紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
苦い唇と暖かい手
 









ぼくに出来るのは矛盾を否定する台詞と矛盾を生み出す台詞 それだけ










顔合わせの席で、それぞれの自己紹介と、その他もろもろの説明を弁慶から受けた。
中でも、八葉の説明が一番多かった気もするが。
その中に、見知った敦盛の顔も見えて、那由多の機嫌は向上した。
敦盛が怨霊として蘇ったのは知っているが、こうやって再会出来たことが、純粋に嬉しかったのだ。

結局、顔合わせを済ませた後に弁慶と話したことは、これからの自分の在り方。
いくら望美と朔専用の薬師として源氏に協力すると言ったとはいえ、弁慶と同じように戦場まではついていけない。



戦場では、人だけではなく、怨霊とも戦わなければならないから。



弁慶もそれは考慮していたらしく、戦場までは行かなくても、本陣で待機することを妥協案としてあげてきた。
それならば、と那由多が頷いたのは言うまでもない。


暫く弁慶と話していると、夕餉の支度が出来たと譲に呼ばれた。
わざわざ客人がしなくても、と那由多が言うと、譲は笑顔で「泊めてもらうわけですから、これくらいのことは」と返してきた。
馴染みのある食材で、目の前に並ぶ、あまり見慣れない料理に戸惑ったが、口にしてみると酷く美味しかった。
楽しい一時を過ごした後は、湯浴みを済ませて床につくばかり。
それは多分にもれず、那由多も同じだった。





深夜。
いつもなら熟睡しているはずのこの時間。
なぜか那由多は目が覚めた。
否、目が覚めたというのとは少し違う。
言い換えるのならば、意識が浮上した、だろう。
身体は眠りを欲しているせいで鉛のように重く、瞳も閉じられたまま。
けれど、ぼんやりとした意識は、これが現なのかどうか判断することも億劫で。
外から聞こえてくる虫の声。
そして、足音を忍ばせてはいるが、誰かがこの部屋へ向かっているのも窺い知れた。


けれどこんな夜更けに、一体何の用で?


間違っても、夜這いに来るような輩はいないはずだ。
だとすれば何か用があるとしか思えない。

その気配に意識を集中させていれば、やがて部屋の前で立ち止まったのがわかった。
やはり、自分に用があるらしい。
しばらく部屋の前で佇んだ後、そっと襖を開けてその人物が入ってくる。
目は閉じたままだから、それが誰かはわからない。


けれど、歩き方で誰かを理解した。


そっと、足音を忍ばせて、慎重に歩み寄る。
こんな歩き方をする人は、一人しか知らない。


ふわり。


額に触れてくる弁慶の手が気持ちいい。


「あぁ、やはり発熱してますね」


聞こえてくる声は、呆れたような、それでいて心配そうな色を含んでいる。
声を抑えているのは、今が深夜だからというのともう一つ。
那由多が寝ているから。
けれど、意識だけはハッキリしている那由多の耳に、弁慶のその声はしっかりと届いていた。


発熱。


その言葉で、だからかと納得する。
怪我の原因は昼間、怨霊に斬られた傷からだろう。
いつもなら寝ているはずの夜中に目が覚めたのは、発熱のせいで寝苦しかったせい。


「予想は出来ていたはずなのに、忘れていたのは君に再会できた嬉しさ、だろうな」


いつもなら、冗談半分の言葉が、今は真剣な物に聞こえた。
意識だけが目覚めていても、肝心の肉体は深い眠りについている。
そのせいで、言葉を発することすらままならない。
けれど、今の言葉が本当に弁慶の物なのか、判断に悩むのは意識が朦朧としているからか。


「こんなこと、反則だとは知ってますが……」


そこで途切れた言葉。
那由多には、弁慶が今何をしているのか、全然わからない。
けれど、部屋の中にまだいるのというのは、気配でわかる。





不意に、口元に触れる暖かい感触と、口内に流れてくる苦い味。





寝ているはずの那由多の眉が、綺麗にしかめられる。


「……んっ……」


口を塞がれているから、吐き出すことも出来ない。
大人しく、それを嚥下すれば、数回同じことを繰り返される。
弁慶が口移しで自分に与えたのは、解熱剤だろう。
飲みきれず、口元から零れたぶんを綺麗に拭き取られると、次いで額に冷たい感触。
それが水に浸した布だとは、確認せずとも明らかだ。


「これで、熱が下がると良いんですけど」


そう言って、自分の髪を梳く弁慶の手が暖かい。
しばらくその感触を味わっていたが、いつの間にか意識が沈んでいく。
もう少しだけ、弁慶の温もりに縋りたいのに。


そこで、那由多の意識は完全に途切れた。


那由多の規則正しい寝息が聞こえてくると、弁慶はホッと安堵した。


「ようやく眠ったみたいですね」


彼女の意識があることは知っていた。
けれど、疲れの溜まっている身体は正直で、その瞳さえ一度も開かれることはなかった。
今のことも、明日になれば忘れているかも知れない。


いっそのこと、忘れてくれていた方がいいのに。


「那由多」


愛おしそうに見つめながら、髪を梳く。
緩い癖を持つ彼女の髪は、自分の髪と違ってふわふわとして柔らかい。
けれど、いつまでもこの部屋にいるわけにはいかないだろう。
先程から、自分に向けられる視線が背中に突き刺さっている。


(相変わらず、彼女のこととなると必死ですね)


