紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
白龍の神子と浄化
 









同じ痛みを知っている二人だから










いつまでも立ったままの二人に、座るよう言えば、那由多の側へとやって来て腰を下ろす。


「あの、具合の方はいいんですか?」


座るや否や、身を乗り出すようにして尋ねてくる望美に、那由多は微笑んで見せた。


「ええ。禊ぎも済ませているから、それほど悪くはないの」
「良かった」


那由多の言葉に、望美はホッと胸を撫で下ろした。
だが、逆に表情を曇らせたのはヒノエと湛快だ。


たった今、それほど悪くはない、と言ったが、それは言い換えればまだ具合が悪いということ。


なのに、まるで何ともないようにしているのは、望美に心配を掛けさせないためか。
先程、本宮の外で那由多を見ている望美は、その時の彼女の様子を知っている。
だからこそ、ヒノエが望美についてきてくれと頼んだときも、彼女は理由を聞かずに返事二つで返してきた。
その時の望美の様子が、今まで見てきたどれとも違ったから、ヒノエは少々面食らったのだが。


「それで?ヒノエが彼女だけを連れてきたのには、何か理由があるんでしょう?」


本宮の外で見たのはヒノエと弁慶を含め、十人前後。
だが、この場に連れてきたのは望美一人。
何か思惑があるとしか考えられない。


「まぁね。その前に、一つ確認してもいいかい?」
「私に答えられることなら」


すんなりと肯定したヒノエだが、理由を話す前に自分の質問に答えろと言う。
どうせ聞かれるのは、なぜ穢れを受けたかだろうと、大体の目星を付けておく。

別段、聞かれて困る内容ではない。

問われれば、素直に返せる答えだ。
けれど、ヒノエが口にしたのはそうではなかった。



「お前が受けた穢れ、未だその身に残ってるんだろ?」



「えっ?そうなんですかっ?!」


思わず、表情が固まったのを感じた。


さすが神職。
さすが、熊野別当。


禊ぎをしたはずの身体に、今も尚、穢れが残っていることを見抜くとは。
その証拠に、白龍の神子はヒノエの言葉に酷く驚いている。
あぁ、だからか。


この場に、白龍の神子だけを連れてきたのは。


確か、白龍の神子は穢れを浄化出来るはず。
自分の身体に、穢れが残っているのなら、彼女に浄化してもらおうという心づもりか。
至れり尽くせりなこの状況。
嬉しくないと言っては嘘になる。
けれど、それを考えたのは、きっとこの場にはいないあの人。


「あの人が、そう言ったのね」


独白にも近い呟きに、ヒノエが「あぁ」と小さく頷いた。
ぶっきらぼうに、短く告げられたそれは、はっきりと不愉快だと自己主張をしている。
この様子だと、相変わらずらしい。
そう思えば、ついて出る笑みを抑えることは出来なかった。


「質問に答えないなら、肯定と取らせてもらうよ」


はぁ、と小さく溜息を吐きながら、弁慶が言っていた通りの事の運びに、ヒノエは苛立ちを覚えていた。
いつも自分より先を見通している。
昔は、見ている世界が違ったから、それでも仕方がないと思っていた。

けれど、今は違う。

弁慶は源氏の軍師として、自分は熊野別当として。
守るべきモノは違うが、見ている世界にそれほど違いは無いはずだ。

それなのに。

いつも後れを取るのは自分。
現に今だって。
那由多の事を大切に思っているのは、弁慶だけじゃない。
ヒノエとて同じなのだ。
けれど、結果的に弁慶の方が那由多を案じている形になっている。

