紫陽花が抱く月下美人 | ナノ
嫉妬と本音
 









貴方を知れば知る程その優しさが痛いわ










夜中に将臣と手合わせをしたおかげだろうか。
邸に戻って来るなり、那由多は深い眠りについた。
翌日目を覚ませば、いつの間にか日は昇っている。
思わず寝過ごしたと飛び起きるが、ここは熊野ではない。


「昔の癖って、そうそう抜けない物よね」


褥の上で、那由多は小さく呟いた。





寝過ごしたとばかり思っていた那由多だが、身形を整えて広間に行けば、姿が見えない人がちらほらといた。
どうやら、天の青龍である将臣と、望美が未だ起きていないらしい。
それを聞いた瞬間、那由多は小さく笑みを零した。


元いた世界から、やって来た異世界。
数年前にやってきた将臣はともかく、望美のほうはこの世界へ来てから一年とたっていない。
だというのに、しっかりと寝ていられる図太い神経は、どこへ行ってもやっていけるだろう。
それとも、異世界の住人はみんなこうなのだろうか。
でも、譲の方は朝早くから朝餉の支度をしているらしい。
となると、特別なのはあの二人だけか。


将臣の方は、自分が遅くまで付き合わせたから、もしかしたらそのせいで寝過ごしているのかもしれない。
そんなことを思っていると、不意に自分の頭に誰かの手が乗せられた。
思わず上を見るが、頭を動かすと同時に手も動く。
ふと、横に見えた人影に、今度はそちらへ頭を動かした。


「将臣殿。おはようございます」
「ああ、はよーさん。しっかし早ぇな」


将臣の言葉が、昨夜のことを指しているのだとわかったが、わざわざそれを言葉にしないところが有り難かった。
なにせ、この場には弁慶もいる。
恐らく、昨日邸を抜け出したことは気付かれているのだろう。
だが、誰と抜け出したのか迄は、わからないはずだ。


「あら、これでも今日は寝過ごしたのよ?本当ならもう少し早く起きているのに」
「あ?そうなのか?」


寝過ごした、と言う言葉に、将臣の目が多少見開かれる。
あれだけ激しい手合わせをしたというのに、目の前の女性は疲れという物を知らないのだろうか。
昨夜手合わせをした武器は、自分の太刀と那由多の懐剣。
さすがにそれでは、と一度は躊躇った将臣だったが、実際手合わせしてみるとそんな心配は杞憂だった。
結果を見れば、勝ったのは将臣の方だが、それでも、危ないところは何度もあった。
知盛と手合わせをしていただけはある。
時折見える鋭い剣筋は、知盛の元と類似していた。


「やはり、疲れが溜まっていたんでしょう」
「あら、弁慶殿」
「何だ、弁慶か」


将臣と話をしていれば、それに弁慶が混ざってくる。
那由多の言葉に、疲れが溜まっていると答えたのは、薬師としての見解か。
けれど、自分とて薬師だ。
それに、自分の身体の変調に気付かないほど馬鹿ではない。


「今日は怪異の原因を調べに行くつもりでしたが、君は行かない方がいいかもしれませんね」


そっと頬に触れてくる手が温かい。
こんなときでしか、弁慶の温もりに触れることが出来ないなんて。
触れたときと同様に離れていく彼の手を、惜しみながら、笑みを浮かべる。


「あら、私は始めから行くつもりはなかったのだけれど」
「そうなんですか?」
「何でまた」


自分は同行しないことを告げれば、少しだけ驚いたような二人の声。
将臣はともかく、弁慶までもが同じような声を上げたことが、少しだけ嬉しかった。


「だって」
「穢れが原因だとしたら、わざわざ那由多が危険なところに行く必要はない、だろ?」


説明をしようとすれば、更に第三者が割って入る。
自分の身を心配してくれる人なんて、他には彼しかいない。





そう、ヒノエ。





今いる人たちの中で、誰よりも自分の体質を理解している人物。
体質を理解しているという点でだけなら、弁慶よりもヒノエの方が上だろう。


「ヒノエ」


那由多の肩に触れるヒノエに、弁慶の視線が光った。
そのとき、一瞬だけ彼の瞳に映った嫉妬の炎。
それが自分の見間違いじゃなければいい、と思ったのは黙っておく。
いつも、期待するだけ馬鹿を見るのだ。
期待など、するだけ無駄だと何度言い聞かせればいいのだろう。


