紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
船旅と謁見
 









その手は誰に縋る 為?










知盛から手渡された剣を腰にはき、那由多は甲板へ出ていた。
ここ数日は、甲板に出てぼんやりと思考の波に泳ぐことが多かった。
自分の武器である薙刀は、源氏へ置いてきてしまった。
だから、懐剣しかない物と思っていたけれど、剣があれば心強い。
風でなびく髪を手で押さえながら、今頃、同じ海にいるであろう弁慶のことを思う。
できることなら、弁慶よりも先に清盛の元へついておきたかった。
けれど、行宮から直ぐさま立った弁慶と、一度立石山まで戻った自分では、既に時間の差が生まれている。
彼の乗った船が事故にでも遭わない限り、自分は彼より先に清盛の元へつくだろう。





だが、そう簡単に清盛が弁慶と会うだろうか?





過去に自分の命を狙った人間だ。
そして、寝返ったとはいえ、元は源氏方。
いくら信用を得るために動いたとしても、そう簡単に清盛とは謁見できないかもしれない。
そう考えると、知盛と将臣という人脈がある分、自分の方が有利に動ける。
それを思えば、少しくらいの時間の差は補えるだろう。
ただ、問題があるとすれば、清盛が自分に会ってくれるかどうか。
知盛の言い方だと、どうあっても自分と清盛を会わせてくれるようだが。
何か、考えでもあるのだろうか。


「こんなところにいたのか。あんまり海風に当たってると、身体を冷やすぜ」


後ろから聞こえてきた声に振り返れば、そこには将臣の姿があった。
小さく手を挙げながら自分の側へ来る様は、記憶にある彼と全く代わりがない。


「少し、頭を冷やして考えたいことがあったの」
「へぇ、考えたいこと、ねぇ」


どこか気楽なその話し方は、将臣独特のもの。
けれど、その口調がどこか固いのは、自分の気のせいではないだろう。
おそらく、自分は彼に疑われている。
疑われるだけの要因は、身に覚えがある。





「……それは、平家に関することか?」





途端に冷えた低い声で問われても、那由多が動じることはなかった。
京で知盛との関係を話したとき、望美が平家と口を滑らせていた。
いくら自分が黙っていても、周囲の反応で知られてしまうときもある。
恐らく、将臣は自分がいた場所が、源氏だと知っている。
知っているから、同じ船に乗っていることが不思議であり、疑惑に繋がるのだろう。
だが、迂闊に話していらないことまで教えるのは、こちらの利に合わない。
できるなら、自分のことは隠しつつ、相手の内情を探りたいところ。


「将臣殿は、どこまで理解しているの?」
「どういう意味だ?」


問えば、訝しがりながら問い返す。
彼なら全てを言わずとも、必要最低限の言葉で理解してくれると思ったが。
仕方がない。
あれだけで理解できないというのなら、もう少し言葉を足すまで。


「望美さんと、他の八葉の関係よ。そういえば、知ってる?望美さんも、他の船に乗って、同じ場所へ向かってるってこと」


そこまで言えば、将臣は僅かながら驚いたようだ。
それはそうだろう。
戦場に出ない限り、平家の船に乗るなんて考えられない。
しかも、平家の大将である将臣が、自軍に幼馴染みがいるとは思わない。


「あいつが、源氏……?」


小さく囁かれた声は、どこか呆然としていて。
信じられないことのように感じられるのは、仕方がない。
源氏と平家は対立しているのだ。
それは彼女と将臣が敵同士ということを意味する。


「信じられないかもしれないけど、それが事実よ」


冷静に受け止めようとする将臣に掛けられる言葉は、それ以外に見付けられなかった。
しばらくの間、黙って将臣を見つめる。
このまま事実を認めたくなければそれでもいいだろう。
だが、いずれ認めなくてはならないときがくる。
この場合は、目的地に着いたときがそうだろう。
捕虜として連れてこられた望美の待遇は、想像しなくてもわかる。










「……あいつが源氏ってことは、アンタも源氏なんだよな?」










事実を受け止めた将臣が、次に発した言葉がそれだった。
あながち、間違っているとは言えない。
確かに薬師とはいえ自分も源氏だった。
けれど、今は違う。
そう答えたところで、将臣が信じてくれるかどうか。


「そうね。この船に乗るまでは、源氏だったわ。それは否定しない」
「どういうことだ?」
「そのままの意味よ」


問いかける将臣に明確な答えは返さなかった。
確かに、単独で動くためには源氏を抜ける必要があった。
けれど、それが終わったら自分は再び源氏に戻るかもしれない。
そう思うと、はっきりと源氏ではないと言えなくなったのだ。
だが、源氏に戻ったところで、自分を受け入れてくれるかが問題だが。
九郎ならば、薬師ということで渋々ながらも許すかもしれない。
けれど、弁慶ならば許さないだろう。
甥と姪に戻った今、いつ怨霊と戦うかもしれない危険は、できるだけ回避したいはずだ。
そして、弁慶と同じようにヒノエも自身が戦場にいることを良しと思っていない。
薬師だから、と若干諦めているところも見えるが、あわよくば熊野へ戻そうと思っているのが丸わかり。
どうなるか、先のことはわからない。


