君と見た空 | ナノ


4、喧嘩と日常
  









夢は、時折見たくない物を見せてくれる。





例えば、忘れてしまいたい自分の醜い感情。





やっと全てを忘れて幸せに過ごせそうなのに、どうして。





何であなたが私の夢にまで介入してくるの。





お願いだから私のことは放っておいて。





「……!美月っ!!」





耳元で名前を叫ばれて、ようやく私は現実へ戻ることが出来る。










目が覚めると、決まって夢の内容は忘れていた──。




















美月が弁慶の妹になり、梶原邸で厄介になってから数ヶ月。
始めのうちは戸惑っていた全てのことは、今では一人で何とかこなせるまでになった。
だが、やはり完璧にこなせるというわけではないので、たまに失敗するときもある。
そんなときは、朔や弁慶が美月のフォローをしていた。
けれど、二人がフォローしきれないこともたまにある。


「だからっ、何度言ったらわかるんだ!そうじゃないと言っているだろう!」
「そっちこそ人の話聞いてるのっ?!これじゃ重くて、私には使えないって言ってるでしょうっ!」


あらん限りの声を張り上げての口喧嘩。
しかも、物騒なことに美月の手には抜き身の真剣が握られていた。

日常に慣れてきた美月は、薬師である弁慶の手伝いをすべく、自分から進んで学び始めた。
すると、今度は九郎が自衛のために、と剣の稽古を買って出たのだ。
剣など触ったこともない美月は、当然その申し出を断った。
だが、覚えておいて損はないと九郎が口を酸っぱくなるくらいに言うから、渋々と数回に一回は稽古を受け始めたのである。



それが全ての間違いだった。



元々美月は九郎に苦手意識を持っていた。
しばらくすれば、九郎の人となりも理解できたから、悪い人ではないとわかった。
けれど、馬が合わないのか。
それとも似た者同士なのか。
何かにつけては、二人の意見が対立することがよくあった。

きっかけは些細なことだ。
剣の構え方が違うだとか、身体がふらついているだとか。

始めのうちは、大人しく九郎のいうことを聞いていた美月だったが、今ではすっかりと口答え。
それに乗った九郎が更に反論、という無限ループの出来上がりである。


今日も、九郎に言われたとおりに剣を構えた美月だったが、いかんせん。
九郎の用意してくれる刀というのは、自分にはかなり重いのだ。
だから、九郎にはもっと軽い剣を用意してくれるように、さんざん言っていた。
それなのに、新しい物を用意してくれるどころか、剣の持ち方が甘いだとか、身体がふらふらと動いていると指摘を受けたのだ。
これには美月も堪忍袋の尾が切れた。


「もー、あったまきた!大体、九郎は女が戦うのを嫌ってるじゃないっ。何で私に剣なんか教えるのっ!」
「自分で自分の身も守る事が出来なくてどうする!今は無用の長物かもしれんが、いつか必要になるときが来るかも知れないだろうっ」
「いつかっていつよ!そんな先のこと、わかるわけないじゃない!!」


そんな二人のやり取りを、濡れ縁からハラハラと見守っているのは景時だ。
もし九郎が美月に怪我を負わせよう物なら、弁慶に後から何をされるかわかった物じゃない。
いざというときは、自分が盾になってでも九郎から美月を守らねばならない。


「ね、ねぇ二人とも〜。いい加減それくらいにしておこうよ〜」


すでに四半時はこうして口論が続いている。
このままでは平行線だ。
それに、見ているこちらの心臓にも悪い。
そう思って控えめに二人に声を掛ける。


「「景時(さん)は黙ってて!」」
「は、はい……」


だが、返ってきた言葉に思わず項垂れてしまう。
こうして口論しているというのに、どうしてこういうときばかり気があるのだろうか。
二人からきつく言われてしまったため、景時にはもうどうすることも出来ない。
このまま二人が疲れて休戦になるのを待つか、救いの手が現れるまで待つか。


「……あの二人は、またですか」


自分の後ろから溜息と同時に聞こえてきた声。
景時は救いの手が洗われたと安堵の溜息をついた。


「弁慶〜、あの二人ってばオレの言うこと全然聞いてくれなくてさ〜」
「仕方ありませんね。美月に傷を付けられても困りますし」



肩を落としながら景時が状況を説明すれば、弁慶は笑顔を浮かべたまま庭へと降り立った。
その瞳が笑っていなかったような気がするのは、気のせいだろうか……。


「オレ、しーらないっと」


このままこの場にいてとばっちりを食らいたくはない。
そう判断した景時は、早々に自室へと撤退した。










そっと気配を殺しながら庭へと出る。
気配を殺したところで、姿がハッキリと見て取れるのだから意味はないような気がするが。
だが、口論に夢中になっている二人は、視界に入っているはずの弁慶にすら気付かない。
そのことに、弁慶は小さく首を捻った。


