紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
立場と役目
 









「好き」なんて誰でも簡単に言ってしまえるよね










薬草を摘んだ那由多とヒノエが本宮に戻ったのは、朝餉の始まる前だった。
本宮の前に弁慶が立っていたときは、何か言われるかと少しだけ身構えたが、体調について二、三問診されただけだった。
そのことにホッとしたが、弁慶とヒノエの間に酷く冷たい空気が流れている事実に、頭を抱えたくなった。
これで今まで何も無かったというなら、お互いが距離を取っていたのだろう。
それか、そこまで二人の関係に溝が入っていなかったか。
もし後者だった場合、その原因は自分だろうな、とそっと溜息をつく。
これから先、気まずい雰囲気が続くかもしれないと、那由多は心中で謝罪の言葉を呟いたのだった。



朝餉を取った後、那由多は今後の予定を知るために弁慶の元を訪れてた。


「それじゃ望美さんは……いいえ、源氏は熊野を味方に付けるために別当に会いに来た、と」
「ええ。もちろん、同行しているヒノエも、それは知っています」
「そう……でも、今の源氏では熊野は動かないでしょうね」


小さく呟いた那由多に、弁慶は少しだけ笑った。


「やはり、君もそう思いますか」


君も、ということは弁慶もそう思っているのだろう。
だが、ヒノエ自身には確認していないに違いない。
熊野出身とはいえ、すでに熊野を出て源氏についてる身。
そうそうお互いの内情を話すわけがない。
ましてや、弁慶とヒノエのことだ。
滅多なことがない限り、歩み寄ろうとはしないだろう。


「まぁ、ね。今の源氏に熊野が協力しても、平家に勝つのは難しいかもしれない。熊野別当は、勝てない戦はしない主義だわ」
「そうですね。でも、君は源氏に協力してくれるんでしょう?」


急に自分に話を振られ、チラリと弁慶を見る。
その顔には綺麗な笑顔。
那由多は、脱力したくなる自分を何とか奮い立たせた。


「協力しろと言ってきたのは弁慶でしょう?それに、私があなたの言葉に逆らえないのは、知っているはずだわ」


意地悪ね、と肩を竦めてみせれば、満足そうにその目が細められた。
軍師という肩書きのせいではなく、昔から何事も先を見通して策を練るような男だ。
当然、今回のことだってわかっていて言っているに違いない。
その証拠に、珍しく彼の目元も笑っている。


「おや、僕がいつ君に意地悪をしたんですか?」
「今よ、い・ま。それすらもわからないなんて、女心を読めなくなってきたんじゃない?」


質問に質問で返す。
これではいたちごっこと変わらない。
それに、いつまでも本宮にいられるわけでもないのだ。
恐らく望美や九郎辺りは今すぐにでも出発したいに違いない。
本宮で会えなかった別当に、速玉大社で会えるというのだから。


「酷いですね。そんなことはないと思うんですけど」
「そう?ならきっと、私への愛が足りないんだわ」


ふざけてうそぶいてみる。
少しくらい彼を困らせてやりたいと思うが、弁慶相手では自分は手も足も出ない。
けれど、直ぐさま言葉が返ってこないことに不審を抱き、そっと弁慶の顔を覗き見る。
すると、驚いたように目を丸くしている顔が目に入った。
滅多に見られないその表情に、逆に那由多が驚いた。
まさかあんな言葉一つで?


「べ、弁慶?」


恐る恐る声を掛ければ、焦点の合わないような目でパチパチと瞬きを繰り返す。
それから那由多の顔を見て、あぁ、と小さく声を零した。
弁慶が我に返ったのを知って、ようやく那由多も胸を撫で下ろす。


「僕はいつも君を想っているんですけど、それを『愛が足りない』と言われるとは思ってもいませんでした」


次に返された言葉を聞いて、心配して損をした、と呟いたのは那由多に他ならなかった。
そろそろ出発だと二人に告げに来たのはヒノエだった。
それを聞いて、那由多は荷物を取りに一度部屋に戻った。
今朝採ってきた薬草は、後から干そうと別にしてある。
薬師として熊野を回っている那由多は、いつも荷物は一つにまとめたまま。
だから、支度するようなことといったら、まとめている荷物を持つことと、武器を携えることだけ。


