君と見た空 | ナノ


8、感情の在り方
  









心配してくれるのは嬉しい。





どこの誰かもわからない自分を心配してくれるのは、それがあの人の妹だと思っているから。





でも、私はあの人のことを何も知らない。





兄を言っておきながら、心の奥に潜んでいる闇に気付くことも出来ない。





ねぇ、どうしてそんな顔で笑うの──?




















ぱたぱたと邸に入り朔の姿を探せば、彼女の部屋で簡単に見付けることが出来た。
ただいま、と顔を覗かせながら告げれば、驚いた表情をしたけれど、すぐさま笑顔で出迎えてくれる。


「まぁ、美月。随分遅いから心配したのよ」
「ゴメンね?」
「あなたが無事なら私は何も言わないわ。幸い、九郎殿も今は出掛けているし」


朔のその言葉に、心底安堵したのは言うまでもない。
これで九郎も心配していたのだ、と言われた日には、いつも以上の怒声が降りかかるのは目に見えている。
心配されるのが嫌だというわけではない。
どこの誰かも知らない自分を、弁慶の妹と言うだけで無条件に受け入れてくれたのだ。
そのことには感謝こそすれ、嫌悪するはずがない。


ただ、いつも頭ごなしに言われるのが嫌なだけなのだ。


どうやら九郎にとって女という物は、非力で守らねばならないと思っている節がある。
事実、自分の身すら守れない自分は、非力なのだけれど。
だからといって、言われたことを何でも素直に聞くというわけではないのだ。
言いたいことをハッキリと言わないと、後から後悔するのは自分だ。
あの時こうしていれば、と思わないためにも出来ることは全てやってしまいたい。










── ったく、  もお前も頑固なところは同じなんだから ──










誰かにも、呆れたようにそう言われた記憶がある。
けれど、九郎のように頭ごなしに否定するのではなく、ちゃんと話を聞いてくれた。

思えば、その人は将臣と似たような雰囲気を持っていたかもしれない。



先程将臣からもらった懐中時計を取り出せば、彼の事を思い出した。
会ったばかりの、しかも初対面の人間だというのにどうして。


「美月、それは?」


美月の手の中にある銀色の物体を、身を乗り出すようにして朔が見る。
今まで美月がそれを持っていなかったことは朔も知っている。
何より、梶原邸にやって来てからこちら、身の回りの入り用な物は揃えたが、装飾品の類は一切手に取ろうとしなかったのだ。
自分と同じ年頃の、ましてや尼僧でもない美月なら、おしゃれに気を遣っても不思議ではないことなのに。


「ああ、これ?もらったの」


そう言って、将臣に教えてもらった場所を押せば、パチリと音がして時計盤が現れる。


「もらったって誰に?こういう物は始めて見るけれど、高価な物ではないの?」


質問ばかりの朔に、何と答えようか悩んで曖昧に笑う。
会ったばかりの人にもらった、と言えば更に心配させてしまうだろう。
かといって、市で買ったと言うのは今更だ。
こんなことなら、どれくらいの値打ちがあるのか聞いておけばよかったか。


「えっと、市に行ったら怪我をしてる旅の人と会ってね。持ってた弁慶兄の薬を上げたら、その御礼にって」


何とか頭を動かして、それらしい話を作る。
これで朔が騙されてくれればいいが、もし嘘だとバレてしまえば説教が来るに違いない。
弁慶に鍛えられているとはいえ、感情を顔に出さないようにするのはかなり苦しい物がある。


「そうだったの。珍しい物をもらったのね」


けれど、あっさりと朔は納得してくれたらしい。
大事にするのよ、と言う言葉を残したきり、懐中時計について追求してくることはなかった。
あまりにも朔があっさりと引き下がった物だから、逆に美月が拍子抜けしたくらいだ。
だが、ここでまた話を蒸し返すのもどうかと思い、うん、と頷いてから美月は懐中時計を大事にしまい込んだ。















夕餉の後に、五条の様子を聞きたいという弁慶に言われ、美月は彼の部屋へと足を運んだ。
けれど、障子を開けてその場に固まってしまうのは、すでにお約束。


「……私の記憶が確かなら、二日前に弁慶兄の部屋を片付けたハズなんだけど」


ひくり、と頬を引きつらせながら部屋の主に声を掛ければ、ことりと首を傾げて「そうでしたか?」と返事を返す。
わかっていながら惚けるのはこれまでと変わらない。
まるで物置と変わらないその部屋は荷物で溢れかえり、人一人通ることすらままならない。
そんな中、自分の居場所だけは確保して書物に目を通しているこの兄に、怒りを通り越して殺意を覚えても仕方ない事だと思う。


