紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
隠された言葉と未来を悟る
 









この手には今 いくつもの守るべき存在が握られている










どうやら弁慶は単身、平家に行くつもりらしい。
望美に話していたことが、脅しや冗談でないことは、那由多自身知っている。
けれど、どうせなら自分に一言くらい相談してくれても良かったのに。
そうぼやけば、弁慶はお決まりの笑顔で言ってのけた。



「平家には、気を許せない人がいるんですよ」と。



気を許せない人、と言われて始めに思い出すのは知盛。
何においても、彼の人は侮れない。
けれど、自分の思っていることと、弁慶が思っていることは微妙に違う。



言葉にしなければ、意思の疎通は出来ない。

だが、言葉にしても、お互いの意見が対立するときもある。



このときの弁慶が、まさしくそれだった。
那由多がいくら言おうと、自分が平家に行くからと一点張り。
理由を聞いても有耶無耶にされ、ちゃんとした言葉をもらえない。
結局、気まずい空気のまま、那由多は弁慶と連れ添って梶原邸へと戻ることになった。




玄関へ行けば、二人の帰宅を待っていたかのように、廊下を駆けてくる足音が聞こえた。


「那由多さん!っと、弁慶さんもいたんですか」
「おや、それでは僕がいたら困るような言い方ですね」


履き物を脱いで邸の中に入ったときに現れたのは、望美だった。
てっきり那由多一人だけだと思っていたのに、弁慶の姿もあったから少々戸惑った。


「そっ、そんなことありませんよ!」
「ええ、わかってますよ」


慌てて弁解する望美に、弁慶がクスクスと小さい笑みを零す。
好きな子ほどからかいたくなるという、子供のアレではないのだから、彼女をからかうのも大概にすればいいのに。
弁慶曰く「彼女の反応が面白いんですよ」だそうだ。
確かに、からかえばからかうほど、過剰に反応してくるのを見るのは面白い。
けれど、それは彼女に限ったことではなく、九郎にも同じことが言えた。
仮にも、自分の上司に当たる人物だから、弁慶のようにあからさまにからかったことはない。


「えっと、弁慶さん。那由多さんを借りてもいいですか?」
「本人じゃなく、僕にそれを聞くんですか?」
「だって、那由多さんと用があったんでしょう?」


同じ薬師である那由多と弁慶が一緒にいれば、誰でも仕事の話をしているようにしか見えない。
もしそれが今後のことに関わるのなら、下手に仕事の邪魔をしてはいけないだろう。


「ああ、それですか。用はとうにすんだんです。後は彼女の時間ですよ。では、那由多。また」


そう言って、軽く自分の肩を押す弁慶に、小さく睨み付ける。
けれど、彼はその視線を軽く流し、一人で部屋へと戻ってしまう。
残ったのは、那由多と望美。


「那由多さんに、話があるんです」


いつになく真剣な眼差しの望美に、何かある、と思わずにはいられない。
戦場以外で、彼女がこんなにも強い瞳をしている姿を、那由多は見たことがなかった。


「いいわ、聞きましょう」


那由多も望美と同じように、表情を変える。
どこか固い、緊張しているかのようなそれは、普段の那由多からは想像もつかない。


「じゃあ、私の部屋に来てもらえますか?」
「ええ」


望美の誘いに一つ頷き、二人は部屋へと向かって歩き始める。
部屋に辿り着くまでのそう遠くない距離。
一言も話さないせいか、酷く長い距離に感じられた。


「どうぞ」


障子を開け、部屋の中に那由多を促せば、それに続くように望美も部屋に入った。
まだ夕刻であるこの時間。
部屋の障子を開ければ陽の光が入ってくるが、望美はそれを開けようとはしなかった。
むしろ、誰にも聞かれないように。
空間を遮るように、全ての障子を閉じる。
本当に誰にも聞かれたくない話なら、こんな部屋ではなく、塗籠のほうがいいだろう。
だが、そこまで重要な話ではないのか。
はたまた、塗籠の存在を知らないか。
彼女の場合、多分後者なのだろうなと思う。


