紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
求めるのは言葉と気持ち
 









嘘吐きの為の 嘘










「お願い、黒龍!静まってっ……」





長い戦いの末、黒龍が弱まってきた頃合いを見計らい、朔が祈りを捧げた。
すると、あれほど我を失って暴れていたはずの黒龍が、驚くほど静かになった。
これが黒龍の神子の力。
望美の持つ白龍の神子の力とは、また違う。





浄化の力と鎮める力。

それは、動と静に似ているし、陰と陽にも似ている。

対極に存在しながら、深いところで繋がっている物。





その黒龍が静まったということは、次に何が起こるのか。
那由多は、自分の隣りにいる白龍を見た。
どうして彼を見たのかは自分でもわからない。
けれど、わかっていたのかもしれない。


「神子……」


小さく呟いた白龍は、その身体全体から、淡く光を発している。
その光は、望美が怨霊を浄化するときと同じ光。
暖かく、それでいて清浄。


「神子……力が、満ちる……」


白龍に力が満ちると言うことは、五行の力が集まったのだろう。
ならば、応龍が復活するか。
五行の力が満ちれば、応龍が生じると白龍は言った。
黒龍も蘇り、半強制的にとはいえ正気を取り戻させたのだから、当然と言えば当然。


「五行が、私の身に満ちていく……」


そう言った途端、白龍の身体はその場から忽然と消えた。


「白龍!」
「白龍?!」


驚いたのは望美だけではない。
この場にいる誰もが、姿を消した白龍をその目で見た。
驚かないはずがないのだ。


「神子、これが私の本当の姿」


どこか頭の中に響くような声に、とっさに天を仰ぐ。
すると、空中に浮遊している白と黒の龍。
本当の姿というのなら、あれが本来のあるべき姿か。
応龍から分かたれ、人身に転身する前の龍神の姿。
その様は堂々と、けれど悠々と宙を舞っている。


「応龍の半分が生じ、私はまた一つの龍になる。世界を守る力に」
「応龍……」


その言葉を聞いて、真っ先に反応したのは弁慶だった。
まるでどこか遠くを見ているような、そんな瞳。
その瞳に、僅かな安堵が浮かんでいるのは気のせいか。


「龍神の加護がこの世界に、戻るんですね……これで、ようやく終わる」


まるで独白のような弁慶の呟きに、那由多は胸が痛むのを感じた。










これで、終わる。

自分と、弁慶の関係も。










思わず、着物の胸元をきつく握りしめた。
今までの分を補うためにも彼はこれから、自分の幸せを見付けるべきだ。
その為には、自分が彼の側にいてはいけない。
多分、これがいい機会だろう。
厳島を出れば、ヒノエは熊野に戻るはずだ。
そのとき、自分も一緒に船に乗って、熊野へ戻ればいい。
幸いにも、自分の荷物はこの場にある。


「弁慶さん、これで終わりじゃないですよ」


そんなとき、望美が弁慶の前へ進み出た。
一体何事かと彼女を見れば、他の仲間たちも彼女と弁慶を見ている。


「弁慶さんには、今から違う戦いをしてもらわなきゃ」
「違う戦い、ですか?」


弁慶自身、何も知らないのだろう。
望美の言葉に、首を傾げながら目を丸くしている。
彼女はこれから何をするつもりなのだろう。
清盛も消滅し、応龍も生じた今、何を戦うことがあるというのか。


「私、舞台へ来るときに弁慶さんに言いましたよね。全てが終わったら聞きたいことがあるって」
「あぁ、そのことですか。確かに、君はそう言いましたね。それで、全てが終わった今、僕に何を聞きたいんですか?」


望美が言えば、心当たりがあるのか、弁慶は小さく頷いてから話の先を促した。
みんなの視線は二人に注がれる。
違う戦いとは、弁慶と望美が戦うことなのだろうか。











「弁慶さんは、那由多さんのことをどう思ってるんですか?」










一体何を言い出すのか。
那由多は望美に問い詰めたかったが、それ以上に、弁慶の答えが気になった。
全ては彼の言葉次第。
それを聞いてから、別れの言葉を告げても遅くはないだろう。
どうせ聞かなくても、弁慶の言葉は決まっているのだ。



ただの「姪」だと。



望美が何を考えているのかはわからない。
けれど、何もこんなところで聞かなくてもいいのにと思う。
二人きりの時ならば、一人になった後にどれだけでも取り乱すことができる。
だが、こんなに沢山の人がいては、何を言われてもじっと耐えなければならない。
一人に、なるまで。


「それが、望美さんと何の関係があるんですか?」


問い返す弁慶の声が、冷たかった。
これ以上自分の中に踏み込むなと言う、無言の圧力。
ピリピリとした空気がその場に流れる。


「ずるいですよ、弁慶さん。質問に質問で答えるなんて」


けれど、望美はそんなことお構いなしに言葉を続ける。


「もう一度聞きます。那由多さんのことを、どう思っているんですか?」


これ以上、会話を続けて欲しくなかった。
もう一度惨めな思いをするくらいなら、いっそこの場から消えてなくなりたい。
それが叶わないなら、せめて耳を塞いで、何も聞こえなくなりたかった。





