紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
贈り物と頼み事
 









変わらぬ君とずっと一緒にいたかった










戦が始まるまで、まだ少し時間がある。
限られた時間を、有効に使わなければいけない。


今後については弁慶とも話した。
後は、それがどうなるか。
出来ることなら自分も彼の手助けになりたい。
けれど、彼の計画では自分が手助けできることは、ほとんどなさそうだった。
ここまで来て、今更自分を除け者にするつもりか。
自分の身を案じてくれているのだということはわかる。
わかるが、やはり納得がいかない。


「やっぱり、弁慶とは別に動くしかない、か」


作業の手はそのままに、小さくごちる。
那由多の脇には、細く切った布が置かれている。
そして、目の前には丸めて小さくまとめられた布たち。
これから起きる戦の前準備だ。

今回は以前のように奇襲するわけではない。
真っ向から、平家に向かうのだ。
怪我人も、前の比ではないだろう。
その分、自分の仕事も増えそうだ。
だが、それ以外にも自分の仕事が出来てしまったことに、小さく溜息をつく。
「何とかする」と弁慶は言ったが、戦が始まるまでに何とかなるのだろうか。
そのことにまた溜息をつく。





敵を欺くにはまず味方から。





そんな言葉があるけれど、九郎にそれが知られたときの反応が怖い。
彼のことだ。
弁慶が言うことを鵜呑みにして、絶望を覚えるのだろう。
そして、事実を知らされたときに、また怒鳴る。
恐らく、そんな感じなのだろう。
けれど、一番怖いのはヒノエだ。
そうでなくとも、彼は弁慶のことを良く思っていないというのに。
こんなことをしたら、尚更二人の間に溝が出来てしまう。



ヒノエは、弁慶を苦手視している。

けれど、弁慶の場合は愛情の裏返し。



屈折した弁慶の愛は、甥のヒノエにはあまり伝わりそうにない。
もう少し、素直に表現すればいいのだろうが、弁慶がそうするとは思えない。
結局のところ、ヒノエの反応が楽しいから、弁慶はからかうのだ。
それを考えると、ヒノエも九郎も、弁慶の中では同じ位置にいるのだろう。










なら、自分は?










一体、弁慶は自分のことをどう思っているのか。
未だに彼の口からはっきりと聞いたことはない。
聞いてみようかと思ったこともあったが、姪だと言われてしまえばそれまでだ。
自分がどんなに彼を想っても、その想いが伝わるわけもない。
だから、口に出して聞こうとは思えなかった。


「那由多、ちょっといいですか?」
「ええ、構わないわよ」


部屋の外から掛けられた声に、肯定の言葉を告げれば、障子が開けられた。
開けられた障子から見えた秋空に、思わず外を眺める。
まるで、戦など知らないような空。
このまま、巡ってくる日々を送れたらどれだけ幸せだろうか。
そっと障子が閉められると、再び外界と遮断される。
部屋に入ってきた人物は、その手に何やら風呂敷を持っている。


「戦の準備ですか」


那由多の脇に置かれている物を見て、思わず弁慶が声を上げる。


「ええ、あれば治療が楽になるから」


言いながら、自分の目の前にある包帯を脇にどけ、弁慶が側に座れるだけの空間を作ってやる。
そうすれば、弁慶は出来た空間に腰を下ろした。
自分と那由多の間に、持ってきた風呂敷包みを置く。
とさっと音がしたそれは、随分と軽い物らしい。
一体何なのだろう?と置かれた風呂敷包みを見ていれば、弁慶がそれを開く。
結び目を解かれ、風呂敷を開けば、そこから現れたのは一つの黒。


「何とか戦まで間に合いました」


言いながら、それを手に取ると、那由多へ向けて差し出す。


「どうぞ。これは、君の物です」


差し出したまま一言。
その後は更に差し出すように、腕を伸ばす。
そこまでされてしまっては、受け取らないわけにはいかない。
那由多は諦めて、弁慶の腕からそれを受け取った。
随分軽そうに見えたそれは、思っていたよりも重量を感じた。
この重さは、これから自分がしなければならないことの重みなのだろうか。
それとも、それ以外だろうか。


「随分と急がせたみたいね。あれからまだ数えるくらいしかたっていないのに」
「早いほうがいいでしょう?それに、少しでも君に慣れて欲しかったんです」


その声には驚きと、寂しさが入り乱れている。
受け取った物を広げてみれば、それは一枚の布。
途中に留め金が付いている。
色は黒だが、裏側は極薄い黄色。
弁慶が身につけている外套と、全く同じつくりのそれは、梵字だけが見当たらなかった。


「さすがに、それはどうかと思ったんで止めておきました」


自分が手にしている外套と、弁慶の来ている外套を交互に見やれば、苦笑を浮かべながら言い訳がましく言った。
外套は、弁慶が身につけている物よりも、高価な布が使われている。
それを思うと、弁慶は始めからこのつもりだったらしい。





