紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
待ち人と捜し人
 









矛盾が矛盾を呼ぶ矛盾










源氏の本陣を出た那由多が向かった先は、志度浦の海岸だった。
道なき道を抜けるのは、まだ若い時分に熊野でヒノエとやっていたこと。
さすがにこの年になってしまうと、身体も重くなり、昔ほど機敏には動けない。
けれど、急がなければならない。
那由多は、このときほど馬が欲しいと思ったことはなかった。





休む時間も惜しんで志度浦へやって来た那由多は、浜辺へ辿り着くと、目的の物を探して辺りを見回した。
いるとしたら恐らく人目にはつかない場所。
そう考えると、再び走り出す。
浜辺の砂に足を取られ、何度も転びそうになりながら、ひたすらに走る。


「あぁ、もうっ!走りにくいったら」


しまいには、草履を脱いで手に持ったまま走り出した。
そこまで急ぐのには理由があった。
あの文に偽りがなければ、彼が待っている。
那由多は懐に入れたままの文を、着物の上からそっと押さえた。


行宮で弁慶と別れた後、自分は最後の仕事をするために九郎たちと立石山まで撤退した。
そう、いかにも弁慶がいるかのように、彼からもらった外套を羽織って。
その後、軍議に出て九郎と口論になり、源氏を抜けた。
だが、結果を見ればその方が後腐れなくて良かったかもしれない。
もし彼と口論にならなくても、結局自分はあそこで源氏を抜けるつもりでいたのだから。


弁慶から離縁を言われたときは、本当に目の前が真っ暗になった。
けれど、立石山まで戻る最中、冷静になった頭で考えれば、また違った考え方ができた。
彼が離縁を申し出たのは、自分との関係を白紙にするため。
それは間違いない。
けれど、関係がなくなったと言うことは、弁慶の指示通りに動く必要はないということ。





つまりは、自分の好きなように動いていいということだ。





どこまで弁慶が自分の行動を予測しているのかは知らない。
ある種の賭のような物でもある。
自分が弁慶の思惑通りに動くか否か。
それによって、彼の命運も決まる。
だから、今まで以上に先を読みながら動かなければならない。
どうしたらいいか、最善の道を選びながら。
恐らく、自分が今取っている行動は、弁慶に知られているはずだ。





ヒノエから烏を一人借りたと知ったときに。





あの弁慶が何も探りを入れてないはずがない。
どこからか情報を得ていると考えて、まず間違いないだろう。
熊野本宮から霊水を持ってきてもらったと言ったところで、彼の言った「結果的に良かった」と言う言葉。
それは、先にある物を見越していたに違いない。
相変わらず、くえない男だ。


「一体どこにいるの……っ」


辺りを見回しながら浜辺を走るものの、未だそれらしい物は見付けられない。
ヒノエから受け取った烏からの文。
行宮から撤退する間に確認してみれば、そこに書いてあったのは、ただ場所だけ。
それだけで見付け出せると思っているのなら、随分と買い被られた物だ。
だが、どうあっても見付けなくてはならないのが現状。
もしこの状況をどこかで見ているとしたら、絶対楽しんでいるに決まっている。
けれど、あの物臭がそこまでするかと問われたら、否。
恐らく、今もどこかで自分が来るのを待っているはずだ。
那由多は気を取り直して、探すことに専念した。





ようやくそれを見付けたとき、那由多はホッとしたのと同時に、酷い脱力感を覚えた。


「……こんなところでも眠れるあなたの神経の太さに、感服するわ」


那由多が見付けたのは、本当に人目を避けるようにひっそりと停泊している一隻の船。
そして、その船の近くの砂浜で胡座を掻いて、船を漕いでいる一人の武士。
戦場で嬉々として刃を振るっている姿とは、似ても似つかない。