「……望美さんには、関係のないことです」





那由多は、小さく唇を噛みながら、足下をじっと見つめていた。
今顔を上げたら、きっと酷い顔をしているだろう。
それに弁慶の顔を見たら、そのまま彼の目の前に言って、彼を詰ってしまいそうだ。
せっかく彼の贖罪が終わったのに、これでは意味がない。


「弁慶っ!」
「弁慶殿、言い過ぎです!」


何も言わない那由多の代わりか、九郎や朔が抗議の声を上げる。
けれど、弁慶はその表情を一つも変えることがなかった。





「やっぱりアンタは信用できねぇな」





そんなときに振ってきたヒノエの声。
ヒノエは弁慶の横をすり抜け、そのまま那由多の目の前へと移動する。
けれど、下を向いたままの那由多にはヒノエの姿は見えない。
ヒノエの足が那由多の視界に入る前に止まる。


「那由多……いや、姉上。伝言を預かってるんだ」


優しい声でそう言われ、のろのろと顔を上げる。
すると、目の前に見えたヒノエの顔が、随分と痛そうだった。
どうして彼がそんな顔をしているのだろう。
いつも勝ち気な彼が、そんな顔をするのは珍しいと同時に、似合わないと思った。


「でん、ごん……?」


どこか虚ろな瞳でヒノエを見る。
そうすれば、ヒノエは一度弁慶を振り返り、彼を睨み付けてから再び那由多の方を見た。


「そう、あの親父からね。ちゃんと聞いてなよ?

『お前は藤原家と縁を切ったつもりでいるが、俺は縁を切ったつもりはない。だから、腹黒軍師に捨てられたら、ちゃんと熊野へ戻ってこい』

だってさ。あの親父、元から縁なんざ切るつもりはなかったんだよ」


忌々しそうに舌打ちするヒノエに、那由多は微笑を浮かべた。
多少、ヒノエなりの脚色はあるものの、彼が言ったことは確かに湛快が言ったことなのだろう。
今は二人の気持ちがありがたい。
帰る場所があるのだと思うだけで、心の拠り所になる。


「それは困りましたね……」


突然聞こえてきた声に、ヒノエが小さく舌打ちした。
今更、何が困るというのか。
那由多のことを何とも思っていないのなら、弁慶が困る必要は何もないはずだ。
それとも、期待してもいいのだろうか。
けど、期待して毎度馬鹿を見ているのはどこの誰だったか。
今回もまた、ぬか喜びで終わるのだ。
だったら、始めから期待などしない方がいい。
期待するたびに傷つくのは、もうゴメンだった。


「何が困るって言うんだよ。アンタが困ることなんか、何もないだろ」
「どうして君がそう言いきれるのか、理由を聞きたいですね」
「オレだけじゃなくても、わかると思うんだけど?」


そう言って、ヒノエはみんなを見回す。
それにつられて弁慶も見回せば、なるほど。
自分を見るみんなの瞳が、妙に冷たい。
けれど、これまで自分がやってきたことを思えば、それも仕方のないことだ。


「……結局あんたは、姉上の気持ちなんか考えたこともないんだ」


そう言ったヒノエは、どこか悔しそうに前髪を掻き上げた。
彼が那由多のことを特に慕っていたのは知っているが、どうしてこれほどまでに執着するのかがわからない。
これは姉思いの度を超えているように思える。







那由多の気持ち?

ヒノエが、自分よりも彼女のことをわかっているとでも言うのか。

彼女がどんな思いをしているか、わかっているとでも?







思わず、嘲笑が出た。
するとヒノエが自分との距離を一気に詰める。
胸ぐらを掴まれ、彼の手が挙がるのを、まるで他人事のように、ただじっと見つめていた。


「ヒノエくんっ!」


けれど、彼の手は間に入った望美のおかげで、自分に届くことはない。


「離せよ、望美!こいつは一篇ぶん殴らねぇと気がすまねぇっ!」
「駄目、駄目だよっ!」


望美は、自分の身体を張ってヒノエを止めていた。
けれど男と女の身体では、どうしても女の方が体力的に不利だ。
それをわかっていながら、望美はヒノエを留めようと言葉を紡ぐ。


「だって、弁慶さん、那由多さんの前でだけ私たちと表情が違うんだよ!」
「はぁ……?」


望美の言葉に、思わず問い返す。
そんなの、いつものことではないか。
能面のような弁慶の表情が変わるのは、必ず那由多が関係しているときだけだ。
それは昔から変わらない。


「望美、何今更……」
「ヒノエくん、本当にわからないの?」


あまりにも望美の目が真剣だから、ヒノエは言葉を最後まで告げられなかった。
わからない、とは一体何が?
弁慶が那由多の前でだけ表情を変えることが、一体何だというのだ。



「弁慶さん、ちゃんと教えて下さい!」


ヒノエを押さえたまま、望美が弁慶を振り返った。
全く、彼女はどこまで知りたがるのか。
他人の気持ちを知ったところで、彼女には何の得もないだろうに。










「望美さん、もういいのよ」










そう言った那由多の声が、やけにその場に響いた。










だれのものにもならないしなれもしないのでしょう あんたってひとは










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……嘘つき登場(爆)
2007/11/17


  
 

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