紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
可変と不変
 









きみが守り抜こうとした もの










結局、那由多が望美の元へ行ったのは、清盛から許可をもらった数日後だった。
陰の気に当てられ、那由多は体調を崩したのだ。
薬師でもある那由多は、自分の体調は自分で管理できると言い、誰にも診せず二、三日寝て過ごした。
けれど、一向に良くなるどころか、更に悪化していく自分の体調に辟易した。
仕方なく烏に取ってきてもらった霊水で禊ぎを済ませれば、幾分体調は良くなった。
だが、ここまで怨霊の数があると、その陰の気に禊ぎすら意味を成さなくなる。


(早めに望美さんに会わないと、弁慶が動いてしまう)


彼が清盛に会ったという話は未だ聞いていない。
恐らく、信用を得るために、今頃必死なのだろう。
だとすれば、望美に会うのは今しかない。
そう考えると、那由多は重い身体を引きずるようにして、知盛の元へと移動した。





「今から、だと……?」


知盛の元へつくなり、望美のいる場所まで連れて行けと言えば、そう返された。
辺りを見回してみるが、将臣の姿は見当たらない。
けれど、将臣が望美の元へ行っているとは思えなかった。
やはり敵対していたのが幼馴染みだったからだろうか。
恐らく、それ以外にも理由はあるのだろう。
何せ、今の彼は平家を束ねる将でもあるのだから。


「その体調で、源氏の神子の元まで行くつもりか……」
「そうよ。これでもいくらかマシな方だもの。これ以上良くなるわけでもないから、早めに彼女に会いたいわ」


那由多の言葉に、少しだけ知盛の目が細められた。
自分が言った言葉の真意を測っているのだろうか。
嘘は言っていない。



禊ぎをしても、これ以上体調はよくならない。



それは、他の誰でもない自分が一番理解している。
そして望美に会えば、この体調が改善されることも。
それだけ、白龍の神子の持つ浄化の力は強大だ。
怨霊を浄化するだけはある。


「……仕方ない、な」


さも面倒くさそうに言いながら、知盛がその腰を上げた。
すると、どうしたことか自分の方へ手を差し伸ばしてくる。
一体何のつもりだろう?と首を傾げれば、更に手が近づけられる。
手と知盛を見比べると、早く手を取れ、と無言の圧力。
どうやら、彼なりに自分の身を案じてくれているらしい。
その事に、少しだけ嬉しくなった。
「ありがとう」と言いながら彼の手を取れば、弁慶の手とは違った感触。
自分のそれより大きい手は、ごつごつとしていて肉刺がある。
武士である彼には当たり前のことだろうが、やはり女のそれとは違う。
でも、伝わってくる熱は同じ。
ゆっくりと、自分の歩調に会わせて歩く知盛を横目で見ながら、那由多は頬がほころぶのを止められなかった。





人は、変わるのだ。





自分の知っている知盛は、今以上に不器用で。
こんな優しさなど持ち合わせてはいなかったのに。
自分はそんな知盛にとんでもないことで報いろうとしているのか。
限りなく近い、未来に。


「ここだ……俺は外で待っていよう。聞かれては困る内容、なのだろう?」


望美が捕らわれているという牢は、自然の牢と言っても過言ではなかった。
山に空いている洞窟を利用したそれは、まともな錠すら見当たらない。
これでは、逃げてくださいと言っているような物だ。
けれど望美は逃げていない。
その事から考えるに、武器を取り上げられているのだろう。
いくら怨霊を封印できるとしても、丸腰のままでは囲まれたら終わりだ。
それとも、彼女は待っているのだろうか?


あの人を。





弁慶を。





しかし、本当にやってくるのかもわからない弁慶を待つのは、得策とは言い難い。
未来を見てきたという少女は、それすらも理解しているのだろうか。



牢の中を進んでいけば、奥の方にようやく人影が見えてきた。
恐らく、それが望美なのだろう。
今の平家に、捕らえておくような人物は彼女しかいないはずだ。





「望美さん」





少し離れた場所から、そっと声をかける。
そうしたのは、望美に警戒心を持たせないためでもあった。
何も言わずに近寄れば、きっと彼女は警戒する。
あらかじめ声を掛けておけば、その心配はないだろう。


「その声……那由多さん?」


先に声を掛けておいたおかげか、那由多の声を聞くと、望美は驚いたように声を上げた。
望美の元へ近付けば、望美の方も那由多の側までやってくる。
ざっと彼女の身体を見回し、目立った傷がないことを確認する。