「気付いてるんでしょう、知盛殿。いい加減起きてください」


手にしていた草履を地に置き、懐剣を取り出しながら殺気を込めれば、即座にその目が開かれ、驚くほどの身のこなしで間合いを取られる。
けれど、目の前にいる人物が誰かを確認すれば、途端に身体の力を抜く。


「遅かったな……待ちくたびれた、ぜ……」


そう言いながらあくびをかみ殺す知盛に、本当に斬りつければ良かったと思ったのは、胸中に収めておく。
そんなことを一言でも零したら、自分の身が危うい。


「それは仕方がないでしょう。だいたい、地名だけ寄越されても、肝心の居場所が書いてないんだもの」
「……居場所を書いたところで……それがどこかわかるとでも?」


小さく笑いながら問う知盛に、失言だったと那由多は唇を噛んだ。
見渡す限り海と砂浜の海岸では、明確な居場所などあってないような物。
それを書かれても、即座に理解できるとは思えない。


「相変わらず、減らず口なんだから」
「お前には……言われたくないな……。源氏の、薬師殿……?」
「……もう源氏じゃないわ」


わざわざ源氏と付けたのは、一度戦場で会ったときに彼を知らないと言った報復か。
けれど、自分はもう源氏ではない。





「ただの薬師よ」





そう告げれば、知盛は面白くなさそうに小さく鼻を鳴らした。
そう、今はただの薬師。
源氏とも、平家とも何ら関わりはない。
ただ、自分の目的のためだけに、今は平家へ行くだけ。


「ほう……ただの薬師、か……。なら、平家に来いと言えば、お前は来るとでも?……怨霊が多々存在する、平家に」


痛いところを突かれた。
思わず知盛を睨み付ければ、面白そうに彼の目が細められる。
自分の体質を知っていて、尚かつ、縁談を破談にした最たる理由を持ってくるとは。


「駄目よ。清盛殿は、私を認めてくださらない。それに、行ったところで目通りも出来ないわ」


一度こちらから縁を切った人間を、再び懐に入れようとは思わないだろう。
惟盛ですら、自分と再会したときに、自分のことを良くは言わなかった。
敦盛が言うには、生前と変わってしまったらしいが。
もし彼が生きていても、同じことを思っていただろう。


言葉には出さずとも、胸の内で。


それに、惟盛があれだけ変わってしまったのだ。
清盛も変わっていないとは限らない。
二年ほど前、清盛が蘇ったと知らされたとき、弁慶と湛快は彼の人を討とうと平家へ攻め入った。
生憎、それは叶わず、二人とも酷い怪我をして戻ってくることになったが。
そのときのことは、詳しく教えてもらえなかった。





否、清盛を討てなかった理由と、二人の怪我の理由しか教えてもらえなかったというのが正しい。





だから、実際清盛がどのような状態にあったのか、自分はわからないのだ。
だが、これから平家へ行ったところで、自分が清盛に良くは思われないと知っている。
弁慶と同様、自分は平家を裏切ったようなものだろう。
清盛の信頼を得るには、弁慶以上に大変かもしれない。
それを思うと、先行き不安である。


「……それは、どうだろうな……」
「え……?知盛殿、それはどういう……」


知盛の言葉に引っかかる物を感じ、問い返そうとしたら、彼から何かを投げられる。
何やら包んであるそれは、那由多が持つと一抱えはあった。
一体何だろう、と中を確認してみれば、そこに入っていたのは戦場には似合わない、見事な着物。


「……どういうこと?」
「父上には、それを着て会ってもらう……」


那由多は、思わず自分の耳を疑った。
彼は自分の話をちゃんと聞いていただろうか。
清盛が自分と会ってくれるとは思えない。
けれど、彼は自分と清盛を会わせるという。
一体、知盛は何を考えているのだろうか。


