紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
託すモノと託されるモノ
 









結局は人はその圧倒的な力の前では何も出来ないのかも知れないね










清盛を除いた平家の人たちが厳島から出て行くのを、那由多は一人で見送った。
これで厳島に残っているのは清盛と、怨霊。
そして、彼の元へ向かっている弁慶と望美と自分自身だけ。
二人は今頃、どこまで行っているのだろうか。
まだ清盛と面会していなければいいのだが。
弁慶のことだ、できるだけ時間はかせぐだろう。





問題は、彼らが間に合うかということ。





できることなら、彼らが来るまで待っていたいけれど、危険な賭はできない。
人の足では間に合わないが、将臣と知盛の計らいで馬を一頭用意してもらった。
この馬を使えば、何とか間に合うだろう。
空を見上げれば、太陽は中点にさしかかっている。



急がなくては。



那由多は馬に飛び乗り、弁慶たちの後を追うことにした。















弁慶と望美が清盛の待つ舞台へ来たときには、既に日も傾いていた。
舞台へ来る道すがら、弁慶からこれからの作戦についても聞いた。


清盛への手土産として、自分は大人しく捕まった振りをする。
恐らく、清盛は呪詛の鎧で守られている身体から、自分へ取り憑こうとするはず。
そのタイミングを狙い、持っている八咫鏡の破片で、清盛の姿を映す。
上手くいけば、欠けた鏡によって陰陽の力が増幅され、清盛自身を壊す。
肉体ではなく、魂を壊されてしまっては、二度と蘇ることはできないだろう。
ただし、タイミングを逃せば自分は清盛に取り憑かれてしまう。
もし取り憑かれてしまったら、と考えるとゾッとするが、弁慶が自分を信じてくれているのだ。
その期待に応えなければならないだろう。


拳を作った手のひらに、じんわりと汗が滲む。
これほどまでに緊張したのは、初陣の時以来だ。
もしかしたら、この運命は自分の願った物を手に入れられるかもしれない。
そう思えば思うほど、失敗は許されないのだ、と自分の中でプレッシャーになっていく。


「望美さん」


名を呼ばれ、ハッと頭を上げる。
そこには、いつもの微笑を浮かべていながら、どこか心配そうな顔をしている弁慶の顔。
本当に自分を心配してくれているのだと知っているから、望美は笑顔を返した。
ここで弱音を吐いたら、弁慶はきっと自分の考えを改める。


望美を使って清盛を消滅させるのではなく、自分自身の手でやろうとする。


簡単にそれが予想できてしまったから、尚更彼に心配は掛けたくなかった。
大丈夫、と小さく口の中で唱えてから、ちゃんと弁慶の目を見る。


「大丈夫です、弁慶さん」


そう答えた彼女の瞳をじっと見つめ、その瞳に揺らぎがないことを確認する。


(彼女は、強いな)


きっとこれから先のことを考えているはずなのに。
自分のことを思ってか、それをおくびにも出そうとはしない。



どこまでも真っ直ぐで、清らか。



その小さな身体のどこにそんな強さがあるのか、一度見てみたかった。
自分はこんなにも弱くて、臆病で。
顔に笑みを張り付かせるのは、そうすることで感情を読み取らせないようにするため。



どこまでも弱い、自分の心を隠しておくため。



弁慶は望美に気付かれないように、そっと溜息をついた。
九郎とどこか似ている彼女は、九郎同様、一度言い出したら中々聞かない。
今の彼女に自分が何を言っても、聞き届けてはもらえないだろう。
ならば、彼女に委ねるまでだ。










自分たちの命運を──。










弁慶は微笑を浮かべると、チラリと自分たちのいる場所より先を見た。
自然と、望美の視線も弁慶のそれと同じ場所を見つめる。
この先に、清盛がいる。
泣いても笑っても、チャンスは一度きり。



失敗は、決して許されない。



望美の目が、す、と細められる。
瞬時に、纏う空気が普段のそれではなくなった。
まるで今の望美は、戦場を駆けているときと同じ。
その身を包んでいるのは明かな闘志だ。


(ここで腰を抜かされるより、マシですね)


清盛を目の前にして尻込みされるようでは、意味がない。
けれど、今の彼女の様子を見る限り、それは杞憂に終わりそうだ。
望美なら、必ずやり遂げてくれる。
そう思わずにはいられない「何か」が彼女から感じられた。


「清盛殿の相手は僕がします。君はできるだけ、口を閉ざしていてください」
「……わかりました」


返ってきた答えは、多少固い物があった。
やはり、緊張しているのだろうか。
そう思ったときだった。


「ねぇ、弁慶さん」


不意に柔らかい口調で自分の名を呼ぶ望美に、弁慶ははい?と小さく首を傾げた。
このまま進もうかと思ったが、呼び止められては先へ行くことができない。
この場は大人しく望美に付き合うしかないだろう。
それに、これがいい時間稼ぎにもなるかもしれない。


「もし……ううん。清盛が消滅して全てが終わったら、弁慶さんに聞きたいことがあるんだけど、いいですか?」


そんなこと、わざわざここで言わずとも、と思ったが、望美の表情はいつになく真剣だった。
一体、彼女が自分に聞きたいことというのは何だろうか。
全てが終わったらと言ったが、今この場で話しては駄目なのだろうか?