「おはよう、姫君。昨日よりも、どこか吹っ切れたような気がするのは、オレの気のせいかな?」


そう言って、他の姫君にするように、手の甲に口付けを落としてくる。
こうして側でやられると、やはりヒノエも弁慶や父の血を引いているのだ、と常々思う。
けれど、弁慶も父も、ここまでではなかったはずだ。
それとも、二人とも若い頃はヒノエのようだったのだろうか。
チラリと弁慶を見やる。

彼が昔、九郎と徒党を組んで暴れていたのは知っている。
だが、その時はヒノエのような甘い言葉で、女性を誘惑していたとは思えない。
それか、知らないのは自分だけで、弁慶もヒノエのような時期があったのだろうか。
後で九郎か湛快に聞いてみよう、とこっそり那由多が思ったのは、また別の話。


「そう、ね。そう見えるのなら、少し、憂さ晴らしできたからかも」
「ふぅん。何で、とは聞かない方が良さそうだ」


そう言って、直ぐさま離れていくのは、部屋の隅に望美の姿が見えたからか。
去っていくヒノエの後ろ姿を見る弁慶の瞳が、怖い。
それを視界に入れているはずの将臣は、どこか呆れた風だ。


「男の嫉妬っていうのは醜いな」


口の中で呟かれた言葉は、隣にいた那由多の耳にも届いた。



男の嫉妬。

誰が、誰に?



少し考えれば、答えも出てくる。
けれど、そんなことが本当にあるのだろうか。










弁慶がヒノエに嫉妬しているだなんて──。










あぁ、でも。
それが本当だとしたら、どれだけ嬉しいことか。
少なからずとも、彼は自分のことを想ってくれているのだと、錯覚してしまう。


「お、そろそろ朝飯みたいだな」


譲と朔が膳を運んでくるのを見て、将臣が広間へと歩いていく。
そうなると、その場に残されるのは自分と弁慶の二人だけになる。


「ヒノエの言うことも一理ありますね。君は、同行しない方がいいかもしれない」


視線を合わせずに語られる声は冷たく、硬い。
いいかもしれない、と言いながら、言外に「来るな」と言っているような物だ。
まぁ、元より自分から望んで穢れには近付こうとしない。
ここは弁慶の言葉に、素直に従っておくべきだろう。


「望美さんと朔殿に何かあったら、弁慶が彼女たちを診てやってね」
「わかってますよ。それで、君は何をするつもりですか?」
「そうね、薬草を摘んで、乾燥させておこうと思って。多くあるに越したことはないでしょう?」


望美と朔のことを彼に頼めば、逆に自分のことを尋ねられる。
一人でいる間、何かするとでも思っているのだろうか。


「わかりました。何もないと思いますが、どこかへ行くときは気をつけて下さいね?」
「心配性ね。大丈夫よ」


安心させるように微笑んでやれば、ようやくいつもの彼の顔に戻る。
それを見てから、朝餉の支度がされてある広間へと向かう。
朝餉の後に、今日の予定をみんなで話したが、那由多が同行しないと言えば、誰もが驚いた。
けれど、弁慶とヒノエが説明すれば、程なく納得する。
先日、自分の体質についてみんなに説明していたおかげか、無理強いされることはなさそうだ。


「那由多さん、どこか行くときは気をつけて下さいね?」


望美にそう念を押されながら、那由多はみんなを送り出した。
家主達がいなくなった邸は、どこか静かでもの悲しい。
那由多は一度部屋へ戻り、手持ちの薬草を確認することから始めた。





足りない薬草を摘んできて、それを干す。
既に乾燥している薬草は、その間に煎じる。
どこか単調なその作業は、思っているよりも大変だ。
キリのいいところで一度休憩を入れ、再び同じ作業を繰り返す。
どれだけ集中していたのだろうか。
気付けば、邸の中にみんなの声が響いていた。
もうそんな時間か、と作業の手を止め、広間へと足を向ける。
途中、玄関の前を通ったら、どこかへ駆けていく望美の姿が目に入った。


チラリと見えた横顔は、どこか真剣で。


何か用事があるのだろうが、それとは違う気がした。
その場で逡巡すると、那由多は望美の後を追うべく、邸から出ていた。
だが、望美がどこへ行ったのか、皆目見当がつかない。
ただ気になったからという理由で、彼女を追いかけて、果たしてそれが何になるのか。