美月ならまだしも、九郎だったら自分に気付くと思っていたのに。


それほどまでに、集中しているのか。
それとも、弁慶の姿すら気にしていられないのか。

早々に気付かれるのも面白くないが、側へ寄っているにもかかわらず気付いていないというのも、中々に面白くない。
ならば、九郎の意識をこちらへと向かせてやればよいだけの話。
頭の中でそう考えると、弁慶は懐に手をやった。
懐に忍ばせているのは短刀だ。
これは、薬草を摘んだりするときにも使えるので、中々に重宝している。
それに、自分の武器が長刀なので、接近戦には短刀を使用していた。

気配を殺したまま九郎の背後へ近付き、音を立てずに鞘を抜く。
そして、


「動かないでください」


ピタリ、と首筋に当てられる刃。
殺していたはずの気配は、殺気に変えて九郎へと。
自分へ向けて発せられる殺気に気付かないほど、九郎だって鈍くはない。
殺気を感じた瞬間に、腰に穿いている自分の剣へと手が伸びていた。
だが、剣を抜くよりも弁慶の動きの方が早かった。


「あ、弁慶兄。もう終わったの?」
「ええ、もう少ししたらお使いを頼みたいんですが、構いませんか?」
「うん、大丈夫!」


二人の会話を聞く限りは、普通の日常会話。
けれど、弁慶が握っている短刀は、確実に九郎の首筋を捉えたままだ。


「美月、朔殿が君を捜していましたよ」
「本当?なら、朔の所に行ってくるね」


そう言うと、美月はパタパタと小走りで邸の中へと消えていった。
残されたのは弁慶、九郎の二人だけ。
美月がこの場からいなくなったことで、更に空気が重くなったような気がする。


「それで?今回は何が原因ですか」
「いや、それがだな……」


いつもと同じ口調ではあるが、言葉の節々に棘を感じる。
九郎はどもりながら、ことの始終を弁慶へと話し始めた。










弁慶から、朔が自分を捜している、とは聞いたが、どこで捜しているのかを聞いていないことに気付いた美月は朔がいそうな場所をふらふらと彷徨った。
すると、目の前からちょうど朔がこちらへ向かって歩いてくるのを見付けることが出来た。
気付いたのは朔も同じようで、美月の姿を見るなり残りの距離を足早に縮めた。


「美月、九郎殿とは終わったの?」
「うん、弁慶兄から朔が捜してるって聞いたから」
「そうだったの。そろそろお茶にしようと思ってたのよ」


どこか九郎に同情を感じながらも、朔は自分の用件を伝える。
お茶と言われて、もちろん美月が断る理由もない。
それでなくとも、九郎との口論で喉を酷使したのだ。
ちょうど喉も渇いていた。
そして、弁慶が自分にもう少ししたら、と言ったのも、これを知っていてのことだろう。


「じゃあ、弁慶兄と九郎も呼んでこなくちゃ。……そういえば、景時さんはどこへ行ったんだろう?」
「兄上なら部屋じゃないかしら?」
「それなら、景時さんも呼んでくるね」


そう言って、今来た廊下を引き返して行く美月の後ろ姿に、思わず笑みを浮かべる。
初めて会ったときは、どこかかしこまっていて、人の表情を伺うようにしていた。
けれど、今ではそんな様子はすっかりと消えている。
記憶は失っていても、元来、明るい性格なのだろう。
美月がそこにいるだけで、随分と感じが変わる。


「早く記憶が戻ればいいのだけれど……」


物忘れの病に効く薬はない。
それは、弁慶の口からハッキリと言われていることだ。
治るかも知れないし、もしかしたら一生このままかもしれない。
本人の口からそう言った話題は出てこないが、やはり失った記憶を取り戻したいのではないだろうか。



最近、夢によく魘されている。



目が覚めるとその内容を覚えていないと言うから、夢の内容は失った記憶で間違いないだろう。
そもそも、どうして美月は記憶を失うことになったのだろうか。
弁慶に会いに来たと言っていたが、道中で一体何が──?


「私が考えても仕方のないことね」


自分が出来るのは、美月の力になってやることだけ。
ひとまず、美月がみんなを呼んでくる前にお茶の準備をしなければ、と朔は厨へと足を向けた。





お茶の後に、弁慶のお使いで美月は五条へと行くことが決まった。










譲れないもの、ゆるぎないもの、ただそれだけのために










まだまだ平和な日常
2008.8.5

 
  

 
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