紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
寝不足と薬湯
 









知らないままでいたかったよ










望美から聞かされた話のせいで、那由多はまんじりとしないまま、一夜を明かした。










彼女が時空を越えて未来からやって来たという事実より、





弁慶が死んでしまうという事実より、





自分が望美の誘いを拒んだ理由が、頭から離れなかった。










朝餉が出来たと朔に呼ばれ、広間に向かう。
姿を現した那由多を見て、弁慶とヒノエが慌てたように駆け寄った。
弁慶が額に手を当て、脈を取る。
ヒノエは肩に掛けている自分の上着を、そのまま那由多の肩へとそっと掛けた。


「那由多、具合でも悪いのかい?」
「熱は……ないようですね」


そんなに自分は酷い顔をしているのだろうか。
けれど、ヒノエだけならまだしも、弁慶までもが自分の身を案じているということは、相当酷いことになっているのだろう。
二人の様子が気になったのか、他の八葉までもが三人を遠目から見ている。
これではまるで見せ物だ。
だが、今の自分にはそれを言うことすら億劫だった。


「穢れ、に当たったわけでもなさそうだけど……」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。少し、寝不足なだけだから」


尚も原因を探ろうとするヒノエに、少しだけ微笑を浮かべながら理由を話す。
すると、マジマジと那由多の顔を覗き込み、じっと瞳を見つめてくる。


嘘は、ついていない。


頭の中を占めていた一つの事柄のせいで、いつの間にか夜が明けていた。
望美が自分に話してくれた、先の話。
彼女は、那由多が過去へ戻ることを拒んだ理由を知らない。
先の未来で、自分が望美に告げた言葉。
その中に、全ての答えはあった。

悲しいかな。

それを理解してしまった自分は、やはり自分自身でしかない。
未だ、それについての心の整理は付いていない。
心の整理どころか、疑問の方が溢れてくる。





いつ?

なぜ?

どうして?

どうやって?





けれど、それを知る術は持っていない。
知りたいのならば、望美が知る運命と同じ運命を繰り返さなければならない。
だが、その運命は彼女の望む物ではないことを知っている。
仮に同じ運命を繰り返したとして、自分が自分と同じ道を辿るとは思えなかった。
それに、そうなったら望美は再び時空を越えるのだろう。
まるで、出口のない迷路のように、何度も何度も。
いくら知らなかったこととはいえ、同じ運命を何度も繰り返すことは辛いだろう。
後悔とは、後から悔やむからこそ、後悔というのだ。
そうならないために努力して、けれどやはりそうなってしまうのは、彼女の望むことではない。


「……、那由多!」


身体が揺れ、那由多は我に返った。
パチパチと瞬きを繰り返して正面を見れば、どこか焦ったような血縁二人の顔。
伸びている手は弁慶の物か。
那由多の肩をしっかりと掴んでいる。


どうやら、また考え事をしていたらしい。
ぼんやりとしている自分が、二人の目にどう映ったのかなど、聞かなくてもわかった。


「ごめんなさい。ちょっと、考え事してたみたい」


二人に謝りながら、このままではみんなが待ちくたびれるから、と二人に朝餉を促す。
ヒノエは渋々と那由多から離れ、膳のほうへと足を向けたが、弁慶はいつまでもその場から動かない。
まだ何かあるのだろうか?
そう思えば、弁慶は那由多の手をそっと取った。


「何のつもりかしら?」
「途中で倒れられても困りますから、僕が手を引いてあげますよ」


こめかみの辺りが、ひくりと痙攣した。
心配してくれているのだということはわかる。
わかるが、彼の言い方では、まるで自分が老人であるかのような扱いだ。
自分は弁慶よりもまだ若い。
そう、訴えてみようかと思ったが、これ以上弁慶と話してみんなを待たせるのも悪い。
那由多は、あえて何も言わずに、弁慶に引かれるようにして膳の前に移動した。