それが、気に入らない。

だが、それを今表情に出そうものなら、賢い那由多にはすぐにバレてしまう。
それだけは、出来なかった。


「望美、お前の持つ浄化の力で、穢れを浄化できるかい?」
「うん、多分出来ると思うよ」


望美の方を見て問えば、ヒノエの目を見てしっかりと頷く。
頼もしいね、と目をすがめれば、少しだけ照れたようにはにかむ少女が愛おしい。


「ってわけだから、大人しく穢れを浄化してもらいなよ」
「わかったわ。けれど、ヒノエと湛快様は、退室願っても構わないかしら?」
「構わねぇよ」


望美に、穢れを祓ってもらうことに、ヒノエと湛快の退室を求めれば、第三者の声。
それが湛快の物であると、振り返らずともわかる。
部屋の隅で座っていたはずの湛快が、いつの間にやら立ち上がり、部屋を出るために歩き出す。
それを見たヒノエも、肩を竦めながら湛快に倣った。


「オレたちは外に出てるから、終わったら声をかけなよ」
「ええ、もちろん」


部屋を出る前に、首だけを振り返りながらヒノエが言えば、深く頷いて返事を返す。
そのまま障子を閉じられれば、部屋に残されたのは那由多と望美の二人だけ。
穢れがまだ残っていると聞いてから、どこか表情を硬くしたままの彼女に少しだけ、笑みを見せる。


「穢れといっても、そこまで酷くはないのよ?殆どは禊ぎで祓っているから」
「でも、具合が悪いことに変わりはないんでしょう?!」


自分の様子を伝えれば、バン、と畳を叩く音がする。
逆効果だったか、と内心舌打ちをしてから、望美を見た。
初めて会ったといっても過言ではない自分に、どうしてそこまで必死になるのだろうか。
確かに、穢れを受けて具合が悪くない者はいないだろう。
けれど、受けているのは自分であって、目の前にいる彼女じゃない。

所詮、自分の苦しみは、自分にしかわからない。

那由多はまだ知らなかった。
望美が、何度も時空を越えていることや、未来を知っていることを。


穢れに苦しんだことがある事実すらも。


繰り返す運命の中で、望美自身が穢れの影響を受けたこともあった。
その時は、鉛のように身体は重いし、具合が悪くて怨霊を浄化するどころではなかった。
穢れがどれほど苦しいか知っているからこそ、望美は必死になるのだ。


そうでなくとも、望美の知る那由多の未来は、幸せな物は何一つとしてなかったのだから。
今度こそは、何としても幸福を手にして欲しい。
望美が必死になる理由は、そこにあった。


「ごめんなさい。私はあなたの気分を害してしまったようね」
「私こそ、具合の悪い人に大きい声を上げたりして、すいません」


失言だったと、謝罪すれば、慌てたように望美の態度が一転する。
そんな様子を見て、根は悪い人ではないのだと知る。
一つのことに集中してしまえば、他のことは目に入らないのだ。
そういえば、彼女の他にも、そう言う人がいると聞いた覚えがあるような気がする。
はたしてそれは、一体誰のことだったか。


「あの」


思案にふけっていた那由多に、ためらいがちに声が掛けられる。
それに顔を上げれば、心配そうな彼女の顔。


「大丈夫ですか?」


そういえば、体内に残っている穢れを彼女に浄化してもらうのだった。
部屋の外にはヒノエと湛快が待っている。
恐らく、時間をおかずに弁慶もやってくるだろう。
そのときに今のままでは、あの目だけは笑っていない綺麗な微笑で、えんえんと説教でもされるのだろう。


昔からそうだ。
滅多に怒鳴ることはないが、笑顔で説教をする。
それこそ、こちらが泣いて謝っても止めないような勢いで。
弁慶があまり声を荒らげないのは、その生い立ちのせいだと理解している。
それがどんなに辛くとも、いつも笑顔で流すようにしていると。
泣き言の一つすら、彼の人は他人に見せないのだ。


