紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
歪んだ想いと叶わない想い
 









ごめんなさい ぼくはきっときみの願いも祈りも叶えること出来ないでしょう










どうして、今のこのときにわざわざそれを告げるのか。





それではまるで、この場にいる全ての人に教えるようではないか。










弁慶の真意を知りたくてじっと彼を見据える。
彼も同じように那由多を見ていた。



絡まる視線は熱い眼差しではなく、鋭い。



互いが互いの真意を探るための視線。
けれど、悲しいかな。
感情を殺すことを得意とする二人は、相手の気持ちを探れない。



もし、どちらかが感情的であったなら。

どちらかが、隠し事が下手だったら、今の事態にはならなかったのかもしれない。



けれど、それでは顔が同じだけの別人になってしまう。
そう思うと、やはり目の前にいる二人はこうでなければ、と望美は思う。
けれど……。


「離縁……?」


弁慶の言葉を反芻して、首を傾げる。
その言葉を聞いたことはあるが、意味までは出てこなかった。


「弁慶、お前っ……俺はお前が身を固めたなど、聞いていないぞっ!」
「そうでしょうね、君には話していませんから」
「なっ……!」


九郎が驚きも露わに声を上げれば、いつもと変わらぬ表情でさらりと返される。
こうしていると、弁慶が平家に寝返るなどとは考えられない。


(身を固めるってことは、結婚と同じ意味だったよね。弁慶さんが結婚……)


九郎の言葉をヒントに、望美が自分の頭の中を整理していく。


「え、えぇぇぇぇっ!弁慶さん、那由多さんと結婚してたんですかっ?!」
「たった今、離縁を求めましたけどね」


一つに繋がった情報は、九郎同様、望美を酷く驚かせた。
弁慶と那由多が夫婦だったという話は聞いていない。
今までの運命はもちろん、この運命でも。
それまでの運命でなら、納得できないこともないが、この運命ではどこか引っかかる。
二人が夫婦と言われても、いまいちピンとこないのが本音だ。
なぜなら、そういう雰囲気が伝わってこないから。



これが那由多の言った「決定的に違うところ」なのだろうか。



けれど、それも違うような気がする。
一体何が違うのだろうか。
確かに、那由多に見てきた運命を伝えたとき、二人が結婚しているとは言わなかった。
言わなかったのはひとえに、それを知らないからだ。



言わないのと、知らないのでは物が違う。



恐らく、那由多にはその辺りも知られているのだろう。
そして弁慶にも。


「……アンタ、ほんっとにサイテーだな」


まるで地を這うようなヒノエの声には、今までにない怒りを感じられた。
弁慶が那由多を捨てたと言う事実が、それほどまでに彼を駆り立てたのだろう。


「そうですね。今回ばかりは、素直にその言葉を認めますよ」


そう言って微笑んだ弁慶を見て、望美は何か違和感を感じた。
確かに笑顔はいつもと変わらない。
もちろん、その声も。
けれど、どうしてだろうか。
こんなにも、普段の弁慶らしからぬと思ってしまうのは。


「弁慶殿……あなたがそんな人だったなんて、見損なったわ」


朔が非難の声を上げるのは、愛しい人を失った経験を持つ故か。
愛する人がいなくなった悲しみを、この中で誰よりも理解している。
だからこそ、弁慶の取った行動に腹も立てるのだろう。


「朔殿から言われると、さすがに胸が痛みますね」


それですら、笑顔で受け入れるのは、自分が何をしているか知っているから。
全てを受け入れる。


それが、自分の犯した罪の贖罪への一歩。

そして、那由多への。


望美が那由多を見れば、彼女は何かを考えているように、ただ俯いている。
いや、あまりにもショックが大きくて、言葉すら出てこないのかもしれない。
まさか弁慶の裏切りを知ったと同時に、彼から離縁を告げられるなんて。
こんなのって、ない。


「弁慶っ!お前だけは許さんっ!!」
「駄目だよ、九郎!」


弁慶に向かって今にも斬りかかりそうな九郎を、景時が後ろから羽交い締めにして留める。
いつもなら九郎と同じように驚くはずの景時が、そういえば驚かなかった。
もしかしたら、彼は既にこのことを知っていたのだろうか。