「とりあえず、隣の部屋に行こう。私、この部屋に入りたくない」
「おや、それは随分な言いぐさですね」
「だって足の踏み場もないし、私が座る場所を作るだけで時間がかかりそうなんだもん」
「わかりました。なら、隣の部屋に行きましょうか」


つん、と顔を逸らしながら言えば、苦笑を浮かべながらも弁慶が腰を上げる。
そういえば、弁慶と会ってから彼が怒る姿を一度も見たことがないのではないだろうか。

景時もあまり怒ったりするような人ではないが、それは美月が怒られるような事をしないからだ。
けれど、弁慶には我が侭を言ったり心配を掛けてばかりいる。
それこそ、いつ怒られても不思議ではないほどに。
九郎については論外だ。
彼とは口喧嘩をする中であるが故に、怒りの沸点が低いことは重々承知している。

弁慶が怒らないのは、自分が本当の妹ではないからだろうか。


「ねぇ、何で弁慶兄は私を怒らないの?」


ポツリと呟いてから、ハッと口を塞ぐ。
今、自分は一体何を口走ったのだろうか。
わざわざ怒られたいわけじゃない。
口から出たのは、本当に無意識からだ。


「美月……」
「ちがっ、別に怒られたいわけじゃないのっ!」


弁慶が何かを言う前に慌てて遮れば、小さく唇を噛んでその場から逃げるように駆け出した。
頭の中はぐちゃぐちゃで、きっと今は何を言っても支離滅裂になる。
それならばいっそ、頭を冷やすためにも弁慶から離れればいい。
明日になればきっと、普段通りに戻るから。

そんな美月の思惑は、けれど簡単に打ち壊された。
なぜなら部屋にいたはずの弁慶が、いつの間にか美月を追いかけていたから。


「美月……っ」


ぐい、と手首を掴まれ、思わずその場に立ち止まる。
恐る恐る振り返れば、確かにそこには弁慶の姿がある。
けれど、その表情はやはり怒っている物ではなくて。
逆に、どこか戸惑っているような、そんな顔。


「……僕は、あまり誰かを怒ることはしないんですよ。いや、出来ないと言った方が正しいのかな」
「え……?」


怒ることが出来ないというのは一体どういう事なのだろうか。
それならば自分を怒らないことにも頷ける。
だが、そんなふうに言われてしまっては、逆に気になってしまうばかりだ。

どうして怒ることが出来ないのか。

怒れない、というのは感情が欠けているということではないのだろうか。


「弁慶兄、それってどういう……」
「聞きたければ、ヒノエにでも聞いてください」


あからさまな拒絶の言葉。
自分からは言いたくないのか。
そのくせ、人の口から聞けというのもおかしな話だ。
普通、自分から言いたくないことは、人に言われるのも嫌なはずなのに。


「五条での話は、明日にしましょうか」


力なく笑う弁慶に、きっと言ってはいけない事だったのだと美月が気付いたのはその時のこと。


「あっ、あの!」
「風邪を引かないようにして寝てくださいね」


ふわり、と美月の肩に自分の着ていた羽織を掛けると、弁慶はそのまま自室へと戻っていった。
一人その場に残された美月は、弁慶を追いかけることも出来ず、かといって部屋に戻ることも出来ずに立ちつくしていた。










その日から、美月が弁慶を顔を合わせることがなくなった。

どれだけ頑張って弁慶の姿を探しても、いつもすれ違いになる。

そうなってしまっては、離したいことも話せない。
聞きたいことも聞き出せない。
いっそのこと、弁慶に言われたとおりにヒノエから聞いてみようかとも思ったが、肝心のヒノエの居場所を自分は知らない。
最初に会ったときと同じ場所に行けば会えるかとも思ったが、あのときはきっと偶然の産物に近いだろう。

弁慶から、ヒノエがまた会いに来るとは聞いたが、それがいつのことなのかもわからない。


「どうしろっていうの……」


濡れ縁に膝を抱えるように座り込んで、ぽすんと腕に額を押しつける。
弁慶と会わなくなってから、すでに数日経っている。


空は雲一つ無い青空。


自分の気持ちとは正反対の空に、悪態の一つでも尽きたい気分だ。





「オレの小さな叔母上殿は、ご機嫌斜めかな?」





くすくすという笑い声と、少し照れ臭い言葉の言い回し。
それは、何日か前に自分の義理の甥だと名乗った人物。
そして、美月が探していた人でもある。


「ヒノエ!」
「やあ、姫君。ご機嫌伺いに来たよ」


すとん、と庭の木から降りてきた彼に、不法侵入?と思わず首を傾げたが、そんなことはどうでもよかった。










あなたの笑顔は悲しいね










例え天地朱雀の出番が多くても、これは将臣夢です(…)
2009.4.4

 
  

 
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