紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
冗談と本気
 









その背を見送ることはもう嫌なの










那由多の部屋に入った弁慶は、後ろ手に襖を閉めると少し進んでからその場に腰を下ろした。
因みに、部屋に入ったのは弁慶だけで、ヒノエと望美は他の仲間の元へと戻っていった。
湛快も那由多の意識が戻っているなら、とふらりとどこかへ行ってしまった。


「文をよこすなら本宮にじゃなく直接私によこせばよかったのに」


弁慶より数歩前に進んめば、向かい合わせるように座る。
その際、これだけは言っておかなければ、と思っていたことを口にする。
だが、その口調は咎めるものではなく、どこか楽しげ。


「一つ所にいない君も悪いんですよ?だから僕は兄に届けてくれるよう頼んだんですが……」
「文を送るのに烏を使ったくせに」


変なところで物臭なんだから、と不平を口にすれば、それに苦笑している姿が見える。
何も言わないということは、それを否定するつもりはないらしい。
相変わらず、人のことには細かい癖に、自分のことになると無頓着だ。


「ヒノエには話していないんでしょう?」


主語を抜かして本題を切り出せば、弁慶は少しだけ首を傾げた。
そんな態度すら、どこか芝居がかっているように見える。


「さぁ、どうでしょう」
「そうやってはぐらかすのも、変わってないのね」


嘆息一つついてその場に立ち上がれば、部屋の隅に置かれている単衣を手に取る。
けれど、その場から動く気配のない弁慶に、満面の笑みを浮かべてくるりと振り返った。


「さて、あなたに質問です。これから一人の女性が着替えをします。その際、あなたならどうしますか?」
「そうだな……もし望むのなら、そのまま脱ぐのを手伝ってあげますよ?」


そう言いながら、同じように満面の笑みを返してくれた。
ひくり、と頬が引きつるのを感じる。



あの甥にして、この叔父あり。



嫌なところで血の繋がりを感じてしまうのは、仕方がないことなのだろうか。
熊野の男は女に弱いというが、それ以上に別当家の男が女に甘いのは間違いじゃないだろう。
そうでなくとも、ヒノエは湛快の血を色濃く受け継いでいる。
そして、その湛快の弟である弁慶も。


「あら、脱がせるだけなのかしら」


だから、少しだけ意地の悪いことを言ってやる。
世の女性にならそれ以上の行為に発展するのだろうか。



そう、例えば白龍の神子とか──。



そこまで考えて、自分の思考に嫌気がさす。
弁慶が白龍の神子に手を出すということは考えられない。
ヒノエが近くにいるのなら、特に。


「さすがに、本宮では僕も何も出来ませんよ」
「本宮では、ね」


それ以外でも何もする気はないくせに。


喉まで出かかったその言葉を、とっさに飲み込む。
それはわかりきっていたことだ。
少なくとも、二年前から。


「なら、出て行ってくださる?」


す、と障子を指差して無言で出て行けと訴える。
そうすれば、小さく溜息を吐きながら緩く首を振った。


「残念ですね……」
「べ・ん・け・い?」


さも残念そうに項垂れる弁慶に、那由多の怒りも募ってくる。
もしかしたら青筋が立っているかもしれない。


「冗談ですよ」
「あなたの冗談はどこまでが本気かわからないと、どこまで言わせれば気が済むつもりですか?」


いつもと変わらない微笑を浮かべたまま、那由多に否定の言葉を告げる。
けれど、それではいそうですか、と納得するわけにはいかない。
ヒノエ同様、那由多もまた、弁慶の口先と態度に泣かされてきたのだから。
憤りを感じている那由多の姿に、弁慶の瞳が小さく光る。


「……那由多。僕は君に対して、いつだって本気ですよ?」


その瞳で見られると、思わず言葉に詰まってしまう。
けれど、それに流されてしまったら、弁慶の思うつぼだ。


「っ……だったら、部屋の外で少し待っているくらいの誠意を見せて下さい!」


いつまでも座っている弁慶を追い出すように部屋から出せば、ぴしゃりと襖を閉める。
そのままずるずると座り込めば、一気に疲れが押し寄せてきた。
どうせ部屋の外で弁慶は笑っているのだろう。
どこまでが弁慶の思惑なのだろうか。


『僕は君に対して、いつだって本気ですよ?』


先程の弁慶の言葉が、耳の奥で木霊する。


「……そんなこと、露程も思っていないくせに……」


小さく呟いてから、数回頭を横に振る。
気持ちを切り替えるために、大きく深呼吸を一つ。


「よし」


ぐ、と小さく拳を作ってから、羽織を肩から落とし着物を脱ぐ。
そうしてから、単衣を身につけ、髪に櫛を入れる。
鏡を見て、しっかりと身なりを整えてから、弁慶が待っているだろう廊下へと向かう。


