回り巡る時 | ナノ
 




冬の寒さもすっかり和らぎ、外にはすでに春の訪れを告げる植物や動物たちが顔を出し始めていた。
あれほど布団から抜けるのが大変だった朝も、今はそれほど苦痛じゃない。
日が昇り、鳥たちが朝のさえずりを始める頃に、悠は布団から抜け出した。


「さーて、今日も行きますかっ」


夜着から着替え、身形を整えると、悠は小さく気合いを入れて部屋を後にした。










向かうのは、年中冬眠中の平知盛、その人の部屋。










回り巡る時 3 











毎朝、悠が知盛の部屋へ行くまでの道程で考えることはただ一つ。
いかにして自分に被害が来ないように知盛を起こすか。
何だかんだで彼を起こしに行くたびに、そのまま情事になだれこむ事の方が少なくないのだ。
嫌だとは思わないが、さすがに連日それでは自分も疲れる。
何より、その日一日を過ごすことが大変なのだ。


「できるだけ、ちもに近付かないように起こす方法……」


腕を組み、考え事をしながら歩く悠は、目の前に突然現れた壁にぶつかった。


「おっと」

「ぶっ……!」


鼻の頭をぶつけ、思わず鼻を押さえる。
何でこんなところに壁があるんだ!と思わず叫ぼうとして顔を上げれば、目の前に見えた人物に思わず開いた口がふさがらなかった。



どうして。

知盛が自分が起こしに行くよりも早く起き、しかもしっかりと着替えている。

これは、天変地異の前触れだろうか。



「大丈夫ですか?悠殿」


その人物から出された声に、悠は自分の目の錯覚だったことに気付かされた。
そうだ、あれが自力で起きるはずがないのだ。
それに、知盛はこんなに丁寧な口調なんかじゃない。
第一、自分に「殿」という敬称を付けたことなど、後にも先にも清盛と面会した一度だけだ。
そうなると、単純に考えても目の前にいる彼は。


「すいません、ちょっと考え事してて……重衡さんこそ、大丈夫ですか?」

「はい、私は大丈夫です」


知盛とうり二つな、彼の弟。


平重衡。


多分、二人で同じ格好をして、遠目から比べればどちらがどちらかわからないだろう。
けれど、間近で二人を見比べれば、その違いは明らかだ。
重衡は知盛と正反対と言ってもいいだろう。
人当たりから、雰囲気やら、寝起きの良さまで。
知盛はどうしてこの人の半分も、寝起きの良さをもって生まれなかったのだろうか。
それとも、知盛の寝起きが悪すぎるのは、重衡が寝起きの良さを全て奪ったせいか。


「ところで、悠殿はこれから兄上のところですか?」


少しだけ重衡に頭を立てていれば、やはり人当たりの良さそうな笑顔で尋ねられた。
もし現代に重衡のような男性がいれば、彼を中心に瞬く間に女性が集まってくるだろう。


「はい。今日はどうやって彼に近付かないで起こそうか、考えてたんです」

「兄上に、近付かずに?」


ことり、と重衡が小首を傾げた。
普通、人を起こすのであればその人を揺するなりなんなり、衝撃を与えた方が起こしやすい。
けれど、目の前にいる少女は逆に、近付かずに起こしたいのだという。
これは一体どういう事だろうか?


「いや、あの、さすがに毎朝起こしにいってアレだと……その……」


ごにょごにょと言葉を濁しながら説明する悠の頬が、見る間に朱に染まっていく。
顔を逸らしているのは、恥ずかしいからなのだろうか。
そんな少女の態度に、重衡は思わず目を細めた。


「……悠殿は、いつまでたっても初心な方ですね」


そっと囁くその言葉には、どこか愛おしげ。
知盛が、悠を許嫁だと公言してからすでに二年。
何度も契りを結んでいるというのに、夫婦だと言わないのは彼も何か思うところがあるのか。
何も考えていないように見えて、実は誰よりも深く考えている。
そんな知盛だからこそ、重衡は彼を尊敬するところもある。


