君と見た空 | ナノ


5、幼馴染みと別人
  









その声を聞く度に、無性に泣きたくなる。





でも、同時に心がときめくのもわかる。





私は、この感情が何なのか、知っている気がする。





どうしてかな。





あなたに会うのは初めてのはずなのに、こんなにも懐かしく思えるなんて。




















弁慶のお使いで五条に来た美月は、彼が度々診察のために使っていた小屋へと向かった。
何度か弁慶と一緒にやって来た美月の姿を、誰もが覚えていてくれたらしい。
小屋へ着く頃には、美月の周囲に僅かだが人だかりが出来ていた。


「弁慶先生は今日は一緒じゃないのかい?」
「ごめんなさい、今日はちょっと忙しいみたいで……」


小屋に入るなり、弁慶のことを聞いてきた老人に、美月は少しだけ申し訳なさそうに頭を下げた。
すると、あからさまに落胆した様子を見せられ、慌てたように言葉を付け加える。


「でも、みなさんのお薬は預かってきてますから、大丈夫ですよ」


そうすれば、老人の表情が途端に輝いた。
そのことに少しだけ安堵しながら、美月は床に座り、持っていた荷物の中からいくつかの薬を取りだした。
一列に並んだ人たちから症状を聞いて、それに対応した薬を渡す。
美月が出来るのはたったそれだけのこと。
けれど、薬師がいないここではそれだけのことでも充分すぎる。
薬を受け取ると、礼を言いながら何度も頭を下げる人だって少なくはない。


「娘の熱が下がらないんですっ!」


そんな中、駆け込んで小屋にやって来たのは一人の女性だった。
その腕の中にはぐったりとした幼子が抱かれている。
美月の前に差し出された子供に、どうしたものか、と内心焦る。
自分は薬師ではない。
こうして、症状に合わせて託された薬を渡すことは出来るが、誰かを看ることなど到底無理。
けれど、自分を頼ってここまで来てくれた女性を、何も出来ないからと帰すのも心が痛む。
弁慶に託された薬の中に、何か使える物はないかと袋を漁ってみる。


預かった薬は、それぞれ小袋にまとめて入れ、その表に何かを書いてあった。
痛み止めであるとか、風邪薬であるとか。
だからこそ、美月でも薬を渡すことが可能だったのだ。
けれど、そこに書いてある文字は弁慶の物ではない。
弁慶に聞いて、美月自身が書いた物だ。
始めは弁慶が書いてくれたのだけれど、どうにもこうにも、美月には弁慶の書いた文字が読めなかった。
手習いもしてみた物の、筆を使って文字を書くのは難しい。
それでも、あまりにも達筆すぎる弁慶の文字は解読するのに時間がかかる。
その結果、美月が自分で書くことにしたのだった。


袋の中を漁っていた美月は、底の方にあった小袋を手に取った。
その小袋に書かれていたのは「解熱」の二文字。
見付けた瞬間、思わず顔がほころんだのがわかった。
それをしっかりと手に取り、女性の方を向く。


「何か食べさせてから、この薬を飲ませてやって下さい。後は暖かくして、安静にさせること」


弁慶に教わったとおりに薬を渡して、服薬方法を教えてやる。


「大丈夫です、良くなりますよ」


言ってから、にこりと微笑めば女性はホッとしたようにその場に座り込んだ。
怪我や病気になると、人間誰しもが不安になる。
その不安を取り払うためにも、その笑顔を忘れてはならないと、これも弁慶に教わった。
預かってきた薬を全て渡し終わると、美月は持ってきた荷物を片付けて小屋を後にした。
思っていたよりも早く終わったせいで、まだ日は高い。
あまり遅くならないうちに帰れと言われたが、時間があれば市を見てきてもいいと、少しだけだが小遣いももらってきている。
美月はどうしようかと、少しだけ悩んだが、欲望に負けて市へと足を伸ばすことにした。










ザワザワと賑わいを見せる市。
いつもなら朔と一緒だが、こうして一人でやってくるのは初めてだった。
めぼしい店を冷やかしつつ、人混みの中に紛れていく。
どこか、懐かしいその感覚。
こんなにたくさんの人がいるのに、自分のことを誰も知らない。



自分は一人だ。



そう思うと、自然と足がその場に止まってしまう。
一人。
わかりきっていることなのに、どうしてこうも淋しいのだろう。
記憶がないせいなのか。
それとも、それ以外の何かがそう思わせるのか。


「きゃっ」
「おっと、ごめんよー!」


ぼんやりとその場に留まっていたせいか、通行人とぶつかって肩が揺れた。
ぶつかってっていった人は、謝罪の言葉を言いながら先へと進んでいく。
これでは謝罪の言葉を言う前に、姿を見失うだろう。
そう思ったときだった。


「あだだだだっ!」


少し先から聞こえてきた声に思わず足を向ければ、自分にぶつかった男が、何やら片手を捻り上げられているらしい。
あまり顔は見えないが、どうやら武士のようにも見える。


「さっき盗った物を出してもらおうか」


耳に届いた声に、思わず身体が震える。


「知らねぇよっ!誰かと勘違いしてねぇか!」
「勘違いだぁ?バーカ、この目で見てたのに、勘違いも何もねぇだろ」
「わ、わかったっ!返す、返すから手を離してくれ!!」