苦笑を浮かべながら内心ごちると、今一度。
額の布を水に浸して交換してやる。
そうすれば、先程よりも息遣いが落ち着いたような気がした。


「おやすみなさい」


そっと呟いて立ち上がると、弁慶は静かに部屋を後にした。


「盗み見とは、あまりいい趣味じゃありませんね」
「寝込みを襲う奴に言われたくはないけどな」


後ろ手に襖を閉めて、近くにいるであろう彼に声を掛ければ、案の定。
柱の影から不機嫌を丸出しにしたヒノエが現れた。


「寝込みだなんて心外ですね。僕は薬師として彼女を診ただけですよ?」
「ハッ。その割には、随分と女々しいことを言ってたみたいだけど?」


二人の間に、見えない火花が飛んだような気がした。


「……もし、那由多の身に何かあったら。アンタ、わかってんだろうな」


鋭い視線が弁慶を捕らえる。
けれど、弁慶はその視線を真っ向から受け止めた。
いつもの笑みを浮かべた表情ではなく、真剣な表情で。


「彼女には、傷一つつけさせませんよ」
「その言葉、忘れんなよ」


小さく舌打ちをして、ヒノエが踵を返す。
彼がこの時間まで起きているのは珍しいことじゃない。
何より、久し振りに熊野へ戻ってきたとなれば、尚更。
春先から、夏の今まで京にいたのだ。
別当としての仕事が山のように溜まっているのだろう。



そして、ヒノエはこれから先のことも考えねばならない。


源氏に手を貸すか否かを。



今回は別当不在という理由を使って、望美たちには会わせなかったが、速玉大社ではそうもいくまい。
自分たちが本宮で那由多の禊ぎを待っている間、どうやら速玉で別当の姿を見たという情報を、望美たちが手に入れていたのだから。


「源氏と、平家。この戦、熊野はどちらにつくつもりなんですかね」


この戦、どちらが勝とうと構わない。
だが、自分には、成さねばならないことがある。





そのためには、どんな手を使ってでも。





けれど、それに振り回されるのは那由多だ。
彼女には申し訳なく思うが、理解してくれていると思っている。
そうでなければ、自ら共犯者など名乗り出ないだろう。


女としての幸せを捨てて、尚、自分に協力する彼女の想いがどこにあるか、誰に言われずともわかる。

けれど、それを言うには、自分は罪を犯しすぎてしまった。


部屋へ戻る弁慶の背中を、月の光が照らしていた。





翌朝。
日が昇る前に目覚めた那由多は、ぼんやりと天井を見上げていた。


「苦……」


ぺろりと唇を舐めて、その苦さに思わず眉をひそめる。
夜中に、自分の部屋に弁慶が訪れた気がするのは、気のせいではないだろう。
その証拠に、寝る前にはなかった唇に感じる苦みと、額に布が乗せられている。
ならば、弁慶のあの言葉も本物なのか。


「人が寝ているときにしか本心を表さないなんて、ホント、不器用な人ね」


けれど、その不器用なところも全て含めて弁慶なのだと、改めて思う。
額の布を取り、上半身を起こしてみる。
目眩や倦怠感は感じられない。
どうやら、熱はすっかり下がったらしい。
その事に感謝しながら、ぐん、と伸びを一つ。
布団から起き出して、夜着から単衣に着替える。
そうしてから、懐剣を懐に忍ばせて、小さめの籠を持ち部屋から出た。
今から行けば、昨日ダメにしてしまった薬草を、少しくらいは採ってこれるだろう。


「姫君は、こんな早朝からどこへ行こうとしてるのかな?」


庭に出たところでかけられた声に、思わず身体を固くする。
けれど、聞こえてきた声が想像していた人物の声じゃないことに、少しだけ安堵の溜息が漏れた。


「おはよう、ヒノエ。少しね、昨日ダメにした薬草を、採ってこようかと思って」
「こんな朝早くから?けど、怨霊が現れないって保証は、どこにもないだろ」


言外に、行かせないという雰囲気を感じ取った那由多は、仕方なく肩を竦めた。


「そんなに心配なら、護衛としてついてきてくれる?疲れてるヒノエには悪いけど」
「お前のためなら、これくらいどってことないよ」


ヒノエがあまり寝ていないのは知っているから、敢えて疲れてるを強調したのに、どこまでも軽く流されてしまう。
けれど那由多の誘いに、ヒノエが浮かれているのも事実。
ヒノエの態度を見て、それがわかってしまっただけに、那由多もあまり深くは言えなかった。


「それで、姫君はどこまで足を伸ばすつもりかな」
「昨日と同じ。本宮からさほど離れてない場所よ」
「了解」


そう言って、那由多の手から籠を取り、空いた手に自分の手を絡める。
那由多がその手を握り返すようにすれば、少しだけ驚いた表情が返ってくる。
ヒノエの年相応な表情は滅多に見られないだけ、希少価値がある。
それに満足そうに微笑めば、次に返ってくるのは勝ち気そうな笑み。


「早めに行って、早く帰ってこないと、誰かさんの説教が来そうね」


薬草を摘みに向かいながらボソリと呟けば、ヒノエがあからさまに嫌そうな表情になる。
けれど、それを言った本人ですら、似たような表情になっていたのは、言わずもがな。










でもね そんな不器用な生き方嫌いになれなくて










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弁慶VSヒノエ??
女としての幸せ=結婚
2007/9/12


  
 

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