回り巡る時 | ナノ
夏も終わり、残暑が厳しいと思っていたのに、いつの間にか朝晩の空気はすっかり夏のそれではなくなっていて。
これからやってくる秋が身近に感じられた。
「おっつきみ、月見ーっと」
昼間のうちに作っていた月見団子。
それをしっかりと自分の腕に持ち、悠はパタパタと廊下を渡り歩く。
手には灯りを持っていなかったが、これだけの月明かりがあれば周囲もよく見える。
雲一つ無い見事な満月。
観月の宴を開くには、もってこいの月夜。
回り巡る時 9
今日もいつものように知盛を起こして、将臣を交えた三人で朝餉を取っていれば、そういえば、と思い出す。
現代であったお月見は、この時代でも健在なのだろうか。
「ねえ、ちも。お月見ってしないの?」
朝餉を食べながら、しかも箸を口に入れながらという、何とも行儀の悪い態度で問いかける。
「……いきなり何だ」
こちらも行儀悪く、膳に置かれたままの小鉢を箸で自分の方へ引き寄せていた知盛が、そのままの体勢で止まる。
何だかんだ言って、似たもの同士じゃないか、と思わずにはいられない将臣である。
将臣の方は、譲という食卓の一切の権限を持つ弟がいたせいか、最低限の食事のマナーはなっている。
茶碗を手に持ち、ご飯を食べながら二人の様子を傍観しているだけである。
「そろそろ中秋の名月かなーって。最近夜でも明るいし」
「ならば、観月の宴でも開くか……?」
「かんげつ……?えっと……将臣ー、通訳してー」
さも面倒だと言わんばかりにぼりぼりと髪の毛を掻きながら、箸は次にどの小鉢を取ろうかと宙をさまよっている。
迷い箸、と思わず言いかけた将臣だったが、悠の言葉に少しだけ自分の記憶を働かせる。
「観月っつーと、月見とあんあまりかわらねぇな」
「よしっ、やろう!今日やろう、今晩やろう、絶対やろうっ!」
ぐ、と拳を作り一人燃え上がる悠の姿に、唖然としてしまうのは仕方のないこと。
そもそも、どうして月見なのだろうか。
確かに秋といったらそれくらいしか思い出せる行事はないが。
「なぁ、何で月見なんだ?」
「ん?月が綺麗だからだよ。それと、最近涼しくなってきたからちょうど良いかなーって」
夜遅くまで起きてたら、次の日はチモ起こさなくていーしっ。
小さく口の中で呟いた悠の言葉は、しっかりと将臣の耳にまで届いた。
それに失笑を隠し得ないが、毎朝のように寝起きが悪い知盛を起こすのに、少々疲れが見えてきたというところか。
「それにこの間、ススキ見つけたんだよね〜。ススキっていったらお月見でしょ?」
にこにこと笑顔で言う彼女は、まるで幼子のようで、とうてい自分と同じ歳だとは思えない。
けれど確かに現代ではクラスメートだったし、自分より半年早くこの地に辿り着いた悠は、同い年だと言える。
「とりあえず、他に呼べそうな人……重衡さんに惟盛さん、経正さん」
指折り数えている悠の姿に、知盛の表情が翳った。
「そんなに呼ぶのか……?」
「何よー、ちもは嫌なの?」
たった三人。
それだけの名前を挙げただけで「そんなに」ということは、どれだけ他の人と一緒にいるのが嫌なのか。
けれど、知盛が嫌だというのなら、仕方がないが諦めるしかない。
下手に彼の機嫌を損ねて、せっかくの宴に参加してもらえないのは、それこそ意味がない。
知盛が一緒にいるから宴だって楽しめる。
それを言えば、二人だけでやればいい、と将臣なら言うだろう。
でも、二人で見るよりは、沢山の人と一緒に見たいという気持ちだってある。
「仕方ないなー、じゃあ重衡さんだけならいいでしょ?」
これ以上の文句は聞かない、と言い添えれば、更に知盛の眉間に皺が寄る。
そんな知盛の心情を知ってか知らずか、悠は楽しそうにこれからのことを考えているようだ。
「知盛、墓穴を掘ったな」
「……フン」
知盛が重衡に苦手意識を持っているというのは、端から見てもわかりやすい。
第一の理由に、何だかんだと理由をつけては自分と悠の間に割って入るからだろう。
重衡自身に、悠に恋心を抱いているわけではないようだが、それを理解していても知盛にとっては気に入らないのだろう。
嫉妬という物は、いつだって人の目を狂わせる。
「じゃぁ、夜に将臣の部屋の前でねっ!」
そこからが月が一番よく見える。
将臣と話し合った結果、月見の場所は将臣の部屋の前ということになった。
「ちも、ちゃんと参加してよね?わかった?」
「仕方ない、な……」
渋々ながらも頷いた知盛に、少しだけ悠の機嫌が上がる。
それから約束の刻限まで、悠はせわしなく動き回った。
約束の刻限まであと少し。
手に持つ団子を落とさないように注意しながら、目的の場所へと急ぐ。
月夜に照らされた廊下はほどよく悠の行く先まで続いている。