更に捻り上げれば、男は半泣きになりながら懐から何かを取り出した。
それに見覚えがある美月は、自分の懐を手で探る。
弁慶にもらったはずの小遣いがないと気付いたのはその時。
どうやら、ぶつかった際に盗られていたらしい。
それほどまでに物思いに耽っていたのか。


「ったく、最初からそうすりゃいいんだよ」


男から取り上げた財布を手にし、その人物はぐるりと周囲を見回した。
おそらく、財布の持ち主である自分を探しているのだろう。
美月は人混みを掻き分けて、その人物の前まで進んでいった。


「あのっ!その財布、私のです」
「そっか、探す手間が省けて助かった……って、美月!お前、美月だろっ?どうしてお前がここに……」


名乗りを上げれば、人の良さそうな笑顔が返される。
けれど、礼を言うよりも先に、肩を掴まれた。
どこか真剣な表情で問う姿に戸惑いを覚える。
どうして自分の名前を知っているのか。
それとも、同じ名前の他人のことを言っているのか。



わからない。

わかりたくも、ない。



何も返事を返さずにいれば、暫くして目の前の男がすまなそうに肩から手を離した。


「あー、悪い。知り合いによく似てたからさ。詫びと言っちゃ何だが、何か甘い物でもどうだ」
「いえ、でもそれを言うなら私にお礼をさせてくれません?財布を取り返してもらったんで」
「ん?それもそうか。んじゃ、近くの団子屋にでも行こうぜ」


そう言って、二人はさほど離れていない場所にある団子屋に足を運んだ。
距離としてはそう遠くない。
けれど、どうしてだか美月にはこの時間がとてつもなく長い気がしてならなかった。
自分の少し前を歩くこの男。
背は自分よりも頭一つ分は高い。
持っている刀もさることながら、実力は相当な物だろう。
九郎に少し稽古を付けてもらっているだけではあるが、その九郎と同じくらいの力量を感じる。
だが、それよりも。





こうして、彼の後ろ姿を見ているだけで、泣きたくなるのは何故だろうか。





過去に、彼と会ったことがあるのだろうか。
そう言えば、自分の名前を知っていたから、もしかしたらと言うこともある。


「団子二人前と、お茶を頼む」


注文しながら腰掛ける。
程なくして、お茶と団子が運ばれてきた。


「あの、さっきは本当に有難う御座いました。ええと……」
「将臣だ。有川将臣」


そういえば、名前を聞いていなかったと口ごもれば、それを察した相手が先に名乗ってくれた。


有川将臣。


口の中で反芻すれば、とくん、と胸が高鳴ったのを感じた。
この感情を、自分は確かに知っている。
泣きたくなるような、この気持ちを。


「将臣殿、ですね。私は美月と言います」
「美月……やっぱり、お前なのか?」
「あの、そのことなんですが、誰かと勘違いしてませんか?」


どうしてこんなことを口に出してしまったのだろうか。
もしかしたら、本当の自分を知るかも知れない人物だというのに。


「いや、俺がお前を間違えるはずがねぇ」
「でも、私は将臣殿と会うのは初めてです」


初めて会ったと強調すれば、信じられない物でも見たような瞳が美月を射抜いた。
その瞳を見て心に浮かんだのは、罪悪感。
なぜそんな物を感じたのかはわからない。
ただ、自分じゃない自分が、どこかで泣いているような気がした。


「そ、か……悪い。幼馴染みが行方不明でさ。あんたと同じ美月って名前なんだ」
「幼馴染み……。その人は、私に似てるんですか?」


間違えるくらいだ。
それほどまでに似ているか、もしくは、今の姿を知らないかのどちらか。
もし後者の場合、雰囲気や年格好だけで判断したことになる。
その場合、将臣は美月とは何の関係もない人となる。


「そうだな、顔だけなら瓜二つだぜ。話し方とかは違うから、やっぱ人違いかもな。悪い」
「いえ……」


どうしよう。


ここで言ってしまうべきか。


自分は数ヶ月より以前の記憶を持っていないと。



だが、ここでそれを話して、仮に将臣が本当に幼馴染みだった場合、その後はどうする?
せっかく自分に良くしてくれた朔に景時、九郎。
そして、妹として自分の身を引き取ってくれた弁慶。
彼らに与えてもらうだけ与えて貰い、自分は何一つ返すことなど出来ていない。


「将臣殿。その美月殿のことを、教えてくれませんか?」


将臣の知る美月が自分なのかは別として、一体どういう人だったのかを知りたくなった。
どういう目で、将臣が美月のことを見ていたのか。


「美月のことを?別にいいけど……その、将臣殿、ってやめねぇか?将臣でいいぜ」
「じゃあ、私のことも美月で」
「OK!」


恐らくそれが返事なのだろう。
聞いたことがない言葉のはずなのに、どこかで聞き覚えのある単語。
どうして自分はその言葉を知っている。










魂の悲鳴も聴こえないフリをして










やっと将臣登場
2008.9.5

 
  

 
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