チラリと見た彼の顔が妙に神妙だったので、嫌な予感がひしひしとする。
できることなら今すぐにでも経正の部屋へ行きたいところだ。
鋭い視線をよこしてくる将臣を見ながら、知盛に少しでも将臣のようなところがあれば……と思うが、もしそうだとしたらそれは知盛とは別人になっているだろう。





「熊野で会った弁慶は、あの弁慶だと思うか?」





これまた不思議なことを言ってくる。
熊野での様子を思い出せば、将臣が彼らに会ったのはあのときが初めてではないはずだ。
それなのに弁慶については名前だけしか知らないのだろうか。
まあ、弁慶ならば自分の身分を明かさずに自己紹介をするなど、容易いことでしかだろう。


「私に分かるわけないでしょー。っていうか、あの弁慶なら何でこの時期に熊野にいるのよ」


仮に弁慶が源氏ならば、頼朝の側を離れて熊野にいるのはおかしい。
言葉にそう含みを持たせれば、将臣も納得したのか、それもそうだ、と返してきた。


「まあ、義経本人が熊野に来てたわけだから、弁慶もいて当然なんだけどね」


ぽろり、と零せば将臣が信じられないような物でも見たかのように、悠を凝視していた。
そんなに変なことを言っただろうかと思いながら、ひらひらと将臣の顔の前で手を振ってみる。
その手をいきなり捕まえられて、思わず顔を顰めてしまう。


「ちょっと、何よこの手」
「お前、それは本当の話か?」
「嘘ついても仕方ないでしょ。あの弁慶は間違いなく源氏の武蔵坊弁慶だよ」


手離して、と告げれば将臣は掴んでいる手を離した。
そのまま何かを考えるように腕を組んでしまう。
弁慶が源氏だと言ったから、望美と譲も源氏だということには気付いただろう。
だが、将臣が告げたのはそのことではなかった。


「何で弁慶が源氏だって分かるんだ?お前、熊野で初めて弁慶に会ったんだろう?」


将臣からの言葉に、聞いてくるのはそっちか、と思わず頭を押さえた。
別に話しても構わないが、そうなると自分の右手についてまで話さなければならない。
できることなら、それは話したくない過去だ。
譲のように将臣からも、もう弓はやらないのか?と聞かれたことがある。
そのときは譲に話したように、女だから武器を持たせてもらえない、と言って納得してもらったが望美と再会した今、その理由も厳しいだろう。
強い女が好きだと告げている知盛が側にいるのだ。
仮に将臣がそれを知盛に告げたところで、興味なさげに切り捨てられるのは目に見えているが。


「ま、あの人は薬師でもあるからね。平家に来る前にお世話になったわけ」
「でも、だったら何で弁慶はお前を覚えてなかったんだ?」
「バッカねー、少しだけ世話した人を覚えてるわけないでしょ」
「そんなもんかね」


嘘はついていない。
ただ、すべてが事実というわけでもない。
けれど将臣がそれを信じれば、それが事実となる。


「んじゃ、俺は戻るわ。長居して悪かったな、経正が部屋で待ってるぜ」


ひらり、と手を振って部屋から出て行く将臣の背中を見送る。
まさか帰ってきてまで疲れるとは思っていなかった。


「あっ!将臣に敦盛のこと話したのた聞くの忘れた」


思い出したときには将臣の姿はすでになくなっていた。
けれど、経正に言ったことは将臣も聞いているはずだから、もしかしたら言わずにいるかもしれない。
そもそも将臣のあの言い方では、本当の理由は経正が待っていることを告げに来たのではないだろうか。
だとしたらこれ以上経正を待たせるわけにはいかない。
悠はパタパタと渡殿を急いだ。