それだけはどうしても回避しなければ。
まぁ、弁慶以外にも、ヒノエや湛快という過保護な人物がいるから、三人がかりで説教されてはたまったものじゃない。


「大丈夫よ。始めてもらえる?」
「はい。えっと、その前に、穢れを受けた場所を見せてもらっても、良いですか?」
「見ても、あまり気持ちのいい物ではないけれど」


そう言って、着物をめくれば、しっかりと布で撒かれた腕が現れる。
そのまま布を取っていけば、布の下から見えた腕に、望美が思わず口元を手で押さえた。


「ひどい……」


小さく呟かれたその言葉に、那由多は苦笑を浮かべるしかなかった。

怨霊に斬られた傷口を中心に、腕が黒く変色しているのだ。
年頃の少女が見て、気持ちのいい物ではない。
白龍の神子であるが故に、こんなことまでさせられるなんて、迷惑以外の何物でもないだろう。
そのことに、申し訳なく思った。



一方、那由多の腕を見た望美は、頭を鈍器で殴られたような強い衝撃を受けていた。
本当なら、穢れを受けた場所を触るだけで、穢れは浄化できる。
だから、わざわざ状態を確認しなくてもいいのだ。
だが、どうしても気になった。
今までの運命でも、穢れには人一倍気を遣っていた那由多だから、きっと何かがあるのだろうとは思っていた。
けれど、目の前の状態を誰が想像しただろう。
大概は、穢れをその身に受けても、体調不良を訴えるだけで、目に見えた変化というものはない。
現に、自分がそうなったときも、具合が悪くなっただけだ。

それなのに。

目の前にいる彼女は、すっかり変色してしまった腕を「見ても、あまり気持ちのいい物ではない」と言った。
そういうことは、今までもこうなったことがあるということか。
今回は自分が穢れを浄化できるから良いとして、それまではどうしていたのだろう。
一人で、苦しみに耐えていたのだろうか。


「今、浄化しますね」


ぐ、と泣きそうになるのを堪え、恐る恐るその腕に手を伸ばす。
傷口に触れないように。
そして、望美が那由多の腕に触れた瞬間。


「あ……」


すっと、それまで重かった身体が軽くなっていくのを感じた。
ついで腕に目をやれば、変色していた腕が見る間に元に戻っていく。
綺麗な肌色が腕に戻る頃には、那由多の身体の不調はなくなっていた。


「……どう、ですか?」


覗き込むようにして、尋ねてくる望美をよそに、マジマジと自分の腕を見回す。
そこにあるのは、怨霊に付けられた傷のみ。
穢れは一切残っていない。
これには那由多も、さすが、としか言いようがなかった。
やはり、神に選ばれた神子は違う。


「さすが、白龍の神子ね。すっかりよくなったわ。ありがとう」
「よかった」


顔を上げて、満面の笑みを浮かべれば、ほっとしたのか。
こちらも満面の笑顔で返してくる。
先程から見ていたのは、心配そうな、それでいて不安を抱えた表情だったから、彼女の笑顔を見るのはこれが始めて。
どこかの誰かではないが、やはり女性には笑顔が良く似合う。


「そういえば、私ったら名乗りもせずに、ごめんなさい」
「いえっ!ヒノエくんから聞きました。那由多さん、ですよね?」


ヒノエから聞くよりも前から知っていた名前。
けれど、この場で会う那由多は、望美が知っているようで知らない那由多。
だから初対面の振りをする。


「私、春日望美っていいます」
「望美さん、ね。あなたによく似合っているわ。私は那由多よ」


お互いに名乗り合ったところで、那由多はその場に立ち上がった。
座ったままの望美は、自然と那由多を見上げることになる。


「那由多さん?どうしたんですか」
「穢れを浄化してもらったんですもの。いい加減、外にいる三人を呼ばないと、ね」


那由多の言葉に、望美は首を傾げた。
部屋から出たのはヒノエと湛快の二人だけだったはず。
みんなを呼んでくるのなら、三人ではなく、十人強になる。
だとしたら、後の一人は一体……?



「あなたたち。女性の部屋に聞き耳を立てるのは、無粋な人がすることよ?」



言いながら、那由多が障子を開ければ、そこにいたのは確かに三人だった。










たった一粒の可能性にでも縋りたかったのだ 僕は










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べ、弁慶の出番が……orz
2007/9/6


  
 

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