紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
二つの道と決断
 









永久に二人をわき隔てるその温度差










那由多が牢から去っていくと、望美は再び一人孤独に耐えることになった。
今までの運命では、弁慶が来るまで一人だったが、この運命は違う。
彼に内緒とはいえ、すでに那由多が来てくれた。
食事という、嬉しい差し入れを手に。
いつもなら満足な食事すら出ないから、弁慶が来るまで、それなりに体力と気力を奪われていた。
けれど、今回は違う。


「那由多さん……」


彼女が何を考えているかは、弁慶以上にわからない。
弁慶に内緒でやらなければならないことは一体何なのか。
どうして、彼女がここにいたのか。





本当に、弁慶に秘密にしておく必要があるのか。





行宮で離縁したのなら、那由多がどう動こうと弁慶には関係ないんじゃないだろうか?
それとも、その離縁ですら二人の間で決めていたことなのか。
わからない。
何が本当で、何が嘘なのか。
もしこの場にヒノエがいたら、二人のことを知っている彼に聞いているのに。
平家の本拠地、ましてや牢に入れられている身では、それすらも叶わない。
自分が今できることといえば、弁慶がやってくるのをただひたすらに待つだけ。



早く。

早く弁慶が来てくれればいいのに。



こんなところにいては、まともな考えすら出てこない。
せめて、牢から出られれば。
丸腰の今、怨霊がいる外に一人で出て行くのは危険。
けれど、過去を振り返れば自分一人で牢から出て、弁慶を捜しに出たことだってあったではないか。
それを思えば、丸腰でも何とかなるかもしれない。
とりあえず、今日は寝て体力を温存して、明日朝になったらここを出よう。
望美はそう決意したが、翌日に牢を抜け出すということはできなかった。
なぜなら、抜け出そうと思っていた矢先に、自分が待ちわびた人物が迎えに来たのだから。


「すいません、望美さん。随分と待たせてしまいましたね」
「弁慶さん!遅いですよ。待ちくたびれました」


ようやく弁慶と再会したとき、望美の頭の中に那由多の顔が横切った。
彼女は弁慶には内緒だと言っていたが、本当にこのまま黙っていていいんだろうか。
例えこの地にいることを言わなくとも、何か言った方がいいのではないだろうか。
だって、行宮で彼女を見ていた弁慶の瞳が、どうしても忘れられない。
自分で言っておきながら、あんな悲しそうな、切なそうな瞳をするなんて。
那由多は弁慶が自分のことを、姪としか思っていないと言っていたが、望美からすればそんなことないと思う。
確かに、お互いがすれ違ってはいるけれど、相思相愛ではないだろうか。
それを思うと、このままじゃいけない。
二人とも、一度ちゃんと話し合うべきだ。


「それじゃ、行きましょうか」


自分の手を取り先を促す弁慶に、望美は言うべき言葉が見付からないまま牢を出た。










望美のいた牢から出た那由多は今、知盛と将臣と同じ部屋にいた。
那由多の寝所は別に用意してもらっていたが、二人と一緒にいるのは自分の目的を果たすためだ。


「んで?俺に話があるって?」


部屋の中心に胡座を掻いて座る将臣の近くに、那由多がそっと座る。
そうすれば、那由多と将臣のちょうど中間あたりに、知盛が腰を下ろす。
膝をつき合わせる程までに近くはないが、三人の距離はそれなりに近い。


「将臣殿は、この平家を守りたいのよね?」


突然そんなことを言われ、思わず将臣はパチパチと瞬きを繰り返した。
確かに、平家には恩がある。
その恩を返すためにも、平家の行く末を知っている自分は、そうならないようにと力を尽くしている。
チラリと那由多を見るが、冗談で言っているようには見えない。
その瞳は真剣だ。
そんな那由多に応えるように、将臣も真剣な表情で小さく頷いた。
将臣の態度を見た那由多は、その瞬間、僅かながら微笑を浮かべた。


「それを聞いて安心したわ。将臣殿、平家の人たちを連れて、厳島を出なさい」
「はぁ?!何でまた……」


突然の彼女の言葉に驚いたのは、将臣だけではなかった。
あの知盛ですら、少しだけ身を乗り出すようにして那由多を見ている。
どうして厳島から出なければならないのか。
源氏との戦はまだ終わっていない。
これからが、最後の決戦だというのに。





「あなたには言ってなかったわね。源氏を裏切ったのは、弁慶よ。そして、弁慶は清盛殿と差し違える覚悟でここにいる」





那由多の言葉に、今度こそ将臣は言葉を失った。
彼女が言った名前なら、自分も聞き覚えがある。
春の京と夏の熊野、そして秋の京でも彼とは同じ八葉として、一時ではあるが行動を共にした。
その態度と性格から、一筋縄ではいかない相手だと知ってはいたが。
まさか、この地にいるとは思ってもみなかった。
しかも、清盛と差し違える覚悟でいたとは。


「平家を守りたいと思うあなたには酷かも知れないけれど、清盛殿は諦めて欲しいの」
「なんだよ、それ。諦めろってのはどういうことだ!」
「清盛殿は、生前とは全く違ってしまった。……ねぇ、あの方はちゃんとあなたを『有川将臣』として見てくれてる?」


問えば、将臣は大きく肩を震わせた。
恐らくそれが答え。



自分が知盛と破談になったことも忘れていた。

清盛が忘れているのは、自分に都合が悪いことではないだろうか?



