君と見た空 | ナノ
0、全てを、白紙に
私の自慢のお姉ちゃん。
同時に、そんなお姉ちゃんが私は大嫌い。
だって、私の欲しいものを全部持っていくから。
どうして私は妹なんだろう。
どうせなら、一緒がよかった。
一緒だったら、こんな思いはしなくてすんだのに。
この気持ちを忘れてしまえればいいのに。
好き。
大好きなの。
あの人が。
諦めることなんて、できないよ。
「 」
何かを呟けば、直後にポツリと頬に当たる冷たい雫。
頬に触れれば、そこはすでに濡れていて。
天を仰げばどんよりとした厚い雲が、今にも大泣きしそうだった。
雨が降るなら早く降ってくれればいいのに。
そうすれば、この涙も雨に紛れてしまうから。
止まらない涙をそのまま流し続ければ、 やがて大粒の雨が大地に降り注ぐ。
その雨を全身に受けている間も、涙は止まらない。
それどころか、次々と溢れ出してくる。
きっと、泣いていいよと、天が涙を促しているに違いない。
だから、こんなにも涙が止まらない。
この雨が止む頃には、涙はきっと止まっているだろう。
だから、それまでは。
雨が隠してくれている間だけは。
泣いても、いいよね。
厚い雲の間から零れる、一筋の太陽の光。
やがてその光は世界へと届く。
無意識に頬へ手を伸ばせば、雨とは違った物が未だに流れていた。
ゆっくりとまばたきをすれば、驚くほど簡単に止まる涙。
でも、自分はどうして泣いていたのだろう。
別段、悲しいわけでもないのに。
それに、頭の中が妙にすっきりしている。
そのことに首を傾げながらも、今の自分の姿を見る。
雨のせいで全身ずぶ濡れ。
このままでいたら、風邪を引くことは必至。
持ち物を確認してみるが、体を拭けるような物はおろか、何一つ身につけていないという事実。
「えっと……」
そもそも、どうして自分は雨の中外にいたのだろうか。
周囲を見回してみても、見覚えのない風景が広がるばかり。
一体どうやってこの場所に来たのかわからない。
家に帰ろうとも、どこに家があるのかすらわからない。
それ以前に、帰るべき家がどこにあるか。
それがわからなかった。
「いつまでも濡れた着物を着ていては、風邪を引きますよ」
そんな声と共に、自分の頭にふわりとかけられる布。
思わずそれを手でつかみ、それから声の主を捜す。
布だと思った物はどうやらそうではなかった。
すっぽりと全身を覆ってしまえるほどの大きさ。
「早く家に帰って着替えた方がいい。そんな姿でいたら、暴漢に何をされるかわかりませんから」
「ありがとう、ございます」
目の前にいる人物は、蜂蜜色のような長い髪と、男性とも女性とも取れる中性的な顔をしていた。
「仕方ありませんね。君の家はどこですか?」
「え?」
言われた意味が分からなくて問い返せば、苦笑が返ってくる。
よからぬ男に襲われるから、早く着替えろという言葉はわかった。
風邪を引くという言葉にも納得出来る。
けれど、何が仕方ないというのか。
「家まで送っていきましょう。君はどこか、違う世界を見ているようだ」
違う世界。
その言葉に、どくんと心臓が跳ね上がった気がした。
だが、その理由すらもわからない。
「名前を、聞いてもいいですか?」
「名前……?」
「ええ、それくらいは教えてくれますよね?僕は弁慶といいます。君は?」
目の前の弁慶に名を問われ、咄嗟に口を開く。
だが、そこから先に続くはずの言葉は、いつまでたっても出てこない。
しばらくは待っていた弁慶だったが、あまりにも沈黙が長く続きすぎる。
もしかして、という言葉が頭の中をよぎった。
「私の、名前……?」
目の前の少女はしきりに首を傾げながら、視線を彷徨わせる。
仮に、名前がなかったとしても、それならば「名はない」といえばいいだけの話。
悩むということは、それを持っていながら思い出せないということ。
そして、思い出せない理由は二つ。
一つは、付けてもらったけれど、誰にも呼ばれることがなく、自然に消えていった場合。
もう一つは、何らかの事情によって、記憶をどこかに忘れてきた場合。
目の前の少女を見る限り、後者であることは目に見えてわかった。
恐らく、記憶を失ってからそれほど時間はたっていないのだろう。
(厄介な拾い物ですね)
表情には出さず、内心ごちる。
できることなら面倒事にはあまり関わりたくない。
けれど、薬師という仕事柄、記憶をなくしている彼女が一日でも早く、記憶を取り戻せるよう手伝いをしたい。
そう思っている自分がいるのも、事実だった。
「詳しい話は邸に戻ってからにしましょう。付いてきてください。僕の邸ではありませんが、君が休める場所を提供しましょう」
「あっ、ありがとうございます」
少女のパッと明るくなる表情を見て、ついつい頬が緩むのは気のせいか。
何にせよ、記憶という物は厄介なことこの上ない代物だ。
長期戦が必要かもしれないと、弁慶は人知れず溜息をついた。
忘れてしまったよ、もう思い出せない将臣連載、開始です
2008.1.26