紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
天然と個性
 









その願いほど儚いものなど なく










那由多の言葉にしばらく頭を悩ませていた望美は、ややすると降参するように両手を挙げた。


「那由多さん、わかりません。ちゃんと教えてくれませんか?」


ゆるゆると首を振る望美を見て、それほど難しかっただろうか?と今度は那由多が首を傾げる。
この世界に執着する理由は、少し考えればわかりそうなものなのに。


「そうね……今の私は弁慶がいない世界なんて興味がない、と言えばわかるかしら?そして、あなたの知る私は、弁慶がいなくてもそこに残らなければならない理由があった」


かみ砕いてわかりやすい言葉に直せば、ふんふんと望美が小さく頷く。
どこか真剣味のない態度に、本当に理解しているのだろうか疑いたくなる。


「……私、その理由が何かわからないんですけど。どうして那由多さんはわかったんですか?」


あぁ、やっぱり彼女はわかってくれなかったようだ。
時折見せるあの鋭い考察は、本当に時折でしかないのか。
どうせなら、いつもであってくれると助かるのに。


「わかるわ。自分のことですもの」


そう言いつつ、確信はない。
けれど、もし自分が同じ立場に立っていたら、やはり同じ行動を取っていただろうと思う。
そう思うことが、すでに確信と同義。



この時空では有り得ない、けれど前に望美がいた時空では有り得た話。



自分がどんなに願っても叶えることのないそれを、他の時空で叶えてしまうだなんて、なんという皮肉。
思わず、自分で自分に嫉妬してしまいそうだ。
本当なら、口にすることすら躊躇われる。
それを言ってしまったら、認めてしまうことになりそうで。










ねぇ、弁慶。

その時空のあなたは、何を思っていたの──?










時空が変わっても、弁慶という人物に代わりはないはずだ。
今の弁慶と同じように物を見、同じように考える。
ただ、少し違うのはそのときの行動か。
彼がどう動くかによって、少し先の未来が変わっていく。
自分がここにいることは、望美にとって予想外だったようだが、弁慶が裏切ることは知っていた。
そして、平家にくることも。
多分、今の運命では前の運命と何かしら変わっているはずだ。
その一つが、自分の存在。
けれど、那由多が弁慶を追って平家にやってくる運命も見てきたらしい望美は、それで弁慶が散っていくのを見ている。
だとしたら、この運命も過去に通り過ぎた運命と、同じ物になるかもしれない。
だが、自分と弁慶が仮初めとはいえ、夫婦だったことを彼女は知らなかった。
そして弁慶とヒノエ、両者と血縁関係があることも。
このことを考えても、確実に運命は違うはず。
もし彼女の願うとおりにならないとしても、何かしら変化はあるはずだ。


目の前の望美を見れば、次の言葉を興味津々とした様子で待っている。
やはり、ここまで来たら言わねばならない。
そっと目を閉じ、小さく溜息をつく。
覚悟を決めると、那由多は望美を真っ直ぐに見つめてそれを言った。










「戦に出るのに、身重の身体は足手まといでしょう?」










どれだけ願っても、決して叶えられることのないその願い。


同じ自分でありながら、どうしてこうも違うのか。


どうして?


ねぇ、違いを、教えて──。










那由多の言葉に、望美は今までにないくらい目を大きく見開いた。
ぱちぱちと瞬きを繰り返し、那由多の顔と腹部を交互に見比べる。
そんなことをしても、今の自分がそうだというわけではないから、別段意味はないのに。


「にん、しん……?那由多さんが?」


ようやく出てきた声は酷く掠れていて。
信じられない物でも見たかのような顔は、未だ驚きを隠しきれていない。
それにとどめを刺すように、那由多の言葉は続く。




「以前の私はあなたに言ったのよね?


『残りの半分は、私の罪』


と。それが、答えよ」



聞き終わった望美は、小さく「どうして」と呟いた。
何がどうしてなのかはわからないが、事実は事実。
でなければ、そんなことは言わない。
弁慶の子を身籠もったのなら、自分も罪を背負うことになる。



そう、彼に対しての、罪を。



この世界に自分の血を残すことを疎んでいる彼。
自分の性格を考えると、宿った命のことは何一つ話さないはずだ。
そして、何も話すことができないまま、彼とはもう二度と逢えない。





それを罪と言わず、何と言う?