食後にお茶を飲んでいれば、いつもと同じように今日の予定を話し始める。
すでに日課らしいこれは、望美を中心にして予定が決められる。
その際、用事がある者──主に、弁慶、九郎、景時の源氏組だが──は同行出来るか否かを告げる。
那由多は源氏の薬師であるが、元を正せば望美と朔のための薬師だ。
戦がない限りは、梶原邸や五条などで薬師の仕事をしている。
本来ならば、自分も彼女たちに同行すべきなのだろう。
けれど、今は京で起きている怪異についての調査。
しかも、それに呪詛が絡んでいるようなので、自分が同行しても足手まといにしかならない。
幸いにして、薬師は那由多以外に弁慶もいる。
何かあったら、彼が望美たちを診るだろう。


「じゃあ、今日は下鴨神社の方へ行こうか」


望美の一言で、全てが決まる。
そう言っても過言ではないだろう。
今日も望美の口から目的地が出た。
いつもと同じなら、今から支度をして、そう遅くないうちに邸を出るのだろう。



「望美さん。すいませんが、今日は僕も邸に残りたいんですけど、構いませんか?」



広間を出ようとした望美の背に、弁慶の声がかかる。
その言葉に動きを止めたのは、望美だけではなかった。


「え、弁慶さん……?」
「何か用事があるのか?」


どうして彼が突然そんなことを言うのか、望美にはわからなかった。
九郎もそれは初耳らしく、首を傾げている。
今までは、弁慶も怪異を調べるために一緒に下鴨神社まで足を運んだのに。
キョトンとしている望美に、弁慶が小さく苦笑を漏らした。


「どうやら、那由多の具合が悪いようなので、少し診た方がいいと思うんです。いくら薬師でも、調子が悪くては誤診する可能性もありますからね」
「そうですね。じゃあ、弁慶さんは那由多さんをお願いします」


弁慶の言葉に、望美はすんなりと納得した。
広間に顔を見せたときから、彼女の顔色が悪いことは気付いていた。
本人は寝不足だと言っていたが、その理由を作ったのは恐らく自分。
昨日、これから先に起きた未来を、彼女に話してしまったから。


「那由多、そういうことですから」


覚悟して下さいね?

聞こえないはずの弁慶の声が聞こえるような気がする。
恐る恐る彼の人を伺えば、顔だけ振り返りニッコリと微笑む弁慶に、那由多は背筋が凍ったような気がした。
邸に弁慶と二人きり。
恐らく、自分の状態について、深いところまで詮索してくるつもりなのだろう。
那由多は、乾いた笑いしか出てこなかった。

弁慶と二人で望美たちを送り出せば、途端に邸の中が静まり返る。
さて、どうやって弁慶の追求から逃げたものか。
そう思案していれば、しっかりと手首を握られる感触。
強く掴まれているそれは、けれど、痕が付かないようにと加減されていた。
そのまま那由多が連れてこられたのは、自分の部屋。
未だ寝具は片付けられておらず、そのままにしてある。
否、寝乱れた跡が見えないそれは、きちんと直されている。


「さて、着替えて少し寝た方がいいでしょう」
「ちょ、ちょっと待って。一体何のこと?」


着替えの支度を始める弁慶に、慌てて待ったを掛ける。
てっきり、理由を聞かれる物だとばかり思っていた。
それなのに、寝た方がいいと言われては拍子抜けだ。


「だって、君は寝不足なんでしょう?」
「え、ええ」


朝餉の前に自分からそう言ったのだ。
間違いではない。


「だったら、少しでも寝てその顔を何とかして下さい」
「……そんなに酷い顔してる?」


恐る恐る尋ねれば、深く長い溜息が彼の口から零された。


「本当に君という人は……。酷いなんてものじゃありませんよ」


そう言った弁慶が差し出したのは、鏡だった。
自分の顔を鏡に映してみれば、なるほど、弁慶の言っていた意味が少しだけわかったような気がした。
寝不足のせいで眼の下にははっきりと隈が出来ている。
更に言うなら、顔色も悪い。
これでは望美がすんなりと弁慶を残したことに、納得もいく。
思わず自分の頬に触れ、小さく息をついた。