「那由多さん」


不意に開かれた口に、思わず姿勢を正す。
さて、彼女は自分に一体何の話があるというのか。


「私、弁慶さんから聞いたんです」


言葉を選んでいるのか、紡がれる言葉は短く、感情に欠けている。
那由多は何も言わず、彼女が言葉を紡ぐのをただ待っていた。
こういう物は急かせば急かすほど、言葉にならない。
自分で考え、納得した言葉を聞かせて欲しい。


「平家に、寝返る準備をしてるって」


望美の言葉に、そのことか、と思う。
それならば、自分も考えていたし、実際彼の口からも聞いた。
何も、驚くようなことではない。
けれど、望美には衝撃的だったのだろう。
仮にも源氏の軍師という物が、平家に寝返ると宣言したのだから。


「……でも、それじゃダメ。ダメなんです!」


突然声高に言い切った望美に、思わず那由多の顔がしかめられる。
彼女は一体何が駄目だというのか。
いや、それよりも、弁慶が平家に寝返ると聞いても、その事について何も言わないことが気になった。
普通なら、止めるなり、考えを改めさせるための算段を考えるだろう。
だが、彼女はそれをするでもなく、ただ駄目だとだけ言う。


「何が、駄目なのかしら?」


なるべく刺激しないように、優しく声をかける。
すると、どこか虚ろな瞳が那由多の姿を捉えた。
一瞬にして瞳が潤む。
そのまま頬をこぼれ落ちるかと思われた雫は、けれどそのまま瞳で留まっている。










「弁慶さんが……死んじゃ、う……」










この言葉には、さすがの那由多も驚いた。
まさか、平家に寝返るだけで彼が命を落とすとでも言うのだろうか?
そんなこと有り得ない。


だとすれば、なぜ──?


そう考え、那由多は一つの考えに思い至った。
彼が命を落とすというのなら、為そうとすることは一つ。


「ま、さか……」


有り得ない、と小さく首を振る。
いくら何でもそんなこと、と。
考えを振り切るかのように頭を振り、改めて望美を見る。
仮にそれが本当のことだとして、どうして彼女がそれを知っている?
もしかしたら、想像の域かもしれない。


真実を、見極めなければ。


両手で顔を覆っている望美に向けて、そっと手を伸ばす。
その肩に両手で触れれば、小さく彼女は身じろぎした。


「望美さん、顔を上げて」


そっと告げれば、のろのろとその顔が上げられた。
やはり涙は流していない。
けれど、今にも泣いてしまいそうなその顔は、見ているこちらが痛々しい。


「ねぇ、どうしてあなたはそれを知っているの?まるで、この先を知っているみたい」


どうして?と再び尋ねれば、望美は自分の着物から何かを取り出した。
首から紐でつるしてあるそれは、どこにでもありそうな首飾りに他ならない。
けれど、それがはっきりと姿を見せたとき、那由多は思わず息を呑んだ。


小さいながらも、神々しいまでの清らかな気。

この気の波動は自らの身体が覚えている。

熊野で望美に穢れを祓ってもらったときと、同じ物。


楕円形に近いその形は、涙の雫にも見えるし、何かの動物の鱗にも見える。
望美に許可を貰い、その手に取れば、どこか身体が軽くなったような気がした。


「それは、白龍の逆鱗です」
「白龍の?」


言われれば、確かに白龍の首に、鱗のような物があった気がする。
けれど、自分の手の中にあるこれが確かに逆鱗なら、白龍はすでに消滅しているはずだ。
龍の逆鱗は、人の命と同じ物。
それを取れば、いくら神といえど、無事では済まない。


「おかしいわね。白龍の首には、確かに逆鱗があると思うのだけれど?」


思わず、詰問する声に力が入る。
どうにも理解できない。
白龍の逆鱗のことといい、未来を知っていることといい。


「この逆鱗は、白龍の物であって、白龍の物じゃないんです」


またしても妙な物言いに、注意深く望美を観察する。



一体彼女は何を言いたい?