暫くすれば、廊下に見えた三つの人影。
すでに始まっているらしい宴会は、耳に届く笑い声でわかった。
「遅くなってごめーんっ!」
「……全くだな」
「知盛だって今来たとこだろ。気にすんな、夜はこれからだって」
「今宵は私まで誘ってくださって有難う御座います。とりあえず、一杯どうぞ。急いできて喉が渇いていませんか?」
持ってきた団子を差し出せば、逆にどうぞと差し出された杯。
急いできて喉がか乾いているのも事実なので、悠は何の疑いもなくそれに口をつけた。
「おい、それ……」
中身に気がついた将臣が慌てて悠を止めようとするが、時既に遅し。
悠は喉を鳴らしながら一気にそれを嚥下した。
最後の一滴まで飲み干すと、その場にペタリと座り込む。
「あ、あれぇ?」
なぜだろうか。
目の前が回る。
まるで地震でも起きているかのように。
「あーあ、俺は知らねぇぞ……」
そんな悠の様子を見て、将臣は頭を抱え込んだ。
一方、何のことかわからない銀髪兄弟は、悠と将臣を見比べてしきりに首を傾げるばかり。
重衡が悠に渡した杯の中に入っていたのはただの酒だ。
自分たちが普通に飲むものだから、おかしい物など入っていない。
「将臣殿、どういうことですか?」
「悠って下戸ってわけじゃねぇけど、酒癖が滅茶苦茶悪いんだよ。だから飲まないようにきつく言ってたんだけど……さすがに今回はなー」
まいった、と頭を抱える将臣だが、それについてどうこうしようというわけではないらしい。
動かないのなら、それほど悪くもないんじゃないかと思ってしまう。
「まっ、こうなった責任はお前らにあるからな。悠ー、その二人なら構わないぜ」
「うんー」
将臣が告げた名前に二人は思わず悠を見た。
構わない、というのはどういう意味か。
将臣に説明を求めようとしても、彼は杯を仰ぎながら月を眺めているばかり。
満面の笑みを浮かべている悠は、普段よりも少し幼く見えるが、それ以外は別段変わったところは見られない。
「しっげひっらさんっ」
「はい、何でしょうか?」
四つん這いになりながらも重衡を呼ぶ声は楽しげで。
それにつられるかのように、重衡も普段と変わらない甘い顔と声で返事を返す。
「ちゅーしましょっ」
「……はい?」
「悠のヤツ、飲むとキス魔なんだよなー」
けれど、その後に続いた悠の言葉には、さすがに凍り付いた。
どこか明後日の方を見ている将臣の言葉すら、重衡の耳には届かない。
否、届いているのかもしれないが、果たしてその意味が通じているかどうか。
まぁ、彼女の態度を見ていれば一目瞭然だろうが。
ぴしり、とその場に固まったままの重衡の様子などお構いなしに、悠は彼の膝の上に両手を置く。
「だからー、ちゅー、しましょっ」
再び同じ言葉を繰り返し「ちゅー」と言いながらその顔を近づけてくる。
お互いの唇が重なるまで、後僅かといったところで、悠の身体が重衡の前から消えた。
「ちょっ、なーにーっ!」
突然後ろに引きずり倒されて、悠自身も驚いたらしい。
ジタバタと手を動かして、少しでも逃げようともがいているらしい。
「接吻を、ご希望なのだろう……?」
「んっ……んーーーーーーーーーーっ!!」
顎をしっかりと捉えられ、逃げられないように身体を押さえられれば、知盛の唇で唇を塞がれる。
顔を横に振っても、手足を動かしてみても効果はない。
「んっ……ぁ……」
しばらくすると、暴れていたはずの悠の動きがパタリと止んだ。
悠が大人しくなったのを確認してから離れれば、二人の間に出来る銀糸。
そのまま悠を抱きかかえると、知盛はすっくとその場に立ち上がった。
「……悪いが、中座する」
ボソリと一言。
その後は返事を聞かずに去っていく。
そんな二人の姿を見送りながら、将臣は手酌で杯の中を酒で満たした。
「何となくそんな気はしてたけどな……つーか、始まってもいねぇだろうが」
「……少しだけ、惜しかったような気もしますね。あそこで兄上さえ邪魔しなければ」
「まっ、俺らは俺らで月でも見ようぜ」
重衡の呟きは敢えて聞かない方向で酒を煽る。
喉を通る酒が、今日はやけに熱く感じた。
知盛がやってきたのは悠の部屋。
いつもなら抵抗するはずの悠も、今日は酒が入っているせいか抵抗らしい抵抗を見せていない。
「クッ……たまには、こういうのもいいかもな……」
「ちもの……馬鹿」
「馬鹿は、どっちだろうな?」
酒が入っているせいでほんのりと上気している肌。
思考回路はすでにまともに働いていない。
「あっ……」
力の入らない身体は、知盛にされるがままに。
翌日、二日酔いに悩まされる悠は、知盛に起こされるという、これまでにない屈辱を味わうことになる。
長月
朝晩少し肌寒くなってきたかな
2008/1/19