紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
謝罪と贖罪
 









求めて病まない罪深さを 人と呼ぶ










自分の目の前にいる人たちの顔を見渡せば、那由多はほっと安堵した。
肉眼でヒノエの船を確認していたけれど、実際に間に合うかどうかは運頼みだった。
けれど、彼らは確かにここにいる。
これで心配事の一つは消えた。
だが、まだ気を許せる状態ではない。
今の状況が最悪の事態なのかどうか、一刻も早く確認しなければならない。





それと同時に、弁慶と望美の生死も。





仮に、これが清盛の引き起こした物なら、二人の生存は望める物ではない。
例え望美が無事でも、弁慶は無事ではないだろう。
彼は過去にも同じ事をしている。
さすがに清盛が怨霊となり、記憶が混濁しているとはいえ、弁慶のしたことまで忘れたとは思えない。


「那由多さんがここにいるということは、先輩と弁慶さんはこの先ということですか?」


譲の声に、ハッと我に返る。
今は無駄なことを考えている暇はない。


「ええ、そのはずよ」
「那由多、随分と具合が悪いみたいだけど?」


譲に頷けば、今度はヒノエから声がかかる。
彼がそう言うということは、やはり陰の気に当てられているのか。
けれど、陰の気が増えた理由が一向にわからない。


「大丈夫、今はそんなことより、先へ進まなくては」


ね?と小さく微笑めば、ヒノエはそれ以上何も言ってこなかった。
これは優先順位の問題だ。
今は自分の体調よりも、先にやらなければならないことがある。


「ヒノエ。ヒノエが心配なら、私が那由多と一緒に行くよ」
「白龍が?……そうだな。確かに白龍が一番適任かもしれない。頼んだぜ?」
「うん」


そんな中、白龍がヒノエに名乗り出た。
ヒノエは少し頭を悩ませると、それを了承した。
訳がわからないのは那由多である。
どうしてヒノエが自分を心配していると、白龍が一緒に行くのか。
彼が心配してくれるのはよくわかる。
そうでなくとも、源氏に来てからは熊野にいた以上にヒノエは自分を案じてくれている。
だが、そのことと白龍が一緒に行くことが結びつかない。


「よし、なら先を急ぐぞ!」


九郎がみんなに先を促せば、それぞれの足が舞台へと向かう。
けれど、九郎はその場に立ちつくし、那由多をじっと見ていた。
一体何か言いたいことがあるのだろうか?
よく見れば、言葉を探しているように見えなくもない。
けれど、その言葉が上手く言葉にできないのか。
それとも、言葉自体が見付からないのか。
急ぐならば、彼もこんなところに留まるべきではない。


「九郎殿?」


埒があかないと考えた那由多が九郎に声を掛ければ、彼は小さく唇を噛んだ後、頭を下げた。


「九郎殿?一体何を……」


大将は簡単に頭を下げる物ではない。
それなのに、どうして彼は自分に頭を下げている?


「先の戦では、申し訳なかった」


頭を下げたまま、謝罪を申し出た九郎に、那由多は何かあっただろうかと記憶の糸を手繰ってみる。
先の戦が屋島でのことを指しているなら、自分は彼に謝ってもらうようなことをされただろうか。
未だ思い出せず、那由多が黙ったままでいれば、九郎は頭を上げた。
それから言いにくそうに視線を逸らし、ボソボソと、けれどはっきり聞こえる声で言った。


「那由多殿の気持ちも考えず、俺は酷いことを言った。熊野で湛快殿から話を聞いて、那由多殿に謝らねばとずっと思っていた」


それを聞いて、那由多はようやく九郎の謝罪の意味を理解した。
立石山で、弁慶の代わりに外套を着たときのことか。
確かにあのときの九郎は、自分に対して酷いことを言った。
けれどどうしてだか、自分はそれを忘れていたのだ。
忘れるということは、怒りなどないも同然。
それを許さねば、彼はいつまでも自分に対して後ろめたさを覚えたまま。
もしもこれから先、九郎と何かしらの関係を持つとするなら、そんな状態は喜ぶべき物ではない。


「別に謝らなくてもいいのに。けど、そこまで言うなら、許してあげるわ」


少しおどけたように言えば、九郎の表情がパッと明るくなる。


「ありがたい!那由多殿、感謝する」


もう一度、深々と頭を下げると、九郎は急いでみんなの後を追った。
残っているのは、自分と白龍。
自分たちもなるべく早く追いつかなくてはならない。
白龍は自分を支えるように、片腕を腰に回している。
歩く速度も、那由多に合わせてゆっくりだ。
するとどういうことだろう。



白龍が触れた瞬間から、身体の不調が少しだけ良くなった。



思わず白龍を見れば、彼は優しい眼差しを自分へ向けていた。
それは何物をも包む、慈愛にも似た眼差し。


「神子の力は私の力。その力の源も、同じ働きを持つよ」


その言葉に、那由多は納得した。
望美が自分に触れて穢れを祓うように、白龍もまた、望美と同じように自分の中にある穢れを祓ってくれているのだ。
だから、ヒノエは白龍が一番適任だと言ったのか。
そもそも、白龍は望美と違って龍神──神だ。
望美よりも、身に纏う神気が違う。
そのことにどうして気がつかなかったのか。