「お待たせ」
「もういいんですか?」


部屋を出て弁慶の隣へ行けば、そっと手を差し出される。
その手に自分のそれを重ねれば、強すぎず弱すぎず、ほどよい力で握られる。
自分のものより大きい手は、多少ごつごつしている。
いくら美人でも、こういうところは男性なんだと納得せずにはいられない。


「いつまでも待たせていられないでしょう?」
「女性に待たされるのは、嫌いではありませんよ。特に、君にならね」
「口がお上手ですこと」


呆れたように肩を竦めてみせれば、お互いに笑い合う。
そのまま弁慶に促されるように歩を進めれば、連れてこられたのはとある広間。
部屋の中からは数名の話し声が聞こえる。
おそらく、白龍の神子とその一行だろうと、安易に想像できた。


何故なら、聞こえてくる声の中には聞き慣れた声と、つい先程聞いた声が交ざっていたのだから。


それに、弁慶が自分を連れて行くような場所は、一ヶ所しかない。
これから源氏の薬師として、行動を共にすることを告げるのだろう。


「少し待っていて下さい」
「ええ」


するりと、離れていった温もりが、少しだけ恋しかった。
そのまま襖を開けて、部屋の中へと消えていく弁慶の後ろ姿を見送る。



今まで何度、自分は彼の背中を見送っただろうか。



そして、これから幾度見送ることになるのか。



できることなら同じ場所に立ちたい。
そう思って、薬師になろうと決めたのはいつのことだろう。
思案に耽っていれば、す、と目の前の襖が開かれる。


「那由多」


自分を呼ぶ声は、先程まで自分の隣りにいた人物の声。
彼の願いに応えるために、自分は決断したはずだ。



「失礼します」



一礼してから、一歩を踏み出す。



これが、新しい道への第一歩。



これから先、どうなるかわからない。
けれど、こうすることで何かは変わるはずだ。





──自分も、弁慶も。





那由多が部屋に入ると、しんと部屋の中が静まりかえった。
一斉に注がれる視線が痛い。
弁慶が座ったのを見て、その少し後ろに自分も正座する。
座る直前に部屋の中に目を走らせれば、どれも先程見た顔ばかりだ。


だが、その中の一つだけ。

ヒノエの視線だけが、部屋の中にいる誰よりも強く、痛かった。


「那由多さん、もういいんですかっ?」
「ええ、さっきはありがとう」


那由多が座ったのを見計らったかのように、望美が声を掛ける。
それに笑顔で応えれば、ほっと安堵の溜息が伝わってくる。


「弁慶。お前が会わせたいと言っていたのは、そちらの女性か?」


少し固い口調で弁慶に問う男性に視線をやる。
弁慶に比べると、どこか真面目そうなその男は、鋭い視線で那由多を見つめた。


「そうですよ、九郎」


九郎、と弁慶が呼んだ名前を反芻する。
確か源氏の総大将の名前が九郎義経だったはず。
ならば、彼がそうか。
弁慶が顔だけ振り返り、那由多に目で合図すると、小さく頷いてから弁慶より少し前に出る。
その顔に、微笑を浮かべながら室内の人物全てを見回し、最後に九郎で止まる。
真っ直ぐに自分を見つめる瞳は、どこまでも真っ直ぐ。


悪い人ではない。


それが、九郎に抱いた最初の感想だった。


「先程はお見苦しい姿をお見せしました。私のことは那由多と。そう、お呼び下さい」


言ってから、深く頭を下げる。
顔を上げると弁慶の後ろに移動し、控えるように座る。


「九郎と景時には話していましたよね」
「ああ」
「えっ、そうだね〜」


話を振られた九郎と景時がつられて頷く。
けれど、それ以外の人たちには話が伝わっていないせいか、誰もが首を傾げて弁慶の言葉を待っていた。





「彼女、那由多には薬師として、源氏に来てもらうことになりました」





それは、有無を言わせぬ決定事項。
事後承諾に近いそれに、思わず立ち上がったのはヒノエだった。
その紅の瞳を炎のように光らせて、きつく弁慶を睨んでいる。



二人の間に、火花が散っているような気がするのは気のせいではないだろう。



ピンと張り詰めた空気に包まれ、誰もが二人の動向をうかがっている。
このままでは誰も居心地が悪かろう。
全く、せめて人前ではいがみ合わないで欲しいのに。
その尻ぬぐいをするのは一体誰だと思っているのか。


「……二人とも、みなさんが困っているでしょう?」


それくらいにしろ、遠回しに告げれば、渋々とヒノエが腰を下ろした。
それを確認してから、軽く弁慶を睨め付ける。


やはりヒノエに何も告げていなかったのだ。


これではヒノエが怒るのも当たり前というもの。


「弁慶殿、後からお話があります」
「……お手柔らかに頼みますね」
「それを決めるのは、あなたの態度次第です」


似たような笑みを浮かべながら話す二人に、誰もが背中に冷たいものを覚えた。










手を繋ぎましょう君と僕を繋ぎましょう










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合流しました
2007/9/10


  
 

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