「出来ることなら、あまり使いたくはない物ね」


ヒノエと一緒に武器を取りに行きがてら、小さく呟いた。
すると、那由多の呟きを聞き取ったヒノエの顔が、少しだけしかめられる。


「お前には使わせないよ」
「あら、ヒノエが私を守ってくれるの?嬉しいけど、望美さんに悪いわね」


一瞬だけきょとんとしたように首を傾げる。
けれど、次の瞬間にはころころと笑いながら、望美に悪いと言ってのける。
逆に首を傾げたのはヒノエだった。


「何で望美に悪いんだ?」


素直に尋ねてくる辺り、弁慶との態度の違いが現れている。
そんな姿を少しだけ可愛いと思ったのは、自分の胸の内に秘めておく。
ここで口にしては、彼が拗ねてしまうだろう。


「だって、ヒノエは望美さんの八葉でしょ?彼女を守るのがあなたの役目じゃなくて?」
「否定はしないよ。けど、オレは望美の八葉である前に、熊野別当だ。優先順位でいったら熊野が上」


当然のように話すヒノエに、おや?となった。
女性と見ると、誰彼構わず声を掛けるヒノエなのに、望美は違うのだろうか。


「……望美さんはヒノエが守る対象に入らないの?」


あまりにも普段の彼と違う物だから、思わず問いかけていた。
それに驚いてヒノエが足を止める。
数歩先に進んでから那由多も足を止めた。
どうやら酷く驚いている様子だが、普段のヒノエを知っている身としては、こちらの方が驚きたい。


「確かにそうだけど、神子姫様にはオレの他にも護衛がついてるからね。それに……」


そこで一旦言葉を切る。
ゆっくりと那由多との距離を詰め、結っていない髪をそっと手に取る。
優しく口付けるように髪を口元に寄せてから、上目遣いに那由多を見た。





「望美と那由多を天秤に掛けたら、オレは望美よりも姫君を取るよ」





呆然とヒノエの言葉を聞いていた那由多だったが、彼の瞳に走った光にギクリと身を強ばらせた。


これ以上、彼に言葉を紡がせてはならない。


そう思ったのは、一瞬のこと。
彼が何を言うのかわからないが、嫌な予感がしてならない。
ヒノエの口が、次なる言葉のために開かれる。


「ねぇ……あ「湛増」


けれど、ヒノエが最後まで言う前に、那由多によってそれを阻まれる。


しかも湛増という名を呼ぶことで。


那由多がヒノエをその名で呼ぶことはほとんどない。
他者の前でならそうでもないが、ヒノエ本人を目の前にしてその名を呼ぶのは、余程のときだけだ。
それをヒノエ自身も知っているから、言葉を無くしたように口元を押さえていた。


「それは言わない約束、よね?」
「ゴメン」


目を逸らして謝罪の言葉を口にするのは、本当に悪いと思っているからだ。
相手の顔すら見れないほどに、後悔の念にかられているのだろう。


「でもね、ヒノエに守ってもらえるのは嫌じゃないのよ?」


ヒノエの気を逸らそうとわざと明るく言えば、パッとその顔が上げられた。
そのことに少しだけ安堵して、更に言葉を続ける。


「あなたにそこまで想われてるなんて、私知らなかったもの。熊野中の姫君に羨ましがられるかしらね」
「オレはそのぶん腹黒軍師に冷たい視線をもらうわけだ」


冗談じゃないね、と軽口を返してくる。
その口調がいつもと同じ物になっているのに、那由多は今度こそ胸を撫で下ろした。


「那由多。一つだけ、聞いてもいいかい?」


ヒノエの固い口調に、思わず身構える。
真剣な瞳に何かを悟ったのか、那由多の目が鋭くなる。


「何かしら」
「お前は今、幸せかい?」


その言葉に、思わず那由多は目を閉じた。





どうしてそれを今聞くのだろう。





それとも、今だからそれを聞くのか。





自分の厄介な立場と身体。
弁慶の知らない自分を知っているのはヒノエと湛快だけ。
だからだろうか。
否、ヒノエは湛快と違って全てを認めているわけじゃない。
その若さ故、納得できていない部分もある。