「ありがとう、白龍」


素直に礼を告げれば、白龍は悲しそうに顔を曇らせ、小さく首を横に振った。


「那由多が礼を言うことじゃないよ。多分、那由多の具合が悪いのは、私の半分のせい」
「白龍の……半分?」


言葉の意味がわからずに、思わず問い返す。
白龍は自分の不調の理由を知っているのだろうか。


「うん。私の半分は黒い龍。どうしてかはわからないけど、消えた黒い龍が蘇った。でも、自分を見失ってる。だから、那由多の身体の陰陽も乱れてる」
「黒い、龍」



白龍は言葉の通りにとるなら白い龍。



ならば、黒い龍とは黒龍のことか。



白龍が陽ならば、黒龍は陰。
そう考えると、全てつじつまがつく。
今、自分が体調を崩しているのは、陰の気が突然強まったため。
それが黒龍の復活だと考えるなら納得がいく。


「じゃぁ、弁慶は清盛殿を……」


清盛は黒龍の逆鱗を使って怨霊を増やしていたはずだ。
だが、黒龍が蘇ったということは、その逆鱗が壊されたということ。
すなわち、清盛の消滅を意味している。










やっと、やっと終わるのか。



彼の贖罪が。










弁慶の贖罪が終われば、共犯者もいらなくなる。
そう思えば、弁慶が離縁を告げた理由は、これも含んでいたのでは、と思う。
罪を贖えば、彼も幸せを手にしていいはずだ。





いつまでも自分という枷があってはいけない。





そろそろ離れなくてはいけなかったのだ。


「那由多は穢れに弱いって言っていたよね」
「え?ええ……」


突然そんなことを言い始めた白龍がわからなかった。
確かに京邸でそんなことを言ったが、今は関係がないはず。
だが、人ならざる神の言葉だ。
聞いて損はないだろう。


「もしかしたら、応龍が私と黒い龍に別れてから、酷くなったりはしていない?」


思わず、那由多の足が止まった。
すると隣にいる白龍の足も自然と止まる。


「どうして……」


問う声が震えているのが自分でもわかった。
それを知っているのは、自分を除いてヒノエと湛快だけのはずだ。
弁慶にすら、いたずらに心配を掛けてはいけないと、その事実は伝えていなかったのに。


「やっぱり。那由多は神子ではないけれど、とても清らか。だから、穢れには敏感なんだ。でも、五行の力が満ちて応龍が生じれば、それも直るよ」


どこか嬉しそうに話す白龍の言葉に、思わず言葉が出なかった。
生まれてから、穢れには人一倍敏感だった。
それは一生を終えるまで続く物だとばかり思っていたのに。
目の前にいる神は、応龍が生じればそれも直ると言う。
本人が言うのだ。
間違いはないだろう。
けれど、問題はまだある。
その応龍を生じさせるためには、五行の力を満たさなければならないし、黒龍も正気に戻さねばならない。
本当に黒龍が蘇っているのなら、この先に待っているのは間違いなく黒龍だ。



人が神に叶うのだろうか。



そう考えると、背筋を冷たい汗が流れていくのを感じた。
もし、みんなが黒龍を前に力尽きてしまうのなら、自分はこのままでも構わない。
誰かの命を犠牲にしてまで、この体質を戻そうとは思わないのだ。


「白龍、みんなが心配だわ。急いで行きましょう。」
「うん」


那由多は、自分の体調のことなど忘れ、駆け出した。










弁慶と望美の元へ辿り着いた九郎たちは、自分たちの目の前にいる黒龍に驚きを見せた。
朔がいい例で、最愛の者が蘇ったとわかり、言葉を無くしている。
けれど、その黒龍も我を忘れていれば自分たちの手に負えない。


「一度鎮めるか」


リズヴァーンが自分の太刀を構えながら、黒龍を見た。


「ええ、少し手荒ですが、弱らせれば朔殿が鎮められるでしょう。手を……貸してくれますか?」


弁慶が躊躇うようにみんなの顔を見回せば、誰もが笑顔を見せていた。


「今更聞くな!俺たちがなんのために来たと思ってるんだ!」
「そうだよ〜、ここで手を出すなって言われたら、俺たちの来た意味がないじゃない」
「ホントは野郎に手を貸すのは嫌なんだけど……那由多の頼みだからね」
「那由多の……?」


ヒノエの言葉に、思わず弁慶は周囲を見回した。
そういえば、彼女の姿が見えない。
それと、白龍も。
望美になついている白龍が姿を見せないのもおかしいが、源氏にいるはずの那由多の姿がないのはどういうことだ?
いくら源氏の薬師と言っても、望美と朔のための薬師なのだから、この場にあるべきなのに。


「ヒノエ、那由多はどうしたんですか?」
「はぁ?アンタ、知らないのか?」
「どういう意味です?まさか、彼女に何かあったんですか?」


弁慶の様子に、ヒノエは呆気に取られた。
てっきり、弁慶も知っていることだと思ったからだ。
だが、弁慶が知らないとなると、本当に那由多の単独行動だったのか。


「ヒノエくん!」


望美が慌てて割って入る。
那由多に口止めされて、自分も弁慶に話していないのだ。
ここで話されてしまっては、那由多の計画に支障が出てしまうのではないだろうか。










「私ならここにいるけれど?」










白龍と共にやってきた那由多は、多少息は切らせているが、先程会ったときよりも随分と顔色が良くなっていた。


「那由多……」
「まだ、やらなければならないことが残ってるんでしょう?」


何か言いたげな弁慶の言葉を最後まで聞かず、未だ我を忘れている黒龍を見上げる。
すると、弁慶の視線は黒龍へ移動してから、再び那由多の元へ戻った。


「最後の……贖罪」
「ええ。あなたの手で、成し遂げなくては」
「……そう、ですね。僕がこの手で終わらせなければ」


そう言った弁慶の顔は、いつもの彼の顔だった。










これが、最後の戦い──。










本当どうしようにもない馬鹿だなぁって想うで しょう?










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次回、最終回
2007/11/15


  
 

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