経正の部屋へ向かい遅くなったことに謝罪すれば、柔らかい笑顔が返ってきた。
いつだって柔らかく微笑む経正は、悠が知る限り一度も声を荒らげたことがない。


「そんなに急がなくても、私は逃げませんよ」
「私が早く経正さんに教えたかったんです」


出されたお茶を一口飲んで、ほぅ、と息をつく。
唐菓子もどうぞ、と差し出されて口元が緩んでしまうのは仕方がないことだと割り切ることにする。
けれど経正の部屋へやって来た理由を思い出すと、ここでのんびりとお茶を飲んでいるわけにもいかない。


「あのね、経正さん。敦盛は無事だよ」


ニッコリと満面の笑みを浮かべながら告げれば、驚いたように経正が瞠目する。
それもそうだろう。
戦場で行方知らず、ましてや本陣に戻らないとあれば、諦めるより他ないのだ。
更に敦盛は怨霊。
源氏の神子は怨霊を浄化するという話だったから、経正はすっかりと敦盛のことを諦めていた。


「悠殿、その話は本当ですか……?」
「熊野で会ったんだ。理由はあって平家に戻ってこれないんだけど、ちゃんと無事だから」


さすがに源氏にいる、とは告げられなかった。
敦盛の意思で源氏にいるとしても、それは平家一門を捨てたことに変わりはないだろう。
弟思いの経正だからこそ、尚更それを言うことが出来なかった。


「ありがとうございます、悠殿」
「ううん、私も会えて嬉しかった。元気そうだったよ」
「あの子がどんな様子だったか、教えてもらえますか?」
「もちろんっ」


元からそのつもりだったのだ。
悠は経正に請われるまま、熊野で見た敦盛の様子を話して聞かせた。
例えそれが僅かなことであっても、経正は随分と喜んでくれた。





経正の部屋を出て、悠はとある場所へと足を運んだ。
そこで目的の物を見付けてから自室へと戻る。
自室へ戻る悠の手には、一本の弓が握られていた。


「悠殿?それは……」
「あ、重衡さん」


後ろから声を掛けられ振り返れば、そこには重衡の姿があった。
その顔はどこか驚いているようにも見える。
それもそうかと思いながら、悠は持っていた弓を見る。


「それで何をなさるつもりですか?」
「何って、練習?」


訊ねられているにもかかわらず、思わず疑問系になってしまう。
遊ぶためにわざわざ弓を持ってきた訳じゃない。
かといって戦に出るには今の自分は足手まとい。
戦に出ないとしても、譲に会ったことで弓に触れたいと思っていた自分がいた。


例え以前のように弓を扱えなくても。


弓を持ったときに感じたのは懐かしさ。
懐かしいと思うくらいの月日、弓に触れていなかった自分に驚きつつも、悲しくなった。
仕方のないこと、と言ってしまえばそれまでだけれど。
いつだって弓はそこにあったのに、避けていたのは紛れもない自分自身。


「ですが悠殿、あなたの手は……」


重衡が表情を曇らせたのは、彼も悠の右手のことを知っているからか。
隠しているつもりはないが、知っている人は知っていることだ。


「うん、だから余計に練習したくなったの」


そう言って、弓を撫でる。
その後に戦には出るつもりはないと慌てて付け加えれば、分かっていますとやんわり微笑まれる。


「ただ、兄上にその姿を見せるのは感心しません」
「あ、それは私も思ってた」


知盛のことだ。
例え使えないと分かっていても、楽しそうに見学に来るに決まっている。
そうさせないためには、知盛が寝ている午前中に練習するに限る。

例え知盛を起こしたとしても、夏に入った今は朝餉の後に長い二度寝に入るのだ。
チャンスは知盛が寝ている間。


「とりあえず、明日から私も一緒に鍛錬について行っていいかな?」
「駄目です、とおっしゃってもついてくるつもりなのでしょう?」


行動を見透かされていたことに、小さく舌を出す。
だが、そのおかげで重衡と一緒に行く約束を取り付けることが出来た。





そんな二人を見ていた影があったことを、悠は知らない。










思考一時中断 

ぐだぐだ悩むのは性に合わない


2009.6.4


  

 
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