けれど、垣間見えた彼女の顔。


それが酷く、気になった。
どこか焦っているような、そんな顔は、けれど固い意志を含んでいた。
望美にそんな顔をさせるくらいだ。
彼女にとっては、余程のことなのだろう。

当てもなくうろうろと、けれど、時折人に話を聞きながら望美を追っていた那由多は、いつの間にか京の外れの方にまでやって来た。
いくらなんでも、ここまでは来ていないんじゃないかと思う。
ここで怨霊に襲われたら、ひとたまりもない。
それに、こんな何もないような場所で、彼女は一体何をしようというのか。
半信半疑のまま道なりに進んでいけば、やがて人影が見えた。
後ろ姿ではあるが、あの姿は望美であるに違いない。
そして、望美の側に見える人影。
外套を身に纏って、薙刀を手にしている。
薙刀だけなら、わからなかったかも知れない。
けれど、望美の側にいる人物の外套は、嫌でも見覚えのある物だった。















望美は、弁慶と向き合っていた。
彼に顎を掴まれ、お互いの顔が近付く。



「実は僕、平家に寝返る計画を練っていたんです」



そう告げられたとき、望美は一瞬だけ目を閉じた。
この運命では、弁慶が平家に行く。
前の運命でもそうだった。
ここまで来たら、彼の計画はもう止められない。


「随分と冷静なんですね。この話を聞いて、驚いてくれるかと思っていたんですが」
「……驚いてますよ。でも、あんまり途方もないことで、声が出なかったんです」


詰めていた息を吐き出すように、言葉も吐き出す。
何度も繰り返し見てきた運命だ。
今更弁慶が平家に寝返ると聞いても、始めの頃のような驚きは、もうない。


そんなことで驚いている暇があるなら、二人が幸せになる道を考えろ。


そう思い始めたのは、いつの頃からだっただろう。
多分、上書きした運命で、弁慶だけでなく那由多も彼と同じ運命を辿ると知ったときだったか。
この運命で弁慶が平家に寝返るというのなら、自分が取るべき道の一つが決まった。
景時の邸へ戻ったら、那由多に話さなくては。
他のみんなに話しても信じてはもらえない。
けれど、彼女にだったら信じてもらえるから。


「君は先に戻っていて下さい」


言われる言葉もやはり同じ。
今まで知らなかった那由多のことを、少しずつ知っていってるこの運命なら、何か変わると思っていたのに。
望美は、大人しく邸へ戻ろうと踵を返した。


「僕にはまだ、やらなければならない用があるんです」
「え?」


その時聞こえてきた声に、思わず足を止める。
振り返れば、弁慶がどうかしたのか?と尋ねてくる。
何もなかったような仕草だが、確かに今、彼の言葉を聞いた。



やらなければいけないことがある、と。



一体それは何なのだろう。
今までになかったこの言葉。
僅かにだが、確実に運命が変わりつつある。
まだ全てを諦めるには早いかもしれない。


小さな望みが生まれたことに、望美は胸元の逆鱗を握りしめた。















望美の姿が見えなくなると、辺りに一陣の風が吹いた。
その風で、外套の裾が小さくはためく。
弁慶の視線は一点を見据えていた。


「那由多、そこにいるんでしょう?」


囁くような口調は、小さく。
けれど、声が届くには充分に近い距離。
弁慶の声に反応するかのように、木の陰から現れたのは、那由多だった。


「どこから、とは聞かなくても良さそうですね」


那由多の表情を見るなりそう言った弁慶は、おそらく始めから那由多がいたことに気付いていたのだろう。
弁慶と望美の姿を見付けた那由多は、身を隠しながら声が拾えるギリギリまで距離を詰めた。
望美がいなくなった今、弁慶が声をかけてきたのは、確認するためだろうか。


「ねぇ、弁慶。平家に行くのは、私の方だと思っていたのだけれど……」


望美が去っていった方を見ながら、何とはなしに呟いてみる。
どうせなら、軍師である弁慶が行くよりも、自分が平家に行った方が都合がいい。
それに、平家なら弁慶よりも自分の方が繋がりがある。










「君が行って、知盛殿に捕らわれては困りますから」










いつもの笑みで告げる弁慶の本音がどこにあるか、那由多にはとうてい理解できそうになかった。










いとも簡単にも 裏切って










+++++++++++++++

む、無理矢理な展開(汗)
2007/10/20


  
 

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