「これ以上ここにいたらマズイんだって!もう、平家の軍を防ぐのは無理なんだ!」
「アイツの汚い策にハマって全滅なんて、俺は願い下げだね。引くなら今しかねぇだろ」


景時だけではなく、ヒノエからも同じことを言われては、さすがの九郎も躊躇った。
確かに弁慶が憎いのだろう。
けれど、これから先のことを考えると、この場で全滅するわけにもいかない。
どうしたものか、と九郎の表情が曇った。





「ここは大人しく撤退するべきよ」





そんな九郎を後押しするように、一つの声が上がる。
はっと声のした方を振り返れば、それまで俯いていた那由多が、真っ直ぐ前を向いていた。


「那由多殿……」
「このままここで全滅?それこそ弁慶の思うつぼだわ。源氏のためを思うなら、大将なら、引き際を見極めなさい」


九郎に告げる口調は、悲しみに暮れるでも、怒りを覚えるでもない。
至って普通の声。
まさか那由多は弁慶からこのことを聞いていたのだろうか。
そう思ったが、直ぐさまそれは否定した。
弁慶に告げられた瞬間の彼女の顔は、今まで見たことがないくらいに驚いていた。
あれが演技だったとは、どうしても思えない。
そう考えると、本当に、弁慶が告げたことは那由多の想像範囲外だったのだ。


「九郎殿」


諭すように話す那由多は、口調や言葉が違いこそすれ、普段だったら弁慶が言う言葉だ。
それを彼女が言っているのは、たんなる偶然だろうか。


「弁慶っ!次に会う時を覚えていろ!この借りは必ず返すからな」


ぐっと、踏み出しそうになる一歩を堪え、きつく拳を作れば、弁慶へと鋭い睨みを放つ。
唇を噛みしめると、辺りを見回し、一言。


「退くぞっ!血路を開いて、生き延びろっ!!」


それ以上、弁慶を見ないようにと、我先に先陣をきって行く。
そんな九郎の姿に続いて、誰もが行宮を後にする。


「先輩……」


譲だけは望美の事が気がかりで、撤退することを躊躇ったようだが、望美自身が逃げるよう告げたおかげで、後ろ髪引かれる思いでその場から去っていった。
けれど、那由多だけはその場に留まった。
弁慶は始めから彼女がその場に留まることを知っていたように、那由多の姿を見つめていた。


「君は、逃げないんですか?」
「もちろん逃げるわ。けど、一つだけ確認させて」


わざわざこの場に残ってまで確認したいこととは一体何だろう。
那由多と弁慶の関係は自分の入り込めないこと。
だから、本当ならこの場にいない方がいいのかもしれない。
けれど弁慶の人質となっている身は、逃げられないよう彼にしっかりと腕を捕まえられている。










「……仮初めのこととはいえ、少しでも私を想ってくれたことはあったのかしら」










またしても自分のわからない話。


仮初めって、一体何?


できることなら、この場で全て説明して欲しいのに。
そんな時間すら今はないことが、もどかしい。










「それを、聞くんですか。……それは君が一番知っているでしょう?」










望美には理解の出来ない会話の内容。
けれど、本人たちにはそれだけで充分理解できたらしい。
那由多は弁慶の言葉を聞いた瞬間、きつく目を閉じた。


「……そう、だったわね」


まるで、重い物を吐き出すかのように、大きな息と一緒に言葉を紡ぐ。
その表情が、どこか切なく見えるのは気のせいではないはずだ。
今の弁慶の一言が、那由多の心を痛く傷つけたのだけは、理解できた。
だから、彼に一言何か言おうとしたが、那由多と同様に、いやそれ以上に悲しそうに見える弁慶の顔に、望美は言葉を失った。


(どうして弁慶さんがそんな顔するの──?)


いつもの余裕に満ちた笑みはどこへ行ったのだろう。
自分は弁慶のそんな顔、知らない。


「そろそろ私も逃げることにするわ。源氏には、軍師が必要ですものね」


そう言って、那由多が自分の荷物から取り出したのは一つの黒い固まり。
それを広げて頭から被り、ちょうど肩の辺りにある留め金で止める。
すると、どういうことだろう。
弁慶と同じように外套を身に纏った那由多がいた。
それこそ色は違えど、遠目から見たら弁慶が二人いるように見えるだろう。










「さようなら」










一言告げると、那由多は外套を翻しながら、撤退を始めた源氏を追っていく。





その間、弁慶と望美を振り返ることは、なかった。










ばかねなにをかくにんしたかったの かしら?










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今回は望美視点です
2007/10/30


  
 

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