「少しやつれたかしら?でも、無事そうで何よりだわ」
「食事すら出ないんですよ、ここ。もうお腹空いちゃって」


肩を落としながら言う望美に、そんな軽口を叩けるなら大丈夫だ、とホッと胸を撫で下ろした。
那由多はこっそりと、自分が持ってきた握り飯とお茶を望美へ手渡す。
それを見るなり望美は小さく喜んだ。
余程お腹が空いていたのだろうか。
しばらくの間、望美は話すことよりも食べることに夢中だった。


「ごちそうさまでした」


綺麗に平らげると、人心地ついて周囲に気を配る余裕ができたのか。
改めて那由多を見るなり、望美の顔が慌てた物に変わった。


「那由多さん、もしかしなくても、体調悪いんじゃないですかっ?!」


その問いに、曖昧に笑って誤魔化せば申し訳なさそうにしながら、望美は那由多の手を取った。
途端、熊野の時と同じように身体のだるさと重さが、消えた。
やはり神に選ばれただけはある。
それが、例えそれが後天的な物であったとしても。


「ありがとう、望美さん。すっかりよくなったわ」


本心からの礼が口から出た。
今の自分は、厳島に来る前と同様の体調だ。
ここまで良くなれば、少しでも動きが楽になる。


「どうして……どうして那由多さんがここにいるんですか……」
「望美、さん?」


目尻に涙を浮かべながら、震える声で尋ねる望美に、那由多は不安を覚えた。
いつも弱音を吐かない望美が、時折自分に見せるそれは、彼女が何のためにここにいるか知っているからか。
だとしたら、望美の言葉から考えると、自分はこの場にいない方が彼女にとって幸せだったのだろう。


「……過去に弁慶が平家へ寝返った後、私も平家にいたことはあるのかしら?」


考えられるのはそれだけ。
そして、望美はややあってから、小さく頷いた。










この運命でも、彼女は願った未来を掴み取れないかもしれない。










那由多はきつく目を閉じた。
やはり、自分と弁慶が二人そろって幸せにはなれないようだ。
だが、そうならそうと、聞いておかなければならないことがある。


「望美さん。あなたの知る運命では、どちらが命を落としたのかしら?」


これを彼女に言わせるのは酷かもしれない。
けれど、どうあっても話してもらわなければ。
じっと望美を見つめれば、彼女の表情が辛そうに歪んだ。





「……弁慶さん……」





小さく呟かれた言葉は、二人だけの空間に酷く響いた。
半ば予想していた答えだったのか、那由多が返した言葉は短かった。
どういう経緯で弁慶が命を落とすのかは知れない。
知りたくも、ない。



けれど、この先弁慶が彼女を迎えに来るのだとしたら──。



行宮でも冷静な態度を取っていた望美と、今の望美。
その違いは明かで。
きっと弁慶でなくても、何かあったとは思わずにいられない。
その際、自分がこの場にいたと知られるのは嬉しいことではない。


「大丈夫よ、きっと。前にも言ったけれど、あなたの知る私と今の私は決定的に違うのよ」


だから、気を強く持って。
そう言えば、望美は那由多をじっと見つめていた。
その瞳は何かを探ろうという光を持っている。





僅かな、希望という名の光を。





探りたいのなら探ればいい。
それで僅かながらでも希望が見えるのなら、それだけで。


「那由多さん、そこまではっきり言い切れる理由を教えて下さい」


その言葉からは先程までとは違う、強い意志を感じる。
立石山では誤魔化せたが、今はもう誤魔化すことはできないだろう。
それに、自分でもわかっているのだ。
ここまで来てしまったら、彼女の知る運命にはなりえないと。















だって、もし弁慶がこの世から消えてしまったら、



自分は迷わず望美についていく。



この世界に残る理由など、



今の自分にはないのだから──。















那由多はどこか座れそうな場所を探してから、その場に腰を下ろした。
それを見て、望美もその場に座る。
こちらは那由多と違い、汚れることもお構いなしのようだった。
長期戦になりそうだ、と思いながら、外で待っているはずの知盛のことを思う。
彼ならば、自分が遅くなったとしてもここまでやってくることはないはず。
むしろ、待ちくたびれて寝られたときの方が怖い。
折角良くなった体調を、また崩したくはなかった。


(殺気でも見せれば、起きるわよね……?)


少々物騒なことを考えながら、彼のことを考えるのは放棄する。
その時はその時になったら考えよう。










「今の私には、あなたの知る私のように、この世界に執着する理由がないの」










一言でまとめた言葉。
けれど、その言葉はまるで謎かけのように、望美の頭を悩ませた。










追いかけますどこまでもいつまでもずっとずっとずっと ずっと










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また無駄に一話使っちゃった……(汗)
2007/11/7


  
 

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