「那由多」


更に現れた銀髪の髪に、那由多は目を少しだけ細めた。
太陽の光に反射して、綺麗な銀色が光っている。
弁慶の髪とは違った光に、那由多は思わず言葉を無くした。


「綺麗な髪よね」


自分の髪をチラリと見て、そう呟いた。
あそこまで綺麗な色をしていたら、自分の髪を弄るのも随分と楽しかっただろうに。



無い物ねだり。



そう呼ぶに相応しい。
だが、今はそんなことを思っている場合ではない。
あの知盛がわざわざ自分を呼びに来たのだ。
何かあるのだろう。


「そろそろ目的地へつく……支度をしておけ……」


言われた言葉に思わず目を見開く。
そろそろ、とは言うが、随分と早くはないか。
本当ならばもう少し、船旅が続く物だと思っていたが。


「随分と早いのね。もう少しかかるかと思ったのだけれど」
「クッ……急ぎたい、といったのはどこの姫君だったか。それとも……自分の言葉を忘れた、か?」


知盛の言葉に、今度は那由多が驚く番だった。
確かに、文で急ぎたいとは書いた。
書いたが、あの知盛が本当にそれを覚えているとは思えなかったのだ。


「忘れるわけ、ないでしょう」
「ならば、支度をしろ。船から降りたら、そのまま父上の元へ行く……」
「知盛!お前、本気か?」


彼の言葉には驚かされるばかりだ。
将臣ですら、知盛の言葉に思わず真意を尋ねている。
それほどまでに自分を疑っているのか。
平家に、何かをするのではないかと。
もし何かをするのなら、それは自分の仕事ではない。
弁慶の仕事だ。
自分が平家に着たのは、清盛を見て、確認したかったから。





今の姿と生前の姿。

変わっているとしたら、何が変わっているのかを。





そして、できることなら、忠告。
さすがに、自分も平家が滅んでいく様を見るのは辛い。
どこか知らない場所、頼朝の目の届かないような場所へ行けるなら、そこへ行くようにと告げたい。



今の状態では、それすらも叶えることはできない。



せめて将臣が自分の疑いを解いてくれるなら。
そうすれば、もう少しことは楽に進んだはずなのに。


「でも、あの人は……?」


将臣がいる手前、あえて名は出さずに問う。
望美が平家の船に乗っているということは、誰かによって連れてこられたと、将臣は理解しているはずだ。
その誰かが誰なのか、将臣に知られたくなかった。


「まだ、つかないさ……俺たちの乗ってる船が、一番速い」
「それを聞いて安心したわ」


わざわざ自分の願いのために、一番速い船を残してくれた知盛に感謝した。
これで弁慶より早く着くのなら、もう何も言うことはないだろう。
那由多は大人しく、知盛から受け取っていた着物に着替えに行った。


「知盛、お前は知ってたな?あいつが源氏にいたこと」
「クッ……何を言うかと思えば……生田でも会った、と言っただろう?」


クツクツと喉で笑う知盛に、将臣は小さく歯噛みした。
確かに生田で女に会ったと聞いていた。
平家の女武士は数えるほどだ。
しかも、知盛の部隊には女はいない。


そして、那由多は薬師。


少し考えれば芋蔓方式のように、次々と露わになっていく。
どうしてもっと早く考えなかったのか。
将臣は、自分の不甲斐なさに、思わず頭を抱えた。










厳島に着くなり、那由多は知盛に連れられ清盛との謁見が許された。
数年振りに見た清盛は、自分の知っている清盛とは明らかに違っていた。
まるで子供といわんばかりの若さ。
言動は確かに生前のそれに近いが、どちらかといえばそれに幼さが加わっているようにも見える。





何より、自分と知盛の縁談が破談となったことを、すっかりと忘れていた。





このことには僅かながら喜んだが、やはり惟盛同様、変わっていたことに那由多は少しだけ落胆を覚えた。
だが、厳島はこれまで以上に怨霊の数が多く、那由多に取っては地獄に近い物があった。
何とか清盛との謁見を済ませようと、陰の気に必死に堪えていれば、そこに一人の伝令が来た。
どうやら、厳島に弁慶と望美が着いたらしい。
それを聞いた清盛は、望美をどこかの牢に入れろと言っていた。



もう一仕事できた。



そう思い直すと、那由多は倒れてしまいそうな自分の身体を奮い立たせ、清盛に願い出た。










「清盛殿。白龍の神子と、少しだけ話しても構いませんか?」










そう問えば、清盛の目が僅かに光った。
やはり、望美に会うことは無理か。
弁慶にはできるだけ会いたくないが、望美は別だ。
彼女と話したいことがある。





「父上、白龍の神子は浄化の力を持つとか。陰の気に当てられた彼女の体調も、少しは良くなるやもしれません」





意外にも、那由多を持つような知盛の言葉に、那由多自身が驚いた。
だが、そのおかげで那由多は望美との面会を許された。










誰だって 神様に縋りたいじゃあないですか










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アレ?望美との会話はどこ行った?
2007/11/5


  
 

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