そう思ったからこその、問いだった。
いくら若い頃の重盛に似ているとはいえ、その責までもを将臣に押しつけたのだ。
そう考えずして、何を考える。


「確かに、清盛殿が蘇って喜んだ人は多い。けれど、怨霊となった清盛公があのままで、本当にいいと思ってる?」
「それ、は……」


途端に将臣の口調が弱くなる。
いくら他者が自分を「有川将臣」と理解してくれても、清盛が「重盛」だと言ってしまえば、自分は重盛という名に縛られることになる。
このままで、いいはずがない。
けれど──。


「……知盛、そういやテメェは何も言わねぇんだな」


彼女が厳島から出ろと言ったときは、確かに驚いたはずなのに。
それ以降は、ただ黙って自分たちの会話を聞いているだけ。
いつもと同じように、発言するのが面倒なだけならわかる。
それでも、父親を諦めろと言われて黙っていられるほど、彼は情に欠けていただろうか。


「別に……俺は、戦ができればそれでいい」


つい、と視線を逸らしながら物騒なことを言う知盛に、将臣はがっくりと肩を落とした。
まさかこれほどまでに戦馬鹿だとは思わなかった。
せめて、自分の父親を助けようとは思わないのだろうか。


「知盛殿は、わかってるのね」
「さぁ、な」


面白くなさそうに答える知盛に、将臣はどこか違和感を覚えた。
まるで、二人の間には暗黙の了解のような空気が流れている。
ということは、知らないのは自分だけなのだろうか。


「知盛、俺にも分かるように説明しろよ」
「クッ……何を、説明しろと?」


知盛に説明を求めても、返ってくる答えはとりつく島もない。
一体、何だというのか。


「将臣殿、時間はそんなに待ってはくれないの」
「どういうことだ?」


鋭い視線で見つめる将臣は、戦場に身を置いているときと変わらない。
自分に向けられる殺気が、痛い。
けれど、それに負けているようでは、彼を説得することはできないだろう。


「数日もしないうちに、源氏……いいえ、八葉がここに来るわ。弁慶と望美さんを、助けるために」


立石山で別れた彼らは、自分の言葉通りに熊野へ向かっただろう。
そこで、湛快から全てを説明されたはずだ。
弁慶が何を思い、行動しているのかを。
それを知った彼らの行動は、火を見るよりも明らかだろう。
恐らく今頃、ヒノエの持つ船でここを目指しているはずだ。





だから、逃げるならば今。





彼らは、自分の前に立ちふさがる敵に容赦はしないだろう。
だったら、目的の場所まで無駄に血は流さずとも良い。
例え弁慶が清盛と差し違えたとしても、清盛が消滅すれば、戦は終結する。
平家にとっては屈辱的かもしれないが、生きてさえいれば、いつか笑える日が来る。
そんな日を迎えるためにも、この地を捨て逃げるのが得策なのだ。


「守りたい人も守れず、自分の命も捨てるのか。一時の恥を忍んで、慎ましくとも笑える日々を取るか。選びなさい」
「…………」


考えるように、黙り込んだ将臣に、那由多は小さく溜息をついた。
少し、強引すぎただろうか。
けれど、そんなことを言っていては、間に合わなくなる。
チラリと知盛を見れば、彼は興味なさそうにその場に横になっている。
これでは先が思いやられる。
そう思いながら、那由多はその場に立ち上がった。


「よく考えて、悩みなさい。でもね、残された時間は少ないことも、覚えておいて」


将臣に届いているかわからないが、言葉を掛けてから部屋を出る。
恐らく、そろそろ弁慶が動き出すはずだ。
それにヒノエたちも厳島へやってくる。
平家を大切に思っているのは将臣だけではないのだ。
少なくとも、自分にとっても平家は大切。





遠い場所へ行ったとしても、生きているのならまた会える日が来るだろう。


死んでしまっては、何もできないのだ。










弁慶と白龍の神子が清盛と面会する。
知盛から那由多がそれを教えられたのは、翌日のことだった。
これで一刻の猶予もならない。



あの二人が清盛と会ったときが、全ての終わりでもあり、始まりでもある。



那由多は将臣の部屋まで急いだ。
こうなっては、彼がなんと言おうと平家には引いてもらおう。
そう、固く決意をして。


「将臣殿っ!」


勢いよく障子を開けば、そこにいたのは将臣だけではなかった。
その事に少しだけ恥ずかしくなり、慌てて謝罪の言葉を告げる。
部屋から出ようとすれば、将臣自身にそれを止められた。


「昨日よく考えたんだけど、あんたの言うとおりだ。生きてりゃ、何だってできるもんな」
「それじゃ……!」
「あぁ、清盛を除いた平家は厳島から撤退する。ただ、怨霊だけは置いてくぜ。さすがに怨霊までいなくなったら、清盛自身にも疑われるからな」


将臣の言葉に、那由多はへたりと思わずその場に座り込んだ。
ホッとしたのだろう。
全身から力が抜けたのがわかった。

「いつ、ここを出るの?」
「用意が出来次第、だな。いつでも出発できるように、船の準備はさせてる」

その手回しの速さに、さすが、と思わず独りごちた。
伊達に、還内府と言われているわけはある。

「だったら、私はここでお別れになるわね」

将臣の手を借りながらその場に立つ。
よく見れば、自分を追いかけてきたらしい知盛の姿も見えた。

「あんたはこれからどうするつもりだ?」

ここで別れると言ったせいか、将臣の顔がしかめられた。










「当然、八葉のみんなを待つに決まってるじゃない」










そう言えば、将臣は諦めたように肩を竦めた。










お話の時間は終わりですよ










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次回、八葉と合流なるか
2007/11/11


  
 

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