それが、自分と弁慶の関係。





ヒノエが京に行くまではそんなこと口にしなかったのに。
熊野で那由多と弁慶が再会してから、それを思い出したのだろうか。
それとも、今までもずっと思っていたのか。


わからない。


でも、ヒノエの問いにはっきりと答えない限り、彼は納得してくれないだろう。
言ったところで、納得してくれるかどうかもわからないが。



「幸せよ」



ゆっくりと目を開けて、笑みを浮かべながら言えば、ヒノエが何か言いたそうな表情をしていた。
けれど、それ以上は言わせない。
言わせてなどやるものか。


「那由多がそう言うなら……そういことにしといてやるよ」


ヒノエの言葉に急に棘を感じた。
それだけじゃない。
ピリピリと肌を突き刺すような空気。
昨日から嫌というほど経験してきたことだ。
ヒノエの視線を追って背後を振り返れば、そこには思っていたとおりの人物──弁慶──がいた。


「随分と敵意剥き出しですね」


苦笑しながら近付いてくる弁慶の手には、那由多の武器。
先に取りに行ってくれたのだろうか。


「いい加減出発するというのに、君たちがいつまでも戻ってこないから僕が迎えに来たんですよ」


はい、と武器を手渡されしっかりとその手に握る。
武器を手にすれば、自然と緊張感がその身を包む気がした。


「ありがとう。二人とも、行きましょう」


しっかりとそれを握りしめてから、スッと前を見据えて二人を促す。
促された二人は、お互いに距離を取って那由多の両脇を歩く。
相変わらず、二人の間に流れる空気は穏やかではないが、言い合ったりしないだけマシかもしれない。


「お待たせしました」


すでに支度が終わり、三人を待っている望美たちの元へと辿り着く。
すると、那由多の持っている武器にみんなの視線が寄せられた。
それほどおかしいだろうか、と内心首を傾げる。


「那由多さんって、弁慶さんと同じ薙刀なんですね」


呆然と呟いた望美に同意したのは、果たして誰だったか。


「一応、足手まといにはならないと思うけれど……」
「いえっ、そういう意味じゃないです!」


慌てて身体の前で手を振る望美に、そう?と聞けば少し驚いただけだと返ってきた。
そっと周囲を見回してみても、ほとんどが望美と同じ態度なだけに、それほど驚くようなことだろうかと自分の武器を見やる。


「……那由多さんが薙刀を使えたなんて私知らなかったよ……」
「望美さん?」
「あっ、はい。何ですか?」


少し俯いて何かを呟く彼女の肩に、そっと手を掛ける。
どこか思い詰めたようなその様子は、何か辛そうで。
けれど、顔を上げた彼女は普段通り。
まるで今のことはなかったように笑顔を返してくる。


そんな顔をされては、それ以上何も聞けないではないか。


「ごめんなさい、私の気のせいみたい」
「そうですか?それじゃ、みんなそろそろ行こうか!」


望美の言葉を合図に、速玉大社を目指して本宮を後にする。
けれど、那由多はしばらくその場に佇んだままだった。










「望美さんも、ヒノエ以上に重い物を背負っているのね」










弁慶や自分と同様に、自分の感情を瞬時に抑える術を知っている少女。
それは決して喜ばしいことではない。
彼女も、悲しい道を辿ったのだろうか。
それとも、その責ゆえだろうか。


「那由多さーん!置いていきますよー?」


離れたところから自分を呼ぶ声に返事を返し、那由多もまた、歩き始めた。










くだらない睦言










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弁慶がプチストーカー(汗)
2007/9/16


  
 

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