「望美さん、それは今では駄目なんですか?」


命を捨てるつもりはないが、万が一ということも考えられる。
最悪の場合は、彼と差し違える覚悟でここに立っているのだ。
確実に勝利を手にしたわけでもない。
先のことを考えるのは、まだ早いのではないだろうか。
確かに、自分たちが勝つ気ではいる。
けれど、万が一ということもある。





軍師というのは、最良の策と同時に、想像しうる限りの最悪の事態も考えておかねばならないのだ。





だからこそ、安易に先のことは約束できない。
果たされない約束は、しないに限る。


「今じゃ、駄目なんです。だから、全てが終わったら」


再び同じ言葉を呟く彼女に、弁慶は仕方なく頷いた。
無理強いをしても、望美はきっと話さない。
だったら、彼女の言うとおり全てが終わってから、きちんと聞けばいい。
それに、わざわざ終わってから、と言うのだ。
何かあるのかもしれない。


「では、行きましょうか」
「はい……」


弁慶に手を引かれ、望美はいよいよ清盛との面会に挑んだ。















馬で駆けている那由多は、一向に姿が見えない二人に、少々焦りを感じていた。
本来なら、もう姿が見えても言い頃合いだ。
それなのに、その姿が見えてこない。
周囲を見回しても、残された怨霊たちがいるだけだ。


「すでに、清盛殿と会っているのかしら……?」


自分の読みが浅かったか。
茜色に染まりかけている空は、終わりくる一日を指している。
弁慶が清盛を消滅させるために、どんな策を使うかはわからない。
けれど、彼のことだ。
こちらが思いもよらない計画を立てているのだろう。


「お願い、間に合って」


しっかりと手綱を握りながら、那由多は尚も馬の速度を上げた。



その願いは、何に対しての物なのか。



那由多の目にようやく厳島神社が見えてきた頃、海の方にも何かを確認した。
平家は既に逃げた後。
今更戻ってくるとは思えない。
仮に戻ろうとしても、将臣に止められるだろう。
それを考えると、平家ではない。
源氏は熊野の協力を受けていないから、船自体を所持していない。
そして平家の船でも、源氏の船ではないと考えられるなら、那由多が思いつくのは一つだけ。










ヒノエ。










間に合った、と内心安堵の溜息をつくが、状況が状況なだけに油断はならない。
未だ二人の姿を見付けていない。
ここまで来て姿が見えないのなら、すでに清盛との面会は始まっていると考えていいだろう。
一度彼らと会って話をしたかったが、優先事項を考えると、彼らと会うのは得策とは言い難い。
ここは素直に弁慶と望美の元へ急ぐべきだ。


「ヒノエ、急いで」


届かないとわかっていても、言わずにはいられない。
自分たちが間に合わなければ、意味がないのだ。
その為には、少しでも早く。





ようやく廻廊に辿り着けば、那由多は清盛がいるであろう舞台を目指し、走っていた。
着物の裾がめくれようと、そんなことは気にもならなかった。
気ばかりが急いて、これまで馬に乗っていた分、人の足は何と遅い物かと思わずにはいられない。


すると、不自然に周囲が暗くなる。
日暮れまではもう少し時間があったはずだ。
それに、この暗さは夜の暗さと違う。
強いて言うなら、人為的に太陽を隠したような感じだ。


「何、この感じ……」


思わずその場に足を止め、自らを抱きしめる。
重苦しい重圧が身体全体にのしかかる。
この感じは、島に来た頃に、怨霊の持つ陰の気で体調を崩したときと同じ。
けれど、いきなり強くなったということはどういうことか。


「弁慶が失敗したか、それ以外か……」


息苦しさが増し、目眩さえも覚えてくる。
こんなところで立ち止まっているわけには行かないのに。
ともすれば、その場に座り込んでしまいたくなる衝動に、必死に堪える。
すでに、歩くことすらままならない。
舞台まで、あと少し。
目と鼻の先だというのに。
廻廊の柱にしがみつき、すっかり上がっている息を整える。
こうなったら、手すりにしがみついてでも進まなくては。
ぐ、と足に力を入れ、再び前を目指そうとしたその時。










「おい、大丈夫か?」










自分を支えるように脇に差し込まれた手に、那由多は思わず手の持ち主を捜した。


「あなたは……」










そこにいたのは自分が待ち望んでいた人たち。










せかいのおわりをよぶ うた










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清盛の出番……ナシ?(爆)
2007/11/13


  
 

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