自分の子を腕に一度も抱かぬまま、その存在自体を知らぬまま時の人となった。
あの時空の自分は、これからどれほどの罪を背負って生きていくのだろうか。
その生を終えるまで、一生。


「……でも、今の那由多さんは妊娠してませんよね?」


問うのは確認のためなのか。
だとしたら、何の確認なのか。
彼女が聞きたいのは、自分の妊娠のことではないのだろう。


これだから、困る。


こんなときに、そこまで頭を巡らせなくてもいいのに。


「何が、言いたいのかしらね」


わざと知らないそぶりで問いかければ、ずい、と望美の身体が前のめりになって自分の側へと寄ってきた。
下から覗き込んでくる瞳はとても澄んでいて。
まるで逃げることを許さない。
自分とはほど遠いその瞳に、逸らしてしまいたくなる視線を何とか留めた。


「行宮で那由多さんが言った、仮初めっていう言葉。それと関係してるんですか?」


本当に憎たらしい。
どうしてこう、肝心なときばかり理解するのか。
これならば、全てにおいて理解できないほうがまだマシだ。


「そこまで気付いていながら、本当に理解できないの?」


苛つく気持ちを堪えながら問うが、その口調にもどこか棘がある。
そんな那由多の態度に望美は驚いた。
これまでの運命で知っている那由多といえば、いつも弁慶と同じように微笑を浮かべているか、冷静に物事を見つめる冷たい瞳だけ。
もちろん、感情的になるときもたまにあるが、今のように他人を思いやる余裕すらない彼女は初めてだ。
言葉もない望美を見て、那由多も自分の行動を思い返す。

全く、自分らしくもない。

望美より年を重ねているのだから、もう少し考えて言えば良かったか。
だが、紡がれた言葉は取り戻せない。
那由多は大きく溜息をつくと、自分の髪をくしゃりと掴んだ。


「京の梶原邸で、生娘について教えたとき、自分で何を言ったか覚えてる?」


少しだけ態度を改め、柔らかい口調で問いかける。
そうすれば、望美もハッと我に返った。
自分の記憶をたぐるように、視線を宙へ彷徨わせる。


「えっと『まだっていうことは、そういう相手がいるんですよね?』ですか?」
「そうよ」


いつぞや自分が尋ねた言葉を、今一度声に出す。
あのときの彼女はわからなかったが、今の彼女ならわかるだろう。
自分と弁慶の関係を知った、今なら。
もしこれでわからないのなら、今度こそ馬鹿だと罵ってやろうか、などと物騒なことを思う。
けれど、那由多がそれを言うことはなかった。


「そっか……弁慶さんと結婚してたなら、相手はいますもんね。あれ?でも、だったらなんで知盛は『まだ』なんて言ったんだろう……?」


再び首を傾げた望美に、これが彼女の個性なのかもしれないと那由多は小さく笑った。
鋭そうに見えて、どこか抜けている。
だが、その個性も善し悪し。
いちいち説明しなければならないことを考えると、少々面倒だ。





「望美さんの世界ではどうかしらないけれど、こちらでは男女の契りを交わして、初めて夫婦と呼ばれるのよ」





それが、仮初めの理由。
一度も契りを交わしていない自分と彼は、夫婦と呼ぶにはほど遠い関係。
どうして彼が自分を抱かないかは知っている。





その血を残すのが嫌だから。


そして、弁慶から見れば自分は姪であって、恋愛の対象にすらなりえない。





目的のためなら愛がなくても身体は繋げられる。
実際、弁慶のことだからそういうこともあったのだろう。
けれど、自分だけは愛がなくても身体すら繋いでもらえない。

それを実感したのは行宮でのこと。
弁慶自身の口から告げられたわけではないが、あの返答ではおそらくそう。



わかりきっていたことなのに、胸が痛くなるのはどうしてだろう。



あのとき突きつけられた現実に、一気に目の前が暗くなるのを感じた。


「那由多さ……」
「那由多」


口を閉ざしてしまった那由多に望美が声を掛けようとすれば、第三者の声。
その声に二人が顔を向ければ、そこにいたのは知盛だった。


「あぁ、もうそんな時間?」


牢の中にいては陽の光が差さないせいか、時間の感覚がわからない。
知盛が迎えにきたということは、それなりに時間がたっているのだろう。
那由多は立ち上がると、着物についた汚れを手で払った。


「私、そろそろ行くわね。まだやらなければいけないことが残ってるの」
「那由多さん!」


何か言いたげな望美に返すのは静かな笑み。
これ以上この場にいては、言わなくてもいい心根まで言ってしまいそうだった。

知盛の後を追うように牢を出ようとしていた那由多は、何かを思い出したようにその場で足を止めた。
振り返り望美を見れば、戸惑っているような彼女の姿が見える。










「弁慶には、私のことは黙っていてね」










少しだけおどけたように言うと、望美の表情が少しだけ和らいだ。










ぜんぶぜんぶこわしてしまおう さぁ これがまちのぞんだ「さよなら」だ










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ここまでが長かった……orz
2007/11/10


  
 

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