自分を源氏に呼んだのも。

望美たちと同行させたのも。





一緒にいる時間が長ければ、それだけ親密になる。
それだけ、一般兵が知らないことも、耳に入る。
一介の薬師が、いくら神子のためとはいえ、ここまでする必要は普通ない。
弁慶の考えが読めなかったことに、那由多は小さく歯噛みした。


「これで誤魔化されてくれるかしら」
「多分、大丈夫でしょう。なんと言っても、君がするわけですしね」


自分を評価してくれるのは嬉しいが、過剰な評価は迷惑にしかならない。
それだけ責任が出来てしまうと、いざ失敗したときが恐ろしい。
ましてや、騙すのは数人ではなく、数千、数万という単位。
これで心が弱くならない人がいるなら、見てみたい。


「あまりおだてても、何も出ないわよ?」
「僕は事実しか話してませんよ?」


はぁ、と大きく溜息をつきながら言えば、にこりと笑顔が返される。
いつものことながら、どうして弁慶はこういう風にしか言えないのだろうか。
もう少し、わかりやすく言ってくれたら、彼の意図をしっかりと汲めるのだろうに。


「ねぇ、最後にもう一度だけ聞かせて」
「何ですか?」
「本当に、大丈夫なの?」


嘘でもいいから、ここで大丈夫だと言って欲しかった。
そうすれば、安心して彼の行動を見ていられる。





待って、いられる。





弁慶の口が開かれるのを待つ。
沈黙の時間が、痛いほどに長い。




たった数秒。


けれど、永遠とも思える時間。




祈るような願いは、彼に届いているだろうか。


「……確立は、五分」


言われた言葉に、那由多は思わず目を閉じた。
そんな予感はしていた。
だから、言われたとしても驚かない。
驚きはしないが、もしかして、と期待している節もあったのは確かだ。
それだけに、この言葉に落胆せずにはいられない。


「そう」


固く目を閉じたまま、そう答えるだけが精一杯だった。


「話はこれだけです。僕も支度があるので、これで」


そう言って、弁慶は部屋を去っていった。
彼が去っていった場所を、じっと見つめる。
弁慶が言ったことは、間違いないのだろう。
けれど、逆にそれが決め手になったのかもしれない。





「私は弁慶と違う道を、動く」





話したら彼は絶対に反対する。
そうさせないためには、弁慶が知らないうちに行動していた方が得だろう。
あとは、来るべきときまで身を潜めること。


休むときは休む。

働くときは働く。

何においても、これが鉄則だ。


だが、その前準備も怠ってはならない。
円滑に物事を進めるのなら、その前準備に手を抜いてはいけないのだ。
那由多は手にしている外套をきれいにたたみ、部屋の隅に置いた。
散らかしている荷物を片付けると、那由多はそのまま部屋を後にした。



まだ日も高いこの時間。
どこかへ出掛けていない限り、望美と一緒にいるだろうと踏んだヒノエは、案の定、望美と朔の側にいた。
雑談でもしているのだろう。
時折、三人の笑い声が聞こえてくる。


「あれ、那由多さん」


那由多が近付いてくることを知った望美は、にこやかに手を大きく振って那由多を呼んだ。
呼ばれた方は、小さく手を振りながら、三人の元へと。


「珍しいですね、那由多さんが部屋から出てくるなんて」
「本当に。弁慶殿と一緒で、呼ぶまで出てきてくれないんだもの。それで、何か用かしら?」


望美と朔の言葉に、そうだったろうかと思わず首を傾げる。
自分は弁慶ほど、一日中部屋にいたことはないのだが。


「那由多が用があるのは、望美たちじゃなくて、オレだろ?」


朔の問いには、ヒノエが那由多の側へ歩きながら答えた。
ヒノエには何も言っていないのに。
頭の回転が速いヒノエだ。
自分が姿を現したことで、何かしら気付いたのかもしれない。


「悪いけど、ちょっと那由多と話してくる」


有無を言わさぬ方法でヒノエは那由多を連れて、その場を去っていく。
「相変わらず、騒々しい方ね」と朔はぼやいていたが、望美はヒノエと供に行く那由多の姿を目で追っていた。










ヒノエと二人、空いている部屋に勝手に入れば、お互い真剣な表情で向き合う。


「オレに頼みがあるんだろ?」


部屋に入るなりそう言ったヒノエに、那由多は思わず拍手を贈りたかった。
さすがヒノエ。
話が早い。


「ええ、あなたにしか頼めないの」
「敬愛する姉上のためなら、オレは何だって叶えてやるよ」


普段なら姉上と呼ばれるのを止めるところだが、今回ばかりは大目に見る。
それで頼みを聞いてもらえるのなら、お安いご用だ。










「熊野の烏を一人、私に貸してくれないかしら?」










何のために?と聞かれても、こればかりはまだ話せなかった。










忠告しておくけれど約束は守られる為じゃなく破られる為に存在するんだよ










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次の章へ入るまでの閑話
2007/10/26


  
 

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