白龍の物だけれど、白龍の物ではない、など、人を馬鹿にしているような物だ。
それに、なぞなぞに答えるような暇は持っていない。
話があると言われたから付いてきてみれば、先程から訳のわからない言葉ばかり。





「那由多さん、知ってますか?白龍の神子って、怨霊を浄化するだけじゃないの。この逆鱗の力で、時空を越えることもできるんです」





その言葉に、ようやく合点がいった。
未来を知っているのは時空を越えたから。
白龍の物であって、白龍の物でないのは、今いる白龍じゃない白龍の物だから。
そして、弁慶のことを知っているのも、未来で見てきたから。
だが、過去に戻ってくる必要があるのだろうか。
なにゆえ彼女は過去に戻ってきたのだろう。


「あのね、私、いつの時空でも那由多さんと弁慶さんを助けたかった」


過ぎた過去に思いを馳せながら、望美が懐かしそうな視線を宙へ投げる。
どうやら、望美の話を聞く限り、自分たちはどの時空でも命を落とすのだという。
那由多だけが命を落とすときもあれば、弁慶だけのときも。
酷いときは、二人とも。
けれど、それを阻止しようと望美が立ち上がったらしい。


「それで、熊野まで戻ってきたのね」


少し長い話を聞いた後、那由多は呟いた。
自分たちのために、わざわざそこまでする必要はあるのだろうか?
ましてや、弁慶はあまり生に頓着していないのに。


「来る前に、那由多さんに聞いたんです。一緒に行きませんか?って。でも、あなたは首を縦に振らなかった」


望美の言葉に、珍しいこともある物だ、と思わずにはいられなかった。
今の自分なら、弁慶が死に、生きている彼に会えると言われれば、一も二もなく望美について行くだろうに。
けれど、どうして自分は彼女に付いてこなかったのか。
自分のことながら、さっぱりわからない。


「望美さん、私はあなたになんと言って断ったのかしら?」


例えその時の自分が語った言葉を聞いても、わかるとは思えなかった。
自分で言うのも何だが、物事をあまり素直に言わない。
素直にするには、少々年を重ねてしまった。
望美は少し思い出すように目を閉じ、やがて口を開いた。















『私は、弁慶殿の共犯者だから。あの人がいなくなった今、残りの罪は私の罪』















いつかの那由多が言った言葉を、望美は目を閉じながら、一言一句違えずに言った。
それを聞いて、那由多の目が見開かれたことを、望美は知らない。
閉じた瞳からは、外界が遮断されてしまい、一切の情報が入ってこない。
言い終わり、瞳を開けてみれば、那由多は自分の口元を手で押さえたまま何も言わない。
その姿は、驚きを堪えているかのようにも見えた。


「那由多さん……?」
「そう……私はそんなことを言ったの……」


別な時空に生きる自分の考えは、その時の自分でなければ解らないと思っていた。
事実、そうなのだろう。
望美の言葉を聞くまでは、どうして自分が彼女について行かなかったのか、その理由はわからなかった。





けれど──。





そういうことなら、自分だって望美にはついて行かない。
その時空の自分のように、大人しく彼のいない世界に居座るだろう。


「は、ははっ……」
「那由多さん?」


突然笑い始めた那由多に、どうしたのか?と望美が尋ねてくる。
それまでとは打って変わったように笑い始めたのだ。
気が触れたと思われるかもしれない。
いや、自分は本当に気が触れたのかもしれない。



過ぎ去った未来。

けれど、もしかしたら、再び訪れるかもしれない未来。



この先がどうなるかなんてわからない。
望美の知っている未来が来るのかなんて。
けれど、ただ一つだけ言えることがある。















「あなたの知る未来の私は、幸せだったのね」















自分と同じでありながら、全く違う自分に嫉妬を抱いてしまいそうだ。










それは嫉妬それは憧れそれは渇望そしてそれはあるいは 絶望










+++++++++++++++

また長い……
2007/10/22


  
 

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