「理解してもらえたようで何よりです」


那由多の行動を見て、小さく頷くと、弁慶が何やら作業をしているのが見えた。
彼の側にあるのは自分の仕事道具。
何となく、嫌な予感がする。
こくり、と小さく息を呑む。
もしかしたら、もしかするかもしれない。


「少し、待っていて下さい」


そう言って、弁慶が部屋から出て行った隙に、仕事道具を見る。
すると、何種類か薬草がなくなっていることに気がついた。
なくなった薬草と、その効果を思い出しながら、肩を落とす。
どうやら弁慶は、自分をしっかりと寝せたいようだ。
彼が持って行ったのは、眠り薬を作るときに使う物。
ちょうど、煎じた物は切らしていたはずだ。
となると、考えられるのは一つ……。
那由多は、そうそうに着替え、弁慶が戻ってくる前に寝てしまおうと決意した。
自分も薬師だ。
煎じた物ならまだしも、薬湯にしたときの味くらい、想像が付く。
しかも、それを作っているのが弁慶なら、尚更だ。


「あぁ、着替えたんですね」


褥に横になろうとした瞬間、彼の人が部屋へ戻ってきた。
ぎぎっ、と弁慶を見れば、彼の手の中には一つの湯飲みがある。



遅かった。



そう思わずにはいられなかった。
彼の薬で、ヒノエがどんな目に遭っていたのかは、よく見ていた。
それだけに、警戒せずにはいられない。


「寝る前にこれを飲んで下さい」


そう言って差し出された湯飲みを受け取り、意を決して中身を見る。
けれど、思っていたより──否、思っていた以上に、見た目はまともだった。
そんな那由多の姿を見て、弁慶が苦笑いを浮かべた。


「さすがに、ヒノエのようにはしませんよ」


自覚はあるらしい。
くん、と匂いを嗅げば、薬草の独特な青臭さを感じた。
どうやら、本当に普通らしい。
それを確認すると、那由多はようやく湯飲みに口を付けた。
顔をしかめながらも、全て飲む。
飲み終わって、湯飲みを弁慶に渡せば、今度こそ褥に寝かされた。


「どうせみんなが帰るまで時間はあります。それまでゆっくりと寝て下さい」
「それよりも、起きた後のあなたの質問攻めが怖いわね」


身体を横たえるなり、睡魔がどっとやってくる。
薬のせいだけではないこれは、純粋に寝ていないからか。
じっと弁慶の顔を見つめていれば、視線に気付いたのか、弁慶が髪を梳く。


「どうしました?」


尋ねてくるその口は、いつになく優しい。
これが自分だけの特権なら、どれだけいいだろうか。


「……自分で自分に嫉妬するなんて、随分と器用よね」
「はい?」


ふう、と溜息をつけば、意味がわからない弁慶の眼が丸くなる。
彼にはこの思い、とうてい理解出来るとは思えない。


「何でもないわ。少し寝るから、何かあったら起こし、て……」


目を閉じれば、途端に睡魔に襲われる。
程なくして、規則正しい寝息を繰り返す那由多に、弁慶は愛おしそうに彼女の髪を梳く。
一体彼女は何を思い、一晩中起きていたのだろうか。
それに、寝る前の彼女の言葉。
自分で自分に嫉妬、とはどういう意味か。


「君の心が遠く感じるのは、僕の気のせいですかね」


小さく呟かれた声は、寝ている那由多の耳に届かない。
飽くことなく那由多の髪を梳いていた弁慶は、一旦湯飲みを置きに行くため、部屋を出た。


しばらくして戻ってきた弁慶の手には、書物があった。









寝ている那由多の側で、彼女の目が覚めるまで、弁慶はその部屋で読書に勤しむことにした。










お話の時間は終わりですよ










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この時点で怪異は残り一つ
2007/10/23


  
 

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