「急ぐんだろう……?」


考え始めた那由多に、知盛が行くぞと促す。
それにハッと我に返れば、慌てて彼の後を追った。
そうでなくとも急がなければならないというのに、彼を見付けるだけで酷く時間を費やしたという事実。
そして、こうしている間にも、弁慶との距離は開いてしまう。
置いていた草履を手に取り、着物が落ちないようにしっかりと包みを持ち直す。
そんな那由多をしばし見ていた知盛は、おもむろに那由多の近くまで歩み寄った。


「知盛殿……?」


不意に伸びてきた手に、自分が抱えている荷物を持ってくれるのかと思った那由多は、それを渡そうとした。
けれど、知盛が持ったのは、荷物ではなく那由多自身だった。


「ちょっ、知盛殿!下ろしてください、自分で歩けますっ!」
「……このほうが早い」


知盛に横抱きにされ、思わずジタバタと暴れてみせるが、しっかりと抱えられているらしく、ビクリともしなかった。
それどころか、暴れる那由多を更にしっかりと抱きしめる。
彼の腕から逃れることは出来ないと悟った那由多は、大人しくされるがままにした。
そうでなくとも、知盛を探すのに体力を使った後なのだ。
これ以上、無駄に体力を減らす必要もない。
すると、ようやく大人しくなった那由多を見て、知盛が小さく笑んだ。


「……何笑ってるのよ」
「いや……随分大人しくなったと、思っただけだ……」


知盛が比べているのは、過去の自分と今の自分だろう。
昔の自分は、普通の姫とはどこか違っていた。
確かに、他の姫と同じように教育はされてきたが、それ以外にも薬師としての勉強や、武術の練習。
果ては、弟であるヒノエと同じように、熊野を駆け回っていた。
それを思えば、今の自分は随分と大人しいだろう。


「昔のことは忘れてちょうだい」
「さて、な……」


大きく溜息をついて請えば、クツクツと楽しそうに喉を鳴らしながら笑う様子が聞こえてくる。
これでは、忘れろと言ったところで忘れはしない。
どうにでもなれ、と那由多は諦めるより他なかった。


「知盛、いつまで待てばいいんだ?いい加減出発しねぇと、追い着けねぇぞ」


船に乗り込み、知盛の腕から那由多がようやく解放されると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
その声を聞いたのはつい最近のこと。
どうやら、知盛が壁となって自分の姿は相手に見えていないらしい。


「有川か……ああ、もう用事は済んだ」
「んじゃ、出発していいんだな?」
「構わないわ」


知盛に尋ねたはずなのに、返ってきたのは女性の声。
その事実に、将臣の表情が険しくなった。
途端に感じられる警戒心。
それも当然だろう。
突然訳もわからぬ女が船に乗り込んだのだから。


「将臣殿、遅れてごめんなさい」


知盛の影から姿を現せば、将臣が僅かながら瞠目した。
それはそうだろう。
何せ、普通なら自分は今、京にいるはずなのだから。


「なんで、あんたが……?」
「少し、ね。平家でやらなければならないことがあるの」


驚いている将臣に、言葉を濁しながら説明する。
しばらくしてようやく我を取り戻した将臣は、困ったように頭を掻いた。


「ここまで来て追い返すことも出来ねぇだろ。仕方ねぇ、知盛。中へ連れてってやれ」
「ありがとう」


小さく礼を言って、知盛と共に船内へ入る。
すると、何を思ったのか目の前の知盛がその足を止めた。
自然、後を追っていた那由多も足を止めることになる。
何かあったのかと訝しがれば、後ろを振り返った知盛が何かを差し出していた。










「これは……お前の物だろう……?」










差し出されたそれは、烏に文を頼んだときに、一緒に持って行くよう頼んだもの。
受け取れば、久し振りに触るのだというのに、酷く手に馴染んだ。










「これを見たから、あの文を信用してくれたんでしょう?」










過去に知盛からもらった、一本の刀だった。










意地悪まるで試すようなそんな風に楽しそうに表情を歪めないで










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知盛と将臣キター(笑)
2007/11/1


  
 

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