紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
決められた運命と秘め事
 









憶測だけで語られる未来










屋島へ逃げた平家は、仮の御所に行宮を建て、そこを本拠地にしている。
平家を追った源氏は、四国の阿波へ渡り、南側から屋島を目指していた。
立石山へ辿り着けば、一度休息を取るために陣幕を張る。
一気に攻め入るのも一つの手だろうが、疲れの溜まっている身体で攻め入っても、体力的にこちらが不利。
平家に戦に備える時間を与えてしまうが、確実さを狙うなら、やはり休息は必要だ。


「那由多さん……」


再度、薬の点検をしていれば、望美がこちらへやって来た。
普段の彼女と違い、どこか弱々しい感じが否めない。
いつもなら、戦となると雰囲気が変わるというのに。


「望美さん、どうかしたの?」


体調でも悪いのだろうか?
ならば、一度診ておいた方がいいかもしれない。
あぁ、そうなると、九郎や弁慶に言って、もう少し出発の時間を待ってもらわなければ。


「私、どうしたらいいんだろう……」
「?」


心底困ったように、縋るような視線で那由多を見る望美は、どこにでもいる少女と変わらない。
一体何が彼女をここまで不安にさせているのだろうか。


「このままじゃ、また同じ運命を繰り返してしまいそうで」


胸の前で重ねられている手が、小さく震えている。
彼女の不安の原因は、自分たちか。
戦を前にして、他のことに気を取られているようでは、いざというときに反応が遅くなる。
それを彼女は知っているだろうに。
いや、知っているからこそ、この先を憂うのか。


「でも、望美さんの知る流れとは、微妙に違っているのでしょう?」


そう、彼女はもしかしたら、この運命は前の運命とは違うと言った。
知らなかったことを知り、今までとは違う行動が出てきていると。
それなのに、どうして同じ運命を繰り返すと言うのか。


「そうなんですけど、決定的な物がないんです。だから……」


不安なんです。と呟く声は、小さかった。
自分は彼女のように、前の運命がどうであったかは知らない。
けれど、一つだけ断言できることがある。





この運命は、望美の知る運命には、なり得ない。





望美にはわからない、自分だけが知る事実。
それが、運命を左右するだけの力があるかわからない。
けれど、違う自分が為し得たことを、自分は出来なかった。
それは運命を変えるには、足りないことだろうか。



もし自分がそれをしていたのなら、彼女には悪いが、もう一度時空を越えてもらうしかない。

そして自分は、弁慶がこの世界からいなくなっても、彼女について行くことはないのだろう。



だけど、今の自分なら、弁慶がこの世界からいなくなったら、迷わずに望美について行く。
そう、この運命の自分なら。


「望美さん、大丈夫よ。この運命はあなたが知る運命じゃない」


彼女の手の上に自分のそれを重ね、震えが止まるようにギュッと握りしめる。


「どうして……そんなこと言えるんですか?」


問う望美の声が震えている。
あぁ、彼女は今泣きたいのだ。
けれど、それを必死になって堪えている。
こんなにも自分たちのことに、必死になってくれている彼女。
何が彼女をここまでせき立てるのだろうか。





「あなたの知る私と、今の私。どちらも同じ私だけど、決定的に違うところが一つあるの」





本当は、言うだけ自分が虚しくなるから、言葉にしたくなんかなかった。
でも、このまま戦に出た場合、彼女の身になにか起きそうで怖かった。
だから、せめて彼女の希望になればいいと、そう思った。


「え……?」


期待通りに言葉につられた望美に、那由多は内心重い溜息をついた。
これで理由を問われたら、更に重くなりそうな口を開かねばならないのか。
それだけは回避しておきたい。


「それが何かは秘密。でも、はっきりと言えるわ。この運命は、あなたの知る運命とは違うって」


先手を打ってしまえば、それより先は問い詰められない。
そう考え、先に黙秘を唱えれば、彼女は何も言ってこなかった。


いや、言ってこなかったのではない。

言えなかったのだ。


違う運命だと断言され、僅かな光が見えたのか、自分の手の下にある彼女の手は、震えてはいなかった。
その変わり、弱々しかった表情に、強さが戻った。


これで彼女は大丈夫。


那由多は、自分の手を離し、真っ直ぐに望美を見つめた。
それに応えるように、望美も見つめてくる。
痛いくらいのその視線は、自分には少しだけ、きつかった。


「那由多さん、ありがとうございます!私、頑張りますねっ」


小さくを振りながら去っていく望美を見送り、再び薬を確認しようとしたときだった。
目の前からやってくる人物を見て、那由多は溜息をついた。


「珍しいわね。あなたから私のところへ来るなんて」
「用がなくては、君の元へはこれないんですか?」


相変わらず、飄々とした様子で近付いてくる彼の顔には、すでに面のように作られた笑顔が張り付いていた。
用がなくては、と言っていたが、用が出来たから自分の元へ来たのだろう。
平家に何か、動きでもあったか。