「え?何か言いました?」


けれど、当の本人はいかにして知盛を起こすかに必死で、重衡の言葉など耳に届いていなかった。


「ええ、言いましたよ。よろしければ、今日は私も兄上を起こすのを手伝いましょうか?と」


とっさに口から出た出任せ。
けれど、彼女と過ごす時間はかなり貴重だ。
なぜなら、悠が起きて身支度を調えれば、朝餉の前から知盛を起こしに彼の部屋へ行く。
何事もなければ、そのまま将臣を交えて朝餉を取り、二人と共に過ごすか、邸の中をパタパタと動き回る。
もし何事かあった場合は、早くて昼過ぎに、ともすれば夕刻まで知盛の部屋から出てこないのだ。


「わっ、いいんですかっ?」


パッと明るくなるその表情は、まるで太陽のよう。
重衡は眩しそうに悠を見つめた。


「はい。ですが、少しだけお願いしてもよろしいですか?」

「お願い、ですか……?」


悠はどうするべきかとしばし逡巡したが、貴重な助っ人と天秤にかけた結果、重衡のお願いを聞いてみることにした。
彼のお願いは二つ。


一つは、知盛の部屋へ行っても重衡に話しかけないこと。

もう一つは、失礼を働いても許してくれ、とのことだった。


二つめのお願いの意味はよくわからなかったが、背に腹は代えられない。
自分の身に被害が起きない手があれば、何だってする!
そう思っての結論だったが、それを悠が後悔するのは後の話。










すぱーん!と勢いよく障子を開ければ、部屋の中央にこんもりと丸くなっている物体が一つ。
言わずもがな、知盛である。


「ちもーっ!いい加減、起きろーっ!!」


ずかずかと部屋へ入りながら、毎朝お決まりの言葉で怒鳴りつけるが、今ではそれすら効果がない。
今日などは、悠が声を上げた瞬間に寝返りを打ち、背を見せる始末だ。
わなわなと、拳が震えるのを感じる。


「こっの……!」


腕を振り上げながら、一歩を踏み出そうとすれば、その手と腰を掴まれ身動きができない。



なぜ?



自分の背後にいるのは重衡だ。
だから、自分を押さえているのは必然的に彼となる。
だが、これが知盛を起こす手伝いなのだろうか?


「……悠、殿」

「……っ」


耳元で囁かれる声に、背筋に電流が走ったような感じがした。
この感覚は、嫌というほど覚えがある。


「っ!」


首筋に、ピリッと走った小さい衝撃。
それと同時に視界の隅に入った銀糸の髪に、やられた、と内心小さくごちた。
多分、そこには彼の印が残されているのだろう。


「いやっ……あっ……し、げひら殿っ……!」


身体を撫でる手に、思わず身を捩る。
姿形は知盛とそっくりでも、自分に触れる手の感触は全く別物で。
頭の中では、どうして?と疑問符ばかりが飛び交っている。


「んんっ……」


布の上から感じる手のひらの熱が、熱い。
彼の腕から逃れようとすればするほど、強く身体を掻き抱かれる。
これ以上は駄目だ。


そう思ったときだった。


ヒュン、と小さく音がしたと思えば、鋭利に輝く銀色が目に入った。
それは悠の顔の横で止められている。
パチパチと目をしばたかせれば、目の間にはもの凄い形相をした知盛の姿。
この顔は怒ってる。
悠は汗が一筋流れるのを感じた。


「おはようございます、兄上」


刀を向けられても、重衡は動じるどころか、笑顔を見せている。


「どういう、つもりだ……?」

「いつまでも悠殿の手を煩わせる兄上が悪いんです。それに、恋敵がいるということを、兄上にも少し知っていただこうかと」


重衡の言葉に、知盛の顔がしかめられた。
そんな彼の顔を見て、重衡は満足そうに満面の笑みを浮かべて見せた。


「悠殿、手荒な真似をして申し訳ありませんでした」

「え、あ……はぁ」

「それでは兄上、失礼します」


ようやく重衡から解放された悠は、彼がいなくなるのを見ると、その場にペタリと座り込んだ。
恐る恐る、ゆっくりと知盛を振り返れば、案の定、怒りを含んでいる彼の顔。
どうするべきかと悩んでいれば、知盛の方から悠の側までやって来た。


「っ……」


近付いてきた顔は、悠の首筋に埋められる。
再び感じた小さな衝撃。










「消毒が必要、だろう……?」










いつもより危険な色を宿す瞳に、悠は二度と重衡の協力は仰がない事に決めたのだった。














弥生 
そろそろ冬眠も終わる季節だよ 

2007/11/21 




 
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