「少し、困ったことになりそうなんです。その事について話したいんで、来てもらえますか?」
「……私に拒否権はあるのかしら?」


柔らかい口調の中に、どこか逆らえない物を感じる。
視線を逸らして肩を竦めてみせれば、その笑顔がより深まった。
背中に冷たい物が一筋流れたような気がして、那由多は急いで支度を終わらせる。





「そういえば、ヒノエから烏を一人借りたそうですが、何のためですか?」





移動しながら告げられた言葉に、思わず足を止めそうになる。


なぜ弁慶がそれを知っているのか。


ヒノエが言ったとは考えられない。
あのとき、ヒノエに言った言葉を知る人は、ヒノエ以外には誰もいないはずだ。
となると、烏を捕まえて聞いたか、あの時聞き耳を立てていたか。
弁慶ならば、そのどちらも考えられる。
あのとき、烏を借りる理由を、ヒノエに話しておかなくて良かった。
もしあの場で話していたら、と考えると、ゾッとする。



何があっても、弁慶にだけは悟られたくない。



最大限に頭を回転させ、無理のない理由を探す。


「本宮の霊水を取りに行ってもらったのよ。いくら今は望美さんがいるとはいえ、戦が始まったら何かあったとき、すぐに彼女の力を借りられるとは限らないでしょう?」


そう言えば、探るような視線が弁慶から向けられる。
けれど、本宮から霊水を持ってきてもらったのは本当のことだ。
いざというときのために、用心のために。
それ以外にも理由はあるが、これは黙っておく。
尚も向けられる視線に、那由多は自分の荷物の中から、霊水を取りだして見せた。


「中身も確認する?」
「いえ、そこまではしませんよ。それに、結果的にその方が良かったですし」


ようやく納得した弁慶に、悟られないようにホッと胸を撫で下ろす。
疑り深いのは仕方ないと思うが、ここまで徹底されるのも少し辛い。


「それで、一体何があったのか教えてもらえる?」
「屋島の浜辺に、大量の怨霊が集まっているらしいんです」


怨霊。
それを聞いた那由多の表情がしかめられる。
よりによって、どうして怨霊なのか。
これではまるで、このために霊水を持ってきてもらったような物ではないか。
だから弁慶も、結果的に、と言ったのだろう。


「無念を抱いて倒れた者がいれば、それが怨霊を生み出す元となる……」


どこか遠くを見て呟く弁慶の声は、低く、固い。
どうせ思い出しているのは過去のことか。
弁慶は怨霊が生み出される瞬間を見たことがある、と湛快から聞いたことがある。
そう言う湛快も、同じ場所にいたのだから、その場に遭遇していたのだろう。
彼ら二人が同じ時、同じ場所で何かを為そうと行動を共にしたのは、まだ記憶に新しいことだ。
だが、那由多はあえて、それを口に出そうとはしなかった。
この場でそれを言っても、仕方のないこと。
すでに、終わっていることなのだ。
今は目の前のことに集中しなくては。




九郎たちがいる場所まで行くと、直ぐさま軍議が始められた。
こんな場所に自分がいていいのだろうかと思うが、弁慶の計画のためには必要なこと。
今はまだ黙って弁慶の言葉に従っておく。
ただ、軍議が進むにつれ、何か言いたげにしている望美の姿が目に入った。
何かを言うのを躊躇い、口を開いてもすぐに閉じる。
それの繰り返し。
彼女がこの場で何か言いたいのだとしたら、この先の運命のことだろうか。
けれど、今この場では何を言っても聞いてもらえないだろう。
九郎辺りなら、話は聞いてくれるかもしれない。
けれど、弁慶は駄目だ。
その麗しい笑顔で、望美の言葉全てを封じてしまう。



もし彼女が何か言うのなら、自分がそれを止めよう。



那由多はそう思ったが、幸いにも、望美が何か言葉を放つことは無かった。
軍議が終わると、行宮へ向けて再び移動が始まる。


「那由多、わかってますよね?」


自分の荷物の中にそれがあることを確認しながら、弁慶が確認のために念を押す。


「わかってるわ」


全ては行宮で。
キュッと唇を噛みながら、那由多はこれからのことを案じた。










今更 過去を悔いても何も始まりはしないけれども










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手抜き……
2007/10/27


  
 

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